「この『呪』を解くことはできます。ですが、その前に、わたくしはふたりにお話を
しなくてはなりません。」
真摯な表情で、魔女は口火を切る。
木製のテーブルを挟んで、相対する形。
アスランとカガリは固唾を呑んで、ラクスの言葉を待った。
「本来の魔女の役割は、人々の生活を守り、この西の地のようにすることなのです。ですが、
北の地に在る魔女は、ひととして、そして、魔女としての誇りも失い、邪道に落ちました。」
厳しい視線をあげ、ラクスは目の前のふたりを見遣った。
「名は、ミーア。わたくしと同じ師のもとで、魔女としての修行を行った、兄弟弟子のひとりでした。
司教デュランダルの持つ、権力、民から巻き上げた、有り余る財。それらに心を奪われ、魔女として
あってはならない道に進んでしまいました。」
「あってはならない道?」
アスランは復唱するように、ラクスの言葉を反復する。
頷くラクスの表情は、僅かに強張る。
「はい、悪魔に通ずること、黒魔術に身を貶めたのです。」
「黒魔術!?」
カガリの声音は、驚愕の色を示す。
「わたくしたち、民を守らなければならない役目を負った者にとっては、恥ずべきこと…
デュランダルが望むまま、ミーアは、黒魔術を行使しました。人々を苦しめ、そして、自分の意に
靡かない、貴女、その伴侶となるべき方を呪ったのです」
「そんなの、逆恨みじゃないか!私はともかく、アスランは関係ないのに!」
「彼らにその道理は通じません。一蓮托生、全てが憎しみの対象なのです。」
「…っ」
苦虫を潰した表情を浮かべ、カガリは俯く。
握った拳は怒りに震えた。
「…みんな、私のせいなんだな」
カガリの呟きに、アスランはそっと彼女の手を握り、首を振る。
「カガリのせいなんかじゃない。君は、俺に誓ってくれた言葉を守ってくれたんだから」
「…アスラン」
誓い。
生涯を、共に暮らしていくという、約束をした。
貞操をアスランだけに捧げ、一生を共にする。
偽りなど、存在するはずもない。
唯一、ひとりだけを伴侶とし、生きていく。
「ふたりで、もとの身体に戻るんだ。そして、今までできなかったことをたくさん叶えよう。」
見開く、金の瞳に大粒の涙が浮かぶ。
彼の肩に頭を寄せ、カガリは強く頷いた。
そんな、ふたりの様子を微笑ましく見守る、魔女、ラクスの瞳も柔和なものになる。
「では、ミーアの掛けた『呪』を打ち破る方法をお教えいたします」
間合いを計って、ラクスは言葉する。
「今日から、一週間後、昼でもなく、夜でもない日が訪れます。」
「昼でもなく、夜でもなく?」
意味の解釈ができず、ふたりは揃って眉根を寄せる。
「日食のことはご存知でしょうか?」
微かな知識。
確か、屋敷にあった古書で、そんな記述を目にしたことはあった。
人類が住まう星、地球と、月の軌道が重なり合う現象。
だが、この時代、まだまだ奇想的な発想は、異端でしかない。
そのような説を口にすれば、忽ち村八分になり兼ねない、危険な思想だった。
そして、なによりも、太陽を喰らうとまで言われる、かの現象は不吉な予兆とされているもの。
「確かに、人々が流布する噂は、そうでしょうが、わたくしたち魔女は、天文学にも長けた知識を
学びます。これは、自然現象。ですが、魔術を駆使する世界に措いての常識で、邪悪な呪いを打ち消す
力も秘めているのです。 チャンスは、一度だけ。この日を逃せば、おふたりは永遠にこの
『呪』から開放されることはありません。」
好機と、惜敗の両方を一遍に突き出され、アスランの顔は苦痛に歪んだ。
たった、一度の機会。
自分ひとりだけで結論をだすわけにはいかない。
彼女の同意を得なければ、先に進めない。
もし、この与えられる機会に失敗すれば、カガリ共々道連れにすることになる。
「…彼女と、…カガリと話をする時間を貰えますか?」
「はい」
即答の返事を受け、アスランは席を立つ。
カガリを伴って小屋の外に出、その場を後にした。
どのくらい歩いたのか、現のように自分の思考に囚われていた、そんな間。
「アスラン!」
カガリの声に我に返り、振り向く。
ふたりが立った場所は、森の樹々に覆われているものの、その一部だけ上部に穴が開いたような場所。
まるで、スポットライトを浴びているかのような、綺羅な空間だった。
日の光を浴びているのに、カガリの姿は変わらない。
金糸の髪、眩しい輝きを持つ、金の瞳。
どれも、アスランが愛した、彼女の姿。
ずっと、この先も、彼女のこの姿を見ていたい。
堪らずに、アスランはカガリの肢体を抱き寄せ、彼は言葉を紡いだ。
「…俺に、カガリの命運を全部くれないか?」
恋人の、逞しい腕に絡めとられ、カガリは一瞬だけ瞠目した。
しかし、直ぐに頷き、彼を見上げる。
「私は、お前を信じてる。だから、悔いが残ることだけはしないで欲しい。」
「…カガリ」
「ラクスの結界に守られた、この森に居れば、デュランダルの害意は及ばない。
でも、それではなにも変わらないし、変えられない。 私が鷹の姿のとき、見ていたあの光景、
変えないとこの国は滅んでしまう! アスラン、お前ならそれを改革できるはずだ。」
「俺が?」
カガリは、頷いた。
「空からずっと見ていたよ。まだ、お前を心配して探している仲間がいるのを」
自分の無実を信じて、それを立証してくれる友の存在。
だが、そこまで行き着くには、まず自分たちにかけられた、この忌まわしい『呪』を解かねば、
なにも始まらない。
「…カガリ」
「ん?」
「俺に、勇気をくれないか?」
アスランは、そっとカガリの両手を取ると、その甲と指先に万感の想いを込め、唇を落とした。
見詰める、翠の双眸。
重なる唇に抵抗は微塵もない。
幾年ぶりだろうか。
想い合うふたりが、こうやって、唇を重ね合わせるのは。
躊躇いなど、あるはずもない。
自然に、草原の褥に、ふたりは身を落とした。
「カガリを抱きたい」
迷うことのない、真摯な翠に、彼女は素直に頷く。
狂おしいほど、待ち侘びた、恋人との秘め事。
激しい口付けは、止むことも知らず繰り返される。
彼女が纏っている、白色のドレスを削ぎ、激情に駆られるまま、アスランはカガリを愛した。
カガリが伸ばした、細やかな指先は、アスランの身に着けている衣服を剥ぐ。
愛情の全てに応える、女としての姿態そのものだった。
迷うこともない。
唯、彼を信じる。
言葉だけでなく、自分の身、全てで応える彼女の献身。
若いふたりの身体は燃え上がる。
情欲と、ふたりの刹那の想い。
自分のうちに、アスランを迎え入れた瞬間、久しぶりの感覚は、カガリに苦痛を与えた。



飛び散る涙が、一瞬だけ彼を躊躇わせた。
止まった、愛しい男の動きに、カガリはアスランの首筋に縋った。
「…やめないで。…大丈夫だから」
快楽に翻弄されながらも、彼女の声がアスランの理性を揺さぶる。
狭間。
愉悦と、安らぎ、激情に駆られる、想い。
止めることも適わず、アスランは、カガリの唇を再び奪った。
辿り着いた、ふたりで潜る、法悦の極み。
激しく、息を整える呼吸を繰り返して、ふたりは果てた。
森には、そよ風に靡く、草葉の音と、戯れる小鳥たちの鳴き声が響いていた。
潤んだ、カガリの金の瞳が、自分の身体のうえに重なる、男の翠の双眸を見遣る。
「…信じている、…アスラン、お前だけを… 信じているから」
今までとは逆。
顔を寄せ、初めて自ら口付けをアスランに与えた彼女に、彼は一瞬だけ瞳を開く。
だが、直ぐにその瞼は閉じられ、愛淫に浸るのに時間はかからなかった。
ひと時の逢瀬に身を焦がし、溢れる愛情に満たされ、気持ちが固まる。
身を起こし、乱れた衣服を整え、ふたりはラクスが待つ小屋への道を辿る。
小屋の前では、桃色の髪の魔女が、一羽の小鳥を指先に止まらせ、小さく唇を動かしていた。
不思議な声音だ。
それは、まるで小鳥の囀り。
ふたりの、帰宅にラクスはゆるりと振り向き、微笑んだ。
「奇妙に思われるでしょう?」
「いえ」
今更、驚くに値することではない。
アスランは、緩い苦笑を浮かべた。
「小鳥たちが色々と教えてくれるのです。村々の近況を。だから、わたくしは細かい状況を把握する
ことができるのです。」
笑んだ、彼女の面。
美しい、その表情に誰もが魅了されずにはいられない。
勿論、アスランもカガリも例外ではなかった。
「お話は、すみましたか?」
微笑みのなかで、ラクスは確信の言葉を尋ね、聞く。
強く頷くアスランの顔を見遣って、それだけで、彼の決意を感じとる。
段取りを整えるために、ラクスは再び家屋にふたりを招き入れた。
「アスラン様?」
「はい?」
「腰に携えている、貴方様の剣をお貸しいただけますか?」
疑問に彩られながら、アスランは腰の帯剣を抜いた。
それを、恭しく受け取り、ラクスは室内にある木製のテーブルに抜き身の剣を置いた。
「素晴らしい剣ですね。」
「光栄です。我が家に代々伝わっている、家督を継ぐべき者だけが持つことを許されるものです」
柄と、鍔の部分を、ラクスの細指が撫でる。
細かな彫り物。
そして、鍔には、アスランが受け継ぐべきだった、ザラ家の紋が刻まれていた。
紋の印は、「グリフォン」。
鷲の顔と翼、獅子の身体を持つ、伝説の怪鳥。
だが、騎士の役目を担う家にとっては、その怪異な姿こそが、身を守る守護神となる。
その、奇怪な姿こそが力の源。
畏怖と、守護を重ねもつものだ。
剣の感触を確かめ終え、ラクスはふたりに向き直った。
翳す手のひらは、ふたりの眼前をふわりと過ぎていく。
開いていた手を握り返し、表に返した時。
一体、どんな技を使ったのか。
魔女の手のひらに、ふたつの玉石が転がっていた。
「翠の瞳の色、この翠玉、エメラルドは、魔を打ち破る力、そして、こちらの黄金色の玉は、
シトリン・クォーツ。魔を払い、去らせる力を持つ玉。」
手にした、ふたつの宝石を、ラクスは再び軽く握った。
先ほど、剣を撫でた仕草を再びすると、鍔の下の剣の支柱になる、剣自身の本体に手のひらを滑らせた。
滑った指先。
指先が撫で下ろした、その下に、彼女が今し方まで持っていたはずの玉石が翠と金の順で埋まっている。
大したことでは驚かないと思いながら、不可思議な現象は、目を見張らずにはいられない。
更に、指先は撫で降りていく。
すると、玉石の真下に刻まれていく、文字が輝きを放った。
「この文字は、魔女が繰る、破邪の言葉。これで、この剣は破魔の剣となりました。」
剣を手にとり、ラクスは笑む。
「この剣で、日食が始まり、終わるまでの間に司教、デュランダルの心の臓を貫くのです。」
ラクスは、剣をアスランに返し渡す。
ごくり、とアスランは唾を一飲みした。
渡された瞬間、普段扱いなれている、愛剣の重みが増しているような感覚を覚える。
緊張した面持ちで、アスランは剣を見遣った。
「日食に掛かる時間は、極僅か。時間との勝負となることでしょう。お早く北へ。
準備の時間も必要でしょうから」
「ありがとうございます、ラクス」
礼を述べ、アスランはカガリと共に踵を返す。
出入り口の扉までふたりを見送り、ラクスは言葉を紡いだ。
「道中、お気をつけてください。ミーアもわたくしと同じ力を持っている者。 おふたりが
この地を訪ねたことは、既に分かっているはず。帰路、必ずなんらかなの妨害があること、
覚悟なさってください。」
厳しい声音のなかに、敬愛の含みも感じ、アスランは頷く。
「心します。」
「それと…」
追記の、言葉を聴き、アスランは首越しに振り向いた。
「森の外で、おふたりの帰りを待っている、緑の髪の従者の少年が、きっと水先案内をして
くれるでしょう。森をでたら、お話をしてみてくださいな」
「ニコルが?」
「はい」
「わかりました。色々と本当にありがとう。」
「御武運をお祈りいたします。おふたりにかけられた『呪』が、解かれることを願っています」
緩々と、足を踏み出したふたりのあとを、またラクスの声が追った。
「棘姫には、わたくしからおふたりを通すよう、頼んでおきましたので」
軽く手を振られ、アスランとカガリは微苦笑を浮かべた。
ラクスの小屋から、辿ってきた道を戻る。
魔女が言った通り、棘の壁には、アーチ状の門が口を開けていた。
ふたりが、その門を潜ると、棘は通過した傍から閉じる。
棘の壁を抜ければ、自然に礼の言葉がアスランの口をついた。
「ありがとう、棘姫」
ざわざわと、棘の蔦が蠢く。
―――“良いのよ、気にしないで。”
言葉の形にはならなくても、棘がそう云ったようにふたりには見えた。
森の入り口が視界に入る。
踏締めていた、草葉。
歩んでいた、ふたりの歩が止まった。
あと、数メートル。
外界と、森に張り巡らされた結界の境。
半分の薄影、半分の明光。
わかる。
そこが、分かれ目だと。
ギリリ、とふたりの身体に纏わり着く、見えない『呪』の縛めが回復し始めている感覚を感じ、
アスランは、きつく胸元の服を握った。
それは、きっと彼女も同じ。
着き従う、隣の彼女の顔を見やった瞬間、アスランは瞳を開く。
笑っている。
カガリは、零れんばかりの笑顔でアスランを見詰めていた。
「アスラン」
…信じているから、と囁いて、彼女は光に飛び込んで行った。
刹那。
ばさり、と音をたて、人型のドレスが地に落ちた。
もぞもぞと、ドレスのなかから這い出てきたのは、一羽の鷹。
鷹は、切な気な瞳で、首だけを返し、アスランの顔を見遣った。
首を戻し、踏ん切りはついた、とばかりに羽ばたきを繰り返し、大空に飛び立っていく。
アスランもまた、見上げた空の蒼に、眩しそうに手を翳した。
胸に宿る、一筋の想い。
忘れない。
君がくれた勇気を。
そして、必ず取り戻す。
ふたりで、共に生きるために。
アスランは、身のうちで強い言葉を心に刻み、歩を進めた。








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