出発日程が打ち出され、休養をとることを、イズミとミューズはカガリから指示される。
その足で、向かったのは、アスハの本邸。
長年、カガリの乳母を勤めてきた、マーナが、現在も居残り、本邸を取り仕切っていた。
本邸から、100m程、離れた、同じ敷地内に建てられた、別家。
アスランとカガリが結婚を機に、そちらに移り住んでしまったため、この本邸には
用事がある時にしか足を運ばなくなってしまったが、マーナは頑なに、屋敷を
守り続け、カガリにも変らなく接している。
カガリだけでなく、ミューズやディアナが幼い頃は、多忙なカガリの母親代役を
喜んで引き受けてくれていた。
そして、今また、ミューズも成婚し、子を儲け、親子三代に渡って、世話になっている。
「マーナおばさん。」
ミューズは、幼少の頃から、親しんできた、体格のいい、老齢の婦人を、『おばさん』と
親愛を込めて呼ぶ。
「あらあら、ミューズ様? どうなさいました?」
小さい、一重の瞼をぱちくりさせ、マーナは、美しく、ひとりの女となり、母となった、
彼女を屋敷に迎え入れた。
「サクラは、良い子にしてた?」
「ええ、ええ、そりゃ、もう。 離乳食もたくさんお食べになって、今は、おねむですよ?」
マーナは、微笑み、ミューズを見やる。
「・・・あの、・・・おばさん?」
「はい? なんですか?」
「もう、暫く、サクラを預かってもらえないかな?」
「ええ、それは、構いませんけど? ・・・なにか、ございましたか? ミューズ様?」
ちらり、とミューズは、傍らに居た、イズミに視線を向け、マーナに目線を向け直す。
「明日の朝、彼と、スエズに行くことになってしまったの。 戦地になる場所に、赤ん坊を
連れていくわけには、いかないから・・・」
「・・・そうですか。 ミューズ様は、軍人さんでいらっしゃいますものね。 わかりました。
貴女様と、旦那様がお戻りになられるまで、このマーナ、責任を持って、サクラ様の
ご面倒、みさせていただきますわ! お任せください!!」
恰幅の良い体を揺らし、頼もしく、マーナはどん、と自分の胸をひと叩きする。
ほっと、安堵の色を浮かべ、ミューズは苦笑した。
「おふたりとも、お食事は、されたのですか?」
・・・そういえば。
あまりにも、ばたばたしていて、そんなものは、頭から抜け落ちていた。
首を振る、ミューズに、マーナは緩く眉を吊り上げる。
「いけません! お食事を抜くなど、言語道断ッ!きちんとした食事を摂ってこそ、健康な
身体を保つことが出来る、ということは、お母様、カガリ様もおっしゃっていますのにッ!」
「は〜い!」
ミューズは、降参した、という風なポーズをとり、マーナを見た。
「じゃあ、お言葉に甘えて、ご飯、食べさせてください。」
ぺこり。
ひょうきんな仕草で、彼女はマーナに頭を下げる。
「少し、お待ちくださいね。 今、用意しますので、おふたりでダイニングにいらっしゃって
下さいませ。」
視線で、イズミを促し、ミューズは、指示された部屋に足を向ける。
勝手知ったるもの。
屋敷のなかは、幼い頃から、ミューズにとっては、遊び場であり、生活空間の一部。
慣れた足取りで、屋敷の廊下を進んでいく。
食事を済ませる頃、マーナは、テーブルについていた、ミューズとイズミに提案を持ち掛けた。
自宅には戻らず、屋敷に泊まっていけ、というのだ。
折角、寝付いたサクラを起こすのも、忍びないというのも、理由のひとつ。
ふたりは、マーナのその言葉を甘受し、サクラが寝かせ付けられた、客間の扉を潜った。
すやすや。
天蓋つきの、広々としたベッドには、愛しい娘が、小さな寝息をたてている。
室内に設備された、浴室でシャワーを済ませ、ふたりはサクラを挟んで、『川の字』で
ベッドに身を横たえた。
「・・・ミュー。」
「なに?」
「今回のこと、本当に、色々と迷惑かけて、ゴメン。」
「なんで、謝るの? 云ったでしょう? 貴方の家族は、私の家族でもあるのよ。」
緩く微笑みを称え、ミューズはイズミの顔を見詰めた。
「家族が、危機に陥っているなら、助けに行くことは、当たり前のことじゃない?」
「・・・ミューズ。 ・・・本当に、なんて感謝していいかわからない。 君にも、お義父さんにも、
お義母さんにも。 ・・・ありがとう。」
「みずくさい。 そんなこと云わないで。 唯、この作戦がいつ終わるかわからないから・・・
暫く、サクラの顔は見れなくなっちゃうわね?」
寂しげな微笑が、ミューズの顔を彩る。
「サクラ見てると、毎日、楽しくて仕方ない。 この娘のママになれて、私、すごく嬉しいんだ。」
慈愛に満ちた、笑みが零れる。
「・・・イズミ。」
「ん?」
「私こそ、貴方には感謝してる。 貴方に出会えなかったら、サクラにも会えなかったんだもの。」
「ミュー。 ・・・サクラも、君も、俺にとっては、大切な宝だ。 守るから・・・ だから、俺とずっと
一緒に居て欲しい。」
イズミは、真摯な瞳で、ミューズを射る。
「それは、私の台詞よ!」
数多ある、出会いのなかで、真実の出会いを果たせることは、数少ない。
父と母が、導き、出会い、育まれた愛のなかで、自分は産まれた。
愛に囲まれ、育ち、彼女は求め合うべき伴侶に巡り会い、今がある。
ミューズは感慨に耽り、慈しみの瞳で、イズミとの間に産まれ落ちた、我が子を見詰める。
優しく、幼子の小さな頬に口付けし、愛情の全てを注ぎたい、と心から願う。
失ってはいけないものが、あるとするなら、きっと、ここにあるものがそうに違いない。
起こした顔は、イズミの顔を見やる。
自然、ふたりの距離は縮じまり、互いの唇がそっと重なった。
「・・・愛してる。 ミューズ。」
「私もよ、・・・イズミ。」
ついばみ合う、唇。
「・・・無事に、お義父様と、お義兄様を助けられるよう、頑張ろう。」
「うん。」
心強い言葉を訊き、イズミは嬉しげに微笑んだ。





翌朝、定刻通りに、空軍基地に、輸送機の手配が済まされ、後はパイロットである
メンバーが乗り込むことで完了という状態になっていた。
「じゃあ、アスラン、子供たちを頼むな。 私も、すぐに追いつくから。」
「ああ。」
頷き、アスランは緩く微笑んだ。
愛妻の腰を抱き寄せ、顔を落とす。
触れ合うだけの、口付け。
信頼と、最愛の情を込めた抱擁をし、ふたりは身体を離した。
「行ってくる。」
カガリも頷き、飛び立っていく機体を見送る。
「私もでるぞッ! 『アマテラス』の出港準備は整っているか!?」
「はいッ! すぐにでも出立できる、との旨は、ソガ准将から通達が届いております!」
「よしッ! 車を軍港にやってくれ。」
踵を返し、カガリは、黒塗りの公用車に身を滑りいれた。
時をおかずして、空母『アマテラス』も、オーブ軍港を離岸していく。
蒼く、澄んだ空は、なにを予兆するのか、まだ誰にもわからない。
空路を移動する、アスランを始め、イズミ、ミューズがスエズに到着したのは、10時間程
経ってのことだった。
三人は、休みもとらず、その足でマハムール基地を訪れる。
基地司令官を勤める、ハルバと名乗る中年の男性が、三人を出迎えた。
見事な黒髪と、顎鬚を蓄え、薄い青の瞳を持った、恰幅のいい男だ。
「早速で申し訳ありませんが、詳しい状況を教えていただきたいのですが。」
アスランは、挨拶もそこそこに、ハルバを見据えた。
歩を進めながらの、会話。
イズミは、アスランとハルバの後を追う形で、歩み、気になる近況に耳を欹てる。
「正直、硬直状態と云ってよろしいかと。 我々の専門チームに、ネゴシエーションを
担当する部署があるのですが、現在、交渉中ですが・・・ どうも、相手側は、
あの砲台と、配備したモビルスーツを余程強みに思っているのか、一方的な
要求ばかりの状態でして。」
「要求は、なんと?」
「身代金ですよ。それも、やはりご身分がご身分の方々なので、とんでもない
金額でしてね。 それと、北アメリカへの、亡命要求と足の確保、それに伴なう
安全の保証を要求しています。」
「そうですか。」
接客室に通され、三人はテーブルにつく。
「本国、オーブ政府、両国からの指示で、我々の方では、全力をもって事の解決に
望みたい考えでおります。 ・・・ですが、過去、あの地の攻略作戦に於いて、
我が方も多大な被害を被っていますので、可能であれば、被害は最小に食い止めたい、
ということも、補佐官殿に伝えておきたい。」
「わかります。 私も、『ミネルバ』乗艦中、攻略戦には参加した経験がありますから。」
「ところで、そちらのお若い方々は?」
ハルバは、アスランと同席している、イズミとミューズに視線を移した。
「娘のミューズと、夫のイズミです。 今回の拉致、誘拐事件で、人質になってる、
スカンジナビア王国陛下の、六男になります。 この案件解決に、自分も加わりたいと、
名乗りをあげてくれたので、同行させました。」
「そうですか。」
瞳を開き、ハルバは、まじまじとイズミの顔を見やった。
「ふたりとも、優秀なパイロットですから、きっと役にたってくれることでしょう。」
苦笑し、アスランは、ハルバの顔を見る。
「本来なら、少しでもお休みいただきたい処ですが、我々には時間がありません。
御疲れとは存じますが、敵情視察にジープをだしますので、皆様、同行願えますか?」
ハルバの提案に、三人は頷き、部屋を後にする。
砂煙を巻き上げ、軍用ジープが辿り着いた先。
丁度、渓谷が一望できる、崖の先端。
車を降り、4人は、彼方に視線を向ける。
双眼鏡を手にし、アスランは、高台に設置されている、砲台を凝視した。
「・・・変ってないな、この風景。」
ぽつり、と漏らした、父親の声に、傍らに居たミューズは、アスランを見上げ、瞳を開く。
「準備万端で、いつでも撃てる態勢になってる。 あんなモン、まともに喰らったら、
俺の機体でも、蒸発だ。」
「・・・お父さん。」
ミューズは心配げな視線で、父親を見やった。
「でも、一度だけ。 あれを撃たせることができれば、勝機はある。 陽電子砲は、一回
撃ってしまえば、次のチャージに時間が掛かるからな。・・・なんとか、陽動できれば・・・。」
双眼鏡を隣にいたミューズに渡し、標的を見るよう、アスランは顎で促す。
眉根を寄せ、アスランは、きつい視線で砲台を睨みつける。
「犠牲は最小に。 ・・・ハルバ司令、先行は我々が行います。 司令の部隊は、射程距離外
からの威嚇のみを。 踏み込めるチャンスが作れたら、周りに配置されている、モビルスーツの
掃討と、歩兵での突撃部隊突入を敢行していただきたい。」
「わかりました。」
ハルバは頷き、アスランを見た。
「ミュー、イズミ。 覚悟は必要だが、無茶はするなよ。」
控えた、ふたりはアスランの言葉に頷く。
「明日、正午。 作戦を始動する。」
アスランは、重く、慎重な声音で、イズミとミューズを促したのだった。





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