『 ビジター U] 』







「しっかり持ち上げろッ!ディアッカッ!!」
凄まじい、イザークの怒鳴り声が、官舎の廊下から響いてくる。
ちらり、とその声に誘われ、シホは玄関口から首をだした。
重厚な、造りの、木目が美しい、洋タンス。
傷がつかないよう、胴部に梱包材が捲かれた、それを、上部をイザークが、
下部をディアッカが支え、運び出している最中。
「フラフラするなッ!腰抜けッ!! 貴様、それでも軍人かッ!」
引越しなんて、楽なもんじゃないのは、わかっているけど・・・
態々、手伝いにきてくださって、とても感謝はしています。
でも、そんなに、エキサイトしなくても良いです、隊長・・・。
シホは、噤んだ口のなかで、声無き叫びをあげていた。
なにを云っても、やはり、家具や大物の寝具を運ぶとなれば、
長年の塵、ホコリもそれなりに見えない部分で着いていたりする。
当然、汚れることを前提としての作業だから、ふたりともラフな普段着着用なのだが・・・
あの、首から下げている、汗拭き用のタオルが、彼女は気になって仕方なかった。
通常、司令部に居る時の、イザ−クの姿は、当然、白を基調とした、ザフト軍の軍服。
きりっ、と襟元を乱すこともない、エリート然とした、姿は、司令部に居る、女子隊員には
意外に人気の的。
勿論、自分もそんな、イザークのスマートな外見は、憧れの象徴でもあった。
・・・なのに。
今は、唯の、引越し業者のアルバイト生、みたいな格好だ。
白のTシャツに、ジーパン。
通常の状態だって、カジュアルな物しか、身につけないと思っていたのに。
まあ、あのタオルが、捻り鉢巻状態で、頭に括られるよりは、マシだけど。
無事にアカデミーをトップクラスの成績で卒業し、誰もが憧れる、『赤服』を纏い、
期待に満ち溢れ、配属された、ジュール隊。
始めは、イザーク・ジュールという、銀髪が美しく、真っ青なサファイアのような、
綺麗な瞳を持った、上官が、こんなに熱い男だとは思わなかった。
外見を裏切る、熱血漢。
いや、熱血漢、という言葉は正しくないかも・・・
ちょっとした衝撃に、感情の起伏が激し過ぎて、過剰に反応する、というか、そんな風
だったことに、軽く驚いた。
けど、慣れると、これも逆に心地良かったりするから、時々、自分は『M』だったの
かしら?と、思ってしまうこともしばしば・・・ だったりする。
はあ〜 と重く溜息をつき、シホは首を引っ込める。
ともかく、この場は、折角、協力を申し出てくれたわけなのだから、隊長と副官に
全てを委ねるのが、良策だろう。
ふと、彼女は室内を見遣る。
もう、随分と長く、愛犬と過ごしてきた、部屋。
引越しの邪魔になるからと、今は、ジュール家でお留守番の、チャロ。
いつも、一緒に居た。
だから、わかっているけど。
やはり、チャロの居ない部屋は、どこか物寂しい。
早く片付けを済ませて、迎えに行かなくちゃ。
シホは、気合を入れなおし、頭の三角巾を縛り直した。
刹那。
またもや、廊下からは、イザークの怒鳴り声が響き渡った。
「戯けッ! しっかり、踏ん張れッ! ディアッカッ!!」
・・・ああ。
今日、手伝いの手伝いに連れてこられた副官にとっては、厄日のなにものでも
ないに違いない。
益々、拍車の掛かる、罪悪感に囚われ、シホは再び、大きな溜息をついたのだった。
プラントで調節されている時間帯が、夕刻を示す。
空のスクリーンは、茜空。
これで、トンボでも飛んでいれば、もっと季節を感じれるだろうに。
一通りの片付けを済ませ、シホは、がらんとした、直、もと自分の部屋になるだろう、
室内を見回す。
狭い、狭い、と文句ばかりを言っていた、部屋。
でも、そんな不満しか抱けなかった部屋は、大物のタンスや、ソファ、机、その他諸々の
大型家具がなくなってしまうと、案外広く感じる。
不思議だ。
そして、思ってしまう。
初めて、この部屋に越してきた日のことを。
なにもなく、自分の思うままに、部屋を飾り、家具を配置したら、あっという間に、居住空間
の室内は、手狭になってしまった。
予定外なんて、しょっちゅう。
買うかどうか迷うなら、やはり「買い」を選ぶ。
迷って、ショーウインドウの前をうろうろするなんて、性分に合わない。
そんな経緯で、購入してしまったものは山ほどある。
一番は、フローリングの絨毯だった。
だが、今やそれは、粗大ゴミと化していた。
可愛いがっている、愛犬のせいで。
宇宙に浮ぶプラントで、ゴミだから、と迂闊にだすことはできない。
ゴミの処分は、きちんとした正規の手続きが必要だ。
でないと、所有者宛てで、罰金の督促状がくる。
面倒でも、これだけはきちんとすることは、プラント市民であるなら、義務の一部であった。
「さてと。 ここはこんなモンでいいわね?」
ほんの少し、淋しげな笑顔を零し、シホは扉に鍵をかける。
その足で向かった先は、新居となる、あの赤い屋根の家。
大物の荷物は、既にイザークとディアッカのおかげで、搬送済みだ。
あとは、この手にしている鍵を、官舎の管理人に返却すれば、ここでの用は全て終了。
新居に到着すれば、ディアッカが、青々と整えられた芝生の広がる庭でのびている。
シホは、おそるおそる、声を大の字で寝転がる副官にかけた。
「副官殿? 大丈夫ですか?」
「・・・ん? ああ、シホちゃんか。」
むっくりと身を起こし、ディアッカは疲れた息をひとつ吐く。
「今日は、本当にありがとうございました。」
彼女は、素直に礼を述べ、ぺこりと一礼する。
「気にしないで。」
笑顔で応え、ディアッカははにかんだ笑みを洩らす。
「あの? ところで隊長は?」
「自分家、帰ったよ?」
「え?」
僅かに驚き、シホは瞳を開く。
「呼んできます。今日のお礼をしたいし、食事、軽食ですけど、用意したんで。 あ!
副官殿も帰らないでくださね。 ちゃんと、食べてもらわないと困りますので。」
「了解。 遠慮なくご馳走になります。」
ディアッカの返事を聞き、シホは慌て、隣家を訪ねる。
丁度、具合も良い。
チャロも一緒に引き取ってこよう。
躊躇わず、彼女は呼び鈴を鳴らす。
遠慮気味な気配を匂わせ、シホはジュール家の玄関扉を開いた。
「ハーネンフースか? 入ってイイぞ!」
快諾の返事が、居間のある方向から聞こえた。
「お邪魔します〜」
一応、儀礼を弁え、シホは玄関先で靴を脱ぎ、廊下を進んだ。
居間に顔をだせば、呆れた姿態でイザークが腕組みをして立ちんぼ状態。
「? ・・・隊長?」
彼の視線の先を辿れば、居間の絨毯には、仰向けで爆睡している愛犬がいた。
なんつー格好で、寝てるの?
シホは、あんぐりと口を開け、呆然。
チャロの上下する腹のうえでは、子猫、3匹が折り重なるようにして、これまた熟睡中。
遊び過ぎて、くたくた、といったトコロか。
しかし、種族は違っても、動物でも、子供は子供、といったらいいのか、この光景は。
家主と、客が居るというのに、ぴくりとも動かない。
動いているのは、規則正しく、チャロと、子猫、タロウ、ジロウ、サブローの腹だけ。
「あの? 『1』君と、『2』は?」
「あそこだ。」
イザークが、しゃくった顎の先は、居間に設置されている食器棚。
その上部の隙間、10cmの間から、親猫の首だけがでている。
なんだか、鹿の頭部剥製のようだ。
子供同士は、仲良くなっても、親の方は、まだまだ警戒心丸出し。
特に、『1』の方は、チャロの迷惑なクセのせいで、半ば、トラウマにでもなっているのか。
チャロには、近づこうともしない。
いつも距離をとり、遠回しに見ているだけ。
「ところで、なにか、用か?」
突然、隣に居たイザークに問われ、シホははっと我に返る。
「あ、軽食なんですが、食事を用意したので、呼びにきました。」
「ああ、そうか。 それは、態々済まないな。 遠慮なくいただくとするよ。」
ひとつ返事の、イザークの声を聞き、シホは僅かに頬を染める。
なんて、素敵な笑顔だろう。
こんな笑顔、滅多に拝むことなどできない。
貴重だッ!
シホは心のなかで、歓喜の悲鳴をあげていた。
犬も猫も、見ていても起きそうにないので、仕方なく再び人間だけの移動と相成る。
シホは、自宅の居間に、本日の助っ人、ふたりを招き、食事を持成す。
だが、でてきた品を見て、イザークは眉根を寄せた。
「・・・ハーネンフース。 ・・・この、灰色をしたヌードルは一体、なんなんだ?」
「蕎麦です。 私の祖母が、日系ドイツ人なんですけど、地球にある、東方の島国では、
引越しをすると蕎麦を食べる習慣があるらしくて、それを真似てみました。」
「・・・ほお。」
感心しきりで、イザークは、箸は使うのは無理だろう、というシホの配慮でだされたフォークに
麺を撒きつけた。
なんだか、種類は違えど、パスタを食べているように見える。
啜るのは、マナー違反という教えを忠実に守り、イザークは麺を口に運んだ。
「・・・なかなか美味い。」
「隊長は、蕎麦は初めてですか? 食べるのは。 副官殿は?」
「ああ、俺は、アスランのトコで何度か。」
そう言われれば、フォークか、箸かの選択で、迷わずディアッカは箸を選んだ。
使い方も堂にいっている。
手馴れた使い方だ。
「そうですね。私も、隊長について、何度かザラ先輩の家にはお邪魔していますけど、
和食を好んでらっしゃるみたいでしたから。」
うんうん、頷き、ディアッカは、シホの言葉に頷く。
「え〜 と、なんでしたっけ? あの、オレンジの粒々が乗った、丼?」
思い出すように、シホは空を仰ぐ。
「イクラ丼?」
ディアッカの、フォローに、シホは両手を叩く。
「そう! イクラ丼。 あれをご馳走になったことがあるんですが、とても美味しかったです!」
「・・・イクラ?」
思い出して、喜び勇むシホの様子とは真逆の、イザークの表情に、彼女は首を傾げた。
「アスランの奴、確か、イクラは苦手だった記憶があるんだが。」
軍に同期で属していた頃、夕飯のオードブルで、白身魚のマリネに乗っていたイクラを
懸命に避けている、アスランの姿を思い出し、イザークは首を捻り続けた。
「・・・苦手だったんですか? 先輩。 だって、涙流しながら、『美味しい』って、カガリさんに
云ってましたから、てっきり好物だとばかり思っていましたけど。」
「・・・そうか。それは気の毒にな。」
顔を伏せ、イザークは息を吐く。
この話のその後。
アスランが、身体中に蕁麻疹を発症させ、病院騒ぎになったことを、シホは知らなかった。
勿論、アスランが苦手な食物を無理に食したことを、この時、カガリは始めて知ったのも、
追記しておかねばなるまい。
カガリ曰く、「なんで、そんな無理するんだッ!」と病院のベッドで怒鳴られたのは、当然、その愛夫。
アスランは、ひたすら言い訳。
云えなかった、と云っても、なかなか信じてもらえず、折角、作ってくれたのに、を繰り返すばかり。
そんな、光景があったのは、シホとイザークが帰った後だから、ふたりが知る由もなかった。







                                                 〜 続く? 〜








※とりあえず、区切り、20話になります。
さて、この後の展開は、どうなりますことやら。
シホちゃん、引越し偏、一応、終了。





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※この壁紙イラストは「M/Y/D/S動物のイラスト集」よりお借りしています。
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