北へと向かう帰路。
丁度、西から戻った中間の地点まで戻ってきた。
まだ、先は長い。
オマケに、夜は狼に変異するアスランにとっては、要らぬ時間が掛かっていた。
早く、早くと気持ちばかりが急いて、戻る道程は考えていた以上に苦労を伴っている。
今日で、四日目。
時間は、容赦なく過ぎていく。
少しでも、時間のロスを減らすためにと、夜、アスランは自分の愛馬にカガリを乗馬させ、
自分は狼の姿身で地を駆けた。
また、日が昇る。
カガリの姿が、変容する。
アスランもまた、人型に戻る。
視界に、今は、民人たちが放棄した、荒れ果てた村が見えてきた。
ここに、来るまで四日もかかった。
だが、昼も夜もなく、走り通しの彼らにとって、疲労は見えない蓄積で、身を蝕んでいた。
「先を急ぎたい気持ちは分かりますが、少し休みましょう。」
主の、疲労を浮かべる顔を見遣って、ニコルが言葉を零した。
急がば、回れ。
そういう言葉だってある。
心と身体が同調しなければ、良い結果は生まれない。
アスランは、頷き、視界に入った廃村で休息をとることを決めた。
愛馬の歩を進めていく。
刹那。
崩れかけていた、瓦礫の影から撃ち込まれた、一本の矢に咄嗟に腰の剣を引き抜き、
払い落とした。
見事としか云い様のない、技である。
空中で真っ二つにされた矢は、地面に転がる。
それを機に、わらわらと、黒装束に身を包んだ男たちが姿を現す。
不気味な空気を纏う一団に、アスランは剣を構えた。
「何者だ」
きつく眉根を寄せ、アスランは低い声で尋ねる。
ずいと、アスランの声に呼応し、隊長格と思わしき男が進みでる。
「貴様を殺せ、と命が下った。悪いが、旅はここで終わりだ。」
レイは、薄く笑って、アスランを見遣る。
「ほお。俺ひとりを殺すのに、随分と人数を揃えたもんだな。」
アスランも負けていない。
不敵な笑みを浮かべ、馬上から男を見下ろす。
手勢、およそ20人ばかり。
半分は、剣を手に携え、半分は飛び道具であるボーガンを持っている。
無言のまま、レイは片手をあげると、振り下ろす。
《殺れ!!》
無言の合図に従い、配下の黒兵が蠢く。
数歩、ジャスティスを後退させ、アスランは手綱を引き絞った。
ジャスティスが嘶き、大きく前足を上げると、勢いを駆って、黒馬が突進してくる。
アスランの愛馬、ジャスティスは、普通の馬とは、体躯の差があまりに違う。
太く、頑丈な逞しい足。
大きな馬体。
今は、愛馬とは一身同体といっていいほど、阿吽の呼吸である、ひとりと一頭だが、
初めてアスランがジャスティスに合ったとき、とんでもなく気性の荒い馬で
誰も乗りこなすことができなかった。
そんな、暴れ馬が、心を開き、唯一その背に跨ることを許したのが、今の主である
アスランだった。
そして、もうひとり。
彼の恋慕う女性のみ。
振り上げ、凄まじいスピードで打ち下ろされた剣は、レイが引き連れてきた兵の
首をあっと云う間に血祭りあげる。
血飛沫が飛び散り、粉塵と、砂埃が舞い上がる。
黒兵たちがあげる、断末魔の叫び。
容赦の無い、攻撃に、歩兵が怯む。
「何をしているッ!たかだかひとりに何を手間取っているッ!」
殺すどころか、指一本、剣の先ひとつもアスランには届かず、犠牲者が増える一方だ。
「射手ッ!」
いきり立って叫んだレイの声には、焦りが滲んでいた。
瓦礫の影に身を潜めていた男たちがボーガンを構える。
少しでもアスランを援護しようとしているのか。
日中は、鷹の姿で空を舞っているカガリが、アスランを狙っていたボーガン使いの
顔に鋭い爪を突き立て目を潰した。
尖った嘴は、凶器と同じ。
今は、猛禽の姿である彼女も、手加減はしない。
攻撃する能力を奪うには、目を狙うのが一番の近道。
羽ばたきながら、嘴で、兵たちの顔の肉を突っ突く。
再び、態勢を戻すため、舞い上がり、降下を繰り返す。
鷹は傷をつけず、デュランダルのもとに献上しなければならない。
そんな命のせいか、鷹に対しての攻撃は甘かった。
だが、多勢に無勢。
一瞬だけ背を向けたアスランに、ボーガンの矢が放たれた。
それに気づき、鷹がその対角線上に飛び込んでくる。
まるで、アスランを守るかの如く。
「来るなッ!!カガリッ!!」
悲痛に叫んだ、アスランの声。
間に合わない。
身を呈して、アスランを守った鷹の左翼の付け根に矢が命中する。
《ピイィィ―――ッ!!》
苦痛の鳴き声をあげ、鷹が地に転がり落ちる。
「カガリッ!!」
愛する恋人の窮地。
砂埃に塗れ、もがき苦しむ鷹の姿が目に入った刹那、アスランの意識に走った
動揺が隙を作った。
護身用にと、ニコルにも剣は与えていたが、所詮は普通の民間人だ。
アスランのように剣術に長けているわけではない。
雨霰のように降り注ぐ矢の嵐に、アスランは初めて焦りを覚えた。
このまま、ニコルを庇いながら全てを殲滅するのは、こちらが圧倒的に不利。
だが、カガリを見捨てるわけにはいかない。
どうすれば、いい。
どうすればッ!?
瞬間、鷹が高い鳴き声を放つ。
《私を置いていけッ!》
そんな、声音がアスランの耳元に響いた気がした。
この不利な条件を巻き返すには、無理が在り過ぎる。
躊躇した彼の隙間を狙って、再びボーガンの矢が放たれる。
そのうちの一本が、アスランの左腕上部に突き刺さった。
「くっ!」
刺さった矢を、渾身の力で引き抜き、アスランはそれを投げ捨てる。
「アスラン様ッ!」
悲鳴のようなニコルの声に促され、アスランは意を決した。
「一度ひいて態勢を立て直す!」
馬首を返し、アスランは愛馬の腹を蹴った。
場をあとにし、砂塵が舞い上る。
その後姿を見遣って、レイは忌々しそうに唾を地面に唾棄した。
「…逃がしたか。…だが」
言葉を切って、彼は地で悶え苦しんでる鷹を一瞥した。
「デュランダル様への土産は確保したからな。良しとするか。」
乱暴に、鷹を掴みあげ、レイは麻袋にその身を放り込んだ。
一時の、敗走。
アスランにとっては、屈辱以外の何者でもない。
隠れ、潜んだ森の奥で、彼は苦渋に彩られた顔を浮かべる。
カガリを置いてきた。
自分の身が傷つくよりも、そのことが一番の後悔として、重くアスランに圧し掛かる。
「…カガリ」
助けられなかった。
悔恨の念に囚われ、アスランは座り込んだ樹木の根元で、自分の前髪をぐしゃりと掴む。
「アスラン様、腕を見せてください。治療をしないと…」
心配気な表情で、従者の少年は蹲る主を見遣った。
返事を返さないアスランに、許諾を得ず、ニコルは持っていた短剣で患部の衣服を裂いた。
その刹那。
ずるり、と滑るようにアスランの身体が横に倒れる。
「アスラン様ッ!?」
絶え間なく、滴り落ちる汗。
朦朧とした意識で、焦点の合わない翠の双眸がニコルを見た。
「…矢に毒が塗ってあったみたいだ。早く処置をしないと… 腕が腐り落ちる。」
裂いた服の下。
矢傷の傷口は、ドス黒く腫れ上がり、徐々にその領域を広げ、アスランを蝕んでいた。
「…ニ、…コル、短剣を焼いて消毒しろ。傷を… 焼き切る。」
「無茶です!そんなのッ!」
「やれッ!!早くしないと手遅れになるッ!」
ふらつく意識を懸命に保ち、アスランは身体を起こす。
普段は、比較的温厚な性格の主の怒声に、ニコルは決意を固めた。
火をおこし、短剣を炙る。
十分に熱したそれをアスランに渡すと、ニコルはきつく瞼を瞑り、顔を背けた。
まだ、幼さの残る少年にとっては、とても直視など出来ない残酷な光景。
苦痛に歪む、アスランの顔。
肉を焼く、嫌な匂いが辺りにたちこめる。
麻酔もない、この時代。
尋常ではない痛みが、アスランの身体に走る。
絶叫すらあげてもおかしくない状態なのに…
アスランは、歯を噛み締め、壮絶な痛みに耐える。
滴り落ちる汗。
「…ぐぅう!!…――――ッッ!!」
なんと、乱暴な外科手術だ。
ニコルはその光景を見ていられず、立ち上がると森の深部に薬草を探しに走り出す。
戻ってきたときには、木樹の根元で意識を失って倒れている主が待って居た。
馬に積んである、野営用の寝具を用意し、ニコルはアスランを草原に敷いた毛布のうえに横たえた。
血にまみれる左腕を洗い流し、細かく砕いて泥状にした薬草をガーゼに塗り、包帯を巻く。
暫しの、休息。
ほんの、少しの休みを得ようとしただけ。
あれほど、ラクスに警告をうけたのに…。
甘い予測が招いた、不測の事態。
災事に見舞われ、成す術もなく、留まることを余儀なくされた。
発汗が再び始まり、苦しげにうなされるアスランの額に、ニコルは水で濡らした布を置いた。
「…早く、よくなってください」
切なく願い、ニコルはアスランに座った姿勢で背を向ける。
おこした火は、赤々と燃え、周りの空気を僅かに暖める。
新しく放り込んだ薪は、炎の勢いを増した。
…日が沈む。
意識はなくても、アスランの身体は、貪る眠りのなかで狼へと変容する。
闇が訪れてもまだ、主の意識は戻らなかった。
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