「お帰りなさいませ、アスラン様」
木立の一本に座り込んでいたニコルが立ち上がり、森から帰還した主を出迎えた。
「待たせてすまなかったな」
「いえ、馬を休ませるには、丁度良い時間でした。」
「そうか。」
微笑み、アスランは、ニコルから渡された愛馬の手綱を握る。
「ラクスには会えましたか?」
「ああ。」
「では、『呪』を解く方法は教えて貰えたんですね?」
喜色の表情で、ニコルはアスランを見遣った。
「一週間後、日食がある。その日にデュランダルを倒せば、『呪』は解けるらしい」
「日食!?」
民人の間で流れる、不吉な噂。
それしか知らないニコルの顔は、青ざめる。
「なにも起こりはしないと云っていた。ただ、ほんの少しの間、太陽が隠れるだけだそうだ。
それより、魔女、ラクスが言っていたんだが。ニコル、お前が水先案内をしてくれると」
ぴくり、とニコルの身体が反応を示す。
「話せば、長くなります。馬を進めながらでもよろしいでしょうか?」
ニコルの促した言葉に、アスランは頷き、愛馬に跨った。
緩々と、馬の足を進めるなか、ニコルはやや俯き加減で口を開き、言葉を紡いだ。
「…僕、まだアスラン様に話していないことがあります。」
自分を慕う、従者の少年の過去。
だが、アスランは本人が望まないことに対し、無理に口を割らせようとは思わなかった。
なにかあれば、自ら話すだろう、と思ったからだ。
「僕の両親は、先年の流行病で亡くなりました。もともと、デュランダルの圧政での、
税の取立ての厳しさもあり、身体が弱っていたせいもあります。あっという間の
出来事でした。二親を一度に失って、僕は生きるために盗みをするようになったんです。
でも、そんな日々は長くは続かないものです。」
悲しげな表情を浮かべ、ニコルはアスランに生きるためになにをしてきたのかを告解する。
「ある日のこと、盗みに失敗して僕は、デュランダルの私兵に囚われました。
そして、デュランダルの居城ともいうべき、あの砦の地下に放り込まれました。
地下の牢は、水路とも融合している場所。ですが、なかは迷路になっていて、そこに
入れられれば、決してでることはできないと云われる場所だったんです」
在りし日の苦痛が甦ったのか。
ニコルの顔は、苦渋に歪む。
「何日も、いえ、日付など忘れてしまうくら彷徨いました。出ることが叶わなかった
多くの亡骸を目にしながら、僕もここで死ぬんだ… と思いました。 でも、思い出したんです、
母の話を。母は、村の語り部でした。古の昔語り、遥か遠方の地の伝承。僕に伝え聞かせて
くれました。そのなかに、神話の時代、地下に住む魔物を退治する王子の話をしてくれたのを
思いだしたんです。王子に恋をした姫が渡した、一玉の糸。魔物を退治した後、王子は
渡された糸玉で道しるべを作って無事に迷路を脱出した、という話を。それをヒントに、
自分の着ていた衣服を解いて、出口を見つけることができました。」
ニコルは顔をあげ、主の表情を伺った。
だが、真っ直ぐと彼方を見遣るアスランの顔色に変化は無く、ニコルは口を閉ざし掛けた。
「デュランダルの圧政の犠牲者だ。お前が生きるために盗みを働いても、俺は咎めたりしない」
「アスラン様…」
「世の中が正常なら、そんなことをしなくても生きていく道は選択できたはずだからな。
俺は、あの森でカガリと約束をした。この狂った時世を終わらせると。」
アスランの言葉に、ニコルは瞳を開く。
意を決した視線で、従者の少年は主を見遣った。
「デュランダルが居る、あの砦。いえ、砦というよりは、既に要塞と云っていいかもしれません。
表の門は、鉄壁の防御。兵の配置も尋常でない数がいます。正面突破はまず無理でしょう。
でも、僕が脱出をした地下水路なら、なかから侵入することが可能だと思います。」
「なるほど」
城、または敵が居る砦など。
攻略に措いて、難攻不落と云われる築城であれば、まず考えるのは進入経路の模索。
どこが一番脆いのかを検討するのは、定石である。
その経路のなかで、直接内部に侵入できれば、これほど楽な手段はあるまい。
「あの、地下牢を脱出できて、それでも僕の体力は限界の悲鳴をあげていました。
でも、僕の前に貴方が現れた。…アスラン様が僕を助けてくれた、あの日、僕は貴方に
恩返しをしたい。ずっとそれだけを考えていました。地下水路には、僕がつけた目印がまだあります。
僕が、アスラン様を案内します。」
「ありがとう、ニコル」
微笑み、アスランは従者の少年の顔を見た。
「地下の真上は、兵士たちの待機部屋。そこを抜けた最奥が礼拝堂です」
デュランダルが根城としている、砦の内部。
何度か、カガリに誘われ、ミサに参加したことがある。
上部まで行くことができれば、内部の構造は大体の目星がつく。
後は、時間との勝負。
別れ際、ラクスが言っていた言葉が甦る。
「急いで北に戻りたい。ニコル、ぐずぐずしていると置いて行ってしまうぞ?」
「そんなことしたら、案内がいなくなってしまいますよ!」
「だったら、ちゃんと着いて来い!」
「はい!!」
元気な、明るい少年の声に笑んで、アスランは愛馬の腹を強く蹴った。
前足をあげ、ジャスティスが嘶く。
速度をあげ、黒馬が草原を駆け抜ける。
全力で走り出した黒馬に合わせ、上空を舞っていた鷹が低空飛行で、馬と並走する。
《ピィィ――――ッッ!!》
“共に戦おう!”――――カガリが、そう云っているかの如く、鳴き声をあげる。
鷹の、高い鳴き声は、アスランを鼓舞しているよう。
希望と絶望は、今のふたりにとっては背中合わせ。
しかし、必ず『希望』は残ると信じ、アスランは愛馬を駆った。
「おお! …来る、…来るッ!私たちにとっての災いがッ!」
桃色の髪を振り乱し、水晶玉を覗き込んでいた魔女が叫びをあげる。
デュランダルから与えられた、金銀財宝ともいえるべき、装飾。
首や、額、耳に腕。
素肌が覗く身に飾られた、アクセサリーたち。
だが、見栄えもともかく、暑苦しいくらいに纏ったそれらは、美しい姿態とは裏腹に
酷く醜悪に見える。
「司教!デュランダル様ッ!」
「何事だ?騒々しい。」
特別に、自分の配下の魔女を住まわせる部屋で、デュランダルは訝しげな瞳で見遣る。
「来るぞ!来る!黒の騎士と、鳥に姿を変える娘が我々を殺しに来る!」
覗いていた水晶玉には、荒野を駆ける黒馬と、それを繰る騎士の姿。
そして、並走して飛ぶ鷹の姿が映っている。
「小賢しいことだ。ミーア、お前の繰る呪術で、奴を始末しろ」
「出来ぬ。あの者は、西の魔女の護符に守られている。私の呪は利かぬ」
護符。
西の森の魔女、ラクスがアスランに与えた剣。
破魔の剣と化した、アスランの刀剣は、確信を持って彼の身を守っていた。
遠隔視の邪悪な呪いは通用しない。
ぎりぎりと歯を噛み締め、ミーアは水晶玉を睨み遣る。
北の魔女、ミーア。
外見は、西の魔女ラクスと瓜二つ。
魔女としての修行が終わったとき、ミーアがまず初めて駆使した術は、姿写しの術だった。
長く、自分の持っていた容姿は、この魔女にとっての最大のコンプレックスであった。
全ての術を習得できた、日。
兄弟弟子のなかでは、一番の美貌を持つラクスの姿を盗んだ。
北の守りにと、配置された後は、今の現状に至るのに時間は掛からず、他の地、東と南の
魔女の命を奪い、司教の使徒となるべく、修行を共に積んできた仲間の首をデュランダルに差し出した。
忠誠の証として差し出された、生首ふたつ。
デュランダルが、そのことを享受し、ミーアを手元に置く様になるのには、当然の
理由が存在した。
司教としての、今の地位。
集まってくる、財の数々。
そして、今や、国王ですら、彼の意のままに動かせる力。
自分にとって邪魔になる輩は、闇に消し去る。
それが、デュランダルのやり方だった。
呪術による、呪い。
持病もないのに、突如、変死を遂げる、国の重鎮たち。
呪術だけで処理ができない場合は、私兵を動かす。
囲う自前の私兵を使って、暗殺を企てても、それは隠密に処理され露見することは決してない。
が、そんな彼に、唯ひとり、敵対する者が現れた。
黒衣の騎士、アスランである。
「やはり、『呪』で獣の姿にするなど、生温いことをせず、殺しておくべきだったな。」
小さく舌打ちをし、デュランダルは踵を返す。
手を打ち鳴らし、私兵のうち、もっとも信頼を寄せる男を呼ぶ。
「レイ」
「はい、なんでしょうか?」
片膝を折り跪き、デュランダルの前で礼の姿勢をとる、黒衣の騎士。
外見は、アスランと同じ黒衣の騎士装束でも、その身から発せられる『気』は禍々しさを感じる。
デュランダルが、使役する暗殺部隊の隊長である、彼。
「西へ向かえ。途中、廃村になった村がある、そこで奴を迎え討て。…アスラン・ザラを殺せ。」
冷酷な声音で、デュランダルは、レイと呼ばれた男に命じた。
「わかりました。」
「手勢は好きなだけ連れて行け。それとだ… 奴の周りを飛び回っている鷹は… 傷つけず、生け捕りに
して私の処に連れてこい。」
「はっ!」
深々とこうべを垂れ、黒衣の騎士は下がっていった。
その一部始終を見遣っていたミーアが口を開く。
「まだ、あの娘に執着しているのか?司教。」
面白くなさそうに、ミーアが呟くのをデュランダルは薄く笑って返す。
「カガリは美しい。私は、あの娘が欲しいのだ」
「無駄だと思うぞ?あの娘の心も身も、全てはザラの息子のものだ。」
呪いを掛けた張本人であるミーアは、他人事のように言葉を漏らす。
「女として、本当の快楽を知れば、奴のことなど忘れるさ」
デュランダルが漏らした言葉の、意。
表の顔は、神の使徒。
だが、裏では背筋が凍るほどの行いに身を染めていた。
早朝から、夕刻に掛けては、神の御使いの仮面を被り、深夜になれば、黒ミサを取り仕切る教祖の
顔へと変貌する。
《サバト》と呼ばれる、悪魔儀式。
デュランダルが、カガリを侍らせたいと欲したのは、このサバトに彼女を参加させたいがためだった。
日毎行われる、おぞましい儀式の数々。
暗闇の密室で執り行われる、その様は人為を逸した行いそのもの。
妖しい香が焚き染められ、ミサに参加した信者たちは、その香の香りに我を失い、獣然として
交じり合う。
ひとりの女性に群がるように、複数の男が強姦紛いに女を犯す。
だが、それも儀式のひとつ。
誰ひとりとして、拒否心を抱く者はいない。
むしろ、率先してと云った方が正しいだろう。
デュランダルは、若い娘たちに囲まれ、自身に奉仕をさせながら、その光景を見るのが
殊の外お気に入りだった。
そして、交じり合いが済んだ女性信者を、仕上げに味わう。
まさに、これこそが、彼が陥った、狂楽の極み。
いやらしい笑いを浮かべ、デュランダルは乾いた唇を舌で舐めた。
その、司教の顔を見遣ったミーアの視線は冷たい。
自分が仕えている主とはいえ、神職を生業とするものの、邪悪な姿は、見ていて気持ちいいものではない。
けれど、彼女は、自分も同じ穴の狢、なのだと思う。
幾人も、望んで、デュランダルが命じるまま、命を呪術で奪ってきた。
今更、どの面さげて、正義を掲げることができるだろうか。
毒を喰らわば、皿までも。
地獄と云われる場所に落ちるなら、きっとこの男と落ちるだろう。
思い、ミーアは瞼を落とした。
「ならば、司教。せめて、日食が終わるまで身を隠すことを提案したいのだが」
ミーアは、忠義の心を持ってデュランダルに言葉を紡いだ。
「レイは、優秀な部下だ。必ず、奴の命を奪って、その首、持ち帰ってくるだろう」
どこからでた自信なのか。
今までの行為が、その自信に繋がっているのか。
ミーアは小さく嘆息する。
「それに、日食当日は、私はミサを執り行わなければならん。馬鹿な愚民どもに説教を
するだけだがな。日食など、なにも起こりはしないのに、『不吉だ、不吉だ』と騒ぐ、愚か者どもを
鎮めねばならない。」
実に、かったるいと云わんばかりに、デュランダルは、空を仰ぐ。
その、司教の姿態を垣間見、ミーアは再び呼気を吐き出したのだった。
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