高度1万フィート。
快晴。
抜けるような青空が、編隊飛行をする5機のトムキャットを包み込んだ。
海上だというのに、珍しく雲も浮かんでいない。
《二番機、ミューズ!もっと、俺に寄せろッ!》
フラガの怒声が、インカムを通じて、響き渡る。
《無茶言わないでよッ!ぶつかっちゃうわ!》
《ビビってないで、云うこと聞け!上官命令だッ!》
《はいはい。》
云われるまま、ミューズは数センチの誤差修正のため、スティックを握り直し、僅かに右にずらした。
翼端距離、僅か3m。
ほんのささやかな操縦ミスは、接触事故すら起こしかねないくらいの間合いしかない。
自機が飛行するとき、排出される、排気音の跳ね返りで、今、ミューズたちが自分の駆る機体の何メートル
後ろを飛んでいるのか判断することができる、フラガの能力は神業。
彼自身のその身体能力がレーダーそのものと云っても過言ではない。
しかし、機上のなかのひとになった途端、あの人懐っこい笑みを浮かべていた『おじ様』の豹変に、
ミューズは小さく嘆息する。
自分たちの隊の小隊長、カミヤと同等。
いや、下手をしたら、それ以上のものを感じて、ミューズは横目で、シートに座るフラガを見遣った。
搭乗前、予め、どんな形態で飛行するかのプランを受けていた面子は、それぞれが与えられた課題を
素直に実行していく。
急上昇から、錐揉みの急速降下。
ループ、反転、限界度に近いマッハの飛行など。
単独の飛行で、それぞれが、その力を如何なく発揮したのは、フラガを甚く満足させた。
最後に、再び編隊を組む命令をだしたのだが、その命を無視して、ミューズは離脱したまま戻って来ようとはしない。
堪忍袋の緒をぶっつりと切って、フラガが怒鳴った刹那、ミューズはフラガが駆る機体の上部に急接近した。
事も無げに、くるりと自分が駆るトムキャットを、180度回転させると、そのままフラガの機体に接近させる。
背面飛行で、フラガの顔が間近にまで見えるくらいの距離で、近ずく。
キャノピーとキャノピーがあと、数センチでぶつかってしまうのでは、と思う間合いに、その様子を
見ていたイズミは、焦って警告の声をあげた。
互いの顔が、視認できる。
僅かな隙間しか開いていない、ニアミスどころではない。
ミューズは、ヘルメットのフードをあげると、おもむろにフラガに対して、あかんべーをした。
呆気にとられ、フラガの口は開きっぱなし。
離脱、離れていくミューズの機体を見遣って、彼は苦笑を零す。
慣れない機体だというのに、ほんの小一時間乗っただけで、もう自分の手足として使いこなしてる様は、
長くパイロットたちに携わってきたフラガを驚かせるに充分だった。
大勢の、飛行機乗りたちを育ててきた。
だが、ミューズほど、勘の鋭い乗り手は、早々お眼にかかることはない。
これこそ、天賦の才というのだろうか。
流石、ザフト現役の頃、エースと言わしめたアスランの血を受け継いでいるだけある、と彼は胸中で思い馳せた。
機体の、背面飛行ほど、危険で、かつ技術を要する行為はない。
まして、機体を接近させるなど、命のやり取りに等しい。
一歩間違えれば、接触して、二機してお陀仏なくらいの、高等技術に類する、難度Aクラスの技を、
なんなくこなす、度胸の良さ。
アスランとカガリの間に生まれた、その血統は、伊達ではない。
半分呆れ、半分は感嘆した。
だが、そんな顔を、ミューズに見せたら、途端、ピノキオになることは、簡単に想像できる。
胸のなかに、その感情をひっそり忍ばせ、フラガは一声、吼えた。
遥か、自機体の上空を飛行する、ミューズのトムキャットを睨み遣って、フラガは拳を振り上げる。
《この、じゃじゃ馬娘ッ!さっさと、帰って来いッ!!》
フラガの声が、各機に伝わった途端、どっと歓喜の笑い声が他の三機から響いたのだった。
燃料が心もとなくなったのを区切りに、帰投命令をだし、母艦へと戻る。
ミューズたちを、『アマテラス』に先に降ろしたのを確認してから、最後にタッチダウンをしたのは、
フラガが駆る機体だった。
機体を誘導された場所まで移動させようとした刹那。
べきり、と嫌な音をたて、フラガが搭乗していたトムキャットの前輪の車軸が突如折れた。
それを見ていたミューズたちは、呆気にとられる。
機体が静止していたから、事故に繋がらなかったものの、着艦時に起こっていたら、迷うことなく
大事故間違いない状況だ。
車軸が折れてしまった衝撃で、フラガは強かに、キャノピーに頭をぶつけたらしく、その額は赤く腫れ上がっていた。
眼を眇め、ミューズは言葉を零した。
「…ほら、壊れたじゃないの。」
彼女の、その言葉を隣にいたイズミに聴かれ、ミューズは軽く肘を彼に突かれる。
「それ、禁句。」
盛大な息をついて、ミューズは明後日に視線を向けたのだった。



特別講習と称し、四人に与えられる訓練のメニューは苛烈の一言に尽きた。
母艦『アマテラス』から場を移動して、地上に設備されている空軍基地に強制連行された。
日に、十時間近く、燃料が空になれば、給油、また空を飛ぶ、の繰り返し。
男で体力には、それなりの自信があるイズミでさえも、流石に疲労の色は隠せない。
彼の他は、ミューズはじめ、全員が女性士官とわかっていても、フラガの指導の厳しさは、
男女関係なく課る。
地上基地では、それぞれに個室が与えられ、半ば監禁状態。
家に帰ることも許されず、自宅への連絡も禁止。
様子を確認することも出来ない現状は、精神的にも限界を訴える。
それでも、その不満を口にすることは、軍人である以上、許されることではなかった。
イズミは、ミューズがいるだろう、彼女の部屋の扉をノックした。
何度か、在室かどうかを確認する声をかけたが、返事はない。
今しがた、一日の訓練を終えたばかりだから、居るはずなのに… と思い、彼は、今一度、入室の許可を得る
言葉をかけ、扉を開く。
開けた扉の向こう、入って右側にはシングルベッドがある。
そのベッドのうえでは、ミューズがうつ伏せに身体を横たえていた。
「ミュー?」
彼の声かけにも、無反応。
寝ているのか、はたまた具合でも悪いのか。
心配気な視線を彼女に落として、イズミはベッドの縁に腰を降ろした。
「…ミューズ?」
そっと、掌を這わせ、彼は彼女の金髪を梳く。
「…起きてる。」
不貞腐れた声音が、枕に顔を埋める、彼女の頭の下から漏れる。
「まったく、こんな状態、いつまで続くの?」
ごろり、と身体を仰向けに起こし、ミューズはイズミの膝に頭を乗せた。
小さく彼女は微笑んで、頭上のイズミの顔を見仰いだ。
「膝枕って、気持ちいいね?」
「それは、女が云う台詞じゃないだろ?」
苦笑を浮かべ、彼は彼女の前髪を掌で弄ぶ。
「子供たち、大丈夫かな?」
母親らしい言葉を呟き、彼女は瞼を落とした。
「お義父さんと、お義母さんがいるんだ、大丈夫だよ。」
この現状を作ったのは、まぎれもなく、アスランとカガリだ。
なら、きっと、今の環境のことも、承知していることだろう。
五日目の朝、今まで、半強制的に乗せられていた、トムキャットから、漸く、自分たちの乗り慣れていた機体に
乗り換える許可が下りた。
そして、驚く。
ハンディを背負っていた機体を変えた途端、今まで乗り慣れていたはずの機体だったのに、驚愕の域に達するほど、
更に、軽やかに扱えることに、四人は戸惑いすら覚えた。
「ステック、軽い。」
必死に、ミューズは過去の記憶をひっくり返す。
こんなに、『ムラサメ』を軽く感じたことがあっただろうか。
軽い機体だと分かっていたけれど、それ以上のものを感じている己が確かにいた。
その感覚は、今まで感じたことがない、開放感。
自在に、そして、思いのままに、自機体が反応するのは、痛快ですらある。
地上から、彼らが扱う、機体の動きを見遣って、フラガは、口端を緩くあげた。
もう、これ以上、彼らに教えることはない。
無事に、翼を地に着けた四人を見て、フラガは訓練終了の言葉を紡いだ。
訓練は、確かに疑いなく、厳しかった。
だが、残った成果は、確実に、この訓練に参加したものの士気を高めていた。
フラガは、訓練を始める前の、あの人懐っこい笑みを浮かべ、自分の前に整列する四人を労ったのだった。
自宅に、帰り着けたのは、実に六日ぶり。
イズミとふたり、家に戻れば、いつになく、部屋が片付いている。
アスランたちが家をでて行って以来、自宅の掃除は、すっかり片手間落ちになっていたことに、ミューズは
今更ながらに気がつく。
「お帰り。」
居間から、カガリが双子を抱っこしながら首をだし、直ぐに引っ込めた。
ミューズは、この光景に、ある意味、既視感を覚え、目を細めた。
ふと、彼女は、隣に佇んでいたイズミに言葉を漏らした。
「お父さんと、お母さんに、この家に戻って欲しいって、云っちゃ駄目かな?」
「弱音吐くの?君らしくないな。」
イズミは、辛口にミューズを批評する。
「ふたりで、頑張るって、約束したじゃないか。」
寂しげな視線をイズミに向け、ミューズは今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。
僅かに彼女の目尻に涙が浮かぶ。
「ミュー、大変かも知れないけれど、今は踏ん張らなくちゃ。それに、もう、お義父さんや、お義母さんを自由に
してあげないと、駄目だよ。ふたりを休ませてあげたい、ってずっと思っていたのは、君自身だろ?」
「…イズミ。」
苦笑を零して、イズミは微笑んだ。
その微笑が、彼女に気力を齎す。
「そうだね。踏ん張らないと! 弱音なんて吐いてらんない!笑われちゃうわ。」
無理に作った笑顔を零して、ミューズは勢い良く、居間の入り口を潜ったのだった。




                                                                    ◆◆ 了 ◆◆













※さて、久しぶりの登場、翼シリーズです。・:*:・゚☆d(≧∀≦)b゚+.
しかし、今回の話は、アスランとカガリ、子守ばっかだなぁ〜(遠い眼)
オマケに、副題の「Slow life」…ちっとも、スローじゃない。
(o_ _)ノ彡☆ポムポム ま、いっか、の毎度の展開ですが、とりあえず、
面白ければ、拍手してやってくださいませ。ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ






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