夕食の刻を、再び一家で取りながら、ミューズはある進言を母親にした。
カウンターテーブルでの、夕飯。
向かって左端から、イズミとミューズ。
真ん中に子供たち、サクラ、ヒビキ、ツルギと座り、その横には、カガリとアスランが居る。
かなり距離があるので、話はし辛いことこのうえない。
だが、ミューズは、この機会を逃したら、当座、両親と顔を会わせることもないと思うと、
黙っていることはできなかった。
「お母さん、お父さん、相談があるんだけど…」
ふたりで首を傾げ、アスランとカガリは視線を交わす。
「これは、モデルケースとして、国での実施を試みてみたい事柄なんだけど…
官僚府の一角、どこでもいいから、空きスペースとかを利用して、子供を預けられる
保育施設を設けるって出来ないかな、って少し考えているんだ。」
「保育施設?」
カガリは、ミューズの漏らした提言に瞳を開く。
おのず、子供たち以外の、食事の手は止まってしまう。
「ん。今回の件で、私、凄く痛感したの。勿論、遠方への出張なら、今回みたいに、
お母さんたちに頼らざる終えないけど、普段、仕事中なんかに、自分たちの働き場所に
そういう施設があれば、とても助かるんじゃないかなって思って。官僚府の事務方には
たくさん女性スタッフも居るでしょう? 当然、働くなら、外の施設に子供を預けて
という状態になるじゃない? なにかあって、呼び出しとかあれば、休み時間なんて
あっという間になくなっちゃうし、ご飯も食べれない状態ってどうかと思うの。」
「ふむ。」
カガリは、愛娘の言に、真剣に耳を傾けた。
「それなら、同じ、自分の働く環境のなかで、そういう施設があれば、子供を持つ
お母さんたちが安心して働けるでしょう? 政策として国が打ち出して、見本ケースに
して国全部に広げることができれば、少子化対策にも繋がるんじゃないかしら?」
母親としての目線から見た、ミューズの意見を聞いて、カガリは静かに俯く。
現段階での、オーブの府政では、小学校から、大学までの全ての就学は、オーブ国民であれば
全員が、国の援助で学ぶことができる環境を整えている。
そんな府政での例外が、小学校以前での、養育だった。
所謂、幼児教育という、枠組みにおいては、考案措置は考えられていたものの、実施までには
至っておらず、その時期だけは、子供を持つ親の負荷という形であったのだ。
「勿論、国のバックアップは必然の形で、70〜80%くらいで補助をして、残りは
自費のような体制ってとれないかな?」
カガリは、ミューズの意見を咀嚼する仕草で、アスランの顔を見遣った。
過去、自分たちも、仕事の多忙さのせいで、そのシワ寄せは、当然の如く子供たちに
降り掛かっていた、苦い経験。
勿論、屋敷を今も仕切っている、マーナの手助けもあって、無事に自分たちの子供を
成人させることは出来たが、マーナとて、いい加減、老齢ともいえる年齢に達している。
日々、活動範囲が広がり、勢力満点、元気はつらつの、幼子たちを預けるのは、そろそろ
限界点が見え始めている。
そして、個人的な、ミューズの思いも重なる。
可能な限り、両親には面倒はかけたくない、という事。
イズミと約束をした。
始めから、おんぶに抱っこをせがむのではなく、出来ることはやろう。
そんな些細な思いが、溢れていた。
暫く考え、カガリは、自分の考えをミューズに告げる。
「私的には、とても良い案だと思う。だが、やるなら、まず議会に参加している首長たちの
意見も聞かねばなるまい?」
「うん、わかっている」
力強く頷き、ミューズは真摯な瞳を母親に向けた。
「上手く、首長会を説得できれば、今度は、それを実行する組織なり、なんなりの編成が
必要になってくるだろうが、そこまで責任を負えるのか?」
「時間が掛かっても、どうしてもやってみたい。けど、私のような若輩者じゃ、説得も、
他の実行政策も、潰される可能性は充分にあるわ。だから、お父さんと、お母さんに
言葉添えの後ろ盾をしてもらいたいの。」
「…そうか。…わかった」
ミューズが驚愕するほど、カガリはあっさりと同意の返事を返した。
「お前が、納得するまでやってみれば良い。 アスランも、同意はしてくれるだろ?」
微笑み、彼も頷く。
やってみなければ、何事も物事は動かない。
どんな結果が待ち受けようとも、動かず、能書きだけを云うなら、まず身体を動かす。
この考えは、母、カガリの教えでもあった。
食事を済ませ、子供たちが就寝の時間に突入する前に、ミューズたちは早々に引き上げていった。
「まったく、台風一家、過ぎるだな…」
どっと、押し寄せてくる、疲労の波に、カガリは肩を落とす。
そんな、カガリの右手には、大きな紙袋が握られている。
持ち上げ、彼女はまた言葉を零す。
「…小さくても良いから、衣装箪笥も買わないとな。」
苦笑いを零して、アスランは背後からカガリの身体をそっと抱き締めた。
「明日、買い物でも行こうか?」
後ろから首を傾け、カガリの左肩口から、アスランは顔を覗かせる。
「明日? また、随分と急だな?」
苦笑を零して、カガリは視線をアスランの方に向けた。
「『思いたったら吉日』は、俺より、カガリの方が得意だけど、気分転換も偶にいいんじゃないか?」
「そうだな。」
微笑み、カガリは、アスランの唇に軽く、自分の唇を触れさせる。
「自分で私を誘ったんだから、明日は寝坊するなよな?」
「了解。」
笑んで、アスランは、またカガリを抱く腕に力を込めた。
カガリたちの援護射撃もあってか、ミューズが提案した議題は、当人たちも思いもよらず、
実現の路を辿ることになる。
基盤を作るための、下準備はそれなりの時間を必要としたが、まずは一歩を踏み出す
切っ掛けを作ることができた。
モデルケースというならば、まずは我が子たちを、言葉は悪いが実験台にしてみる。
きちんとした、資格を有する保育士を国の管轄下で雇用し、給与は全てが国庫援助金で賄われる。
預けられる子供たちの、昼食、おやつ、夕食は、託す親たちの自費負担で、給食費として
カバーされた。
少ない額でも、自己負担があれば、評価はどんなものかと不安もあったが、官僚府で、
日々忙しく働く子供を持つ女性スタッフたちには、高評価であったことが、まずミューズたちを
安堵させる。
敷地の地下にある、現段階で使用していない資料室をリフォームして、保育ルームを
開設、食事は、同施設内にある、社員食堂で働く、コックたちを説得して、用意をして
もらう、というものだった。
だが、不評価よりも、官僚府の仕事、全てに携わっている働き手の職員たちは、驚くほど
協力的なことも、またミューズたちをびっくりさせたのだ。
随分前、カガリが口にしていた言葉が、形として成し始めているのを、ミューズは肌で感じた。
『未来、国を背負っていく、若い人材を育てるのは、国府の責任』
教育というものは、親と呼ばれるひとたちが、全部を負うのではなく、国の介助あってこそ、
成しえることができる、という証を、彼女はまざまざと見た気がした。
だから云える。
両親が、やってきた行いは、間違ってはいなかった、という事を。
種を撒き、芽を育て、大地に根着かせ、大樹に育てる。
人材を育成する、という事業は、果てしない労力と費用、そして時間を必要とする。
が、その成果は、確実に、夢ではなく、現実、実行へと昇華していた。
俄か仕立てで、慌しいなか開設された、保育ルームは、言葉をどんなに飾っても、決して
広いスペースとはお世辞にも云えない。
それでも、そこで働き、在する、雇用者たちは、真剣に子供たちと向き合い、よりよい
環境作りをしていく努力をしてくれた。
可能な限り、施設を利用する者たちの意見を取り入れ、形にしていく。
勿論、利用者も要求ばかりでなく、積極的に関わり、協力を惜しまない。
形状が落ち着いてくれば、行事の実行も可能になってくる。
特別に、行事をする日には、官僚府全てが休業となり、官の全職員が、行事に参加する
ということにまで事を発展させることができるようになる。
まさに、国をあげての、子育てだ。
そんなこんなで、僅かだが、オーブ国民の女性が、少しでも子供をたくさん産める、という
環境を提言できた結果、出生率が僅かに向上した。
国全体、ひとりの女性が産む子供の数が平均で、3.4という数値を叩きだせるように
なったのは、驚異的な結果であった。
そして、そんな現状に、今、まさにどつぼなミューズも、ぽつりと漏らす。
「…私も、もうひとり、子供産もうかなぁ〜」
自宅の居間の傍らで、新聞を広げていたイズミは、愛妻の漏らした呟きに、耳を疑い、
瞳を開いた。
が、時間が経過し、落ち着けば、今度は、その内容は歓喜を伴ったからかいに転じる。
「何々!? やっと、その気になってくれたの!?」
と、云い、ミューズの背後から思いっきり抱き付く。
が、赤面した彼女の悲鳴と大声で途端に拒否されてしまった。
「思っただけよッ!誰も、4人目産むなんて、言ってないわッ!」
しかし、そんな否定言は、あっさりイズミに払拭されてしまう。
「じゃあ、気が変わったら、云ってね?」
語尾にハートマークを散らばせ、イズミは嬉しそうに、ミューズの後頭部に頬ずりした。
彼の、態度を身に受けて、ミューズは大きな溜息を吐いたのだった。
「…余計なこと、言わなきゃよかった。」
ぼやきと、呆れた声音で、また彼女は肩を落としたのだった。
国政への、関わりが一段落すれば、今度はミューズ自身の、新たな問題がでてきた。
そう、階級昇進の勉強である。
すっかり忘れていた、とごちれば、イズミは唯、笑うしかない。
自宅では、終始子供たちが纏わりついて、離れようとはしないので、自然、集中できる
環境を求めて、ミューズは、父母が住む島に居座るようになっていく。
週末は、必ず娘一家が押し掛けてくるのには、いい加減慣れたのか、始めは文句を漏らしていた
カガリも、そのうち何も云わなくなった。
昇格試験に関しては、誰よりも心配をしているアスランに至っては、文句うんぬんより
問題外もいい処である。
むしろ、「来い」と云わんばかりに、唯、無言で、ミューズたちを受け入れるだけ。
深夜、玄関から向かって正面、カウンターテーブルのある場所より左。
メインフロアーの隅に置かれた、正方形の一人用のちゃぶ台には、下座にミューズ、
上座にはイズミの位置で座り、本を広げて格闘の日々。
「ああ〜!! もう、全然わかんないッ!」
嫌気の差す、声音をあげ、ミューズは大の字で、ごろりと後ろに倒れる。
「わかんないって、ここはさっき教えたトコじゃないか…」
ミューズの、真剣さの欠けた姿態に呆れ、イズミは大きな溜息をついた。
「もう、昇格試験なんて、どうでもイイよッ!大体、なんで機体飛ばすのに、物理学だの、
数式だのが必要なのッ!?」
父親のアスランは、理数系が得意。
特に、数字が絡んでくる科目に対しては、眼を瞑ってても解けるかもよ? というくらい
たけていた。
だが、その血を受け継ぎながら、ミューズの場合は、いささか、不得手の分野らしく、半分
不貞腐れた彼女の態度は、イズミを呆れさせるだけだった。
「航空力学、物理、飛行理論、どれもこれも、パイロットであり続けるなら、必要なものばかりだろ?」
イズミは、右手で頬杖をつきながら、寝転んでるミューズに視線を投げる。
「別に、机上の勉強ができなくても、“ムラサメ”は飛ばせるわ」
「あのなあ〜 そういう戯言言うなら、士官学校在学中のとき、どうしてたんだよ?」
「赤点ギリギリ。でも、とりあえずパスしていたから、どうでもイイじゃない」
けろり、としたミューズの言に、再びイズミは深い息を吐く。
なんだか、あまりにも虚しい会話に、イズミは続ける気力もなく、緩く腰をあげた。
「コーヒーでも淹れてくるよ。」
「私の分も淹れてきて!」
寝転びながらの、彼女の催促に、イズミは惰性で返事を返した。
キッチンに入るには、各々の部屋に向かう廊下の前を通る。
丁度、ミューズたちが勉強をしている場所からは、死角の位置。
何気に向けた視線の先に、壁に貼り付いていたアスランと目線が合うと、義父は必死な形相で
右人差し指を自分の唇に当て、『ミューズに気づかせるんじゃない!』という、無言のゼスチャーを
している姿が飛び込んでくる。
苦笑いと、引き攣った笑みを複雑に混ぜて、イズミは、義父をわざと無視して、キッチンに足を運ぶ。
コーヒーを用意してから、来た路を戻れば、アスランは申し訳なさそうな表情を浮かべ、頭を一度下げる。
義父の気遣いに気づいていながら、敢えてそれに返事を返せることが出来なくて、イズミは苦笑するしかない。
イズミの姿が、視界から消えたのを確認して、アスランはそっと壁の角隅から、顔を覗かせた。
ミューズが身体を起こしたのと同時に、また身を隠し、小さく息をついて、彼は自室へと戻っていく。
寝室に入って、扉を背に、また深く溜息をつけば、ベッドから漏れてきた、カガリの声に驚いて、
アスランは視線をあげた。
「そんなに心配なら、検閲官役なんて、さっさと辞退して、ミューズの勉強みてやればイイじゃないか。」
「いや、駄目だ!ここで、俺が甘えさせたら、癖になる!」
妙な意地を張って、アスランは顔を勢いよくあげる。
カガリが横になっているベッドに、再び身を潜り込ませ、アスランは、カガリに背を向ける形で
枕に頭を沈めた。
とっくに寝ている、と思っていた愛妻が、自分が起きたことによって睡眠を妨げられたのかと思ったらしく
具合が悪いと感じたようだ。
おまけに、こんな情けない姿をカガリに見られ、気恥ずかしいやら、なんやらと説明できない心情に
晒されてしまったらしい。
カガリは、そんな夫の態度に、呆れつつ、小さく笑うと、彼の背中を人差し指で軽く突っついた。
「…この、娘馬鹿の、ハツカネズミが。」
「……」
返事はなく、アスランは立場を失ったかのように、もぞもぞと身体を動かして、掛け毛布を頭から
被ってしまう。
再び、カガリの、くすりと笑う声が、小さく聴こえた。
だが、それにも応えず、アスランはわざと寝た振りをする。
「演技も、スペシャル級に大根だな」
「…ほっといてくれ」
ようやっと漏れた、彼のささやかな呟きは、半分いじけモードになっていた。
そんな、アスランの心配を余所に、ミューズの勉強は一向に進む気配を見せない。
もっとも、ミューズ自身、勉強をしよう!という意識が萎え捲くっているのだから、進むべくもないのだが。
「ほら!もう、休憩終わりだぞ!続きしないと、終わらないだろ!?」
語彙を強め、ミューズに気合を入れようとするイズミに対し、ミューズは持っていたシャーペンを
口に咥え、上下に動かし、頬杖状態。
まったく、エンジンが掛からない。
沈黙の時間が続けば、ミューズは手持ち無沙汰に、様々な話題をイズミに振ってきた。
「教え方、すごく上手いけど、なにかコツでもあるの?」
「褒めてもなにもでないぞ? 大体、教え方がどうのこうのより、生徒が不真面目じゃ話になんないだろ?」
「なんでぇ〜 どうしてぇ〜」
僅かに嫌を含む、彼の言葉を遮り、子供のような言葉使いで、ミューズはイズミに詰め寄った。
勉強なんてしていなければ、彼にとって、彼女から今にも圧し掛かられそうな、この現状は実に美味しい
シチュエーション以外のなにものでもない。
うっかり気を抜いて、逆に彼女を押し倒しそうになる、欲を抑え、イズミはミューズの両の二の腕を掴んで
元の位置に押し遣った。
「俺、こう見えても、教員の資格持っているから。」
「はあ!?」
初めて耳にした、衝撃の事実に、ミューズは眼をぱちくりさせる。
「王族なんてもんに属していても、資格に関しては、父上はなんでもやってみろって云う方だったから
結構いろんなモン、持ってるよ。」
微笑み、イズミはミューズの顔を見遣る。
「え〜と、危険物処理資格だろ?ま、これは軍に所属して、強制的にやらされたから興味沸いたんで、
もっとやってみたくなっただけだけど、あとは油田採掘技師とか、クレーン操縦資格に…」
自分の指を折り数え、イズミはミューズが聞いたこともないような、マニアックな習得資格を次々に
あげ連ねていった。
よくよく聞けば、中、高、大学と、全ての学科過程をスキップしているという。
「まあ、父上は、何れは王位に就く兄上のサポートを俺にやらせたかったみたいだから、半分趣味、
半分は実力向上、と云った処かな?」
幼い頃から、将来への期待を背負わされ、スカンジナビア国王は、イズミを伴い、外交交渉の場を
見学させていた。
若さ故に、その吸収力は凄まじく、彼自身もまた様々な方面で、その才を発揮し、今のイズミを
形成していく苗床となっていったのだ。
「…意外。そんなにマルチな才能があったんて。」
ほえ〜と感嘆の息を零し、ミューズの口は開きっぱなしだった。
「ま、今は、君の婿だから、なにするわけではないけど、なにかあっても、君と子供たちを養って
いくのには、充分かもな?」
笑い、イズミは、ミューズの顔を見た。
「唯の、お坊ちゃまなわけじゃなかったんだ」
「温室は、温室でも、君とは色が少し違うだけさ。さて、余計なおしゃべりはここまでだ!
続きやるぞ、不良生徒君。」
手元にあった、丸めたノートで、ミューズの頭を軽く叩き、イズミは授業再開の予告をする。
渋々、手にしたマーカーで、ミューズはイズミが要注意、と促した教科書の一部にラインを引いた。
まだまだ、明けそうにない夜明け。
欠伸を噛み殺し、ミューズは黙々と勉学に勤しむ。
が、反面、とっとと終わらせたい、と思う気だるさの共存した、身の内に、小さく息を吐いたのだった。
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