「寝てるぅ〜」
『寝てゆぅ〜』
小さな女の子の声に呼応して、ハモるように幼い双子の舌足らずな声が零れる。
細く開けた、扉の隙間から覗く、翠、翠、水色の、みっつの視線。
うえから、サクラ、ツルギ、ヒビキの順で、重なり合うように立て並べで、部屋の
内部の様子を伺っている。
三人の視界は、室内中央に置かれたダブルベッドに釘付けだった。
ベッドには、三人の両親である、イズミとミューズが深い眠りを貪っている真っ最中。
イズミは、緩く、ミューズの肢体を抱き締めるように自分の胸のなかに、愛妻の身体を
抱き抱え、静かな寝息をたてていた。
ミューズもまた、慣れた仕草で、厚い愛夫の胸板に頭をすっぽりと嵌め込んで、爆睡している。
「こら!なに、やってんだッ!」
刹那。
ドレミの音階を奏でるように、サクラを筆頭に、カガリが軽い拳骨を三人の頭に落とした。
『痛いぃ〜』
三人同時に漏れる、小さな抗議。
「マミィもダディも、昨夜遅くて疲れているんだ。もう少し寝かせておいてやれ。それより、
早く朝御飯食べてくれ! ちっとも片付かないッ!!」
めっ、と睨み効かせ、カガリは腰に両手を当てて、幼い孫たちを見遣った。
『…はぁ〜〜い』
三人仲良く、再度ハモって、渋々扉の前から退くと、カガリはそっと開いていた扉を閉めた。
はあ〜 と盛大な溜息をついて、カガリは疲れた肩を落とす。
結局、泊まりを推奨すれば、おのず、孫たちの面倒は、カガリに遠慮なく圧し掛かってくる。
「早く、ダイニングテーブル買わないとなぁ〜」
ぼやきながら、カガリは来た通路を逆に歩んでいった。
カガリの心配をよそに、幼子たちはちょん、とカウンターテーブルの脚高椅子に座って、
食事の配膳を待っていた。
キッチンに入り、そこからカガリは用意をしていたプレートを三人の前にだす。
「ママの作るオムレツ、大好き!」
元気よく声をあげたのは、サクラ。
彩りよく、オムレツと、焼いたベーコン、茹でたブロッコリーと、ハニー味のクロワッサンを
盛った皿は、見目にも鮮やか。
「今日は、マッシュルームとチーズ入りのオムレツだぞ。」
絶賛の声が響き、三人はそれぞれが手にしている、大人用の大きなフォークとナイフを
駆使し、食事を口に運ぶ。
その様子を見遣って、カガリは、またごちた。
「子供用の食器も揃えないと、やっぱ不便かなぁ〜」
ポロポロと、飛び散ったおかずの破片に、カガリはまた深く息を吐いたのだった。
メインのふたりが起きてくるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
食事が済めば、幼子たちをいかに退屈させないか、大きな課題が降りかかってくる。
時刻は、8時半。
「朝ご飯食べたら、外に行こうか?」
何気ない言葉を零して、カガリはキッチン越しに、幼い三人に視線を向ける。
「行くッ!」
元気なサクラの高い声と、続く、双子の舌の廻らない声が同時に響く。
食事を済ませてから、カガリは玩具の小さなバケツと、プラスチック製の熊手を幼子たちに
握らせ、おもてにでる。
鍵なんて無粋なものは掛けない。
どうせ、この島には、自分たちの家族しか居ないのだから、そんなもの、する必要がないからだが。
はしゃぐ子供たちを、後から追い、カガリは微笑む。
こんなに穏やかな日々を過ごせるなど、ほんのちょっと前までは夢でしかなかった。
思えば、ミューズたちの幼い頃も、あまり頻繁に構ってあげることが出来なかったのは、今でも
一番の心残りでしかない。
勿論、アスランだってわかっていても、立場上、なかなか身体の自由が利かないことは、
歯噛みしていたことだった。
だが、一日でも時間が許されれば、その凝縮された、といっても過言ではないスキンシップは
過剰なほどであったのだ。
そんな両親の気持ちは、しっかりと、ミューズやディアナにはわかっていた。
故に、ふたりは随分と辛抱することを自然と覚えていったのだ。
完璧にとはいえないが、今は、実の娘たちにしてやれなかった分の愛情を、目の前を
楽しげな声をあげ、走り、笑う三人に向けてやりたかった。
浜辺に座り込み、打ち寄せる波も気にせず、三人は固まって砂を懸命に掻いている。
かと思えば、興味の対象は、あっという間に違うものに移る。
「貝!ピンクで綺麗!」
拾った貝殻を、太陽の光に透かして、サクラは嬉しそうな声音で声をあげる。
「ママ、これ、なんていう貝?」
「サクラの名前と同じ貝だ。」
自慢気に、自分が見つけた貝を、宝物のように自慢するサクラに、カガリは微笑む。
「それは、サクラ貝というものだな」
「私と同じ名前だ!」
わーい、わーい!と歓喜し、サクラは飛び跳ねる。
『カニ、みっけた!』
今度は、しゃがんだままの、ツルギとヒビキが声をあげる。
『こえ、お家、持ってかえる!』
木霊する、双子の声に、カガリも同じ場所にしゃがんで首を振る。
「自然に生きているものは、お家で飼うと弱って死んでしまうんだ。だから、今だけバケツに
入れておくのは良いけれど、帰るときには海に返してあげなさい。」
『死んじゃうの!?』
双子の声は、僅か悲愴さが漂う。
「自然に生まれたものは、人工の環境は合わないんだよ」
『…そうなの?』
「そうなの。」
双子の問いに、カガリは納得させる言葉でもって、双子を宥める。
「でも、ちょっとだけなら、バケツに入れておいても平気?」
ツルギが、翠の視線をあげ、カガリの顔を見遣る。
「ちょっとだけならな。」
微笑み、カガリは言葉を紡いだ。
「兄たん、後で、カニさん戻そうね?」
可愛らしく、ヒビキが兄を促す。
頷き、ツルギは、バケツを覗き込むと、言葉を零した。
「あとで、海に帰してあげゆね。」
微笑ましい光景を眼にし、カガリもにっこりと、自然に笑顔が零れる。
幼子たちを心ゆくまで、満足させ、帰宅すれば、時刻は既に10時半を廻っていた。
自分が決めた通り、ツルギは、帰り際、バケツに入っていたカニを浜辺で放し、それなりに嬉しそうであった。
「さて、と。」
云い、カガリは幼い子供たちを見遣る。
浜で遊ばせていたのだから、当然、服は三人ともびしょ濡れに近い。
「ほら!三人とも、服脱げッ!」
有無言わせず、子供らの服を剥ぎ取り、カガリは迷うことなく、家の奥に設置されているランドリーに
服を放り込んだ。
当然、着替えがないので、三人とも丸裸である。
仕方なく、サクラには代用のバスタオルを胸元から巻き、安全ピンで止めて、放置。
双子は腰タオルを巻かれ、サクラ同様、放り出される。
「少しの間、それで我慢しろ。」
『……』
三人三様、同じ仕草で、自分たちの身体を見下ろしていたが、暫くすれば、むしろ別の意味での
開放感に、逆に喜んでいる始末。
天気も良い。
外に干せば、小一時間で乾くはずだ。
洗い終わった洗濯物を干す頃には、そろそろ午前11時を指し示す、時計のオルゴールが鳴り響く。
その時間を見計らったかのように、寝惚け眼でミューズとイズミが起き出してきた。
「おはよう、お母さん。」
「おはよう。よく眠れたか?」
「お陰様で、ぐっすり…」
良い眠りを堪能できた感想を漏らそうとした瞬間、殆ど裸と変わらない、娘と息子たちの姿を見て、
ミューズは口をあんぐりと開けた。
「…なんで、三人とも、すっぽんぽんなの?」
「昨夜、言っただろ?着替えがない、って。今さっき、浜辺で遊んでいたからな。服が濡れたんだ。」
ふと、視線を窓に向ければ、ミューズの視界には、はたはたと干し場で揺れている子供服が確認できた。
ああ、と呟き、ミューズは苦笑を浮かべる。
カガリは、カガリでカウンターテーブルで、のんびりコーヒーを啜りながら、わざと無視する仕草で
視線を外した。
「お父さんは?」
フロアーに、父親の姿がないことに、ミューズは首を傾げる。
「まだ、寝てる。」
「えっ!?嘘でしょう?」
時間厳守が標語のような、生活習慣だったアスランが寝坊!?
信じられない現象に、ミューズは唯々、驚くばかり。
「この家に引っ越してきてから、緊張感から解放されたみたいで、朝起きてこないのなんか、
しょっちゅうだぞ? 酷いときは、昼夜逆転だし、また、なんかペットロボットの設計している
みたいだしな。」
「ペットロボット?」
「前に、私のハロ、壊されてるだろ?リベンジだって云ってたな〜 なんだか、壊れ難い素材使って、
ツルギたちにやるんだって、張り切ってたなぁ〜」
ほけ〜と視線を明後日に向けて、カガリはぼやく。
「それより、ブランチするだろ?」
「うん!おなか、ぺこぺこ!」
悪戯っ子のような表情で、ミューズがぺろりと舌をだすと、カガリは重い腰をあげた。
時間が時間なので、幼子たちにも早めの昼食をだしてやれば、食欲旺盛な子供らは、あっという間に
カガリお手製のナポリタンをぺろんと平らげてしまった。
正午を少し過ぎた処で、漸く、アスランが起きてきた。
寝癖で、あらぬ方向に向いている、濃紺の髪を見遣って、あまりの情けない父親の姿に、ミューズは
眼を眇めた。
「…お父さん、なんかもの凄くだらしなくなってない?」
仕事着での軍服の、アスランのきっちりとした姿との、あまりの格差に、ミューズは愕然とする。
元家に居たときでさえ、こんな父親の姿は、見たことがなかったからだ。
パジャマ上半身、半分はズボンのなか、半分ははみ出て、大変な格好だ。
「…今、シャワー浴びて、着替えてくるよ。」
のそのそ。
そんな擬音が当て嵌まるくらい、アスランの緩慢な姿態に、ミューズは大きく息をつく。
「どうしちゃったの?お父さん。」
「別にイイじゃないか。緊急用に、行政府とのホットラインは引いてあるけど、ここに来てまだ
一度も鳴っていないから、気が抜けてるだけだろう?」
「…だからって。…あれは、ないんじゃない?」
「ほっとけ!」
余計なお世話だ、と云わんばかりに、カガリは語彙を強め、愛娘を牽制した。
午後1時。
昨日の、出張の報告を、行政府でしてくると言い残し、ミューズとイズミは再び子供たちを
両親に託し、島を離れた。
時計の短い針が「4」になったら、今度こそ必ず迎えに来ると、固く子供たちに約束して。
腹は満腹。
頃合良く、幼子たちは昼寝の時間。
やっと訪れた静けさに、カガリはほっと安堵の息を零す。
その様子を見遣って、アスランはくすり、と笑った。
それに、僅かの腹立たしさを感じたのか、カガリが苦言を零す。
「笑うなんて、失礼だな!寝坊助常習犯に、私を笑う権利があるのか?」
拙い空気を感じ取り、アスランは素直に謝罪を口にした。
カガリの逆鱗に触れる、一歩手前で制御できたのは、長年、夫婦という関係を維持してこれた
処世術だろう。
ふと、カガリは壁の時計に目線を向けた、
「やっぱり、時計があると気になるモンだな」
苦笑を浮かべ、カガリは言葉する。
「なら、俺たちだけの時は、外しておこうか?」
「ああ、それが一番かも」
可笑しげにふたりで笑い、和んだ空気の色に、ふたりは会話を弾ませたのだった。





                              



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