七日目の朝、アスランはデュランダルが根城とする、砦が見遣れる小高い丘に居た。
日食が有るとされる、当日の朝。
死にもの狂いで、ここまでやって来た。
丁度、正午の時間から、日食が始まる。
それまでに、なんとしてもデュランダルと合い対さねば、全ては徒労に終わってしまう。
なにひとつ、自分たちの願いは叶わない。
そんなことは絶対させない。
カガリのためにも… だ。
ふたりで誓った約束を、成就させるためにも、必ずやり遂げる。
アスランは、闘志の篭った目線で、きつくデュランダルが居る、居城を見遣った。
丘には、一本の樫の木が生え伸びている。
その木の、低い位置から伸び分かれる太枝に、アスランは腕に止まっていた鷹を下ろした。
「行ってくるよ、カガリ。」
《ピィ…》
心配気な視線でアスランを見遣る鷹の瞳に、彼は苦笑を零す。
「大丈夫。きっとデュランダルを倒して、俺はここに戻ってくる」
鷹の耳を愛撫する指先に、小さな頭が擦り寄せられた。
意を決し、アスランは愛馬に跨る。
「行こう、ニコル」
「はい、アスラン様」
早駆けで丘を下り、黒衣の騎士と、緑の髪の少年の姿が消えるまで、鷹は視線を
逸らせず見送り続ける。
一方、砦では、落ち着きが無く、ミーアの私室で苛立たしげに歩き回る司教が
魔女を急かしている真っ最中だった。
「ええいッ!まだ、奴の進入経路は掴めぬのか!ミーアッ!」
懸命に、桃色の髪の魔女は、愛玩道具の水晶を撫で擦っている。
だが、どんなに意識を集中しても、玉を撫でても、今までのようにクリアな映像は
映し出されず、霞が掛かったように曇ったままだった。
日食が近いせいで、呪力が弱まっている。
代わりに、アスランの護符の力を持った剣が、効力を増大し、彼の行き先を眩ませていた。
ようやっと、微かに見えた映像。
しかし、場所の特定もできない、闇が広がり、ミーアは眉宇を曇らせる。
「…わからぬ。奴が、今何処にいるのか。」
「この、役立たずがッ!」
自分が飼っている魔女に罵声を浴びせ、デュランダルは大声でレイを呼んだ。
「砦の警備を強化しろッ!奴がどこから現れても、対処できるよう、心して配備をするのだッ!」
「はっ!」
忠義の証を今こそ見せ、証明しなければ、今度こそ自分の主に命を取られる。
危機感に苛まれ、レイは深く頭を下げる。
非常呼集が掛けられ、暇番の兵士たちまで掻き集められ、砦のなかはこれから戦でも始まるのか、
と云わんばかりの騒ぎになっていた。
砦の内部は勿論、塀の内部、外壁の見張りまで、うじゃうじゃと兵が集まっている。
そんな喧騒をよそに、アスランはニコルの導きで、地下水路を歩んでいた。
上部の建物を支える、古びた石煉瓦の支柱が、いくつも伸びている。
明かりは、ニコルが持つ、松明一本のみ。
腐臭と死臭の入り混じった臭気に、アスランは左腕で鼻を覆った。
「酷い匂いだ」
愛馬の手綱を引き、それでも前進するしかない。
足首まで浸かった、汚水と汚泥が、アスランのブーツを汚した。
「すみません、もう少しですから我慢してください」
こんな酷い場所に、ニコルは入れられていたのかと思うと、とてもそんなことで従者の少年を
咎めることなどアスランには出来ない。
がつり、と不気味な音がした足元を見遣れば、泥に半分埋まった頭骸骨が無残な姿を晒していた。
ニコルだけでなく、ここに投げ入れられ、脱出することのできなかった犠牲者のものだと
瞬時に判断がついた。
アスランは、きつく眉根を寄せ、小さく呻いた。
漸く、慣れ始めた視界に辺りを見回せば、報われず、葬儀も成されず、朽ち果てた遺体が
あっちこっちに散乱している。
嘆き、悲しみ、自分の業を呪い、死んでいった者たちの断末魔の叫びが聞こえるようだ。
身の半分は腐り、骨も露になった死体。
半ば、ミイラ化したような、遺体。
苦しみの残痕は、掻き毟られ血の痕を引き攣った壁に、沁みとなって残っている。
痛ましげに、瞳を揺らし、アスランはニコルのあとを追った。
ニコルは、目を凝らし、支柱の一本、一本を丹念に調べてから歩を進めている。
よくよく見れば、その支柱の一本の非常に分かり難い位置に、仄かに光る明かりがあった。
蛍光塗料のような、光。
光は、蛍が放つ、淡い輝きに酷似している。
うっかり見落とせば、見過ごしてしまうほどの、小さな光だった。
ニコルは、これを見ながら前を歩いているのだと気がついたとき、微かな疑問がアスランの
脳裏に走る。
ニコルは、この光る目印を何故持っていたのか… と。
内の疑問を解決したくて、アスランは言葉で問うた。
あっさりと、少年は吐露する。
「僕が、盗みを働いていたとき、昼間のうちに下調べした場所に塗っていたんです。
特殊な茸を原料にして作るものなんですよ。」
「…すまない、悪いことを聞いてしまったな」
アスランは、素直に詫びた。
だが、少年は明るく笑む。
「いえ、全然。それより、こんなことがアスラン様のお役に立つなんて、僕はそっちの
方が嬉しいですから」
健気な、少年の返事にアスランは瞠目するしかない。
だが、直ぐに破顔して、アスランは歩みを進めた。
心なしか、自分の身体を締め付けている、『呪』の効力が薄らいでいる気がした。
日食が、直に始まるのだと、彼の身体が身をもって示しているかのように感じる。
どのくらい歩いたのかも判らなくなるほど歩いた。
漆黒の闇が、時間の感覚を麻痺させているのだ。
「出口です、アスラン様」
ふと、少年が漏らした声に、アスランは注意を払っていた足元から視線をあげた。
松明の明かりが照らしだした、出口。
だが、出口というには、あまりにもそれは強固な造りをしていた。
錆びてはいるものの、太い鉄棒で組み、繋ぎ目を溶接された、鉄格子。
入れられた囚人たちが、そこからは出ることができないと、一目でわかる、太い鎖と頑丈な錠前が
鉄の格子扉を封鎖している。
持っていた愛馬の手綱をニコルに渡し、アスランはずい、と格子扉に近寄った。
ぐっと、太鎖を手で鷲掴み、一度だけ引いて手応えを確かめる。
数歩後退してから、彼は腰に携えていた剣を抜き放った。
柄を両手で握り、頭の上部に掲げる。
渾身の力でもって、アスランは剣を振り下ろす。
垂直に、大剣の一閃が弧を描く。
バキン!という、金属が破裂する音が響いた、刹那。
鎖が高い金属音をあげ、石畳に落ちた。
こともなげに、アスランは格子扉を開き、背後に居たニコルを見た。
「ここからは、俺とジャスティスだけで行く。ニコル、お前は、戻ってあの丘でカガリと待っていてくれ」
従者の少年は、素直に頷く。
自分が着いていった処で、なんの役にもたたないことは十分にニコルは承知していた。
北に戻る帰路、休息を取ろうとした廃村で、司教の暗殺部隊に襲われたとき、自分を
庇うために、アスランは不利な状況に追い込まれた。
そのことが、あったせいもあり、ニコルはアスランを励ます言葉を漏らし、今まで辿って
きた道を引き返していく。
「ニコル、感謝している。本当にありがとう。」
歩を止め、少年は振り返ると微笑んだ。
「勿体無いお言葉です。デュランダルを倒して、カガリ様共々、もとの身体に戻れること、
祈っています。」
強く頷く主の顔を、ニコルは確認すると、再び背を向けたのだった。
打ち破った格子扉を通過すると、そこからは遥か上部に向かっている石の螺旋階段が見えた。
アスランは手にしていた自分の剣を鞘に戻してから、愛馬に跨る。
「ジャスティス、頼むぞ」
乗馬し、愛馬の首筋を撫でると、黒馬は、《わかっている》とでも云うように、首を振り
たてがみを振る。
荒く、鼻息を吹いて、アスランを急かすような仕草で、ひずめを石畳に叩きつけた。
苦笑を浮かべ、アスランは顔をあげる。
「行けッ!ジャスティスッ!!」
自分を鼓舞し、愛馬を奮い発たせるような、アスランの一声が暗がりの地下牢に木霊する。
合図に、鐙を強く蹴れば、ジャスティスは前足をあげ、嘶いた。
急勾配の斜度も、まったく問題がない。
黒馬は、上部を目指し、力強く石階段を駆け上がっていく。
態勢を低くとって、アスランは愛馬に密着するようにして、手綱を握る。
人馬一体。
寸分の狂いもなく、アスランは見事な手綱捌きで、愛馬を駆る。
馬体がぶれることもない。
石壁と接地した、螺旋の石階段。
逃げ道のない、一本道。
下ってくる者は、死を連想し、絶望にうちひがれる。
だが、今、この道を駆け上っている、人馬は、希望を掴むために走っていた。
長い、長い、階段。
出口の終点は、重厚な木製の、扉。
不安定な場所をものともせず、ジャスティスは振り上げた前足で扉を蹴破った。
突如、地下の入り口から現れた、黒馬に乗った黒衣の騎士に驚愕し、砦内部の通路は
驚てふためく顔色を浮かべる兵たちで溢れた。
「く、曲者だッ!」
「侵入者だ!であえッ!」
口々に兵たちは、激高した叫びをあげる。
通路を身動きもできないほど、埋め尽くす、砦の兵士たち。
だが、鬼気迫る、アスランの気迫に恐れをなし、兵隊の群れは徐々に後退していく。
その間を詰めるように、アスランは愛馬の歩を進める。
腰の剣を抜き、アスランは兵士たちを追い詰める。
地から響くような低い警告の声は、兵士たちを威圧した。
「手加減をするゆとりはない。死にたい奴からかかってこい。」
まさに、鬼神の如く。
アスランは、ジャスティスの腹を蹴ると、伸びる通路を突進し始めた。
狭い通路と、多過ぎる兵隊の数が、逆に敵の身動きを拘束する。
ドミノ倒しの様相で、黒馬は兵たちを薙倒し、僅かな勇気でもってアスランに飛び掛って
きた兵は、全て彼の剣の餌食となる。
凄まじい突進に、恐れをなし、ひとりの兵士が逃げ出したのを機に、群がっていた兵たちが
ちりじりに敗走を始める。
とても、自分たちの手に負える相手ではない、という即断だった。
その瞬間、通路に怒号が飛ぶ。
「なにをしている、お前たち!誰が逃げろと云ったッ!」
「し、しかし、レイ様!我々では、あの男には太刀打ちできません!」
騒ぎに現場に駆けつけたレイが、衣服に縋った兵を持っていた剣で横一線に切り払う。
血飛沫が飛び、兵は血まみれで通路に転がった。
一命を奪われ、転がった、兵士の遺体。
それを一瞥してから、レイは馬上のアスランを睨み遣る。
「自分の部下を手にかけるとはな。」
アスランは、視界に入った光景に、軽蔑の視線で言葉を零す。
「敵を前にして、逃げ出すような腰抜けの兵は必要ない。いずれ処罰が下るのなら、
俺自らくだした方が時間の無駄にはならんからな。このようなくだらないことで
デュランダル様の御手を煩わせることはない」
仲間殺しを平然とする、黒衣の騎士。
冷酷、かつ容赦のない行いは、集まっていた兵たちの動揺と恐怖を誘発するのに十分な行いだった。
隊長格だという、敬意も忘れ、兵たちは慄きながら、逃げる速度を速める。
このままここに留まっていれば、敵に殺されるのではなく、仲間に殺られる。
誰もが、そう自覚したのだ。
「アスラン・ザラ、馬から下りろ。あの廃村でつけられなかった決着をここでつけようじゃないか」
「いいだろう。」
騎士道の精神がそうさせたのか。
アスランはレイの望み通り、愛馬を下馬した。
両者が剣を構える。
狭い通路は、大剣を構える、ふたりの黒衣の騎士にとってはどちらも不利に働く。
先に、攻撃を仕掛けてきたのは、金の髪の黒衣の騎士、レイだった。
打ち込んできた剣を薙ぎ払い、アスランは身をかわす。
低く態勢をとって、アスランの剣がレイの顔面下から振り上げられる。
レイの前髪の何本かが、空中で切り飛んだ。



紙一重で、アスランの剣をかわす、その動き。
アスランは、心中で思う。
直接、切り結んだのは、これが始めてだが、この男、なかなかの剣の使い手だ、との判断。
油断すれば、自分もただでは済まないだろう。
それぞれの剣が打ち合うたび、小さな火花が飛び散る。
「これほど、剣を使いこなすことができながら、何故、デュランダルの使徒になど成り下がった。」
顔と顔が、ぶつかりそうなほど、組み合った剣の先で、アスランは言葉を吐き捨てる。
「お前になにが分かる!この国は、俺を見捨てた!慈悲もなく、戦地から戻った俺に
褒章ひとつくれなかった!使い捨てられた者の気持ちなど、貴様に理解できるかッ!」
「だから、逆恨みの挙句、悪魔に魂を売ったのか?」
「煩いッ!デュランダル様は、俺を認めてくれた、唯一の方だッ!仕事をこなせば、あの方は
女も、金銀も、望むだけ俺に与えてくれたッ!」
どんなに相手の力量があろうとも、騎士として達観しているアスランの方が圧倒的に有利だった。
力で押され、徐々にレイの身が押されていく。
「哀れだな…」
アスランの嘆きの、言葉が漏れた刹那、レイは先ほど自分が殺した兵士の遺体に蹴躓く。
バランスを崩し尻餅をついた彼を亡者の、白目をむいた恨みの篭った目線が、倒れたレイを見ていた。
「このッ!死んでも尚、俺の邪魔をするかッ!」
蹴りやった死体は、アスランの足元へと転がる。
アスランは距離を狭め、レイの前に立ち塞がるように立つ。
見上げた陰は、レイにとって恐怖しか抱けないほどの圧力を与える。
刹那、振りやったアスランの剣が、レイの手首の腱を断ち切った。
右手、左手、容赦のない、姿態。
翠の双眸は、恐ろしいほどの静寂の視線。
通路には、レイの絶叫の声が響く。
組み合わされて通路壁に飾られている武器、長槍を二本手に取り、アスランは一本を利き手に握ると
それを振り下ろす。
槍は、正確な位置で、倒れたレイの右足の甲を貫く。
深々と、肉を刺し貫いた槍先は、通路床とレイの足を縫い止める。
凄まじい悲鳴が、通路に轟く。
残りの一本も、同じようにして左足の甲を貫く。
アスランは、それでレイの動きを封じた。
「手の腱を切った。お前は二度と剣を持つことはできない。」
「いたぶるだけなら、いっそ殺せッ!」
足を槍で刺し貫かれた痛みに呻きながら、レイはしぶとく雄叫びをあげ、アスランに叩きつける。
「殺しはしない。お前は大事な証人だ。ことが全て終わったあと、デュランダルの悪事を
全部吐いてもらう」
踵を返し、アスランは背を向ける。
待機させていた愛馬に再び跨り、床に蹲るレイを一瞥してから、アスランは黒馬の腹を蹴った。
自分を置き去りに、場を去って行く、黒馬の騎士の背後から怨嗟の叫びがいつまでも
通路に響き渡っていた。






                                                  

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