「私とイズミが昇進?」
眼を見開き、両親に夫婦揃って執務室へ呼ばれたミューズとイズミは驚いた顔で互いを見遣る。
「ああ、そうだ。随分と遅くなってしまったが、ガルナハンでの一件の褒章だ。」
義母、カガリの言葉を聴いて、イズミは僅かに躊躇った表情を浮かべた。
彼が戸惑うのも無理はない。
もともと、あの作戦には、無理無理自分の我侭を通してもらって参加させてもらった帰来がある。
褒章と一言で括られても、そんなの… と、思ってしまう。
自分のやったことは殆どが私心で身内を助けるためにでていったようなもの、なのだから。
あの作戦を行うのに一体どれだけ、義理の両親に迷惑をかけたことか。
故国だけでなく、今は自分の国となったオーブ、そしてプラントへの働き掛け。
考えれば、考えるほど、イズミにとっては手放しで喜べることではない。
浮かぬ顔のイズミを見、ミューズは首を傾げた。
「嬉しくないの?」
「…正直言えば、ちょっと複雑かな。事がことだったから。むしろ、俺の方が助けてもらった
ようなものだっただろ?あれは。」
苦笑を浮かべ、実娘と婿のやり取りをカガリはやんわり制した。
「それは建前だ。褒章を与えるなら口実が必要だからな。」
微苦笑を浮かべ、カガリはちらりと隣に佇むアスランの顔を見遣る。
視線を戻して、彼女は言葉する。
「口実?」
ミューズは呆け、すっとんきょんな声をあげる。
「イズミは准将、ミュー、お前は三佐だ。」
「はあぁ!? …殉職したわけでもないのに、二階級特進?」
眼を眇め、ミューズは母親の顔を見た。
「一階級分は、実績。もう一階級分は、あまりしてはいけない実例だがな、私権乱用の分類になるかな?」
カガリは、言葉を紡ぎながら自分が腰掛けている革張りの椅子に凭れるようにして身体を預ける。
わけがわからず、ミューズは首を捻るばかり。
「イズミは、今現在は、一佐だ。昇進して准将になるのは順番として致し方ないが、この昇進は将来に措いての、
お前のための処置だ、ミューズ。」
「私の?」
なんで、と母親に噛み付く前に、またしてもカガリから制される。
「今のイズミの階級とのバランス差だ。開きが有り過ぎて具合が悪い。まあ、対面上の問題だが」
相変わらずの苦笑で、カガリは経緯の説明を施す。
そこに、透かさずイズミが割り込む形で言葉を発した。
「そういうことなら、俺は今回の昇進は辞退します。」
「えっ!?」
母、娘同時に、驚きの声が漏れた。
「ミューが俺に追いついてくるまで待ちます。」
にっこり笑んで、イズミは微笑む。
「それに、俺のような若輩者が、お義父さんや、お義母さんと肩を並べるなんて、おこがましいですよ。」
カガリは、ほんの少し溜息をつき、察しが良すぎる娘婿の顔を見遣った。
「と、云うことだそうだ、ミュー。残りの二階級分は、実技と筆記で頑張るんだな。」
カガリはにんまり笑って、意地悪そうな笑みを零す。
げんなりとした顔でミューズは顔を伏せた。
昇進試験なんて、ちょっとやそっとの勉強じゃ、到底パスするなど不可能に近い。
合格のラインは、国の運営する国立大学の比ではない。
それくらいの比喩が当てはまるほどの難関なのである。
今の地位、二尉だって、青色吐息で、ようやっと昇ったというのに…。
このうえ、まだ自分に試験を課そうというのか。
実技は良い。
むしろ、得意分野だ。
問題は、やはり筆記。
本来、昇進していく手段としての評価は、通常は作戦行動に措ける、実力行動での優劣が通常。
だが、取り敢えずは、平和を維持している現在、昇進に絡めるほどの作戦参加も皆無である。
となれば、やはり机のうえの勉強で評価を得るしか方法が残されていない。
上目使いで、ミューズは父親の顔を伺った。
愛娘の、その視線の意味する処を感じ取り、アスランは派手な息を零した。
「勉強は教えないぞ。試験問題の検閲は俺も加わっているからな、カンニング行為に見なされたら、
お前が不利だろ?ミュー。」
「うぅ〜〜。」
唸って俯くミューズを見、アスラン小さく笑う。
「頼みの綱、ぶっつり斧で断ち切られた気分だわ。」
「規定は、規定だ。そういうことは親子間でも無関係と思え。」
「…はぁ〜い。」
渋々の風体で、ミューズは不貞腐れた返事を返した。
「さて、私たちの用件は、これで終わりだ。それと、あとで本邸で管理している厩舎に行ってみなさい。
スカンジナビアの国王陛下より、救出の恩赦の品が届いているから。」
「恩赦?」
ミューズは再び首を傾げる。
「ああ、それもガルナハンでの絡みのものだ。お礼状を必ずふたりで書いて送るように。以上だ。」
また、ミューズは立ち並ぶ伴侶の顔を見遣った。
カガリが云ったことの意を、イズミはすぐに解し、笑む。
「わかりました。」
了承の返事をし、彼はミューズを促し、部屋をあとにした。
官僚府の廊下を歩みながら、ミューズはイズミに尋ねる。
「厩舎って、なにがあるのかしら?」
「多分、馬だよ。」
微笑み、イズミは言葉を返す。
「俺の国では、なにか行事、例えば、国に対する功労を果たした者や、それなりの実績が認められたとき
なんかに際し、国王から褒章がだされる慣習があるんだ。厩舎なら、多分間違いなく馬だな。まあ、馬と
ひとえに云っても、父上が所有する馬の血脈なら最高に優秀な血統だろうね。」
「ふ〜ん。」
「あとは、数が増え過ぎたときの調整として、格安で国民に払い下げることもしたりするんだ。
国主催の公式な競り市を開いてね。」
「ほ〜。」
ミューズは、先ほどから感心しきりでイズミの話に耳を傾けた。
「国王の所有する牧場で生産された馬なら、保障も高い。良い子馬が産まれる可能性があるだろ?
もっとも、売り渡されるには条件があるけど」
「条件?」
「うん。三歳新馬戦で一着をとって、そのあとにあるG1にも優秀な成績を収められる馬にすること。」
「できなかったら?」
「できなければ、仕方ないけど、そのときに発生する優勝賞金の1/3は納税の形で納めるという、変わった
決まりがあってさ。お金ができれば、それは国営牧場の軍資金に還元する仕組みになってる。牧場って、
運営していくのは、元手が掛かるしな。 所有している私有地のなかでだけで繁殖を続けていくと、どうしても偏り
がでてしまうから、そういうやり方で民間に払い下げれば、適度にバランス良く、優秀な血統が広がって
いくし、金も入れば、一石二鳥っていうシステムさ。」
「面白いことするわね。貴方の国って。」
「まあ、方法はどうであれ、効率的な仕組みだと俺は思うよ? 父上は懐が暖まるし、民には歓迎されるし。」
可笑しそうにイズミは声をあげて笑った。
「でも、年間通して開催される競馬は、どんなものでも面白いな。」
「賭け事なのに?」
「俺は見てるだけさ。なんて云うか、自分たちの持ち馬の成長とか見るのが楽しいって云うか、そんな感じかな?
小さい頃の夢は騎手になることだったから。」
「騎手? じゃあ、今こうしてるってことは、やっぱり王族の人間だから怪我でもされたら困るっとかで、
駄目ってことだったの?」
「違う、違う。」
イズミは、右掌を左右に振りながら、真っ向から否定した。
「成れなかったのは、体重と身長のせい。父上には、『やりたければやれ』って、云われたけど、騎手養成の学校入るぞ!
って意気込んでいた矢先に、身長が信じられないくらい伸びて、170cm超えちゃったから諦めるしかなかったんだ」
「騎手って身長制限あるんだ。」
「いや、むしろ身長よりも体重制限の方が厳しくてね。騎手になるには軽い人間の方がスピードでるし、馬の負担にならない
軽量に越したことはない。でも、育ち盛りで身長の伸びがすごくてさ、身長が伸びると、それに比例して体重も増加する
から、減量に耐えられなかっただけ。」
「減量?」
「俺は、ボクサーじゃないって云うくらい水しか飲めないときとかあって。どんなに頑張っても身体切っちゃうわけ
にもいかないだろ? だから。」
ミューズは、口を閉じることもできず、先からずっと感嘆の声をあげっぱなし。
首を擡げて、彼女は、すらりとした長身の伴侶の顔を伺った。
父、アスランと変わらないくらいの、高い身長。
自分だって、自慢じゃないが、女としては背丈はある方だけど、彼に抱き締められると丁度具合が良い。
なんとなく、妙な妄想が頭のなかを駆け巡って、ミューズは僅かに頬を染める。
「今度、オーブでも国内のG1レースあるし、色々と観察してみれば直ぐにわかるよ。確か、お義母さんたちが
所有している牝馬もでるはずだし」
「なんか、異常に詳しいわね?」
「純粋に好きだから、かな? 俺は、見るのも乗るのもどっちも好きだ。」
尽きない話を続けるうちに、ふたりは官僚府の敷地内に設けられた駐車場に辿りついた。
歩きながら弄った軍服のズボンのポケットからイズミは愛車のキーを取り出す。
リモコン操作で車の扉のロックを解除すると、透かさず彼は助手席側の扉を開き、ミューズをエスコートした。
手馴れた愛夫のリードに、ミューズはにっこり笑んで、礼を口にする。
官僚府の敷地をあとにし、ふたりが向かった先は、アスハの本邸。
素通りはせず、なんとなく習慣で屋敷にいるマーナを訪ねれば、カガリに云われたのと同じ伝言をまた言われ、ふたりは
苦笑を漏らした。
屋敷には、ふたりが託した、三人の子供たちが預けられている。
時間は、午後2時。
間が悪く、三人とも昼寝の最中、とういのを聞き、馬を見せたかったのに、とミューズは残念そうな顔を作った。
午後からの仕事もないことを加味し、本邸から僅かに離れた自宅に戻り、ふたりはラフな普段着に着替え、厩舎に向かう。
洗いざらしのジーンズに、シャツという出で立ち。
足を向けた厩舎では、突然の主人たちの訪問に驚いた管理人の老人が小屋から飛び出してきた。
呼んでくれれば、こっちから行ったとまで云われ、またイズミとミューズは顔を見合わせ苦笑する。
用件を伝えると、厩舎番の老人は、二通の血統証書をふたりに手渡した。
内容を確認するイズミの顔を伺えば、彼の嬉々とした表情に、よぽど良いものなのだとミューズは思う。
初対面。
個々の馬部屋を覗く。
そして、精悍な顔だちの馬面がふたりを出迎える。
艶々とした、焦げ茶の馬体。
見事なまでに、立派なサラブレッドの、青鹿毛にミューズの顔が綻ぶ。
「綺麗ね。」
顔をあげ、ミューズはイズミの顔を見る。
「良い育てられ方しているな。流石、父上が下賜してくださった馬だけある。」
「ねえ、ねえ。このコたち、ちゃんと調教したら競馬場で走れない?」
「やろうと思えばできるだろ? ただ、ここでは駄目だ。専門の厩舎に預けて、ちゃんとプロの調教師に頼まないと
馬を壊してしまいかねない。専門の分野は、素人の俺たちでは太刀打ちできないしね。」
「もしよ?やるならどのくらい時間って必要なの?」
「そうだな… 最低一年は必要だろうね?」
「そんなに?」
「ああ、この馬たちはまったくのサラだから、まず馬場から慣らしていかないと。」
「なんか、面倒。」
僅かむくれ、ミューズは不平を口にした。
「さっき、血統書見たとき、性格は温厚だから乗馬専用にした方がこの二頭には向いているかもな。競走馬になるなら
多少でも闘争心がある気性の方が有利だから。一応はレースだし、勝負根性がないと負けさせるためにだしてるようなもの
になってしまうよ?」
やはり、まかりなりにも、一度は騎手になることを夢見たイズミの言葉は、いちいち正論に聞こえてしまう。
ミューズは、感情を切り替え、散策にでるため馬に鞍を乗せるよう、厩舎係りの老人に準備を頼み込んだ。
「乗れるの?」
「失礼ね。お父さんも、お母さんも乗馬するもの。乗り方は自己流だけど、あのふたりの仕込みで、私が乗れないわけ
ないでしょう?」
ミューズは、不貞た表情でイズミを見遣った。
謝る言葉を口にしても、どことなくイズミの態度は、ミューズをからかっている口調にしか聴こえない。
彼の軽口を見返してやる、と云わんばかりにミューズは軽々と馬の馬体に跨った。
「じゃじゃ馬、馬に乗る?」
「ひっぱたいてイイ!?」
ぎろり、と睨み効かせ、ミューズはイズミを見た。
慌てて口を塞ぐふりをしながらも、イズミは小さく笑った。
そんな彼を無視して、ミューズは馬の腹を思いっきり蹴る。
高い嘶きを一声あげ、馬は前両足を高く持ち上げた。
小屋から全力疾走で駆け出す、ミューズのサラブレッド。
すっかり置いてけぼりを喰らい、イズミも焦って馬を繰る。
広大な広さを有する、アスハの敷地は、早駆けをするのには、もってこい。
碧い草原の海原を疾走する、二頭の馬は絵になる。
張り巡らされた、木製の柵を楽勝で飛び越え、ミューズはスピードを落とすことなく馬を駆った。
随分と距離を離されながら、イズミは緩く笑む。
自己流とは、彼女は言っていたけど、乗り方のテクニックはすばらしく上手い。
ミューズが云っていた、義理の両親の伝授は、嘘偽りなどではない証を見て、彼は口端を持ち上げた。
負けてなるものか、という風体でミューズに追い着こうと、再び馬の腹を蹴った。
イズミの駆る馬も、再度の合図に、速度をぐんぐんとあげた。
見遣った視線の先には、追い着けるものなら追い着いてみろ、と云ってるような、ミューズの振り向く
顔が彼を伺っている。
漸く、馬を休めるために辿りついた、大樹の影で下馬し、ミューズは走ってきた軌跡を振り仰ぐ。
数分して追い着いた伴侶を見遣り、彼女は自慢気な表情を浮かべた。
「おっそ〜い!」
「むちゃくちゃだな、なんつー走らせ方するんだ?」
息荒く、イズミも馬を降りながら文句を口にした。
「まいったかッ!」
「はい、はい。降参です。」
付き合い半分で、イズミは両掌を軽くあげた。
にんまり笑んだ、ミューズの顔は実に満足そう。
だが、直ぐに自分が今まで乗ってきた馬の馬体を撫で、彼女は微笑んだ。
「やっぱり、このコ、最高に良い馬だわ。反応が素直。乗り手の気持ちを汲んでくれるタイプの馬だわ。」
「それは良かった。じゃあ、そういう感想もちゃんと父上に手紙で知らせないと。」
微笑み返し、イズミはミューズの顔を見遣った。
頷き、彼女は相槌を打つ。
夜。
イズミとミューズは仲良く向かい合わせに座り、深夜近くの刻まで自宅のダイニングテーブルを占領していた。
その様子をちらっとだけ見遣って、アスランとカガリは示し合わせたように苦笑を零した。
そして、ふたり早々に寝室へと足を運ぶ。
変わらない日常。
だからこそ、暖かい家族の風景。
なにも変わらないはずだった景色が、ほんの少しだけ変化を見せ初めていたことに、この時は、まだ
ミューズもイズミも気がついてはいなかった。






                                      



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