後継者、育成という役割を振り当てられ、イズミは、家を留守にすることが
多くなった。
それでも、ミューズは、そのことに不満を持つことなく、自分自身も、割り当てとして
与えられた仕事に精をだす。
いわゆる、『主婦業』というものである。
軍人として、ひとり立ちをしたものの、その渡河途中での、考えもしなかった出来事。
妊娠、という事態に陥ってしまったのは、想定外であった。
それでも、それが不幸、ということはなく、ミューズは新たな選択肢として、それを
受け入れていく。
軍籍は、そのままに。
予備役軍人として、登録を変えた。
一年に一度の訓練は、義務としてこなさなくてはならないが、それ以外は、特別の
呼び出しがない限りは、行動の自由は保障される。
そんな訳で、今は、ミューズは育児に、家事にと、めまぐるしい日々を過ごしていた。
勿論、イズミは当然として、アスランもカガリも、家のことをミューズひとりに押し付ける、
ということはない。
手が空けば、分担の作業、振り分けということになっても、誰ひとり文句を云わない
処は、実にすばらしい。
もっとも、アスランもカガリも、そのことに関しては、今更、という感が強い。
長年、共働きで、家のなかをやりくりしてきたせいか、特別、なにも苦痛を感じていないようだ。
むしろ、当たり前、という風にすら見える。
イズミ自身も、驚く程、よく動く。
元、王子という立場でありながら、そのことに胡座をかくわけでなく、積極的に物事に
関与しようとする様は、好感を与えた。
過去、『アマテラス』に、彼が研修の名目で、一ヶ月滞在した時も、身分ということに関係なく
働く様は、ミューズも見て知ってはいたのだが。
改めて、それをまじかに見ると、より好感度が増したのは、当然で。
「他にすること、ないの?」
などと、訊かれると、逆に「少し、坐っていて!」と、ミューズが口を尖らせる始末だ。
行動的に、動いてくれることは、非常に嬉しい。
だが、仕事のこと以外にも、彼に負担を掛けることに、ミューズは程ほどで良いのにと、
心配げに瞳を揺らす。
そんな、彼女の顔を見るたびに、イズミは苦笑で応えた。
「疲れた時は、ちゃんと云う。嫌なら、嫌できちんと伝える。だから、それを苦痛に思わないで。」・・・と。
止めに、「やりたいんだ!」と迫られれば、ミューズには、それ以上、彼を止める理由が見付からない。
やっていることを、『義務』に感じるのではなく、それを『楽しみ』という思考に転換させてしまうのは、
イズミの大らかな性格、故なのだろうか。
全てのことをひっくるめて、ミューズは、置かれた環境の、恵まれ度に、感謝した。
きっと、自分ひとりで、全部をやれ、など言われたら、発狂するかも・・・
と、大袈裟なことまで考えてしまう程、恵まれていると思う。
気持ちにゆとりがあれば、どんなにサクラが泣いても、それを苦痛には感じない。
むしろ、柔らかい気持ちで受け止めてやれる。
赤ん坊が泣くのは、仕事だから、という風にだ。
そんな、ある日。
家にひとりで残っていた、ミューズのもとに一本の電話のコールが響く。
受話器をとり、会話をしたのは、彼女の母である、カガリだった。
サクラを本邸に居るマーナに預け、大至急、官僚府に来るようにとの、指示。
ミューズは、今までにない、緊迫感を含んだ、母の声に違和感を感じた。
それでも、云われるまま、久し振りに軍服に袖を通し、官僚府に赴く。
執務室の扉を開けた途端、鎮痛な面持ちで、佇む三人に、彼女は首を傾げた。
ピリピリと肌に感じる、緊張感。
しかし、その空気が、なにを意味するのか、彼女にはわからない。
「・・・どうしたの? みんな、怖い顔して・・・」
洩れた、ミューズの問い。
が、それに即答するのは、誰ひとり居なかった。
「・・・ミューズ。」
「なに?」
イズミの呼び掛けに、ミューズは応える。
「君に、こんなお願いをするのは、見当違いだとわかっているけど、・・・
お義父さんと、お義母さんを説得してもらえないか?」
「・・・説得、って。 そんな内容もわからずに、いきなり切り出されても、
なんだかわからないわ!」
ミューズは、デスクに居、両手を顔の前で組んでる、母親と、その横に佇む、
父を交互に見やった。
「・・・父上とトナム兄上が、・・・誘拐された。」
突然、切り出された、イズミの言葉に、ミューズは驚愕する。
「えっ!? ちょっと、どういうこと!?」
イズミの苦渋に満ちた面持ちに、ミューズは焦った声をあげる。
「たった今、齎された情報で、ユーラシア諸国の外遊中に、拉致されたと。
中立を掲げる国の方針を疎む、テロリストグループの犯行らしい。」
イズミの漏らした言葉を訊き、ミューズは愕然とした。
「・・・ブルーコスモス?」
「まだ、確定ではないけど、・・・おそらく。」
ミューズにとっては、義父である、スカンジナビア王国、国王に会ったのは、イズミとの
結婚を決める前の一度だけ。
だが、その一回での、出会いで、その人柄の良さは、心地良いくらいに、好感で、
その場に同席してくれた、イズミの兄たちも、また然りだった。
「監禁場所は、スエズ近郊らしい、ということしかわからない。 だが、状況によっては、
軍の派遣を・・・」
「軍の派遣、って。 あそこは、ザフトの統治下圏じゃない!? 軍の派遣ということに
なったら、国家間の交渉になってしまうわ。」
「わかってる! けど、俺にとっては、大事な家族なんだッ! 私情を持ち込むな、と
お義父さんにも、お義母さんにも言われた! でも、見殺しになんて、俺には出来ないッ!」
血の叫び。
イズミの、必死な訴えに、ミューズは黙した。
「・・・もし、この件で、協力が得られないのなら・・・ 俺は、・・・俺、個人での行動を
選択するしかない。 ミュー、折角、君と一緒になれたけど、・・・巻き込まないためには・・・」
「嫌よッ!!」
イズミが、漏らしそうになった、最悪の言葉が察知でき、ミューズは叫んだ。
「サクラはどうするの!? あの娘を、父親のない子にする気なの!?」
「そんなことは、俺だってしたくない! でも、俺が国許に戻れば、自国の軍を動かせる!
父と、兄を助けたいんだッ!!」
イズミとミューズの言い争いを黙して訊いていたカガリは、一度、中断を合図するように
手を打った。
はっとし、ふたりは、デスクに居る、カガリの顔を見た。
「まだ、確定の情報が齎されたわけではない。 もう少しだけ、様子をみよう、イズミ。
動く時期がきた、と判断したら、その時にまた考える。」
「・・・はい。」
カガリの言葉に、イズミは説き促され、震える拳を握り締め、俯く。
まんじりとせず、夜を明かし、重苦しい空気は拭われることはなかった。
翌日を迎え、正午を過ぎた時、新たな情報が齎された。
「ガルナハン?」
ミューズは、オーブ政府にホットラインで齎された情報に瞳を開く。
軍に属してるとはいえ、ミューズに実戦の経験はない。
地区の名称を言われても、詳しいことはわからない、という処が本音だ。
「アスランは、あの辺の事情は、網羅してるよな?」
カガリは、隣に佇む、伴侶の顔を伺い、尋ね訊いた。
「・・・ああ。」
ぽつり、と漏らした、簡潔な返事。
過去、彼自身が、ザフトに復隊した折、連合の圧制に苦しむ、地元住民の協力のもと、
攻略作戦に参加した経歴が、彼にはあった。
元々、ガルナハン近郊は、ザフトの駐屯地がある、マハムール基地からの、侵攻が
幾度も行われた場所である。
しかし、険しい渓谷が、自然の要塞と化し、高台に設置されていた、連合軍の最強兵器、
“ローエングリーン”という名称を持つ、陽電子砲のおかげで、攻めあぐねていた、という
経緯があった。
かれこれ、20年も前のことではあるが、地元民から齎された情報を元に、使われることが
なくなった廃坑の隠し通路を使っての、奇襲作戦は、見事に成功を納めた。
カガリは、デスクで考え深気に、顔の前で両手を組み、言葉を紡ぐ。
「・・・どうやら、犯行グループのなかには、技術者が混ざっているみたいでな。
陽電子砲を修理し、その地下にアジトを作って、立て篭もっているらしい。」
「直したって!? あの、砲台をかッ!?」
信じられない、というような声をあげ、アスランは瞳を開く。
「しかし、今は、ザフトの勢力下にある地域なのに、何故!?」
「破壊、遺棄、放置された施設だったからな。 警備が手薄になっていたのを襲われたようだ。
オマケに、連合からの横流し品があるようで、10機程度だが、“ウィンダム”の配備も
確認されたそうだ。」
「・・・なんてことを。」
あんなに、苦労して、落としたものを、過去のこととはいえ、あっさりとテロリストたちに
利用されるとは、間抜けもいい処ではないか。
平和を長く維持し続けた分、どこかに緩みが出来てしまったのか。
あまりの、出来事に、アスランは苦虫を潰した表情を浮かべた。
「プラント本国に連絡はついた。マハムール基地では、人命救助を優先とする、協力要請
は確保できた。 今、オーブで、あの砲に対抗できるモビルスーツは、・・・アスラン、お前の
“インフィニットジャスティス”と、ミューズの、“アカツキ”だけだ。 あまり、大きな部隊を
編成するのは、目立つ要因になるので、先に、輸送機で・・・」
「ちょっと待ってッ! お母さんッ!!」
「ミューズ?」
カガリは怪訝な顔つきで、愛娘の顔を見やる。
「使えるモビルスーツは、お父さんの、“ジャスティス”と、私の機体だけって、“ストライクフリーダム”は?」
「パイロットがいないだろ?」
アスランは、厳しい視線を、ミューズに向けた。
「キラ叔父さんに・・・」
「駄目だ。 キラはもう、軍属の人間じゃない。 一般市民になった者を、モビルスーツに乗らせる
わけにはいかない。」
「なら、イズミが居るじゃないッ!! 彼だって、優秀なパイロットよ!」
「イズミは、生粋のナチュラルだ。 あの機体を乗りこなすことは、不可能だ。」
断言ともとれる口調で、アスランは云い告げる。
「でも、以前、お父さんとの、実地戦で、私は乗れたわ!」
「それは、お前の『血』が特別だから、出来たことだ。」
「特別?」
ミューズは、アスランの言葉に驚き、瞳を瞬かせた。
「俺の、コーディネイターとしての、『血』だよ、ミューズ。 お前の、パイロットとしての資質は、
俺から受け継いだものだ。 ・・・それに、随分前に、マルキオ導師に云われたことがある。
俺も、カガリも、『シード』を持つ者だと。」
「『シード』?」
「それが、なんなのか、今もわからないがな。 お前とした、一騎打ちでの、戦闘での最後、
俺の一瞬の隙をついて、レールガンを突きつけた、あの時、・・・なにかを感じなかったか?」
「・・・」
ミューズは黙す。
正直、あの時は無我夢中で、頭のなかは真っ白だった。
唯、云えることは・・・
母、カガリの静止の声が掛からなければ、そのまま引き金を引いていただろう、ことだけだ。
弾が、ヒットしない、ということは、正直、怒りの原点ではあったが、本当に当てるつもりは
なかったし、まして、愛する父に手を下しそうになるとは、思わなかった出来事である。
ふたりの会話を、黙って訊いていた、イズミは、絞り出すように、言葉を口にした。
「・・・ミュー、俺に、君の“ムラサメ”を貸してくれないか? 噂で、名は知っていたが、
俺には、『伝説』と詠われる、モビルスーツを扱うのは、無理なのは云われなくてもわかる。
でも、“ムラサメ”なら、俺が乗り慣れている機体だ。 ミューの“ムラサメ”は、最高レベル
までパワーをあげてある。 ・・・俺の問題なのに、ふたりに任せて、傍観なんて出来ない。
・・・足手纏いにはならないから、・・・俺も連れていってくれ! 頼むッ!!」
イズミの、苦しげにあげた声に、カガリとアスランは、顔を見合わせる。
その、ふたりの表情を見、ミューズは後押しをする言葉を紡ぐ。
「私からも、お願いします。 お父さん、お母さん。 ・・・イズミは、私の夫になったひとよ。
彼の家族は、私の家族なの。 ・・・だから、全身全霊を込めて、努力をしたい。 イズミが、
望むことを、叶えさせて。 ・・・お願い。」
ミューズは、深々と頭をさげ、目の前のふたりに嘆願した。
「・・・わかった。 但し、指揮の全権は、アスランに託してある。 迂闊な行動をすれば、
喩え、俊敏さが取り得のモビルスーツでも、唯ではすまない。 わかるな? ふたりとも。」
カガリの重さを含んだ警告に、ミューズとイズミは強く頷く。
「先発で、お前たち、ふたり。・・・それと、アスラン?」
「ああ、わかってるよ。」
アスランは苦笑し、カガリの顔を見やった。
「私は、三人の後を追う形になってしまうが、『アマテラス』でスエズに向かう。」
決定の響きを含み、カガリは、その場に佇む、面子の顔を見渡す。
「出発は、明朝。 06:00(ゼロロクゼロゼロ)とする。」
無意識の意思表示。
イズミとミューズは、アスランとカガリに向かって、敬礼をした。





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