「いい晩ですね。」
「…ああ」
闇空に輝く、黄金の月。
イズミの問い掛けに、アスランは首を擡げ、視線をあげた。
男ふたりで外に出、玄関から接するポーチの木製階段に腰を降ろし、
何気ない会話を交わしている。
「ここに来るまで、月明かりが道先案内してくれたんで、少しですけど
有視界飛行もできて楽でした。」
笑んで、イズミは自分の左隣に座るアスランを見遣った。
別段、なにがあったわけでもないが、誘いの言葉を先に掛けたのは
珍しくアスランの方からだった。
その誘いを享受し、イズミは義父に着いておもてにでてきたのだ。
「仕事の方は、もう慣れたか?」
「慣れる!?とんでもないですよ!毎日、ミューズと駆けずり回って、
半人前の見習いで、いつ昇格できるのやら、なんですから。」
イズミの、大仰な表現と態度に、アスランは豪快に噴出す。
珍しいことは続くものだ。
外にでることを誘われたのも、本当に奇異だったが、義理であっても、
アスランがこんなに大笑いしているのなんて、眼にするのは貴重である。
そんな風に思えるほど、温厚な性格で、怒ったのだって、数度しか見たことがない。
一番、強烈に凄い光景を見たのは、愛娘で、自分の現妻である、ミューズへの制裁。
過去参加した、ガルナハンでの作戦での絡みの時だ。
あれほど、「怒り」という感情を露にしたアスランは、滅多にない姿であったが故に。
むしろ、自分の方がカッとし易い… かもしれない。
だが、そんな感情をコントロールするのは、王族の人間として育ってきた
イズミにとっては、隠すのは意外に処世術として心得ていたりもするのだ。
アスランの風体からして、穏やかに微笑む。
それが、義父であるアスランのイメージだったから。
暫しの沈黙を経て、イズミはずっと自分の心のなかに忍ばせていた、ある質問を
アスランにぶつけた。
「…お義父さん、今、幸せですか?」
あまりの突飛な、娘婿の問いに、アスランは驚いて眼を見開いた。
凝視する、翠の瞳は、瞬きすら忘れてしまったかのように、イズミの顔を見詰めている。
その光景に僅か臆し、イズミは口篭ってしまった。
「…すみません、急に変なこと聞いてしまって。」
気まずそうに俯くイズミの姿を見、アスランは漸く、微苦笑を浮かべた。
「いや、別に構いはしないよ。…で?そいう聞き方をする処を考えれば、なにか俺に
質問でもあるということなのかな?」
アスランに図星を指され、イズミは動揺著しく、態度も挙動不審者のような体で、眼を泳がせた。
一息、呼吸をし、息を整えてから、イズミは言葉を紡ぐ。
「ミューが… あ〜と、ミューズが、お義父さんやお義母さんの話をなにかと持ち出すもんで、
その… 少し、おふたりの出会いとか… あ!すみません、下世話なことお聞きして。」
くすり、と小さく笑って、アスランは口端を緩やかにあげた。
「興味が沸いた、って?」
「うえっ!? …あ〜 まあ、そうですね。ぶっちゃけ、そうです。…はい」
苦しげに笑い、イズミは自分の頭を手持ち無沙汰な手で掻く。
「そんなに聞きたいのか?」
意地悪気な瞳の色を湛え、アスランはイズミの顔を見遣る。
「差し障りのない範囲で構わないんで… 聞かせてもらえれば、…嬉しいです。」
また、暫くの間を措いて、アスランは彼方に視線を向けた。
なにかを思い出すように、懐かしさを含んだその翠の双眸は、どこか憂いに満ちている。
イズミは、じっと、アスランが言葉を発するのを待った。
「忘れもしないさ、カガリと出合ったのは、C.E.71 3月8日、インド洋の無人島でだった。
俺は、その当時、ザフトの一兵士として、参戦していた。前日の7日、新しい作戦遂行のために、
カーペンタリアの駐屯基地に輸送機で移動中、地球軍所属機と思われる、“スカイグラスパー”に
迎撃され、俺は輸送機のパイロットに指示されるまま、搭載されていた愛機、“イージス”で
脱出、降り立ったのがさっき言った無人島だったんだ。」
過去を思い出す様で、義父アスランが漏らす言葉を、イズミは静かに聞き入る。
「あとでわかったことだが、輸送機を迎撃した機体を操縦していたのが、彼女だった。
当然、俺たちは敵同士になるわけだから、防衛本能が働く。殺らなければ、殺られるというね。」
戦時中なのだから、そういう状況下になるのは、必然。
イズミは、やはり黙したまま、視線だけでアスランの語る言葉を待つ。
「男である、という利が僅かに有利を相して、俺は彼女を拘束した。…けど、なぜか気がつけば
戒めを解いてしまっていてね。」
くすり、とアスランは小さく笑う。
「自分たちの思いを懸命に主張し合って、別れるときに名前を教えあって。…あの時、どうしてそんなことを
したのか、未だによくわからないんだ。」
ふいに、彼方を見ていたアスランの視線が、自分の隣に座っていたイズミに移され、微苦笑を浮かべると
唐突な質問が飛び出し、彼は面食らう。
「君は、『運命』を信じるか?」
「は!? …あ〜 そうですね、できれば信じてみたい… です。」
驚いた声をあげたかと思えば、最後は蚊の鳴くような、聞き取り難い声音でイズミはバツが悪そうな笑いを漏らした。
「ほんの少しの時間の遅れ。その時、俺が乗り込む予定だった輸送機がトラブルを起こして、隊の仲間たちとの
出発時間に、僅かな遅れを生じさせた。先発で、仲間の方が先に出立して、俺は時間差をつけて出ることになったんだ。
それがなければ、俺はカガリと合うことはなかっただろうな。」
俯き、アスランは、緩く笑む。
「…そう、あの時」
幾度も、思い出すように、アスランは呟く。
今でも鮮明に覚えている。
カガリとの出会いを。
未だ残る、右わき腹の傷痕が僅かに疼いた気がした。
「俺は、ひととの付き合いというものに関しては、どうしても一線を引く癖みたいなものがあってね。
自分の持つ領域には踏み込ませない雰囲気があるって、昔、あるひとに言われたことがあるよ。」
脳裏に浮かんだのは、桃色の髪を靡かせ、微笑む女性の姿。
今でこそ、知己とも言える仲ではあるし、親友であり、自分の妻の弟の妻である彼女ではあるけれど…。
どこかお互いに二の足を踏んでの付き合いは、いつもどこかぎこちなくて。
いつまで経っても敬語が抜けず、そんな状態は今も時々顔を覗かせたりする。
「思えば、そんな領域に、飛び込んできたのは、カガリとキラくらいかも知れないな。あのふたり、
姉弟というだけあって、どこか似た部分があるみたいだし。」
可笑しそうに一笑して、アスランは顔をあげる。
「イズミ?」
「はい?なんでしょうか?」
「さっきの質問の続きだ。君は、『運命』を信じるか?」
「それは、ミューズに対して、という解釈でいいですか?」
アスランの返事は、娘婿の顔を見遣った、微笑み。
「俺は、『運命』というものが本当にあるなら、信じたいです。でも!」
「でも?」
首を傾げ、アスランは眼を瞬かせる。
「肝心のミューが、…そうではないみたいで。」
がっくりと肩を落とし、イズミは項垂れてしまう。
「俺、子供の頃に彼女に合っているんですけど、ミクロサイズも覚えてないって言われて、もの凄く
ショック受けて、暫く立ち直れませんでしたよ。」
イズミの目尻に、涙の粒が浮かんだのを見て、アスランは腹を抱えて爆笑する。
一頻り笑ったあと、自分とカガリとの出会いが、どれほどの奇跡であり、どれだけの少ない確立であったのかを
アスランは今更ながら自覚する。
「でも、別に『運命』でなくても、ミューズ・アスハ・ザラは、俺にとって特別のひとであることは
変わりありませんけどね?」
「そうか。なら、末永く、あの娘を頼むよ。」
「はい。」
素直に返事を返し、イズミは薄く頬を染める。
「カガリは、俺にとっては『光』そのものだ。それは、今も変わらない。現役の軍人だった頃、自分を
取り囲む全てのものに侮られてはいけない、そんな思いがきっと無意識にあったと思うんだ。弱みを見せれば
負ける、というね。 けど、カガリだけは違った。自分の脆さも、弱さも、彼女にならさらけだせた。
そんな俺を、包んでくれたのが、彼女だったんだ。そんな思いはどんどん膨らんで、いつしか彼女の
隣にありたい、と願う自分に気がついたとき、弾けそうな想いを止めることができなくなっていた。」
有りのままの自分。
受け止めてくれた、カガリが居たからこそ、今の自分はあるのだと、アスランは言葉を紡ぐ。
義父の言葉を聴き、イズミは心のなかで思い馳せる。
ミューズがどれほど、自分の両親を愛し、その重さがどんなに深いのか…。
全てを理解するには、まだ時間が必要だけれども、彼女がなにかある度、両親のことを口にする
理由が少しだけ垣間見えた気がした。
真摯な話と、談笑が一段落したのを見計らったかのように、ふたりの背後にある玄関扉が開く。
中央よりで、イズミとアスランの顔が振り向けば、立っていたのは、マグカップを二個、手にしている
ミューズだった。
ふたりの傍まで歩み、近づき、ミューズはしゃがみ込むと、手にしていたマグカップを、それぞれに手渡した。
「随分楽しそうね? 男同士の座談会は何時頃終わるの?」
「もう、そろそろお開きにするさ。」
苦笑し、イズミは受け取ったカップに口をつけ、微苦笑を浮かべた。
しかし、アスランの方は、ミューズが渡したカップを凝視し、眉根を寄せている。
「ミュー、どうして俺のコーヒーにミルクが入っているんだ?」
「お母さん命令。ブラックばっかりガブガブ飲んでちゃ胃に良くないから、入れろって云われたから
入れてきただけよ。」
しれっと、言葉を吐いて、ミューズは明後日の方に視線を投げる。
「ブラック、ガブガブって!牛乳だって、ちゃんと飲んでいるだろッ!? 俺は、別々がイイんだッ!」
子供のような抗議の仕方で、アスランは声をあげる。
「だから!私じゃなくて、お母さんに言ってよ!」
妙な親子の口喧嘩を目の前にして、イズミは可笑しそうにくすくす笑った。
渋々、愛娘が淹れてきてくれたコーヒーを口にすれば、またアスランの文句の嵐。
「甘ッ!?なんで、砂糖まで入っているんだ!? これも、お母さん命令なのかッ!?」
「砂糖は、私とイズミの好み。」
にっこり笑んで、ミューズは両手で自分の頬を支える。
「私とお母さん、もう休むから、フロアの電気と、ガスの元栓、最後のひとはちゃんと始末してきてね?」
緩く腰をあげかけ、ミューズは言葉を紡ぐ。
「待って、ミュー?休むって、泊まっていくの?」
イズミは当然のように、言葉を零す。
「仕方ないでしょう?今、何時だと思っているの?て、さっきお母さんに云われたわ。」
「でも、着替えもなにも持ってきてないし…」
ちらり、とアスランの意見を聞いていないことに、間の悪さを感じ、イズミはアスランの顔を見遣った。
「遠慮するな、泊まっていけば良い。カガリもそう云ってるし。」
「すみません、本当に色々と。」
イズミは、本心から申し訳なさそうな顔をして、頭をぺこりと下げる。
「着替え、お父さんのパジャマ貸してもらったから!」
云い、ミューズはさっさと家に戻ってしまった。
ミューズが、戻ってしまってから、イズミとアスランも、腰をあげた。
「話しているとキリがないからな。今夜は、この辺にしておこう。」
「はい。」
どこまでも、従順に、アスランの言に従い、イズミは返事を返したのだった。