徐々にではあったが、身体の縛めが緩くなってきていることに、アスランは
日食の時間が迫ってきていることを自覚する。
記憶を呼び戻す。
内部の構造、砦の間取り。
そして、デュランダルの姿を捜し求める。
殆ど賭けと云っていいかもしれない。
今日は、日食の当日だ。
人々は日食を畏怖の象徴とし、恐れている。
ならば、神職を生業とする者であるなら、それが喩え偽りの儀式でも、鎮める
義務があるはずだ。
迷っている時間はない。
アスランは、真っ直ぐに礼拝堂を目指した。
荘厳な、分厚い木製の扉。
ここだ。
ミサが行われている間は、厳重な施錠がなされている。
いけるか!?
扉を前に僅かな逡巡。
アスランは、愛馬の名を叫んだ。
「ジャスティスッ!!」
その声に呼応して、黒馬が嘶く。
大きく振り上げた、両の太足。
がつん、という扉を蹴る音が、礼拝堂に集まっていた信者たちの視線を集めた。
内扉を塞いでいた、閂が、メリメリと不快な音を上げ始めたのは、三度目の衝撃音のあとだった。
四度目の衝撃音がした刹那、激しく強い、その圧力に耐え切れず、閂が折れ飛んだ。
鬼神の出で立ち。
現れた、黒馬に乗った、黒衣の騎士の姿は、礼拝堂に集まっていた信者たちにとっては、
恐そろしい侵入者にしか見えない。
危害でも加えられたら、洒落にならない。
禊の祈りを中断し、信者たちは悲鳴をあげ、室内から逃げ出す。
だが、そんな光景は、アスランの眼中には映っていなかった。
映るのは、唯一ひとりだけ。
真っ直ぐと、見据えた、祭壇に佇む、黒髪の男だけだった。
礼拝堂から、全ての信者が逃げ去ったのを確認してから、アスランはゆっくりと愛馬を進めた。
「ア、アスラン・ザラ…!?」
恐怖に強張った声をあげ、デュランダルは祭壇の奥に祭られている、神像の台座に背を押遣る。
「き、貴様ッ!死んだはずだろう!?」
「生きて、こうやってきたのなら、俺は幽霊ってことになるな?」
鼻白んで、アスランは愛馬からデュランダルを見遣った。
「レ、レイッ!レイは何処に居るッ!」
恐怖の形相で、デュランダルは腹心の部下の名を呼ぶ。
彼の顔には、迫り来る恐怖に、汗が噴出していた。
「あの男なら呼んでも無駄だ。俺が途中で足止めしてきたからな」
「なんだとッ!?」
行き止まりの、神像の台座の足元で、デュランダルは腰を抜かして座り込む。
視線を彷徨わせる。
だが、逃げ道はない。
出入り口は、アスランが進入を果たした、木製の扉だけ。
アスランはゆったりとした動作で、愛馬を下馬する。
デュランダルとの距離、およそ10m。
歩を進める。
それも、ひどく緩やかに見える。
ふと、歩み始めた瞬間に、自身の縛めが消滅した感覚を覚え、アスランは、礼拝堂内部の
石窓に視線をあげた。
見遣った先。
太陽が、黒く陰り、覆われていく様を視界に納める。
その視線がずらされた隙を狙って、狭まった距離を、アスラン目掛け、デュランダルが
自分の持っていた杖を振り上げ、襲い掛かってきた。
だが、そんな攻撃など、アスランにとっては、なんの恐れにもならない。
振り上げた剣で、デュランダルの杖を薙ぎ払い、手元から飛び転がったそれを一瞥し、言葉する。



「お前を倒して、俺もカガリも、もとの身体に戻る。」
真っ直ぐに、司教に向け、差し構えた剣の切っ先でデュランダルを指す。
宣言した刹那、アスランは剣を構た。
柄を両手で握り、雄叫びをあげ、デュランダル目掛け、アスランが突っ込んでくる。
逃げ道を失ったデュランダルは、再び台座へと追い遣られた。
迷いのない、一閃。
アスランの剣は、深々と、正確にデュランダルの心臓を貫く。
西の魔女、ラクスの教え通り、忠実に実行した、その行い。
「ぐおおぉお…!!」
アスランの剣に刺し抜かれ、デュランダルの身体は、台座に串刺しにされた。
ごぼり、と嫌な音を漏らし、司教の口から血泡が吹き出す。
刺された勢いの反動で、デュランダルの顔が仰向く。
気丈にも、まだ動く顔で緩々と視線を落とし、剣が貫いた自分の身体を見下ろす。
「…おのれぇ… 忌々しい、西の魔女め。破魔の剣など生み出しおって…」
恨みと怨嗟の、低い声を零して、デュランダルは刀身を握った。
が、彼が刃を握った瞬間、ラクスが剣に刻んだ文字が眩い光を放つ。
刹那、握りやったデュランダルの右手が、焼け爛れた。
阿鼻叫喚の悲鳴をあげ、デュランダルは咄嗟に手を離した。
そして…
刺し貫いた傷口からは、血ではなく、煙にも似た黒い気体があがり始める。
その黒煙は、デュランダルの身体を包み覆い隠すと、薄っすらと見える光景に、アスランは
恐怖と驚愕の色を混ぜた視線で瞳を開いた。
デュランダルを覆った、霧煙は、所々、人面にも見える阻が浮かびあがっている。
意思をもった黒い塊の、顔。
黒煙の表面には、禍々しい顔がいくつも浮かんでいる。
蠢く黒煙の惨行。
喰っている。
黒煙は、デュランダルの身体を食み、蝕んでいる。
もっていた生気が抜かれ、司教の身体は枯れ枝のように細く、黒く変色を起こし、命尽きる
間際には、朽ちたミイラのようになっていた。
司教が倒されたと同時に、ミーアにも異変は起きていた。
撫で擦っていた水晶玉が、突然粉々に割れ飛び、飛び散った破片が魔女の両目に飛び込んだ。
眼球に深く刺さった破片を取り除くこともできず、ミーアは絶叫の悲鳴をあげながらもんどりうって、
自分が愛用していた大釜に頭から突っ込んだ。
ぐらぐらと煮え立ち、泡を噴いていた、熱釜を頭から被り、大火傷を負い、事切れた。
人を呪わば、穴ふたつ。
呪いをかけた者たちによって、打ち砕かれれば、契約は反故されたという認識が発生する。
悪魔との契約を実行し、その呪いの媒介をした、魔女への制裁。
リバウンドによって、司教と魔女は身を破滅させたのだ。
アスランは、生前、人型で、それがデュランダルだったとは思えない遺骸を見遣って、
剣を引き抜いた。
再び、石窓に視線を向ければ、いつの間にか太陽は元の輝きを放ち、恵みの光を
地上に注いでいた。
僅かな眩暈を感じた。
それでも、今まで自分の身体に纏わりついていた、嫌な縛めをまったく感じなかった。
呪いは、解かれた。
そう思って、間違いなかった。
ふらつく足取りで、主を待っていた黒馬のもとに戻る。
「…ありがとう、ジャスティス。…俺をここまで連れてきてくれて」
自分の顔を、黒馬の顔に触れさせ、アスランは言葉を紡ぐ。
黒馬は、愛する主の望みを叶えられたことに満足している、とでも云うかのように、
小さく顔をアスランに擦り返す。
そして、早く帰ろうとでも云っているよう。
アスランの纏っていたマントの端を咥え、自分の背に乗れと云うような仕草で軽く引っ張った。


太陽が姿を現してもまだ、カガリは人型のままだった。
日中は、『呪』に縛られ、鷹の姿になるはずの、彼女の身体が変容しない。
日食が始まって直ぐ、カガリは女性体に戻り、戻ってきたニコルが予め用意していた
ドレスに着替え、空を見上げていた。
もし、この間にアスランがデュランダルを倒せなければ、自分はまた鷹の姿に戻ってしまうはず。
祈る。
自分が信じてる神に、カガリはひたすら祈った。
両手を組み合わせ、大地に跪く。
どうか… どうか。
神よ!
アスランを、無事に私の元に返してください… と。
黒く、太陽を隠す陰が過ぎ去り、また日の光が大地を照らして…
自分の身体は、ひとのままだと、気がついたとき、カガリはアスランが使命を果たしたことを感じとる。
デュランダルを倒し、満身創痍。
張っていた緊張が抜け落ち、アスランはぼろぼろだった。
負わされた、毒矢の傷はまだ癒えてはいない。
朦朧とする意識。
ジャスティスがいなければ、自分はその場に倒れていたかもしれない、と思うほどの
疲労を感じていた。
進入してきたのは、地下からだった。
だが、帰り道は、堂々、躊躇うことなく正門に向かった。
門は、ぴたりと口を閉ざし、外部の侵入者を寄せ付けない、頑丈な造り。
閉ざされたままの、門扉の前で、アスランは声を張り、強い口調で言葉を発する。
「門を開けろ!デュランダルは死んだ。お前たちが守るべき男はもういない!」
ざわり、と門番と、群がる兵士たちが戸惑いの顔色を浮かべ、互いの顔々を見合わせる。
恐政のもとが、いなくなった。
その事実は、兵隊であった彼らにも安堵を齎すのに十分だった。
「デュランダルの悪事を知るものは、全て告解せよ。明確な証言をした者には、寛大な処分を頂けるよう、
俺から陛下に取り成す」
去り際、アスランは呆然と立ち尽くしていた兵士たちに言葉した。
開けられた門を通って、砦の外にでる。
燦々と降り注ぐ、陽光。
眩しそうに目を細め、アスランは視線を戻す。
愛馬の腹を蹴って、ギャロップの速度を保ちながら、彼は、彼女と従者の少年が待っているだろう、
丘を目指した。
丘を駆けあがってくる黒馬の姿が視界に入った刹那、カガリは喜びに目を見開く。
そして、待つ時間が惜しいとばかりに、人馬に向かって走り出した。
「アスラァァーーーンッ!!」
その姿を見遣って、アスランは走る馬から飛び降りた。
「カガリッ!!」
飛び込む様で、カガリはアスランの身体に抱きつく。
ふたり、熱く抱き締め合い、唇を幾度も重ねた。
激しく、幾度も角度を変え、浅い口付けと深い口付けを繰り返す。
膝が崩れ落ちながらも、止まない口付けに、ニコルは微笑む。
どんなに、ふたりがこの日を待っていたのかを、改めて見遣って、ニコルは傍に寄ってきた
ジャスティスの手綱を掴んだ。
「邪魔しちゃ駄目だから、少し散歩に行こうか?ジャスティス」
《ブルルル…》
わかってます、とでも云う返事を返し、黒馬と緑の髪の少年は、そっと姿を消す。
ようやっと、正気を取り戻し、気がついたとき、アスランとカガリは、自分たちが
丘に取り残されていたのに顔を赤らめた。
「…気、利かせ過ぎだ、ニコルのやつ」
らしくなく、アスランは小さくぼやいた。
草原で倒れ込んだ、ふたりの身体。
カガリの華奢な肢体を抱く、逞しい腕の力は緩むことをしらないかのようだ。
それでも、カガリはその抱擁こそを待っていたのだと思う。
「…アスラン、ありがとう。」
「礼なんて云わないでくれ。ふたりでもとの身体に戻りたかった。唯、それだけだったんだから」
「…うん、うん」
カガリは、薄く涙の浮かんだ顔で、アスランの腕のなか、幾度も頷いた。
ふと、覆い被さっていたアスランの身体の重みが増した。
「?」
異変に気づき、カガリは、恋人である、彼の顔を覗きあげる。
極限まで達していた、精神状態は、得られた安寧に、眠りを促していた。
やるべきことをやり終えた、彼の表情は、無意識でも満足げな微笑みが浮かんでいる。
カガリに乗っかったまま、アスランは幼い子供のような顔で、小さな寝息をたてていた。
くすり、とカガリは、小さく微笑み、アスランの身体を抱き締め直す。
弛緩した異性の身体の重みは、かなりのもの。
それでも、彼女はそのことにまったくといっていいほど苦痛を感じていなかった。
苦痛なんて、感じるわけがない。
長い時間。
長い、間…。
願っていたのだから、愛しい彼と、こうやって抱き合うことを。
小一時間ほどしてから、ニコルが様子を伺いつつ、戻ってくる。
丘の、ふたりに見つからない陰に身を潜ませ、おそるおそる顔を覗かせる。
重なり合ったままの、男女の身体が視界に入った途端、ニコルは、まだ早かったかと
後悔しながら首を窄めた。
だが、確認するようにもう一度だけ、顔を覗かせ…
どうにも、様子が自分が勘ぐっていた種とは違うことに気がついた。
そっと、音をたてずに、近づき、寝そべったままアスランの身体を抱き締めているカガリに
思い切って声をかける。
それに気がつき、カガリは自分の頭上を見遣った。
「ごめん、ニコル。アスラン、寝ているんだ。私、こんな状態だから動けなくて…」
苦笑を浮かべ、従者の少年に彼女は請う。
「毛布、くれないか?」
微笑み、ニコルは今や、自分の主と同等の女性の要求に応えた。
「カガリ様?このままでは重いでしょう?」
「平気だ。」
ニコルの介助を受け、そのままの状態で毛布を掛けてもらって、またカガリは苦笑を浮かべる。
幾ばくかの眠りを満たし、アスランが薄っすらと目を開けたのは、夕刻に差し掛かる時間だった。
まだ、覚醒しない頭で、ぼう~としている。
だが、自分の身体の下に感じる、温もりと柔らかさに、一気に意識が戻る。
がばり、と身を起こし、下敷きにされたままの恋人の顔を見遣った。
「ご、ごめん!」
「あ!やっと、起きたか。」
くすくすと、カガリは可笑しそうに笑う。
「俺、ごめん、本当に!重かっただろ?」
「謝るな。」
優しく笑んで、カガリは甘えるような仕草でアスランの首筋に両の腕を廻し絡めた。
「長い間、こうすることを願っていたんだ。重さなんて、感じない。」
幸せそうな微笑を浮かべ、綻んだ彼女の顔。
ずっと、ずっと、望んでいたこと。
本物の、安らぎを手に入れられたのだと、彼女は彼に言葉を紡ぐ。
ふたりで身を起こし、手を繋いで丘を下る。
下った先では、ニコルが野営の準備を整えている最中だった。
「目が覚めたんですね?」
微苦笑を浮かべ、従者の少年は主の顔を見遣った。
「これを」
透かさず、ニコルは用意していた着替えをアスランに押し付けた。
「この先の川先に、水浴ができる清流の池があります。水浴びして、着替えてきてください。
そんなひどい格好していると、カガリ様に嫌われちゃいますよ?」
「えっ!? …そんなに?」
従者の少年の断言に、アスランは恥ずかしげに頬を染める。
確かに、少年の言う通り、服は汚れ、汗が染み付いている。
ほんの、何時間か前まで、戦渦の真っ只中に居たのだ。
仕方ない、と思いながら、ニコルですらわかるのなら、カガリにさっきまで抱きついていた自分は…
考えただけで、アスランはカガリの顔を直視できなくなった。
「ほら!水浴に行くんだろ!」
カガリに拳で軽く背を突かれ、アスランの身体が僅か、よろめく。
早く、と彼女に促され、あの勇ましさは何処に行ったのか。
アスランは、カガリの後を追ったのだった。
教えられた泉は、清らかな流れの岩清水を湛え、ふたりを招いているかのように見える。
水に浸かって、汚れを落とす。
先に、水浴を始めたアスランが、背後の衣擦れの音に首越しに振り返った。
「カ、カガリ!?」
彼女は、付き添いで来てくれただけだと、高を括っていた。
予期していなかった、出来事に、アスランはらしくなく緊張感を覚えた声を漏らす。
裸身の彼女の姿が目に飛び込んでくると、アスランは慌てて視線を外した。
ふたりで、腰に水まで浸かり、背を向けているアスランの背後にカガリは縋るように
身を寄せた。
「…馬鹿。なにを今更、照れることがある?」
「そ、そんなこと云ったって!」
手にしていた布に水を含ませ、カガリはそっとアスランの背を洗い撫でた。
「私がしてやりたいんだ。」
美しい、恋人の肢体を見て、興奮しないわけがない。
それでも、必死に、アスランはそれを悟られまいと、赤らんだ顔を伏せる。
ラクスの森で、身を重ね合わせたときは、多分、色々な意味で夢中だった。
けれど、今は…
彼の前に身体を移動させ、カガリは穏やかな表情でアスランの身体を洗い流す。
ふいに、カガリの視線が、アスランの怪我を負った左腕に移った。
静かに、巻かれた包帯を解き、彼女は静寂の眼差しで、傷ついた患部を洗った。
「随分、傷つけてしまったな。」
痛ましげな瞳を揺らし、彼女は顔をあげた。
潤いに満ちた、愛しい女性の視線を受け、アスランは苦笑を零す。
「カガリだって、たくさん傷ついた。」
彼の指先が、そっとカガリの左肩を撫でる。
刹那。
カガリは、まだ完治していないアスランの左腕の傷に唇を落とした。



「…ごめんな、…アスラン」
その行為に我慢出来ず、アスランは華奢なカガリの肢体を掻き抱く。
あとは、…本能に身を任せるだけ。
宿った、燃恋に熱く唇を合わせ、ふたりは清水に身を沈める。
女を欲する、男の情熱を感じ、カガリは静かに瞼を落としたのだった。






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