「えっ!? また、デスクワークの代理!?」
「ああ、ちょっとアスランと出掛けるんで、頼みたい。」
カガリの言葉を受けて、ミューズはこの処、頻繁に呼び出される、官僚府の執務室で
不機嫌な表情を浮かべた。
「…最近、多くない? ふたりで出掛けるの?」
「不都合でもあるのか?軍の方には、お前が執務に携わるのは了承を得ているはずだが?」
「別に、それはわかっているわ。」
頬を膨らませ、いくらいずれ政務職に就くことになるとはわかっていても、その修練にしては、
ここ最近、それを口実に両親が言伝をして行方を眩ますことが多いことに、ミューズは不満を漏らした。
「…なにか、ふたりで隠し事していない?」
眼を眇め、ミューズはじっと、実の両親の顔を見遣る。
挙動不審も甚だしい。
アスラン、カガリ、ふたりして泳いだ目線は、余計にミューズの不審感を煽るのに充分だ。
「ふたりして、何やってるのよッ!?」
白状しろッ!と、実の両親を責めやる言葉を漏らそうと、身を乗り出した刹那、その行動は一緒に居た夫、イズミに制された。
背後から、ミューズの左肩を掴み、イズミは首を振る。
「別に良いじゃないか。用事があるって云うなら、俺たちで肩代わりができれば、補ってあげれば済むことだろ?」
過日の昇進の件といい、今度のことといい、娘婿の態度は本当に優秀で、カガリは思わず心のなかで
頭が下がる思いだった。
「詮索するのは、もうちょっとしたら、…にして欲しい。」
どう考えたって、今の現状では説明不足もいい処。
カガリは、気まずい顔のまま、アスランの顔と、愛娘の顔を交互に見るばかり。
こんなに焦った様子の母親は滅多に拝むことはできない。
「お母さんッ!」
叫ぶミューズをイズミに任せ、カガリたちはそそくさと執務部屋をあとにする。
室内を退室するとき、見合った義父、アスランとの眼線の遣り取りに、イズミは苦笑を零す。
アスランの視線は、申し訳ない、というのを言葉なく語っていた。
軽く、イズミが相槌に首を振れば、アスランは緩く苦笑いを浮かべた。
ふたりが出て行った執務室に僅かな静寂が訪れる。
しかし、それを破ったのは、ヒステリックに叫ぶ、ミューズの、愛夫を咎める声だった。
「なんで、止めるのッ!?」
「いい加減にしろよッ!」
滅多なことでは声を荒げないイズミの強い口調に、ミューズの身体が強張る。
異性のあげる、怒声は、女であるミューズにはとても恐怖を感じさせる。
僅かに怯えたミューズの顔を見、イズミはすぐに謝罪の言葉を紡いだ。
「ごめん、大きな声だして。でも、もう少し、お義父さんや、お義母さんの気持ちも考えてやれよ。
本当の娘だって、云えないことのひとつやふたつくらいあるだろ?時期がくれば、あのふたりは必ず、俺たちが
納得してくれる説明をくれるよ。」
俯き、ミューズは小さく頷く。
彼の云っていることは、間違いなく正しい。
生来の、ミューズの気性から云えば、『待つ』ということは、恐ろしく忍耐が居るに違いない。
でも、今は、イズミの言に従うのが得策なのは、疑えない事実だった。



一方、官僚府を後にし、自家用車を駆って、アスランとカガリは、アスハの所有する、私設の飛行場を目指していた。
そこで、車を降り、ふたりは予め準備が成されていた、小型ヘリに乗り換え、飛行中だった。
「…ミューズを随分、怒らせてしまったな。」
レシーバーを通して、カガリの罪悪感に苛まれたような声が、アスランの耳に届く。
「仕方ない。イズミは、ちゃんと分かってくれているようだから、今頃は落ち着いているよ。」
「…うん。」
短い会話をし、30分ほどの飛行を終え、到着したのは、オーブ領海に浮かぶ、小さな島。
砂埃を舞い上げ、アスランが操縦をするヘリは地に足を着ける。
南国の島の風景は、独特の環境をもって、ふたりを迎える。
椰子の実をつけた、のっぽな木。
ふたりの身長を遥かに凌駕するほど伸びた、葉種の緑。
ヘリを降ろした場所のすぐ傍には、一見、長く縁者として関わっている、マルキオ導師が営む孤児院に外装が
よく似た家が造られていた。
躊躇うことなく、ふたりはその家に入っていく。
「大分、完成したな?」
「ああ。」
相槌頷き、アスランはカガリに応える。
家の造りは、入り口をくぐって広さを重視した、フローリングになっている。
目新しいもの、と云えば、室内の奥間に設置されたシステムキッチンくらいだろうか。
現代の文明機器と云われる、テレビや、ステレオもなく、時計すらなかった。
言葉で言い表すなら、閑散とした部屋、としか表現できない。
「ソファは、やっぱり窓辺に置いた方が良いかな?」
両腕を組み、カガリは思案した意見を、隣に立ち並ぶ伴侶に云い伝える。
「これだけ広いんだし、どこでも良いんじゃない?」
それに応え、アスランは苦笑を浮かべて返答を返す。
二十畳は、あろうかというほどの広さ。
部屋と部屋を仕切る扉さえ見当たらない。
「カガリ?」
「ん?」
「時計、本当にいらないの?」
彼女は、すぐに微苦笑を浮かべた。
「この家を造るときに、それは云っただろ?私たちは、時間を気にすることのない家を持つって。」
カガリの返事を得て、アスランも微笑む。
キッチン脇の廊下を通って、もっと奥の部屋へと足を運ぶ。
通路を境に、右にひと部屋。
左側に、二部屋。
今の処、このうちのひとつを寝室に振り当てると決めている以外は、特に他の部屋を使用する予定はない。
各々の部屋を見回って、ふたりが最後に辿り着いた場所は、通路最奥の部屋。
突当たった位置にある、この部屋は、アスランの書斎にと決めた部屋だった。
今、自宅として使っているものよりも、随分と手狭ではあるけれど、室内に置かれている本棚には、彼の愛する
本の群れが整然と整理されている。
おもむろに、カガリは本棚のひとつに近寄り、棚の端になにげなく飾られている、小さな女神のブロンズ像を回し、
右から数えて、10冊目の分厚い本の背表紙を引っ張り傾けた。
刹那、本棚は、小さな地響きをたて、横にスライドした。
現れたのは、ぽっかりと口を開けた、ひとひとりがやっと通り抜けることができる程度の通路。
出現した、打ちっぱなしの、コンクリート路に、身を屈め、ふたりは入っていく。
すると、ふたりが通ったのを確認したかのように、背後の本棚が再びスライドし、ぴったりと閉じる。
そこにあるのは、真の闇。
カガリは、持っていた懐中電灯のスイッチをオンにした。
暗がりの内部を照らすのは、カガリが手にしている懐中電灯の明かりだけ。
3mほど進んだところで、ぶつかったのは、重厚さを漂わせた鉄扉。
その扉の脇には、暗証番号による、キーロックを解除する小さなパネルがある。
カガリは、迷うことなく、テンプレートの、解除暗号を打ち込む。
幾らもしないうちに、固く閉ざされていた鉄扉は、ふたりを主と認識し、その通行を許可するかのように口を開ける。
そして、その扉からは、さらに深層へと延びた螺旋階段があった。
階段を降り下れば、漸く、立ち上がっても頭をぶつけることのない、広さを有した通路にでた。
高さは、3m強。
道の幅も同じくらいだ。
上物の、一般の家と変わらない、建物のしたに、こんな施設があると誰が思うだろうか。
どう見たって、この通路は、シェルターの役割を担っているとしか思えない。
ふたりが通路に踏み込んだ瞬間、自動的に非常灯の淡い灯りが点灯していく。
さらに奥へ。
通路を進み、またセキュリティの掛かった扉を抜ければ、なにもない、広大な広さを持った室内に行き当たった。
殺風景な、その室内。
似つかわしくないほどの、巨大な鉄扉と相対する。
一体、この扉の向こうに、なにがあるというのだろう。
扉の、左右には、また暗証で開閉する方式のキーパネルがある。
だが、今まで通ってきた、暗証番号を打ち込むのみのタイプのものではない。
右のパネルに、カガリは自分が持っていた、金の鍵を差し込んだ。
左には、アスランが。
彼も、彼女と同じく、手にしていた鍵を差し込む。
「カウント、3で。」
カガリの声掛けに、アスランは頷く。
暗証番号を打ち込み、カガリのカウントが始まり…
開いた、重厚な鉄扉の、彼方。
自動的に点灯した照明に照らし出されたのは、メンテナンスベッドに横たえられた、二体のモビルスーツ。
起動させれば、その色は赤に。
もう、ひとつは淡いピンクに色が染まる。
インフィニットジャスティスと、ストライクルージュだ。
「『アカツキ』は、本当にこっちに持ってこなくても良いのか?」
不意に、アスランは隣に佇むカガリに、問う。
カガリは、苦笑して、応える。
「あれは、もうミューズのものだ。それに、あの機体が、お父様の残されたものでも、愛着はやっぱりルージュの
方があるから。この機体はどんなことがあっても手放さない。 まあ、今時、遠隔補給もできない、バッテリ駆動の、
中古でもな。」
そう云って、カガリは笑う。
「やっぱり、この機体の私の思いは半端じゃないから。」
「なんで、って聴いてもいい?」
アスランは、緩い笑みを浮かべ、聴き尋ねる。
「初めて、この機体を動かしたとき、色々手取り足取り、操縦のいろはを教えてくれたのは、お前だ。そのあとの、
設定やら、修理やら、みんな面倒みてもらったからな。」
懐かしそうに眼を細め、カガリは、今は動かぬ愛機を見下ろす。
「あの時は、一機でも動ける機体が欲しかった。でも、やらなければ良かった、ってずっと後悔していたよ。」
「アスラン?」
「だってそうだろ?俺が手を貸すことで、君を第一線に駆り出したも同然だったし」
「それは違うよ。あの時は、私が行きたかったんだ。皆が命を掛けている戦場で、自分だけが安全な場所に居るなんて
できなかっただけだ」
彼女の、その言葉に、アスランは苦笑を浮かべた。
「でも、結果的には、助けられたけれど、君とルージュに。」
第一次の戦争での、最後の戦い。
ヤキンドゥーエでの、攻防戦。
全部を失ったと思った。
残されたのは、自分たちだけなのかとも思った。
余りにも、無くしたもの多さに、慣れるのにどんなに時間を要したか。
虚空の空間。
満たしたい想いだけに突き動かされ、互いを求め合った。
苦く、辛いことだらけだっただったけど…。
今では、それがひどく懐かしい。
生の喜びを。
生きてることを、これほど大切なものだと思ったことはなかった。
感慨に耽り、幾らかの話を交わして、ふたりは、再びこの巨大な扉を閉じた。
ふわりと、カガリの金髪が、押し出された空気圧の波に舞う。
刹那。
どこからともなく、アスランが作るのを得意としている、ペットロボット『ハロ』が、ふたりの足元に転がってくる。
色は、ライトグリーン。
アスラン曰く、カガリのイメージカラーだと云う。
ぱたぱたと、ライトグリーンのハロは、手部が格納されている、丸羽を開閉し、機械音声で言葉を発した。
《カクス!…カクス、ヒミツ、…カクス!》
思わず、笑みを零し、ふたりは顔を見合わせた。
小さく、弾みをつけ、ハロは、カガリの掌に飛び、着地すると、ぱかりと口にあたる、胴の部分を開く。
そのなかに、ふたりが手にしていた二本の鍵を収め、閉じた。
「二度と、この鍵を使うことがないことを永久に願う。」
カガリは、切なる願いを込め、掌で転がるハロを自分の胸に抱き締めた。










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