イズミの兄、クトレの離宮に到着したのは、それから15分ほど経ってから。
前もって、車内の携帯電話から連絡をいれておいたので、宮の玄関口では、
クトレ自身が出迎え、待っていた。
その彼の右隣には、ディアナが。
そして、第一夫人である、シアが左側に控えている。
「兄上ッ!」
車を降り、腕にサクラを抱きながら、イズミは喜んだ笑みを浮かべる。
「久し振りだな、イズミ。 息災だったか?」
「はい。 シア義姉上も、お元気そうでなによりです。」
シアは、ゆるりと会釈し、優美に微笑む。
ほっそりとした肢体。
金糸の混ざった長い黒髪をひとつに編み込み、左側の肩から垂らしている。
黒曜石のような、黒々とした瞳は、少しだけ、東洋的な雰囲気を纏う。
シアに、元気だったか、と尋ねられ、イズミは強く頷いた。
彼は、僅かに頬を紅潮させ、子供のように瞳を輝かす。
一番末っ子の彼は、かなり上の兄たちには甘やかされて育った。
華のない男族家系。
居並ぶ上兄の妻たちもまた、イズミを溺愛した。
とりわけ、クトレの第一妃、シアは、実の弟のようにイズミを可愛がり、仲も良い。
ディアナを預けたとき、クトレのみならず、シアにも絶対的な信頼を寄せ、留学時には
嘆願した経緯も頷けるというもの。
大勢の実兄たちがいるなかで、イズミにとっては、やはり一番気が合うのが、この
ふたつ歳がうえの、クトレだ。
イズミによく似た、風貌。
違う部分を敢えていうのなら、下唇のしたに生やした5cm角の顎鬚くらいだろうか。
イズミに抱っこされていたサクラは、きょときょとと、自分の父である、イズミと
クトレの顔を交互に見遣ると、ぽつり、言葉を漏らす。
「・・・ダディと、同じ顔。」
幼子の言葉に、兄弟して瞳を開き、すぐに可笑しそうな笑いがふたりの唇から零れる。
「お姉ちゃんッ!」
後から車を降りてきたミューズに気がつき、ディアナは駆け寄ってきた。
ふたり、熱いハグをし、再会の喜びを分かち合う。
「遠路、ご苦労さま。」
「いえいえ。可愛い妹の結婚式ですから。」
ミューズは、にっこり笑んで、愛妹の顔を見遣った。
「ところで、お父さんは大丈夫?」
「は? お父さん?」
ミューズは、ディアナの質問の意味が解らず、瞳を開く。
「なに、呆けているのよ!? 病名は教えてもらえなかったけど、症状が酷くて
長期入院処置だから、名代にお姉ちゃんたち寄越したんでしょう?」
・・・入院?
そういう、理由になっているのか。
ミューズは、引き攣った顔で、適当に相槌を打った。
考えてみれば、『入院』とか、『病気』と云っておけば、深い詮索を受けることは、回避できる。
カガリにとって、口が裂けても、当主が『引き篭もりです。』 ・・・とは云えまい。
自分の隣に居る、イズミにちらりと視線を走らせれば、彼も顔を引き攣らせていた。
簡単な自己紹介をし、クトレを先人に、宮のなかに案内される。
滞在中、使用を許された部屋は、絢爛豪華で、一番に喜んだのは、やはりサクラ。
大人5人が寝ても、まだ有り余るベッドは、トランポリン状態だ。
室内から続くパティオには、色とりどりの花の群れ。
中央には、可愛らしいミニ噴水が水を噴き上げ、幼子は部屋のなかを飛び回っている。
「直に、夕食の時間になる。身内だけになるが、簡単な宴をしようと思ってな。
その前に、家族で旅の垢でも落とせ。」
クトレに促され、イズミは頷いた。
部屋から引き払っていくクトレたちを見送り、イズミはミューズの方に向き直った。
「どうする?」
「は? ・・・どう、って? なにが?」
ミューズは、何故か赤面し、やや俯き加減。
隅々まで互いの身体の事情を知り尽くしてる関係なのに、今更、赤くなるのも
おかしな話である。
しかし、ふたりにとって、『混浴』ということ自体が、初めての経験故の戸惑いだったのだ。
イズミは、『婿』とういう立場上、ミューズの両親と、同じひとつ屋根の下に住まっている。
気にする必要はない、とは云われても、やはり彼女の両親の前でおおっぴらに
いちゃいちゃするのも躊躇われるのは、これ道理。
もっとも、アスランたちは、彼のそんな遠慮など、気にも留めずに、睦ましいのは・・・
イズミにとっては、かな〜り、厳しい環境かもしれない。
だが、そんなことを、今更どうこう云った処で、それは詮無き事。
「無理強いはしないけど、気が向いたらおいでよ?」
サクラを呼び寄せ、イズミは室内の奥の間に向かう。
「サクラ、一緒に、お風呂行くか?」
軽々と、幼子の身体を抱き上げ、イズミは、愛娘の柔らかい頬にキスをひとつ落とす。
「お風呂!? 入るッ! サクラ、お風呂、大好きッ!」
「そっか。 ここのお風呂は、お家のお風呂よりも、ずっと広いから、溺れるなよ?」
「は〜い!」
仲良い親子の会話を交わし、イズミはミューズに向かって、首越しに軽いウィンクを贈った。
「先に、行ってるよ?」
その、彼の仕草に、ミューズは益々顔を赤らめた。
どうしよう、どうしよう、と悩んでいるうちに、喜び、はしゃいだ、サクラの声が奥のカーテン
越しから聞こえてくる。
「ええい! ままよッ!! なにも恥かしがることなんて、ないじゃないッ!!今更!」
羞恥を振り払い、ミューズは、仕切りになっている、風呂に続く、分厚いビロードの
カーテンを勢いよく開く。
なかに入り、脱衣所のスペースに振り分けられている小部屋で、全裸になり、裸体に
胸からバスタオルを捲いた。
もう一枚、仕切りになっているカーテンを開くと、過去、自分がイズミのもとで滞在した時、
入浴したのと同じ作り、床と平行に作られた、堀階段式の風呂場が眼に飛び込んできた。
「プール、プールッ!」
サクラは、自分の足のつく場所で、行ったり来たりを繰り返し、楽しげに笑っている。
風呂の角隅では、イズミが両腕と頭を床の部分にあたる位置に置き、空を仰いでいた。
彼の隣に、そっと身を沈めれば、彼は身体を起こし、彼女の顔を見遣った。
緩く微笑み、自分の右肩口を指差す彼に、彼女は首を傾げる。
「寄り掛かれば?」
「うえっ!? い、いいわよ、・・・べ、別に。」
真っ赤に染まった、ミューズの顔を見、彼は可笑しそうに笑う。
「こんな風に過ごすの、初めてなんだから、良いじゃないか。」
彼に強請られ、彼女はおずおずと、イズミに身を凭れ掛けさせた。
サクラの視線の隙間を盗んで、交わされる、熱い口付け。
「・・・んっ、 ・・・イズミ。」
甘やかな、ミューズの声と吐息が小さく零れる。
「あーーーッ! ダディとマミィ、また、ちゅうしてるッ!!」
指差しの幼子の指摘を受け、イズミとミューズは慌てて身体を離した。
ふたりで赤面した顔を伏せ、視線を外す。
やはり、夫婦水入らずを堪能するのは、お邪魔虫が寝静まったあとでなければ、
具合が悪そうだ。
苦笑し、ふたりは視線を交わす。
ミューズは、そっとイズミの頬に唇を寄せ、触れさせながら囁く。
「・・・夜まで、待って。」
「それってさ〜 お誘い?」
彼は、苦笑し、彼女の顔を見遣る。
「場所が変われば、気分も変わるわ。」
彼女の、恥かしさを含んだ求めを訊き、彼は嬉しそうに笑んだのだった。
入浴を済ませ、三人に、貸し与えられたのは、それぞれのサイズで用意された、
民族衣装。
サクラは、見たことも、当然、着たこともない、不思議な衣装に、歓喜しっぱなし。
衣替えを済ませた姿で、夕食の宴に招かれ、和やかな時を過ごしていく。
刻が、夜の九時を廻る頃、幼子は、長旅の疲れに耐え切れず、舟を漕ぎ出したことに、
一足先にミューズは自室へと引き上げることを告げた。
「俺は、もう少し、兄上と話があるから、先に寝ててくれ。」
イズミの言葉に、ミューズは頷く。
それに合わせ、ディアナとシアも席を立つ。
積もる、男同士の話に立ち入るのを遠慮したのだ。
宮の長い通路を歩きながら、ディアナは、ミューズに話をしたいと持ち掛けてきた。
ミューズとイズミに貸し与えた部屋の前で、シアと別れ、ふたりは部屋へと入った。
腕に抱いたサクラをベッドに寝かせつけ、ふたりは床に敷き置かれた毛皮の
絨毯に腰を降ろす。
持ち込んだワインを銀杯で交わし、ぽつぽつと会話が進められた。
「・・・お父さん、・・・私がこんなことになっちゃって、やっぱり怒ってる?」
「怒ってはいないよ? 唯ね〜 ちょっとショックは受けてるみたいだけど・・・」
本当は、ちょっとドコロではないのだが、事実を告げれば、ディアナに罪悪感を
抱かせてしまう。
「ディアナ。 ひとつ、訊いていい?」
「なに?」
「どうして、貴女、クトレお義兄さんを選んだの?」
「本当のこと云っていいの? 訊いたら、多分、お姉ちゃん、怒ると思うよ。」
「出来るだけ、怒らないように努力するから、話なさい。」
なるべく、声を荒げないように、沈着な姿態と声音でディアナを促し、ミューズは妹の
顔を見遣った。
一呼吸おいて、ディアナは口火を切る。
「・・・顔、似てるでしょう? 彼。 ・・・イズミお義兄さんに。」
「えっ? ・・・まあ、兄弟だしね?」
「お義兄さんが、『アマテラス』に研修で一ヶ月、滞在した時、私、好きになっちゃって、
告白したことがあるの。」
「はあ!?」
眉根を寄せ、ミューズは剣呑な視線をディアナに向けた。
「ほら〜 そういう顔、すると思ったから、云いたくなかったのにぃ〜」
「だ、大丈夫よ。 私は、冷静だから!」
「声が、嘘っぽいんだけど。」
「大丈夫、って、云ってんでしょう!?」
「怒ってるよ、絶対。」
「とにかく、続き、話しなさいッ!」
息をひとつ吐き、ディアナは催促された、内容の続きを口端に乗せる。
「でもね? あっさり振られちゃったのよね? 『俺は、ミューズしか見てないから、ご免』って
即答されちゃって・・・。」
「ふ〜ん。」
「たった一ヶ月の間だったのに、気がつけば、お義兄さんとお姉ちゃん、急接近してるし〜
振って沸いたみたいに、いつの間にか、ふたりで子供作っちゃっうから、ショックなんて
もんじゃなかったわよ。 ・・・ホントは、留学先なんて、どこでも良かったんだけど、
スカンジナビアを勧めてくれたのは、お義兄さんなの、お姉ちゃん、知らないでしょう?」
「・・・初耳だわ。」
ミューズは、小さな溜息を漏らす。
「イズミお義兄さん、きっと、私の気持ちには応えられないから、っていうの、気にしていた
と思うんだ。 だから、自分の力の及ぶ場所を考えて、私をクトレに預けたと思うの。」
「そういう事だったのね?」
「でも、クトレと私が、こういう事になってしまうのは、想定外だったと思うわ。」
「はあ〜 なんだかね〜 まったく、もう。」
呆れて、口も塞がらず、ミューズは息をつく。
「御世話にはなったけど、正直云って、お義兄さんの顔、見てるの辛くて、逃げ出したのよ、
私。 ・・・初めてクトレに合った時、彼を避けたわ。 でも、そんな私の気持ちを察して、
ケアしてくれたのが、シア妃だったの。」
「こんがらがった、糸玉みたいね? アンタ。」
苦笑し、ミューズは、愛妹の顔を見詰めた。
「否定はしない。本当のことだから。」
「まあ、じゃあ、先に、シア妃と仲良くなって、仲介をされて、お義兄さんと縁を結んだ、
と・・・ そういう解釈で良いのね?」
「うん。」
頷き、ディアナは、ミューズの顔を見返す。
「どんな形であれ、アンタが幸せになってくれるなら、私はなにも云わない。」
「・・・ごめんなさい。」
俯き、ディアナは謝罪の言葉を紡いだ。
「謝ることがどこにあるの? 自分で決めたことでしょう?」
ミューズは、苦笑いし、ディアナの身体を抱き寄せ、優しい抱擁で彼女を包む。
「幸せになりなさい、ディアナ。 クトレは、とっても良いひとだから、きっと、
アンタを大事にしてくれる。 でも、我が家には、淋しがり屋の、分からず屋が
ひとり居るから、偶には帰ってきなさいね?」
「・・・それって、お父さん?」
「まあね?」
苦笑し、ミューズは小さく笑った。
良い子、良い子と、ミューズがディアナの頭を撫でてやると、彼女の眼から
大粒の涙が頬を伝って流れ落ちた。
「・・・お父さんと、お母さんに、謝っておいて、・・・お姉ちゃん。 傷心を埋めるために
自分勝手して、親不孝な娘でご免なさい、って。」
「わかった。」
会話の休憩を挟んだ時、開かれる入り口の扉に、ふたりは視線を向ける。
「あれ? ディアナちゃん?」
深夜をとっくに過ぎ、ディアナも自室に引き払ったとばかり思っていたイズミは、
タイミングの悪さに、困った顔を作る。
「あ、ご免なさい。 お姉ちゃん、引き止めていたのは、私なの。 もう、私も寝るから。」
そそくさと、イズミとすれ違い、部屋を出て行くディアナを見、イズミは申し訳なさそうな
風体でミューズを見遣った。
「悪いこと、しちゃったな〜」
「イイわよ、別に。 話は済んでたもの。」
優しく笑み、ミューズは自分のもとに、彼を手招く。
毛皮の絨毯に坐し、イズミは、ミューズの手にしていた銀杯に手を掛けた。
「貰って良い? 喉、カラカラで。」
「やに、立て込んでいたみたいだけど、お説教でもされていたの?」
「当たらずとも、遠からず。 まあ、似たようなモンだったけど。」
含んだ苦笑いを浮かべる彼を見て、ミューズはイズミの顔を下から覗き込んだ。
「なに、云われたの?」
「お前が抜けた穴、繕う俺の身にもなれってさ。」
「あらま。」
ミューズは、おどけた表情で、彼を見遣る。
「確かに、軍の方は、俺が一手に担っていたけど、兄上は、殆どそっちは関与しなかったから。
把握が仕切れず、現場が少し混乱してるみたいでね。」
「新しい司令官は、受け入れられない、ってこと?」
「・・・それは、ないと思う。 どっちかと云えば、兄上はデスクワーク派だから、むしろ
戸惑っているのは、兄の方だろ?」
「ふ〜ん。」
「俺も、ばたばたしたまま、オーブに行ってしまったし・・・。 明日、ちょっと軍の視察と、引継ぎが
どこまで終わってくるか、見てこようかと思うんだけど・・・。」
「私とサクラは、お留守番?」
「ごめん。」
「気にしないで。 なんとかなるでしょう? あ!そうだわ! また、バザールに行きたいな〜」
にっこり笑んで、ミューズは唇に人差し指を当て、空を仰ぐ。
「じゃあ、俺から、義姉上に頼んでおくから、ディアナも一緒に女たちだけで、買い物でも
してくれば?」
「ディアナは、難しいんじゃない? なんせ、式まで日もないし、支度に追われているだろうから。」
「・・・そっか。」
「とにかく、私たちのことは、あんまり気にしないで、貴方は好きなことして。」
「本当に、ご免。」
「もう、いいってば! ・・・それより、約束。」
「え? ・・・約束?」
きょとんとし、イズミは、ミューズの顔を見詰めた。
「夜、って、云ったでしょう? お風呂、一緒に入った時。」
やっと、彼女の姿態の変化に気づき、イズミは苦笑する。
優しく、ミューズの細い身体を押し倒し、そのうえに覆い被さった。
艶に満ちた、彼女の嬌声が、小さく洩れ始める。
熱く、深く、唇を交わし、甘い言葉を重ねた。
「・・・あんまり、激しくしないでよ? サクラが起きたら、困っちゃう。」
「努力はしてみるけど、難しい課題だ。」
「・・・馬鹿。」
妖しくふたりで微笑み、互いの唇を吸い合う。
上弦の月が浮ぶ闇空を背景に、ふたりは極上の時を刻んでいった。
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