若者の手厚い看護に、少女は驚くほど、早い回復の兆しをみせた。
それでも、月日にして、一ヶ月余り。
流石に、骨折した肋骨までは、完治とまではいかなかったが、
身体に無数に残っていた痣は消えた。
彼のテントで、保護され、戦況を見ながらの現状が続くなか、
少女に齎された、朗報。
「捕虜交換の日取りが決定した。」
何事もない表情で、若者は、少女に伝えた。
「・・・そ、・・・っか。」
彼のテントで、過ごした日々は、ふたりに思わぬ感情を抱かせ始めていた。
敵、という認識でありながら、相手を憎むところか、初めて感じた親近感は、
更に向上し、僅かな信頼関係を結ぶまでになっていた。
自分の国のこと、政情や宮廷でのことなど。
本来であれば、そのような事柄を口にするのは、スパイ行為にも値する。
だが、ふたりは違う視点で、そのことを考え、討論を打ち交わしていたのだ。
・・・どうすれば、この戦争に決着がつくのだろうか、と。
憎しみの連鎖を断ち切るには、なにをすべきなのか、ということを。
考えても、一長一短には結論はでなかった。
それでも、熱く語り合う内に、親密さは増し、絆を深めていくという道程を生むことになる。
「三日後だ。」
「え?」
若者が口にした言葉に、少女は瞳を瞬かせた。
「停戦は一時的なものに過ぎないだろうが、それでも捕虜の交換は、仮の安全を
保障する盾になる。 国境までは、俺が君を送るから・・・」
僅かに、寂しさを含んだ笑みを浮べ、若者は少女の顔を見詰めた。
「・・・もう、お前には会えないのかな?」
ふと、漏らした少女の囁きに、若者は瞳を開く。
「・・・お互いの国に、真の平和がくれば、また会える機会もあるかもしれない。」
言葉は、決して、確定ではないことはわかる。
「・・・世話に、なった。 迷惑、いっぱいかけてごめん。」
「気にするな。」
少女の詫びの声に、彼は苦笑でもって応える。
捕虜交換の日程に従い、若者は自分の愛馬に彼女を乗せた。
少女の背後に、自分も跨り、小さく黒馬の腹を蹴る。
前日まで、ふたりは寝ることも惜しみ、語り合うことをやめられず、少々眼が腫れている。
「ひどい顔だな? お前。」
くすり、と少女は背後の若者の顔を見、笑う。
「君だって、同じだろ?」
本当なら、テントで過ごした日々の時のように、声をあげて笑いたかった。
しかし、他に居並ぶ将校たちの手前、あまり親密さを露呈するわけにもいかず、
ふたりの声音は、ひそひそ話しに近い。
小一時間、騎乗した馬は、やがて、ふたりが初めてみまえた、あの川へと差し掛かる。
「・・・お別れだな。」
下馬しながら、若者は少女に手を貸し、降りることを手伝い、言葉を紡ぐ。
身軽に、少女は地面に足をつけ、彼の瞳を見詰める。
深い、翠の神秘的な色を称えた、彼の瞳。
自分に生ある限り、この瞳を忘れることはないだろう。
彼女は、無意識のなかで、そんなことを思った。
不意に、少女は自分の首筋から革紐で止め細工を施した、小さな紅い石を飾った
ネックレス状の掛け紐を外した。
「これ。」
「えっ?」
若者は驚き、瞳を瞬かせる。
やや強引に、少女は若者の首に、その革紐のネックレスを掛ける。
「こんなものしかないけど、これは私の国の『護り石』なんだ。お礼には、程遠い
ものだけど・・・。」
直ぐに苦笑を浮べ、若者は優しく笑む。
「ありがとう。」
「礼を言うのは、私の方だ。」
少し照れた微笑み。
少女のはにかんだ、可愛い笑顔に、彼は優しく微笑返す。
別れの儀式を済ませ、ふたりは、背を向ける。
離れた距離。
過ぎる思いは・・・
また、逢いたい、という想いだった。




時は流れ、珍しくも、仮にと結ばれた、停戦条約は、守られ、仮初や偽りのもので
あるとわかりながら、一応は平穏な日々が流れていた。
もっとも、長期に渡っての、戦争なのだから、両軍とも疲弊甚だしく、直ぐに開戦に
至れないだけのことだったが。
若者は、あの捕虜交換の日以来、呆然とした毎日を過ごし、平穏な日常を
おくってはいた。
争うことのない、日々。
実に、ありがたい事であるはずなのに、なにかが抜け落ちてしまったかのように、
虚無の毎日を過ごしている。
・・・思い出すことは、かの少女のこと。
元気でいるのだろうか。
石窓の桟を背に腰掛、膝に乗せてあった本は、いつのまにか、部屋の石床に
落ちていることにも気がつかない。
ぼ〜とした、虚ろな瞳は、空を仰ぐばかり。
何故、こんなに寂しいと、思うのだろう。
わからなかった。
その思いが積もり積もった、ある日。
彼は、愛馬に跨り、自分の屋敷をあとにする。
逢える保障など、なにもない。
別に、約束を交わしたわけではないのだから・・・
それでも、はちきれそうな思いを静めることは出来なかった。
二日の行程をかけ、若者は、彼女との出会いを果たした、あの戦場となった、
川を目指した。
闇空に、ぽっかりと浮んだ、満月。
ここに来たから、なにになるというのか。
あまりにも滑稽で、彼は馬上で自嘲的な笑いを漏らした。
刹那、対岸に嘶く、白馬の姿を認め、彼は瞳を開いた。
「・・・」
言葉もでず、唯、見詰めることしか出来ない。
白馬に騎乗するのは、・・・逢いたい、と願った少女。
なにも考えられなかった。
ふたりは、乗っていた愛馬を飛び降りると、川に踏み込んだ。
くるぶし程度までしかない、水量。
水飛沫をあげ、丁度、川の中央で、ふたりは再会を果たす。
迷わなかった。
きつく抱き合い、久し振りの逢瀬に、胸を焦がす。
「・・・逢いたかった。」
「私もだ。」
互いに離れ、逢えなかった日々は、ふたりの感情を、『恋』へと昇華させていた。
その日を境に、ふたりは人目を忍び、逢瀬を重ねていく。
若者は、少女に、一羽の鳩を贈った。
その翼は、ふたりを繋ぐ、連絡手段。
幾度となく、出会いを重ねる度、いつしかその関係は、男と女の繋がりにも
移り変わっていくことになる。
当時、嫁ぐ前の娘が、純潔を失うことは、最大の禁忌。
若者は、告げる。
妻に、なって欲しい・・・と。
喜んだ、少女の笑みは、すぐに曇る。
・・・これは、許されない恋だとわかっている。
互いの国は、争いあってる関係なのだから。
だが、ひとがひとを求め合う感情に、歯止めなど出来様はずもない。
重ねる逢瀬の日々のなかで、若者は、少女に、妻の証としての、紋を刻んだ
短剣を渡した。
「俺は、生涯、結婚はしない。 ・・・俺の妻は君だけだ。」
若者は、愛しい存在となった少女に、ひとりの騎士としての誓いをたてる。
少女は涙を浮べ、その言葉を信じた。
・・・そして、別れは再び訪れた。
予期せぬ、出来事。
若者の実父に、ふたりの関係が知られ、彼らは引き離された。
どんなに泣き、叫んでも、二度と逢うことも、触れることも届かない場所に、
ふたりは幽閉されてしまう。


空に、ふたりを繋ぐ、翼が舞う。
・・・それは、最後の言葉を乗せて、羽ばたく。




『・・・今は、許されなくても、・・・未来、再び出会えたなら、必ず一緒になろう。』




失意のなかで、ふたりは短い人生を、自らの手で絶った。
少女は、若者が、妻の証として贈った短剣で、喉を突いた。
若者は、如何なる戦場でも、携え、離さなかった、長剣で・・・。
時を同じくして、ふたりの身体から、離れていく、光の玉。


-----未来。
出逢える、奇跡を信じて・・・。



光の玉は、闇をさまよう。
愛しい存在を求め、漂う光は、慟哭の叫びをあげた・・・。




----- 時は流れ、遥か、先。
時代は、加速し、人類は、その生活領域を、《宇宙》にまで広げた。
C.E.  『コズミック・イラ』、と呼ばれる時代の到来。
時のうねりは激しく、同じひとでありながら、人種を二分した、隔壁の世界になっていた。
ナチュラルと、コーディネイター。
優秀な遺伝子を生まれながらに持ち、地球に住まう、ナチュラルを蔑む、コーディネイター。
類い稀なる、その知才を持つ、コーディネイターを疎む、ナチュラル。
醜く、植え込まれた感情は、やがて、戦争という、最悪の形で互いの衝突を表面化させていく。
そんな時代のなかで、生まれた生命は、新しい肉体をもって、この世に生を受ける。
ひとりは、コーディネイターとして。
もう、ひとりはナチュラルとして・・・。
『運命』の輪は廻る。
再び、見まえた、奇跡が始まった。



C.E.70   ----3月8日。


名も知らぬ、無人島で、ふたりは出会った。
深層意識のなかで、互いの魂は叫ぶ。
《見つけた。》 ・・・と。
本体である、『今』の身体に湧き上がる、奇妙な親近感。
結局、望まぬ形で一夜を過ごしたふたりは、名を明かし、わかれた。
だが、それは、再び始まった、出逢いのプロセスにしか過ぎない。
求め合う想いは、止めることすら出来ない程強いことを、この時の
ふたりは、気づくはずもなかった・・・







  ◆     ◆     ◆     ◆






                                    


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