「今、なんて云ったの!?」
ある日のこと、一家での夕飯を終えての、団欒の時、持ち出された話題に、ミューズは
愕然とし、座っていた居間のソファを勢いよく立ち上がってしまっていた。
「二度も同じことを言わせるな、ミューズ。」
愛娘のミューズの動揺を隠せない姿態と打って変わって、カガリの様子は実に優雅にのんびりしている。
カガリは、深くミューズと相対する形でソファに身を沈め、足を組み直した。
カガリの横には、定番の位置と決めているのか。
アスランが座って、母、子の話の流れを黙って聴いている。
ミューズの横には、イズミが。
イズミは、弾みで立ち上がったミューズを宥めるように、服の裾を軽く引っ張った。
「もう一度云う。私は、アスランとこの家をでる。家の名義は、既にお前たちの名前に書き換えてあるから、
あとは好きに使え、と云ったんだ。」
顔を強張らせたまま、ミューズは力の抜けた身体で、革張りのソファに腰を落とした。
「…なんで、急に。それに、家をでるなら、お母さんたちじゃなくて、私たちの方でしょう?」
「もう、随分前からこのことは、アスランと決めていたことだ。この間、お前になに、隠し事してるって
詰め寄られたが、私たちが秘密に行動していたのは、これのためなんだ。」
「…なんで? …なんでなのよ。」
納得出来ない、という仕草で、ミューズは首を振った。
「なぜ、自分を責める?ミュー。どっちにしたって、いずれは袂をふたつに分ける形があっても不思議ではないだろ?
お前も、立派に一人前になっているのだから、もう私たちの力は必要ないんじゃないか。それにな、この家にイズミが
来てくれて、私たちはとても嬉しかったよ。だからこそ、夫婦ふたりで過ごす時間を持たせてやりたいとも思ったんだ。」
「イズミには、随分、気を使わせてしまってたからな。」
カガリの言に、追従するように、アスランも苦笑を浮かべ、言葉を紡いだ。
「ま、そういう訳だから、夫婦仲良くやってくれ。私たちは、今週中には、引越し完了だ。そうそう、当座、
政務の方は、お前たちに任せるから、私たちは今度は、バックアップに廻るということで、頼んだぞ。」
云うことだけを云い終えると、カガリは座っていたソファから立ち上がる。
「なんで、そうなんでも勝手に決めちゃうの!?」
ミューズは縋り付く様で、立ち去ろうとする両親に、哀願の声をあげる。
「なぜ、お前の許可を得ることがある? 私たちの態度を冷たいと感じるのは、お前の甘えだと思わないか?
ミュー。 別に、今までとなにも変わりはしないさ。私たちが居住まいを変えるだけのことじゃないか。」
にっこりと、慈愛の笑みを浮かべ、カガリは言葉した。
母親の言葉を聴き、受け止めながら、ミューズは二の句が次げず、押し黙る。
居間をでていく両親を、無言で見送り、ミューズは俯く。
甘え。
確かに、そう云われてしまえば、その通りだ。
今まで、自分は、この現状を、あって当然のものとして享受してきた。
彼女は、黙したまま、思考に耽る。
そして、思い直す。
突き放されたのではない。
一人前と認められ、完全な巣立ちを宣言されただけ。
勢いよく起こした顔で、ミューズは、隣に居るイズミの顔を見遣った。
「頑張るしかないか。」
彼は、彼女のその、僅かに寂しさを含んだ声音に、相槌を打つ様に頷いた。
「色々と頼りないかもしれないけど、また改めてよろしくお願いします。」
ぺこり、とイズミに頭を下げ、ミューズは微笑んだ。
「俺も、協力する。ふたりで頑張ろう。」
愛夫の、頼もしい言葉を得て、ミューズは、小さく苦笑を零したのだった。
そして…。
二日後の朝、カガリとアスランは、結婚してから、様々な思い出を作ってきた、自分たちの家を後にした。
懐かしさだけが、走馬灯のように頭を過ぎっていく。
初めて、この家を構えたときのこと。
やはり、仮にも、カガリを嫁に貰う立場として、家だけは自分の力で建てたかった。
敷地に関しては、その当時の政府高官の役人たち、そして、長老陣と随分揉めた。
元来、争うことを良しとしない、アスランが結局譲る方向で、アスハの敷地内に家を構えることになった。
セキュリティの問題を、強く提言されては、返す言葉がない故に。
本邸の、裏地は、広大な森林地になっていた。
そこを必要な分だけ伐採し、私道を通し、家を造る場所を確保する。
意外にも、亡命という形で、オーブに降りたアスランの懐は温かく、借金をすることなく即金で家を建てたの
だから、ある意味、驚きもある。
というのも、当時、クーデーターの首謀者として行動を起こし、そののち、臨時的にプラントの議長となった
カナーバ議員の多大な計らいのお陰もあった。
本来、第一級の戦犯として、処せられるばずだったパトリック・ザラは、すでに亡くなり、何れは、その咎も
息子である、アスランにまで及ぶ処を、善処したのは、カナーバだった。
残された、ザラ家の資産、貯蓄、全て没収になるはずのものは、全部がアスランに譲渡された。
戦時中、最後の戦いで、プラントを核の脅威から守った、という功績を認めての処置として。
それは、タカ派で、ザラ派に属していた、イザークの母親も同じ扱いとされた。
エザリア本人は、自宅謹慎という形ではあったが、当然、アスランだけでなく、イザークにもその咎が及ぶことはなく、
親の罪が子に及ぶことは無しとされたのだ。
家財の整理をするなかで、偶然見つけたのは、パトリックが書斎として使っていた部屋の隠し金庫。
パソコン機器に精通しているアスランが、ロックを開錠するのは容易いこと。
なかからでてきたのは、自分と母親、レノア名義の通帳だった。
預金されていた金額にも驚いたが、贅沢さえしなければ充分一生暮らしていけるだけの額の記載に、アスラン自身が
驚愕した、といった始末。
加えて、職業軍人として、軍務に就いていたときの、給与。
アスラン本人、大して金を使う趣味もなかったせいで、これもまた結構な額になっていたのだ。
合わせれば、家一軒購入するくらいは、楽勝な額もあり、それを元手にして、カガリとの新婚生活をする
ための家を建てた、という経緯があった。
伐採した、雑木林の跡地は、綺麗に整地され、芝生を植え、広々とした庭を作り、隣接した家は、中世アメリカの富豪の
家をモチーフに、モダンにしたタイプの、白を基調とした二階家造り。
とにかく、広さだけは自慢できるほどある家だったのだ。
二階は、いずれ生まれるだろう、家族のためにと、部屋は5つもあった。
その部屋のどこも、息苦しさを感じさせない空間を重視し、早二十年余り。
今、カガリとアスランは、その自分たちの営みを始めた場所を去ろうとしていた。
大型の荷物は、先に運んでしまったので、手にしているのは、アスランが持っている小さなボストンバッグひとつだけ。
「そろそろ行こうか?」
カガリに促され、アスランは微笑み、ゆるりと踵を返した。
本邸の裏地にある、ヘリポートから、小型ヘリを繰って、あの離島を目指す。
見送る、ミューズたちの視線は、やはり物寂しさだけを写すだけだった。



離島の新居に移ってから、二日目。
アスランとカガリは、まるで新婚当時を思い出させるように、緩やかで穏やかな時間を過ごしていた。
ベッドのなかでは、昨夜の名残を残したまま、裸で眠りに落ち、朝を迎える。
緩々と時を咀嚼する生活。
怠惰と云われようが、今はこの時がどんなに愛おしいか。
今まで、忙し過ぎた刻を取り戻すかの如く、ふたりは日々を堪能する。
窓から差し込む陽の光に、カガリの瞼がゆっくりと持ち上がる。
見合った金と翠の瞳。
嬉しそうに、笑みを零し、頬杖を着きながら、アスランはカガリが目覚めるのを待っていた。
「おはよう。」
「趣味、悪。私の寝顔なんか見てて、なにが楽しいんだ?イイ歳こいて。」
寝惚け眼での、愛妻の毒舌。
だが、アスランはめげる素振りも見せず、微笑むだけ。
「楽しいさ。こんな風な朝を迎えられるなんて、何年ぶりだと思っているんだ?」
彼の指先が、カガリの前髪を弄ぶように這い、梳る。
その勢いに任せ、アスランは自分の身体をカガリの身体に寄せ、彼女の裸身を抱き締めた。
「…んっ、…こらッ!変なとこ、触るな。」
カガリの口から漏れる、拒否の言葉は、何処となく甘ったるい響きを含んでいる。
彼女が、本心で嫌がっていないことを見計らって、アスランはより過激な仕草で彼女を抱き寄せる腕に力を込める。
「もう、朝だぞ!」
「いいじゃないか。誰も居ない、俺たちだけなんだし。」
愛しい、妻の肢体を愛撫するアスランの唇は、最後に彼女の唇を求める。
塞がれたカガリの唇からは、くぐもった呻き。
それでも、それを許諾しているのは、彼女の身体。
アスランの背に廻した細腕が、彼の身体を抱き締めた。
刹那。
遥か、遠くに聴こえる、耳障りなヘリのローター音に、唇を合わせたまま、ふたりの眼が見開かれる。
驚いた表情で、唇を離し、アスランはカガリの顔から自分の顔を起こして、窓辺に視線を向けた。
小さな、機影。
それを視認して、彼は呟く。
「…こっちに、…くる!?」
たらり、と嫌な汗がふたりの顔を一筋滑り落ちる。
慌てて身支度を整え、外に飛び出せば、予測したまま、ヘリは家の脇に整備されたヘリポートに降りたった。
機中から、いのいちに飛び出してきたのは、孫娘のサクラ。
「パパッ!ママッ!!」
叫ぶなり、サクラはアスランに飛び付いてくる。
あとには、ツルギとヒビキを抱っこしたミューズ。
「へへへ… 来ちゃった。」
「…来ちゃった、じゃないだろ?」
苦し気に笑う娘を、カガリは腕を組んで眇めた目線で、見遣った。
最後にヘリから降りてきたイズミは、唯々、謝罪の言葉を紡ぐばかり。
「…すみません、お義父さん、お義母さん。止めたんですけど、力及ばず、根負けしました。」
大方、いろいろと理由をこじつけられ、説き伏せられたのだろう、イズミの姿が眼に浮かぶようだ。
カガリとアスランは、盛大な溜息をつき、がっくりと肩を落とした。
家に入れば、物珍しさに、サクラと双子は部屋のなかを駈けずり廻っている。
丁度、トイレトレーニングの最中ということもあり、ミューズは次々と服を脱ぎ捨て素っ裸で走り回るツルギを
怒鳴り、追い掛け回していた。
疲れた姿態で、どっかりと腰を落とした窓辺のソファで、アスランとカガリは、その様子を目線で追う。
「…なんか、これじゃ、本島の自宅に居たときとあんまり変わらないな。」
「…ああ、まったくだ。」
また、派手に溜息を零して、アスランたちは疲れた姿態で、息をついたのだった。
夕方、めいっぱいまで子供たちを浜辺と家で遊ばせ、カガリもアスランもくたくただ。
予定外とはいえ、このくらいは想定しておくべきだった、とふたりで後悔の言葉を漏らした。
だが、事件は待ったなしで、ふたりを襲う。
帰る、と云ったミューズたちの言葉に、駄々を捏ね始めたサクラに困り果て、仕方なくアスランの方がお泊りを進言した。
明日の仕事も加味し、サクラだけを島に残して、イズミが操縦するヘリが飛び立つ。
始めのうちは、違う環境に興奮していたサクラも、時間が経つにつれて不安な表情を浮かべはじめる。
産まれて初めての、お泊り。
大好きな、パパやママが居ても、やはり実の両親と離れることが初体験のサクラにとって、それは小さな
孤独を齎していた。
深夜。
ベッドにサクラを挟んで、『川の字』での就寝。
泣き漏れてくる、幼子の声に、ふたりは身を起こす。
「今、何時だ?」
瞼を擦りながら、カガリは、懸命にサクラを宥め、落ち着かせようと試みた。
アスランは、枕元に置いた携帯を開き、時間を確認する。
「二時。」
カガリの慰めも、一向に効果なく、サクラの泣き声は激しくなるばかり。
とうとう諦め、アスランは携帯でミューズを呼び出すコールを掛けた。
ミューズも不安だったのだろう。
二度のコールで、電話にでたのは、逆にアスランが驚いた。
『すまないな、こんな夜中に。』
『大丈夫。私も起きてたから。…それより、迷惑かけてごめんなさい。』
『これから、そっちにサクラを連れていくから、本邸のヘリポートまで迎えに来てくれないか?』
『これからッ!?』
驚きながらも、愛娘の泣き声は、携帯越しでもしっかりミューズに聴こえていた。
『もう、こうなったら、俺たちじゃ無理だ。やっぱり、母親じゃないと。』
『…うん、わかった。』
用件だけを伝え、アスランは携帯の通話を終える。
「サクラを送ってくるよ。」
苦笑を浮かべ、アスランはカガリに告げると、彼女も着いていくと云われ、彼は僅かに驚き、眼を見開く。
だが、直ぐに苦笑を浮かべ、カガリのその申し出に礼を言った。
正直、泣き止まぬ幼子を抱いて、ヘリの操縦など、困難極まりない。
カガリにサクラを預け、アスランはヘリを駆った。
本邸の裏庭に、ヘリが到着すると、そこには既にミューズが待ち受けていた。
「サクラッ!!もう、お前って子はッ!」
怒って、声を荒げるミューズを制したのは、カガリ。
「叱るな、ミューズ。」
怯え、カガリに抱っこされたままの、サクラの身体は強張っている。
小さいながらも、自分が周囲に迷惑をかけている、という自覚があるのだろう。
宥めながら、その小さな身体をミューズに託すと、カガリは微笑む。
「お前だって、昔、本邸に初めて泊まったとき、今のサクラと同じことしたの、忘れたのか?」
頬を紅に染め、ミューズは幼かった自分の記憶を引っ繰り返されたことに、黙した。
あの時は、確か、面倒を見てくれていた、実母の乳母、マーナに随分と迷惑をかけた。
「サクラ。また、頑張って、お泊りの練習しような?これに懲りて、もう嫌とか言うんじゃないぞ?」
ミューズに抱き直されたサクラの頭を撫で、カガリは笑んで云う。
頷き、サクラも機嫌の直った顔で微笑み返した。
「今日は、本当にごめんなさい、パパ、ママ。」
「気にするな。また、遊びに来い。」
云いながら手を振り、ふたりはヘリに乗り込む。
小さな手を振るサクラに見送られ、アスランたちは再び、島へと戻る空路を辿る。
忙しい一日をやっと終え、ふたりは機中でまた息をつく。
「大変な日だったな。」
アスランは、労いの言葉をカガリに掛けた。
「まあな。でも、偶にはこういうのも良い経験だ。」
明るく笑い、カガリはアスランの言葉に返事を返したのだった。





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