あの大騒ぎな一日から数日後。
ミューズは、母親の宣言した通り、政務に追われる毎日を過ごしている。
頭に捻り鉢巻でも欲しいくらい、彼女はデスクに詰まれた書類と格闘の毎日を過ごしていた。
そんななかで、なぜか彼女の足元を走っていく、三人の子供たち。
ずっと、子守を頼んでいたマーナが、ぎっくり腰を起こして、動けなくなってしまったため、
仕方なく仕事場に連れてきたはいいが…。
煩くて、ちっとも集中できない。
かと云って、追い出すわけにもいかず、この有様だったのだ。
刹那。
その騒ぎを中断するかのように、響く扉のノック音に、ミューズは視線をあげる。
入ってきた人物たちの顔を見遣って、ミューズは苦笑した。
「隠居したくせに、なんか用事?」
「用事があるから来たんだ。皮肉言ってる暇はあるんだな?ミュー。」
カガリは、久方ぶりに訪れた官僚府の執務室で、溜息を零す。
室内の床で、遊びまわっている、サクラ、ツルギ、ヒビキの三人の子供たちは、アスランたちの
姿が眼に入った途端、嬉しそうにはしゃぐ声をあげ、駆け寄ってきた。
アスランは、サクラを抱き上げ、カガリは双子を抱っこすると、一通りの再会を喜び合った。
そのタイミングを計ったかのように、イズミが執務室に入ってくる。
「すみません、お義父、お義母さん、こっちからお呼びしたのに、遅くなってしまって。」
侘びを入れながら、室内に踏み込めば、今度の子供たちの標的は、実の父親、イズミになる。
カガリたちの腕のなかから飛び降り、イズミの足元に掛け寄ると、三人して抱っこをせがむ。
纏わりつく子供たちを、嫌な顔ひとつせず、彼は抱き上げ、頬を寄せた。
三人いっぺんは、さぞ重量級だろうに。
子供たちを抱きながら、イズミは、室内に設置してある、応接用のソファに、カガリたちを招いた。
「本当にすみません、騒がしくて。」
恐縮しながらも、サクラを諭し、双子の面倒を頼み込んで、場を離れさせ、イズミは本題を切り出した。
「実は、来月控えている、ヨーロッパ方面の外遊の件なんですが…。」
神妙な顔つきで、イズミは相対した、義理の両親に、言葉を紡いだ。
「これは、正直、自分の私的な我侭です。でも、もし、おふたりが融通を利かせてくれるなら、
一日で構いません、スケジュールのなかにスカンジナビアへの訪問日程を組み込ませてはいただけませんか?」
イズミの言葉に、カガリとアスランは眼を見開き、互いの顔を見遣った。
「過日、兄のクトレからの打診もあり、ぜひお願いできないものかと。それに、出来れば、俺も
ぜひそうしていただければと思っています。ディアナが留学を切っ掛けに、結婚という事態にまで至ってしまって
以来、合うことは勿論、ちゃんとした話すらしていないでしょう? もっとも、こんなことになってしまったのは、
ある意味、俺のせいでもありますが。」
苦笑を浮かべ、イズミは謝罪の言葉を漏らした。
「ディアナに、スカンジナビアの留学を薦めたのは、俺なんです。彼女がとても悩んでる時期、なにか手助けを
したくて。あの時は、まさかこんなことになってしまうなんて、夢にも思わなくて…。」
「それは、もう済んだことだ。そのことを、貴方が気に病むことはない。」
カガリに云われ、イズミは安堵の表情を浮かべた。
「事の内容は了承した。いつかは、ディアナとは顔を突き合わせて話をしなければと思っていた。あの子の
本心を聞きたいと思いながら、つい忙しさにかまけて、ずるずる延ばしてしまっていたのだから、私たちにも
責任はあるさ。 クトレ殿には、直接お会いできるのか?」
カガリは、確認の言葉をもって、イズミに尋ねる。
「勿論です。兄も、おふたりにはぜひ会いたいと云っておりましたので。」
「わかった。」
微笑み、カガリは頷いた。
話の見切りがついた処で、ミューズがデスクからカガリを呼んだ。
「お母ぁ〜さん!」
「お母ぁ〜さん、じゃないッ!!執務室に入ったら、代表と呼ばんかッ!馬鹿者。」
額の筋を引き攣らせ、カガリはぎろり、とデスクの居るミューズを睨む。
「だって、引退したんでしょう?」
溜息をつき、ミューズは手に持った書類の紙をひらひらさせながら、怠惰な態度で言葉を漏らす。
「まだ、引退なんぞ、してないッ!」
「正式にはね?でも、半分以上、同じようなモンじゃない。」
にこにこ笑みを漏らしながらの、ミューズの辛口批判に、カガリの顔は引き攣りっぱなしである。
つい、この間まで、『尊敬してます、お母様』と云った様で纏わりついていたくせに、なんだ、この態度の違いはッ!
と、怒り、爆発寸前の表情で愛娘を睨みやっている。
カガリの様子を垣間見、アスランは落ち着けとばかりに、カガリの肩を軽く叩いた。
深呼吸をひとつしてから、カガリは平常心に戻った姿態で、デスクに居るミューズの傍に移動する。
「どうしたんだ?」
愛娘の手元を覗き込みながら尋ねれば、ミューズは真剣な眼差しで、自分が手にしていた書類をカガリに渡した。
「市民からの、嘆願書。『養護施設』を造ってほしい、って内容なんだけど、意見聞かせて?」
「養護施設?施設の、内容目的は詳しくあがってきているのか?」
「うん、戦争被害者救済のためらしいよ?」
幾年、年が経過しようとも、過去にあった戦争という名の悲劇の副産物に、未だ後遺症で苦しんでいる者が多くいる、
という事実は拭いようのない現実だった。
「基本は、障害者認定を受けているひとたちを中心としての施設なんだけど、職業訓練とか、自立支援の目的を
加味して、とういうことになっているわ。」
「来週、首長家を中心とした閣議があるから、その時に提議としてだしてみたらどうだ? 私も、アスランも
立会いということで、議会にはでる予定だから。」
「わかった。草案に追記しておく。」
ふたりの、自然な遣り取りに、アスランは緩く笑む。
オーブでの、税率は決して安いものではない。
だが、その分、国民の目にも、はっきりとわかる形で還元が成されているので、民からの批判はされることはなかった。
小、中、高校、そして大学に至るまで、学費は全てが国の負担。
オーブに住まう、全ての住民に平等な教育を。
それ以上の志と、就学の希望があれば、資格を得るための試験は課されるが、合格すれば70%、国の費用負担が認められ、
学びに精をだすこともできる。
未来、国を支えていく礎になるだろう、若い人材を育てるのは、国府の責任。
勿論、先にでてきた、養護目的を始め、医療関係のそれに伴うER等の緊急処置の幅広い充実、福祉、他にも市民が利用するのに
必要な施設、建物は、全部が国の管轄のもと運営されているのが、今のオーブの体制だ。
弱者を守れる国作り。
カガリと、アスランはそのために長く尽力を尽くしてきた。
そして、なによりも、カガリの父、ウズミが掲げてきた、国標。
人種の格差を無くした、融合の実現。
ナチュラルも、コーディネイターもなく、ひとりの人間として、尊重すること。
国が定めた法を守れるものは、どんな人種でも受け入れる、というものだ。
案件の整理をしつつ、ミューズは振り分けをする目印のサインを書き込んでいった。
そして、話の終わりが見えたのを察した子供たちが、カガリの足元に群がったのを機に、アスランは部屋をあとにすることを
イズミとミューズに告げた。
「お母ぁ〜さん。」
「だから、執務室でその呼び方は止めろ!」
怒声のカガリを無視し、ミューズは猫撫で声で、子守を嘆願してきた。
「夕方まで、お願いしますッ!その代わり、今日の夕飯、私が作るからッ!お願いッ!!」
掌を合わせ、ミューズは頭を下げた。
どう見たって、この状況では、仕事が捗らないのは、頷ける。
「わかった。」
苦笑を浮かべ、カガリはツルギとヒビキを抱き上げた。
自分だけ、置いてけぼり?という、きょとんとした顔のサクラに、手を差し延べたのは、アスランだ。
「おいで、サクラ。」
嬉しそうな笑みを浮かべ、駆け寄ってくる幼子に、アスランの表情は緩む。
できるだけ、イズミと早く帰る、とだけ約束し、ふたりは執務室をでていった。
通路を歩きながら、カガリはごちる。
「さて、このパワフルなトリオを、今日はどう満足させるかだな?」
「なんとかするしかないだろ?」
苦笑し、アスランはカガリの言葉に返事を返す。
久しぶりに踏み込んだ、元家。
つい、この間まで居た場所なのに…。
懐かしい郷愁に浸り、ふたりは微笑みあったのだった。





アスランとカガリの外遊日程の日取りは、仮引退を宣言しながら、まだまだ忙しいなかで迎えることとなった。
イズミからの、嘆願を受け、スカンジナビアの訪問は、一週間の予定の最終日に組み込まれていた。
それぞれ、予定を組んだ各国を駆け足で巡り、物資や、資金提供の話し合い、そして晩餐会など、目まぐるしい
スケジュールをこなし、ふたりは約束の地を訪れる。
スカンジナビアの国王に拝謁したあと、カガリたちは、クトレの私邸を訪れた。
迎えでた、クトレ本人、そして、その両脇には、第一妃シアと、第二妃として座するディアナが揃って顔を見せた。
三人で、深々とこうべを下げ、わざわざ立ち寄ってもらったことに、感謝の意を示す。
国の民族衣装を纏った娘は、暫く会わないうちに、随分と成長したな、という思いに、アスランたちは
感慨深げに視線を向けた。
歓待の宴を兼ね、招かれた一室で、口火を切ったのは、クトレだった。
「遠路遥々、補佐官殿と、代表自らお出で下さったことに、深く感謝いたします。」
丁寧な口調で言葉を紡ぎ、また頭を下げる。
「あまり、畏まらないくれ、クトレ殿。」
「いえ、礼を幾ら述べた処で、足りないくらいです。本来であるなら、ディアナとの結婚のことも、いや、その前に
私自身がオーブに行かねばならなかったのに、忙しさにかまけ、疎かになってしまっいた非礼はお詫びのしようもありません」
クトレの言葉を聴いて、カガリもアスランも、苦笑するしかなかった。
「留学のことも、結婚のことも、ひとりの大人として、ディアナ自身が決めたこと。私たちが今更、どうこう言うことでは
ないでしょう。」
眼を細め、その視線でディアナを見詰め、カガリは言葉を紡いだ。
白を基調とした、長テーブルを挟んで、持て成された食事を堪能し、会話が続く。
「弟、イズミが、オーブに行ってしまった分の穴を埋めるだけで精一杯で、不甲斐ないばかりですよ。あれが居なくなって、
初めて、イズミの存在の大きさを実感しましたから。」
「イズミ殿は、とても優秀な人材です。こちらには、多大な迷惑をかけてしまう結果になってしまったが、未来の後継者、
そして、娘、ミューズの良き伴侶、サポート、様々なことに尽力していただいているので頼もしい限りです。」
「あれは、息災ですかな?」
「ええ。」
カガリは、微笑んで応えを返す。
触りの会話を一通り過ごしてからは、本筋の話へと切り込んでいく。
始め、躊躇って言葉を濁していたディアナも、シアに促され、ぽつぽつと言葉を漏らしはじめた。
思慮深いディアナの態度は、アスランとカガリの苦笑を誘う。
「結婚のことは、謝る必要はない。先にも云った通り、それはお前自身が決めた事なのだから。」
カガリは、微笑み、愛娘に言葉をかけた。
スカンジナビアの民族衣装、頭には薄い絹のベールを纏い、金の輪留めでそれを留め、薄絹のワンピースのような
服のうえを飾るのは、金の刺繍を施した、一反生地のような布。
それらを、全て纏め留める、金のベルトには、美しい宝石が散りばめられている。
髪も一束に纏め、三つ編みをし、右の肩から垂らしたような髪型。
もともと、髪の長がかったディアナだったが、今は、そのうえに清楚さも加わり、アスランとカガリにしてみれば、
随分と印象が変わった気がした。
伴侶の存在で、こんなにも様変わりした我が子の姿に、ふたりはほんの少しだけ、戸惑いをも覚えていたのも
嘘をつけない真実であった。
「私、お母さんと、お父さんに報告しなくちゃいけないことがあるの。」
「報告?」
また、改まって?というような顔つきで、カガリとアスランは顔を見合わせた。
「子供が産まれるの。来年、家族が増えるわ。」
「そうか。無事に、産まれたら、また知らせてくれ。」
頷き、ディアナは薄く頬を染めた。
「お姉ちゃん処も、産まれたんでしょう?双子。メールの添付写真で見ただけだけど。」
「もう、毎日大変だよ。男の子は元気が良過ぎて、子守任された日には、くたくただ。」
笑い、カガリは笑む。
「私も、双子のような感じかな?」
ディアナは、苦笑し、何故か、第一妃のシアの顔を見遣る。
その意図がわからず、アスランとふたりで、カガリは首を捻った。
ごほん、と咳払いをひとつし、その解釈の説明を赤面したクトレがかってでた。
「実は、シアもおめでたなんです。私と、シアは結婚は早かったのですが、なかなか子に恵まれず、諦めて
いたのですが…。ディアナが、私のもとに嫁いでくれて、色々な幸を齎してくれたような気がします。」
「生み月、大体同じ時期だから。」
ぺろり、と小さく舌をだして、ディアナは可愛らしく微笑んだ。
僅かに虚をつかれ、アスランとカガリは、驚いた顔を作ったが、直ぐにふたりで微笑み返した。
「子供が産まれるのは、どんなことでもめでたいことだ。とにかく、元気な子を産んでくれ。」
手にしたワイングラスを掲げ、カガリは言葉する。
食事を終え、忙しくふたりは、帰国の準備に取り掛かり始める。
本来なら、もっとゆっくりしていってもらいたい、とクトレにも云われたものの、スケジュールの変更は、
他の付き添いの者たち、そしてオーブで待っている人間に迷惑をかける、ということを伝えると、今度は
ゆっくり時間をとってプライベートに訪れて欲しいとクトレに嘆願された。
幾年ぶりかに、再会する、実娘に対し、僅かな確執でもあるか、と考えていたアスランたちだったが、
その考えは杞憂に終わり、ほっと胸を撫で下ろす。
アスハの専用機が待機している、空港までの見送りを受け、ふたりはスカンジナビアを離れた。
自分たちで、直に見、確認し、成長した娘の姿を見て、仄かな安堵が、アスランとカガリの胸中を
占めていたのは、互いにしかわからない出来事だった。




                     



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