珍しい、という視線が一心に集まる、艦の甲板。
毎日を、政務の仕事で忙殺されていたミューズが、ほぼ三ヶ月ぶりに姿を自分の乗艦する
『アマテラス』で見せたのは、半ば衆目の的。
「あたしゃ、ひとよせパンダか…。」
ひとりごとを吐き捨て、ミューズは盛大な溜息をつく。
ぶらぶらと、フライトデッキを散策するなかで、掛けられた黄色い悲鳴。
振り返れば、そこには駆け寄り、抱き着いてくる、同僚の身体に押し倒され、ミューズは足を踏ん張る。
「久しぶり、ミュー!」
喜んだ笑みで、再会を分かち合った刹那、サキとナギサの視線は、ミューズの胸に輝く
階級章に釘付けになった。
慌てて身を離し、ふたりはミューズに対して敬礼をする。
僚友の、突然の行動に、ミューズは眉根を寄せ、首を傾げた。
「なによ、突然、私に敬礼なんて…。」
「だ、だって、アンタ、私たちが知らない間に、三佐になってるじゃないッ!」
タメ語と、身を正した姿態がごちゃまぜの、サキとナギサの態度に、ミューズは噴出す。
「なにを今更。大体、養成学校からの悪友、何年やってると思っているの?そんなに私に上官面
させたいの?ふたりとも。」
けらけた笑って、ミューズは可笑しそうに腹を抱えて大笑いした。
「大体、そんなこと云ってる、サキとナギサも、一尉に昇格してるじゃん。」
「よくぞ聴いてくれましたッ!」
サキとナギサは、向かい合い、ふたりで両手を握り、お涙よろしく、延々と昇格するのにどんなに苦労したかの
話で持ちきりだった。
「もう、頭禿げるかもしれない、ってくらい勉強したわよ!」
憤然とした態度で、ナギサが言い放つ。
「ま、本当なら、私もふたりと同じ階級だったんだけど、一階級分はオマケのようなものだし〜
自慢じゃないが、親の七光りビカビカだよ。 早く、イズミの階級に追い着けって言われて、超プレッシャー。」
内容はどうであれ、まるで女学生そのままの会話。
かしましい、三人の笑い声は止まることを知らないようである。
「それよりも、ミューに報告あるんだ。」
僅かに頬を染め、ナギサは話題を変えた。
「報告?」
「うん、私、結婚するの。」
「ホントに!? やったじゃないッ!で、相手は?」
「聴いて驚け、だわよ。」
小さく嘆息して、当人のナギサを差し置き、口を挟んだのは、サキ。
「あの、『鬼面カミヤ』の息子。」
「…マジ?」
ミューズは、眼を眇め、ナギサの顔を見遣った。
「ガセじゃなくて?」
探求するミューズに、ナギサは派手な溜息をついた。
「知らなかったのよ。だって、出会いというか、息投合したの、クラブだし。彼、別の艦のパイロットだったから。」
オーブ海軍の編成は、主要の空母『アマテラス』だけでなく、他にある、大型空母も戦列に倣う。
『アマテラス』『クシナダ』『スサノオウ』『イザナミ』『アメノウズメ』、この5つの艦がオーブの守りの要。
主の、司令塔は『アマテラス』であるが、他の艦も、『アマテラス』に劣らぬ装備を揃えた、準空母艦だ。
何れも、搭載機は、『ムラサメ』。
その艦のそれぞれに、各小隊があり、軍事行動をとるように纏め上げられている。
「でも、結婚の話にまでなったら、その手の話もでるでしょう?」
「話というか… 彼の親御さんに挨拶とか言って、合いに行ったら第一次接近遭遇。顔、引き攣ったわよ。」
「…笑えない。」
ミューズも顔を引き攣らせ、小さく言葉を零した。
自分たちの所属する隊の隊長が舅。
『鬼面』のあだ名は、その扱きの凄まじさから由来したものだ。
だが、その『鬼』のスパルタ教育のお陰で、ミューズを始めとする、カミヤが率いるムラサメ隊は、群を抜いて
凄腕のパイロットたちで構成され、他の艦の乗員たちからも一目置かれる存在。
「…カミヤ一佐が、義理のお父さんねぇ〜 死ぬなよ、ナギサ。」
「縁起でもないこと言わないでよ、ミューズ!」
金きり声をあげ、ナギサは抗議する。
そんな、三人の会話を中断するように、ミューズの背後から突然、イズミが両腕を彼女の首もとに絡めてきた。
「お友達同士でお話は結構だけど、上司の悪口言うなら、もっとボリューム落とせよ。丸聞こえだぞ。」
ミューズの肩口に、顎を乗せ、イズミは三人に注意を促した。
「ちょ、もうッ!暑苦しいッ!離してよッ!」
真っ赤になって、ミューズは絡まってるイズミの腕を解き外そうともがく。
「なんだ?つれないなぁ〜 俺の奥さんは。」
わざとらしく寂しげな顔を作って、イズミはミューズの頬に自分の頬を寄せた。
「場所考えてッ!」
「ひゅーひゅー!お熱いことで」
からかった声音で、サキはいちゃつくミューズとイズミを煽った。
「さて、お遊びはここまで。」
云い、イズミは、ミューズの身体から身を離す。
「そろそろ、朝の点呼と朝礼が始まるから整列しないと。」
イズミは、軽くウィンクをし、ミューズの顔を見遣った。
未だ、ミューズの顔の火照りは治まらない。
こんな処だけは、彼が研修と称して、この艦に来たときと変わらないおちゃらけぶりである。
合図の、召集ラッパが鳴り響き、艦に在する乗組員全てが甲板に集められる。
朝の訓示と、連絡事項、その他諸々、艦長のソガ准将の話が青空の下で響き渡った。
朝礼が終わる間際、個別の呼び出しに名を呼ばれた。
「ミューズ・アスハ・ザラ、イズミ・アスハ・ザラ、サキ・コートニー、ナギサ・ハヤセ。今、名を呼ばれた四名、
このあと、ブリーフィングルームに集まれ。これで、本日の朝礼は終了、各員持ち場に戻れ、以上、解散!」
場に、ざわめき声が溢れ、それぞれの人間が、各々の部署に戻っていく。
そのなかで、ぽつんと四人は立ち尽くし、はて?なんの呼び出しだ、と云わんばかりの顔を作った。
云われたまま、四人はブリーフィングルームに歩を向け、設えてある椅子に腰を降ろした。
「はいはい、ご苦労さん!」
陽気な声で、室内に入ってきた、見知った顔にミューズは驚愕の声をあげる。
「おじ様ッ!?」
「おじ様、じゃありません。ここじゃ、俺は上官です。ちゃんと、フラガ一佐って呼びなさいね。
『お嬢ちゃん』」
にっこり笑んで、フラガは、教卓に両手をついた。
「な、なんで!? ネバダじゃなかったの!?」
「君の、お父さんと、お母さんに呼ばれたのさ。教官としてね。それにしても、暫く会わないうちに、
でっかくなったな、ミューズ。」
柔和な笑みを浮かべるフラガに、ミューズは眉根を寄せる。
相変わらずの姿態。
軍服の裾を肘まで捲くりあげ、フラガは、年上らしならぬ笑顔で目線を配った。
「最後に会ったのは、確か、こ〜〜〜んな、小っこい頃だったもんな?」
自分の膝丈より下を、水平にした右掌で指し示し、ムウは愉快気に笑う。
「あたしは、ミジンコか!?」
フラガの掌は、膝下を遥かに超え、くるぶしまで下がっている。
その表現を見て、イズミは思わず噴出した。
「君が、ミューズの旦那か。始めまして、ムウ・ラ・フラガだ。」
見遣った視線で、ムウはイズミに視線を向ける。
「こちらこそ。フラガ一佐のお噂は、かねがね伺っておりますので、直にお会いでき、光栄です。俺も、これでも
パイロットの端くれですので、『エンディミオンの鷹』の字を持つ貴方に会えるのは嬉しい限りです。」
「それは、昔のことさ。」
苦笑し、ムウは言葉を紡ぐ。
「さて、親睦はここまでだ。本題に入る。」
気さくな、おじ様の顔から、軍人としての、真面目な顔に戻り、フラガは言葉を紡いだ。
「まず、俺がなぜここに呼ばれたか、説明させてくれ。この艦に措いて、君たち四人は、飛行経験、そして、イズミと
ミューズ、この両名は実戦の経験を持つことを踏まえ、技術的な分野で、その能力を向上させる、ということが
俺に与えられた命令だ。」
ムウは一旦言葉を区切って、集った面々の顔を見渡した。
「飛行戦術。簡単に言えば、アクロバットの分類になるわけなんだが、これらをぜひ君たちに習得してもらいたい。
より、困難な技術を要求されることは当然、場合によっては、ほんの些細なミスで事故に繋がる可能性も考えられる。
だが、これをマスターできれば、実技の方面はより昇級に繋がる切っ掛けになるだろう、な?ミューズ。」
「……」
ミューズは無言で眉根を寄せて、ムウの話に耳を傾ける。
これもまた、両親の差し金だと察した途端、意地でも昇級させる気だ、という考えが見え、彼女は心のなかで
溜息をついた。
ありがた迷惑にしか思えない事態に、ミューズは頭痛を覚える。
「早速で申し訳ないが、本日12:00(ヒトフタマルマル)より、まず君たちのレベルを見るために、それぞれの愛機ではなく、
俺が用意させた機体で飛行をしてもらう。」
『えっ!?』
フラガの発言に、場が細波だった。
聞き間違え?と、誰もが顔を見合わせ、首を捻る。
自分たちが乗り慣れている機体ではなく、別の機体とはこれ如何に。
謎だけを残して、説明会は終了した。
解散したあと、ミューズは、イズミと通路を歩きながら、彼に話しかけた。
「自分たちの機体を使わなくて、どうやって私たちのレベル、測るって云うのかしら?」
「さあ?そんなの、やってみないことには分からないよ。」
嘆息し、イズミは憂鬱そうに言葉を漏らす。
「それより、まだ集合まで、時間あるから、カフェテリアにお茶でも飲みに行かないか?」
イズミの誘いに、ミューズは笑む。
「丁度、喉渇いてた処。」
「コーヒー?紅茶?」
「そうね?フォションの、アールグレイ?」
「そんな銘柄指定したって、軍の艦のカフェにあるわけないだろ?」
「冗談に決まってるわよ。」
はにかんだ笑みを浮かべて、ミューズは微笑む。
「家に帰ったら、俺が淹れてやるよ」
「ぜひ、お願いします。」
お茶目に、ミューズは頭を下げ、イズミの顔を見遣ったのだった。
午後12時きっかり。
フライトデッキには、パイロットスーツを纏った四人が集合していた。
「お!?四人とも、やる気満々?」
フラガは、相変わらずの口調で、軽いノリ。
頭痛を覚えたように、ミューズは額に指先を当てた。
「おじ様?ひとつ、質問、イイかしら?」
「だから、おじ様じゃなくて、フラガ一佐って呼びなさいって、さっき言ったでしょう?」
右人差し指を軽く振って、フラガはミューズの顔を覗き込む仕草で、彼女を咎める。
「私たちが乗る機体、って… アレッ!?」
「ピンポーン!正解!!」
甲板に待機している機体を指差し、ミューズはわなわなと震える身体で、フラガを詰る。
F−14 トムキャット。
世紀時代、その雄姿は、アメリカ海軍の主力機として活躍した機体だ。
流れるような、なだらかなフォルム。
可変翼の翼が特徴だが、他の機体と違い、あまりにも戦闘機としては大き過ぎるせいで、燃料を馬鹿喰いするとの、
悪評高い機体である。
飛行距離も、あまり遠くまでは飛べない。
なにより、過重があり、扱い難い事このうえない。
普段、軽量を重視した設計で、スピードを優先とし、接近戦を目的として開発された『ムラサメ』に乗っている
ミューズにしてみれば、とんでもないもの以外に表現のしようがなかった。
「…あんな、スミソニアンの片隅に展示されているような機体、よく5機も持ってこれたわね。」
北部アメリカに実在する、近代美術館。
だが、美術館と云うのは名ばかりで、小物は絵画や、彫刻、果ては、複葉機の戦闘機やら戦車やらと、あらゆる
ものを展示していて、展示目的が『美術を愛でる』という形容からは掛け離れているので有名な建物を
比喩の対象に使って、ミューズは顔を引き攣らせた。
新しいものも、古いものもごちゃまぜで、収拾がつかない、というのが実態の美術館である。
ぶつぶつと、口元で言葉を呟き、ミューズは、恨みます光線の目線をムウに向けた。
ミューズの、呪怨の声をよそに、逆にイズミの方が子供のように目を輝かせている。
「感激だな。こんなクラッシックな機体に乗れるなんて!本のなかでしか見たことなかったし」
「まったく、貴方って、ホントのー天気ね?空中分解でもしたら、どうするのよ?」
ミューズは眼を眇め、イズミの顔を見遣る。
「整備は万全だから、空中分解なんて、アホなことは絶対ない!」
力を込め、ムウは言い放つ。
「では、各員、搭乗。離陸後は、各機、俺をリーダー機として、ダイヤモンド編隊を組む。以上!」
ムウの掛け声一声に、それぞれが機体のシートに乗り込んだ。
トムキャットは、副座。
だが、唯、飛ばせるだけなら、レーダーの確認は必要ない。
あとは、自分たちが飛行機乗りとして培ってきた能力を信じるしかない。
目の前に広がった青空を見遣って、ミューズは、こくりとひとつ、唾を飲み込んだ。
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