「馬鹿者ッ!!」
激高を伴って振り下ろされた、黄金の杖。
凄まじい衝撃でもって、黒衣の騎士の頬を打った杖に、レイの身体が吹っ飛んだ。
今し方、早朝のミサを終え、デュランダルは帰砦したレイと謁見していた。
黄金の刺繍で装飾され、しつらえた法衣を纏ったデュランダルは、血眼の顔でレイを睨みやる。
その、姿態は抑えられない怒りに満ちている。
「奴を殺せ、と私は命じたはずだッ!おまけに、私の大事な鷹を傷つけるとは何事だッ!」
「も、申し訳ございません。」
姿勢を礼の形に戻し、跪く。
深くこうべを垂れた騎士に与える、デュランダルの顔に恐れをなし、レイは頭をあげる
ことが出来ない。
「仕方ない。だが、レイ、次はないぞ? 次こそ、奴を殺しそこねれば、お前の命が
ないと思え。」
「はっ!」
口端から滴る血筋のあとを手の甲で拭い、レイは立ちあがった。
室内をでて行く、部下を見遣るデュランダルの顔は冷酷な視線を投げ付ける。
「ミーア」
「はい?」
「水晶玉で、奴の様子を見ろ。」
命ぜられるまま、ミーアは水晶玉を撫でる。
映った像には、瀕死の境を彷徨う青年の姿があった。
「…まだ、生きているな」
ミーアは、玉を一瞥し、デュランダルを見た。
「どこまでも悪運の強い奴だ。」
「毒矢による傷は、相当深い。…日食までは間に合わんかも知れん。司教、命拾いを
したのは、貴方様のほうかも?」
だが、ミーアの言葉にデュランダルは眉宇を寄せる。
「まだ、日食が終わったわけではない。油断はできん。」
その言に頷き、ミーアは再び水晶玉を覗く。
レイが奪い損なったアスランの命。
しかし、この状態が強固だった砦の守りをより強化されるのには当然の如くであった。
五日目の朝、アスランは漸く瞼を開いた。
「…ニコル?」
「アスラン様!?気がつかれたんですね?」
「…水を、…くれないか?」
乞われた主の言葉に、ニコルは用意してあった旅人用の食器に水を注ぎ、アスランの
身体を介助し、起こす。
器をアスランに渡すと、乾いた喉を潤す、命の水が彼の喉元を下っていく。
一息ついてから、アスランは従者の少年に問う。
「何日、寝ていた?」
「丸々、一日です。」
少年の言に、アスランは秀麗な顔を歪ませる。
「とんだ時間のロスだ。急がないと、日食が来てしまう」
意識がようやっと戻ったばかりだと云うのに、気丈にも立ち上がろうとする主の姿に
ニコルは慌てる。
「まだ、無理です!」
手助けに伸ばされた、細い腕に、アスランは苦笑を浮かべる。
「お前が心配してくれることはとても嬉しい。だが、俺には時間が無いんだ。
なんとしても、日食が起こる日まで北に辿りつかないと、全てが水泡に帰してしまう。」
ふらつく意識を懸命に保ち、アスランは負傷を負った左手を庇いながら立ち上がった。
あと、二日。
のんびりしている時間はない。
癒えきっていないアスランの身体は悲鳴をあげる。
苦痛に歪んだ、顔。
発汗した汗が、滝のようにアスランの顔を滴り落ちる。
「だったら、せめてこれを飲んでください。解熱剤の薬湯です。」
椀に盛られた、深緑の液体を見て、アスランは苦笑し、皮肉を漏らした。
「不味そうだな。」
「良薬、口に苦しです。母、直伝の解熱剤です。」
微笑む少年の顔を見遣って、アスランは受け取った椀の汁を飲み干す。
「…不味い。」
喉を下っていく、不快な味に、アスランは眉根を寄せる。
ニコルの苦笑は、おさまることはない。
アスランに促されるまま、旅支度をした備品を片付け、ふたりで馬の背に跨る。
「…あと、二日。急ごう!」
「はい!」
愛馬の腹を蹴り、アスランは北への旅路を再開させたのだった。



六日目の夜。
カガリは混沌とした意識のなかを漂っていた。
ひやりとした手の感触に、カガリが薄く瞼を開けた。
ふかふかとした、寝具の感触。
だが、長い間、整えられたベッドになど寝ることはなかったので、その違和感に彼女の頭は
混乱したままだった。
「…気がついたか?姫」
その、自分の前髪を透き梳く、男の手先に、カガリの意識が瞬時に呼び戻される。
見開いた目は、驚愕の色。
そして、考えに沈んだ。
そうだ。
自分は敵に捕らわれたのだと、カガリは自覚した。
自分の顔を慰撫していたのは、憎むべき、敵の男だった。
ベッドの縁に腰を下ろし、デュランダルは痛ましげな視線をカガリに落とす。
「私の部下が、誤って貴女を撃ってしまった。処罰は与えたので許して欲しい」
「処罰?」
「決まっておろう?命に背けば、城壁から吊るす。」
「なっ!?」
カガリは、青ざめた顔でデュランダルを見遣る。
恐らく、鷹の姿をしたカガリを射抜いた射手は、失敗の償いに殺されたのだ。
失敗は許さない。
恐政の証は、見せしめをすること。
恐ろしい。
司教、デュランダルの残忍な行いに、カガリは唇を噛み締めた。
射抜かれた、左肩は、既に治療が施されている。
身を起こした彼女の身体に激痛が走った。
「まだ、無理だ。暫くは、私の砦で傷を癒すがいい」
デュランダルの喜色めいた表情。
背筋に悪寒が走り、カガリは視線を彷徨わせる。
「云っておくが、逃げようと思っても無駄なことだぞ?」
「えっ?」
「この部屋は、砦の最上階の塔だ。扉の外には兵がいる。」
冷笑を浮かべるデュランダルの顔は、悪鬼そのもの。
「傷が癒えたら、まずはそなたの身体を吟味させていただこうか?」
くくく、と喉元から笑うその声に、カガリはきつくデュランダルを睨んだ。
「…誰が、お前なんかにこの身を許すものか。私の身体に触れることを許した男は、
アスランだけだ。」
ベッドの隅に身を寄せ、カガリは後退さる。
「これでも、私は寛容に接しているのだよ?姫。やろうと思えば、今すぐにでもそなたを
抱きたい。だが、暴れられて傷がまた開くのは歓迎できんからな」
「汚らわしいッ!邪教に身を染め、悪事の数々、必ずお前は倒される!
アスランの剣が、お前を倒すッ!」
カガリの吐き出した言葉は、デュランダルの気持ちをささくれだたせる。
紳士然とした表情が一変、豹変する。
「小憎たらしい言葉を吐き捨てる。カガリ・ユラ・アスハ、この現状で私から逃れられると
思っているのか?」
我慢も限界を超えたのだろう。
デュランダルは、ベッドの隅で震えるカガリを追い詰め始めた。
「く、来るなッ!」
手近にあった枕を投げ付け、カガリは抵抗を試みる。
「少し、仕置きが必要のようだな?そなたの身が回復してから、調教をしようかと思ったが…」
色欲を含んで、デュランダルはカガリを追い詰めた。
恐怖に駆られ、カガリはベッドから転がり落ちる。
刹那。
傷めた肩が疼く。
「…ああ!…あっ」
肩を庇って、四つん這いのまま、カガリは石煉瓦で作られた窓辺に縋った。
その彼女の片足の左足首を握り、デュランダルは言葉を零した。
「そなたが望めば、私はなんでも与えよう。金銀財宝も、高位の爵位も。今や国王すら私の
意のまま。私にできぬことなどなにもないッ!」
ずるり、と掴まれた足を引き攣られ、カガリは窓辺の壁に背を押し付ける。
「い、嫌ああーーーーぁッ!!」
華奢な彼女の身体に覆い被さるように、デュランダルの身が圧し掛かる。
背を這い上がらせ、カガリは石煉瓦の窓に身を乗り上げた。
眼下を見下ろし、吹き上がってくる風が、カガリのドレスを舞い上がらせる。
「逃げられぬ、と申しただろう?」
顎を手で鷲掴まれ、拘束を受ける。
カガリの顔が恐怖に彩られる。
デュランダルの、彼女を見る視線は、『蛇眼』そのもの。
身体に蛇の身が絡みつくような怖気を感じ、カガリは叫んだ。
「お前に触れられるくらいなら、私は死を選ぶッ!」
その刹那。
カガリの身体がぐらりと背後に傾いた。
滑り落ちるように、彼女の身体が慣性の法則に従って落下する。
「姫ッ!」
咄嗟に伸ばされたデュランダルの手は、届かない。
絶え間ない涙が、カガリの顔を零れた。
涙の玉が、落下する身体との間に速度差の落差を生む。
飛び散った、涙。
カガリは、声の限り、愛する男の名を叫ぶ。
「アス、…ラン、…アスランッ!アスラァァーーーンッ!!」
共に生きると約束した。
なのに、道半ばで誓いを破ることになるなんて。
ごめんなさい…。
唯、それだけがカガリを突き動かしていた。
その瞬間。
遥か彼方の山肌が、色を変え始める。
日が、…昇る。
夜明けだ。
カガリの手先は、羽毛に覆われ、金の瞳は猛禽の瞳へと変化する。
今まさに、地面に叩きつけられようか、としたその時。
くるりと反転し、空に羽ばたく一羽の鷹が、空を舞った。
上昇気流に煽られ、カガリが纏っていたドレスが空中に漂う。
「姫ッーーーッ!」
飛び去った鷹の姿に手を伸ばし、デュランダルの声が暁の空に木霊した。
デュランダルの魔手を逃れ、カガリは懸命に羽ばたく。
だが、矢傷を負ったこの状態では、遠くまでは飛べない。
カガリは残された時間に切迫しながら、懸命にアスランの姿を求め、西への空を羽ばたいた。
きっと、彼も北を目指している。
だったら、会える。
必ず、会える。
カガリは、アスランを想って高い鳴き声を放つ。
《ピイイィィ――――ッ!!》
アスラン、アスラン!と、今は鳥の声でしか言葉を発せない、彼女の慟哭の声が蒼穹の空に響いた。
彼女が放った、鳴き声。
刹那。
アスランの、カガリを呼ぶ、呼び笛が大地に響く。
嗚呼…。
カガリは、音源を辿って、必死にもがく様に翼をはためかせる。
黒馬を駆るアスランの姿が目に入った瞬間。
痛みに苛まれる、猛禽の体が、得られた安堵に力を失った。
推力を無くし、空中から落ちる。
けれども、本能からか、地面に落ちる寸前、最後の力を振り絞って羽ばたいた。
砂埃が舞い、鷹は地に足を着けると、左翼を引き攣り、よたよたと地面を歩いた。
「カガリッ!!」
馬から飛び降り、アスランは鷹を抱き上げる。



《ピィ…》
弱々しい鳴き声をあげ、鷹はアスランの胸に頭を擦りつけた。
「…無事で良かった。」
アスランは、膝を地に落とし、鷹を抱き締める。
鷹は、おとなしく身を丸めるようにし、瞼を閉じた。
戻ってこれた。
大好きな、彼のもとに。
一度に襲ってきた安心感に身を委ねる。
霞み行く意識の奥。
遥か遠くに、アスランの自分を呼ぶ声が聞こえたような… そんな気がした。






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