『 その背に在りし、白き翼 〜 Slow life 〜 』










日々、健やかに、逞しく。
そんな言葉を裏付けるように、ザラ家は今日も賑やか三昧。
それは、そうだろう。
小さな子供の居る家などが、静かなわけがない。
長女サクラを筆頭に、一歳半を越えた、双子の男児。
歩くことを覚え始めた子供は、見る物、眼に入る全てのものが、未知との接近遭遇。
毎日が冒険と同じ。
某映画の、考古学者のくせに、やることはスリル満点の冒険家だって、この家の
幼子の探究心には、舌を捲くに違いない。
興味津々の眼差しは、直ぐに悪戯の対象を見つけ出す。
自宅の置いてある、とりあえず、高級品、壊れ物と思わしきものは、全て撤去。
とにかく、隠す、隠す、が今や日常のこととなっている。
双子の視界に入ったが最後、最終的にはもとの形に留まっていることなのは、
稀なのだから。
掴まり立ちができる、食器棚などは、開閉防止のフックが取り付けられ、
内部の物品が荒らされないように手段を講じてある。
以前、なかに入っていた、カガリとアスランがお気に入りにしている、
ペアのエルメスのカップを、ツルギにぶん投げられ時など、家中にカガリの悲鳴が響き渡った。
珍しいくらいの、金切り声で。
まさに、天地を引き裂くような、悲鳴だった。
よっぽど大事にしていたものなのだろう。
「こ、これは、勘弁してくれ! 結婚式の時に貰った、記念のカップなんだッ!」
空を舞ったカップをジャンピングキャッチし、ぜいぜいと息も荒く、幼子から取り上げた。
親友である、歌姫、ラクスからの特注の贈り物。
ふたりのイニシャル入りのそれは、思い出もそうだろうが、壊されたら、
二度と手に入ることはない、一級の品だ。
アスランは、アスランで、こんな光景は見慣れてしまったのか。
特別、驚くこともなく、静観している、と云った有様。
まったくもって、賑やかすぎるのも、困ったものである。
某日。
いつもの日常は続いていた。
幼子、三人を本邸のマーナに預け、アスランとカガリについて、後継者としての
習いを受けているのは、実娘のミューズと、その夫、イズミ。
それぞれが、それぞれの分担を受け持ち、持ち場に散っていく。
官僚府、執務室。
イズミは、分室での作業を一通り終わらせ、執務室の扉をノックした。
響く、入室の許可の声。
礼の挨拶を口にし、彼は扉を潜る。
彼の視線が捉えた先のデスクには、何故かミューズが座って、書類と睨めっこの最中だった。
「あれ? ミューだけ? お義父さんと、お義母さんは?」
「知らないわよッ! ひとに、『あと、これよろしくな!』とか云って押し付けて、ふたりで
ルンルンしながら手繋いで出て行ったわッ!!」
紙の束を持ち上げ、ミューズは怒り心頭中。
しゅーしゅー音をたてて、頭の天辺から煙が噴出してるように見える。
幻のように、ミューズの頭の上には、ミニチュアサイズの、活動中、ハウメア山が見える。
イズミは、顔を引き攣らせ、苦笑いした。
ミューズは、怒っていても、これも後継者候補の修練の一部なのだろう。
ふたりのやり方らしい、と云えば、らしい。
要は、『習うより、慣れろ。』というのだ。
文字を追っても、身にはならない。
身体で覚えるべし! 
如何にも、アスラン達らしい、学習の所作である。
そんななか、ミューズはデスクに近寄ってきたイズミを、不機嫌丸出しの表情で
ぎろり、と睨みつける。
「・・・まさか、貴方まで、仕事増やしに来たわけじゃないでしょうね?」
くすり、と笑って、イズミは、デスクに山積みになっている、紙の段に、更に追加を加え置く。
「残念ながら、正解。 これ、本当は、お義父さんと、お義母さん宛の、行政関係の書類なんだけど、
今日中に決済が欲しいって云われているんだ。」
ミューズは、その紙の増えた段を見て、白眼を剥いた。
「・・・死んじゃう。 こんなに増えたら。」
積み上がった書類の高さは、軽く15cmばかり。
だが、紙の高さが、15cmあるのは、見た目もかなりなものである。
ちょっとした、ハードカバーの本、数冊を積まれているも同然。
ぼそり、洩れた彼女の情けない声にイズミは、噴出す。
「これくらいで根あげてたら、先が思いやられるな。 お義父さんと、お義母さんは、いつも
この三倍の量の書類、毎日捌いてるぞ。」
「化け物、ふたりと一緒にしないでよ。 こっちはまだ若葉なんだからねッ!」
「酷いこと云ってるな〜 そんなの、ふたりの耳に入ったら、説教モンだぞ?」
「じゃあ、少しくらいは、手伝ってくれるわよね?」
にっこり、ミューズは微笑み、イズミの顔を見遣った。
「手伝ってあげたいのは山々だけど、俺、今回、お義父さんと、お義母さんの、
ヨーロッパ方面の外遊スケジュールの日程組むの、スタッフ任されちゃったから、無理。」
頼みの綱と期待していた、愛夫の冷たい言葉。
ばっさりと斬られ、ミューズはデスクにつっぷした。
「今日は、泊まり込みってこと? ・・・いやだ〜〜 私は家のベッドで寝たいッ!」
「我侭言わずに頑張れよ。 俺も、自分の仕事片付いたら、こっちにもう一度戻るから。」
「手伝ってくれるの!?」
現金に、勢いよく顔をあげ、キラキラと、期待に満ちたミューズの耀く瞳。
それを見、イズミは釘を刺した。
「状況による。」
「ケチッ!」
「そういう問題じゃないだろ? これは。」
「鬼ッ!」
「減らず口叩いてる暇あるなら、手動かせよ。」
「そっちこそ、ひとからかってる時間があるなら、さっさと出て行って。 邪魔ッ!」
「可愛くないな〜 その、口の利き方。」
「その、可愛くない口を利く女を、女房にしたいって、跪いたのは、誰?」
うっ、と言葉に詰まり、イズミは一歩身を引いた。
「と、とにかく! 俺だって、俺の用事がッ!」
焦って、言い訳の言葉を捜す彼に、ミューズは怖いくらいの笑顔を向ける。
「早く行ったら?」
「わ、解ったよ!」
すごすごと、室内を後にするイズミを見送り、ミューズは静寂が戻った執務室で
大きな溜息を漏らした。
「・・・冗談じゃなくて、本当に仮眠室、泊まり込みだけは勘弁よね?」
ぺらり、と書類の一枚を指先で掴み、彼女はまた大仰な息を吐いたのだった。
遅かれ、早かれ、この現実は何れ、仮のものではなくなってくる。
自分は、アスランとカガリの跡目を継ぐ、とはっきり公言した。
云ったことを撤回する気は、さらさらない。
五大首長家のひとつに数えられる、アスハの家長として、母、カガリが担ってきた
立場を引き継ぎ、そう遠くない未来、オーブの首長となることは、決定している。
女であるが故に、カガリたちは、いつかは家を出、嫁にいくものだとばかり考えていた。
だが、ミューズはその考えを真っ向から否定した。
家を絶家にさせないためにも、妹である、ディアナか、自分が残るべきだと、
かなり早い時期から考えていた。
結果的には、妹、ディアナの方が、半家出状態でスカンジナビアのイズミの兄、クトレの
もとに嫁いでしまったので、彼女が残る、という進路は自動的に可決してしまったが・・・。
別に、そのことに対しては、彼女自身、後悔する、とかそういった類いの感情に
なることはなかった。
カガリにも、アスランにも、親と呼ばれるべきひとたちはいない。
過去の戦争で失われた命。
そのなかに、含まれる、自分の両親の父親たち。
ミューズから見れば、祖父にあたる人物。
勿論、会ったことはなく、写真のなかでしか見たことがない、存在だ。
特に、父である、アスランの父親、パトリックの画は少なく、笑っている写真など一枚もない。
『厳格なひとだったよ。』と、呟くように云い、語る、アスランの顔はいつも、どこか淋しげだった。
何故、こんなにも優しい実父、アスランの父親、祖父としての、パトリックは、表情の薄いひとなのか、
とミューズは幼心にいつも思っていた。
アスランが幼い時も、構ってもらった思い出もあまりないと聞いている。
そして、母親のレノアも研究者故に、忙しいひとだった、としか教えられていない。
自分が家族を持てたのなら、絶対淋しい思いはさせない、というのは、アスランの口癖だった。
そのためか、ミューズの小さい頃の思い出は、温もりに満ちた出来事しかない。
とにかく、よく抱き締めてくれた。
ハグされることは、愛情が直に伝わる手段、とアスランは、疑っていなかったから。
口を開けば、可愛い、可愛いしか云わなかった、父親。
おかげで、立派なまでに親愛の情は、過熱し、ファザコン天下一品の彼女を作り出す苗床に
なったのだが。
時々は、自分の失態で怒られることもあったが、どちらかといえば、説教というよりは、
功徳に近いものすら感じていた。
後にも先にも、叩かれたのは、一度だけ。
イズミの父、スカンジナビア王国国王と、その長子、トナムの誘拐事件が起こった時である。
多額の身代金を要求された、ブルーコスモスの分派による、ガルナハンでの事件。
全てが解決した時、ミューズの突出した行動を咎められ、手をあげられた。
だが、してしまったそのことをもの凄く、アスランが後悔している、というのを知ったのは随分
あとになってから、母、カガリから聞いた、という具合。
今もそうであるが、家族の愛に守り、包まれているのは、年を幾つ重ねようとも変わることはなかった。
思春期、成長しても尚、ミューズのアスランに寄せる情は、強さを失わない。
親子である、ということを差し引いたとしても、充分お釣がくるくらいだ。
先達を行く、両親から見れば、自分など、まだお尻に卵の殻をつけて歩いている、
ヒヨコくらいにしか見られていないだろう。
苦労、なんて言葉、およそ考えても、ミューズの場合はきっと限りなく少ないに違いない。
それくらい、自分は、両親の愛に守られていた。
ふたりが、16歳の時に起こった、戦争。
出会いは、その頃だったと聞いた。
初めて会った時は、互いが敵同士。
それでも、惹かれ合い、より強い絆を求め、愛を育むまでになった。
ふたりが、18の時、再び戦端が開かれ、望まぬまま、開戦に至った時も、一度結んだ信頼の
情愛は消えることはなかった。
こんなことを考えれば、愛する両親の、この出会いがなければ、自分は誕生することは
なかったのだと思う。
長い間、唯、ひたすらに、平和だけを望み、それを実現させるために、アスランもカガリも
奔走してきたのだ。
それは、なによりも、一番近くに居た、娘としての自分がよくわかっている事だ。
けど、忙しさにかまけて、放って置かれたことなど、全然ない。
時間が許せる限り、コミュニケーションを図ろうと、両親はいつも必死だった。
苦労だって、心労だって、言葉では言い尽くせないくらい、多くしていた筈。
もう、休ませてあげたい。
安息の時間を、大好きな両親に、与えてあげたい。
でも、心の底では思っていても、現実は、やはり酷なものだと思ってしまう。
「・・・はあ〜」
疲れた息を零し、ミューズは再び、デスクにつっぷする。
山あり、谷あり。
覚悟はしていたけれど、やっぱりこれは一長一短にはいかない。
ただ、ありがたいことに、時間だけは豊富にある。
着実に、両親の根回しがされていることは、明白だった。
通路を闊歩していても、自分は顔も知らない閣僚や、どこぞの首長から一目置かれるように、
いつのまにかなっていた。
深々と頭を下げられたりすると、返って恐縮してしまったりして。
貫禄とか、呼べるものは、本気でほど遠い。
こんな、若輩の自分に、大の大人が・・・ なんて、思ってしまう。
だが、いつかは、両親の庇護を離れるのも、時間の問題。
「こんなトコで挫けてたら、笑われちゃうわね。」
苦笑し、ミューズは顔を起こした。
「さてと、もうひと踏ん張り、しますかッ!」
自分を奮い立たせる言葉を紡ぎ、ミューズは新たな書類を手にした。
こうやって、回ってくる書面を見れば、今のオーブの現状がよくわかる。
その采配が、いかに重要かも。
毎日が、勉強。
彼女は、微笑し、文字を眼で追い始めたのだった。





                                                             Next