『 ビジター ]\ 』






引越し日と決めた、その日。
カレンダーに、ワザと大きく赤丸をしてみた。
所謂、気分の向上を願って、・・・なのだったが。
向上するどころか、何故か下がっていく。
来週、日曜。
とりあえず、部屋の小物から片付けていかねばなるまい。
詰め替えるダンボールの手配やら、なにやらと、仕事以外の『仕事』がまた増えた。
頭が痛い。
なんとな〜〜く、漠然と。
気軽に話し掛けてきてくれる、副官殿、ディアッカ・エルスマンに、ぽろり、と引越し日を
伝えてしまった。
うっかり、としか言いようがない失態だ。
ディアッカに伝わってしまえば、おのず、その伝言は、自動的にイザークにも伝わる。
厳重に秘密にしようとまでは思っていなかったが、「なら、手伝わないとな。」という、
あっさりとした上司の言葉に、シホは青ざめた。
よりにもよって、敬愛する上司自ら、手伝いなんて!
遠慮の言葉を思いっきり力を込めて吐いても、軽くいなされ、こともあろうに、
「引越し業者を呼ぶ手間が省ける」とか、「そんな詰まらんことで、金を使うな。」とか
説教まで喰らってしまった。
で、皆が休日という日を狙って・・・ が、来週の日曜日なのである。
プラント内にある、基地司令部から帰宅して、通常通りの日課をこなす。
食事、片付け、入浴と。
終わった、寝るまでの、ほんの僅かな時間は、部屋のなかの整理時間に当てる。
面白いもので、昔無くしてしまって、もうでては来ないだろう、と諦めていた物品が見付かったりすると、
なんとなく嬉しくなってしまい、思い出に耽ってしまったりする。
一番ガンなのは、『写真』だ。
アルバムに整理しきれなかった、バラのものを見つけたりすると、そこで時間がストップする。
はっと、気が着けば、大して片付いていない私室に、がっくりと疲れだけが溜まっていく。
この部屋で、やたらと無邪気なのは、愛犬の子犬だけだ。
「ああ、またやってるッ!」
視線を向ければ、折角片付けたダンボールの中身を、チャロが引っ繰り返している。
子犬にとって、面白い遊びは、この散らかった部屋にはわんさかと溢れ返っているのだ。
ちなみに、潰され、びりびりの、粉みじんになった、片付けダンボールの被害は、
既に三個になった。
穴を開けられてしまえば、使い物にはならない。
そろそろ怒る気力も失せ、シホは早々に明日の仕事のことを考え、就寝につくことを決めた。
シホにとっては、無情と言っても等しい、引越し日は、瞬く間に来てしまった。
小物や、雑貨。
とにかく、先じて片付けねばならない、細かい物の整理は、まだ殆どというほど捗って
いなかった。
勿論、犯人はいわずもがな。
大きなダンボール箱の前に座り込む彼女の横で、構ってくれ!とせがむ、愛犬。
くりんとした、翠の瞳で見上げ、主人であるシホの行動は、きっとチャロには、
不可解としか映っていないだろう。
ひたすら、愛するご主人の関心を自分に向けようとする仕草を見せる。
チャロが、ひとの言葉を話せたら、きっと、「そんなの良いから、ボクを構え!遊べ!」に
違いない。
そうこうしているウチに、玄関の呼び鈴が鳴った。
立ち上がり、シホは玄関口へとすっ飛んでいく。
扉を開ければ、入り口に佇んでいたのは、敬愛する上司と、その副官。
「す、すみません、隊長。折角のお休みなのに。」
「遠慮は、無用と言ったはずだ。 それより、まず、そこの『犬』をどうにかするのが
先だろう?」
言われた瞬間、差し出されたのは、ペット運搬用のケージ。
「出入りが激しいなかで、コイツが逃げ出したら、仕事にならんからな。」
慌て、シホは、足元で尻尾を振っていたチャロを抱き上げた。
イザークの云ってることは、まったくもって当然至極。
作業をしている最中に、足元をちょろちょろされたら、大事故のもとだ。
人間が転ぶのも困るが、間違って踏んずけでもしたら、子犬の小さな体では、
交通事故にあったも同然になってしまうだろう。
「ですが、隊長? ケージに入れて、それで何処へ?」
「俺の家に連れていく。」
「はいっ!?」
仰天し、シホはすっとんきょんな声をあげた。
「俺の家なら、鍵をかけておけば逃げ出す心配もないからな。」
「しかし・・・。」
困惑の表情を浮かべるシホを横目に、イザークは眉間に皺を寄せた。
「さっさと仕事を終わらせるには、そいつは邪魔だッ!」
ずばっと、云われ、シホはびくりと身を強張らせる。
しかし、イザークの言は、まったくもって正論なので、素直に彼の言葉に甘んじる以外、
彼女に術はない。
おずおずと、彼女は、イザークの用意したケージに、チャロを圧し込み、扉に鍵をかける。
とにかく元気だけが取り得の、愛犬。
走り回ることこそが、楽しくて仕方のないチャロは、閉じ込められたケージのなかで
悲しげな鳴き声をあげる。
シホの愛犬は、どうやら、ケージに入るのは、あまり好きではなさそうだ。
虚しい抵抗をしているとわかっているのに・・・。
がりがりと、必死に爪先で扉を引っ掻いている。
それは、そうだろう。
訳もわからず・・・ とは、云っても、所詮は動物。
わからせよう、と人間が言い包めようとしたって、それは、それ。
しつこいが、『人間』の都合でしかない。
わかれ!という方が、無理なのである。
悲しげな子犬の鳴き声は、シホの悲愴感を煽るだけだ。
「ごめんね、チャロ。 用事済んだら、すぐに迎えに行くから。」
「お前は、ウチの猫と遊んでいろ。」
イザークは、自分の顔面傍までケージを持ち上げ、チャロを一瞥した。
漸く諦めたのか。
チャロは、ケージのなかで回れ右をすると、イザークに可愛らしいお尻を見せた。
が、その尻尾は項垂れ、動かない。
同時にでたのは、イザークとシホの溜息。
強制護送の憂目にあっているチャロは、すっかりいじけてしまっていた。
不意に、イザークは、解放されたままのリビングを見遣る。
「まだ、全然片付いていないな。 俺は、一度、コイツを家に置いてくるから、
出来る範囲でいいから、荷物の箱詰めをやっておけ。」
「は、はいッ!」
シホは、慌て、背筋を伸ばすと、勢いよく返事を返した。
イザークは、傍らにいた、ディアッカを見、一言。
「仕事にあぶれずに済んだな。 ハーネンフースの、荷造りを手伝ってやれ。」
どうやら、今日のために、休み返上で狩り出されたのだろう。
ディアッカは、惰性の返事をするのみ。
「本当にすみません。副官にまでお手数かけさせてしまって。」
素直な謝罪を口にし、シホは深ぶかと、頭を垂れた。
「気にしないで、シホちゃん。」
こういう時、ディアッカの愛想の良さは、救われる気持ちになる。
今日ばかりは、『ちゃん』付けで呼ばれても、嫌な気分ではなかった。
それぞれの分担を割り振りし、行動に移る。
こうして、慌しい一日が幕を開けたのだった。




                                  〜 続 〜





※やっとこ続きです。
19話、ビジターシリーズ。
いよいよ始まった、シホの引越し。
今回は、さわりの部分でとりあえず続きにします。
区切りになる、次のお話は、できるだけ近日中に!





Back       Next



※この壁紙イラストは「M/Y/D/S動物のイラスト集」よりお借りしています。
イラストの転載はできません。