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それは、遥か昔の史実。
歴史に刻まれし、過去の時代-----。





西暦1339年から1453年。フランスとイングランドの間で時折中断しながらも
百年余り続けられた、戦争。
後に、この戦いは、世に有名な、『百年戦争』と名称される。
国境と決められた、名もない、川を挟み、睨み合うフランスとイングランドの両軍。
いつ、均衡が崩れ、戦闘開始になるやも知れない、緊迫した空気が、その地を
支配していた。
大鷲が、両の翼を広げたかのように、布陣するイングランド側の左翼の陣に、早馬の
伝令が口頭で告げられる。
黒馬に跨った騎士は、頷き、その伝達を自分が纏め上げる隊の部下に指令した。
「俺たちの部隊は、ここから見て右翼に展開中の、『白獅子』を旗印とする、
隊を切り崩す。 各人、奮闘を期待する。」
騎乗の若者の声に応えるように、勇ましい歩兵たちの雄叫びがあがった。
黒馬に騎乗する男性。
年の頃は、まだ見るからに若い。
丁度、少年から、青年へとの渡河期なのだろうか。
印象の強い、翡翠の瞳を揺らし、若者は自分の腰に携えた長剣を引き抜いた。
戦闘開始の合図、角笛の響きが、静寂を突き破る。
「突撃ッッ!!」
若者の声に反応し、促され、武器を手にした兵隊たちの群れが走り出す。
両軍が激突する、凄まじい怒号。
大地は揺れ、血匂漂う、湿地での戦闘は苛烈を極める。
若者が掲げたのは、自隊の旗。
『有翼獅子』、グリフォンのエンブレム。
獅子の翼は、紅く染め上げられ、その周囲には幾何学的なデザインを模っている。
勇猛果敢に、若者は、手にした長剣を揮い、己が定めた敵陣へと、愛馬を駆る。
相手の兵士たちも、なかなか手強い。
そう易々とは、崩れない。
若者は苛立ちを隠せず、辺りを伺う。
敵部隊の中央、指揮官らしい、甲冑を纏った、白馬に跨る、ひとりの騎士の姿。
その姿が視界に飛び込んできた刹那、彼は迷わず愛馬のわき腹を蹴った。
あれだ。
あの騎士こそが、自分の狙いそのもの。
直感がそう告げる。
首を取れば、勝機は自軍に傾く。
敵軍の右翼は、総崩れになるはずだ。
「勝負ッ!!」
騎士道のひとつ。
挑まれた立会い、一対一の駈引きは、なんびとたりとも手出し無用のルール。
白馬の騎士も、若者のその申し出を受け、手にした長剣を掲げた。
互いの命を賭けた、真剣勝負。
猛然と突進する黒馬は、人垣の山をものともしない。
二頭の馬は、凄まじい勢いを伴ない、すれ違う。
瞬間、黒馬の若者の剣が、白馬の騎士の兜を跳ね上げた。
「チッ、掠った!?」
黒馬に騎乗する若者は、敵を討ち損じたことに、小さく悔しげな舌打ちを漏らす。
衝撃をもろに喰らったのか。
兜のしたから覗いた、見事な金髪に一瞬、眼を奪われた。
勝気そうな、金の瞳が、若者を睨みつける。
「まだ決着はついていないッッ!!」
白馬の騎士は、叫び、馬首を切り返し、再び剣を討ち込んでくる。
少年?
でも、男にしては、なんて小柄な身体つきだろう。
今更気がつき、若者は手にしていた剣を鞘に収め、代わりに愛馬に装備していた
長槍を手にする。
手心を加えるつもりは、さらさらなかった。
が、今、眼にした、『彼』の命を奪うのも忍びなく思え・・・
体躯の差は歴然。
勝敗は決まったも同じだ。
黒馬の若者は、槍先を返し、握り柄で、相手の騎士の胴部を一撃した。
激しい衝撃に、小さな身体は、地面に転がり、闘志を燃やした瞳はそのままに、
意識を手離してしまった。
・・・戦場で、情けを掛けるなど。
この、地面に横たわる騎士にとっては、屈辱以外のなにものでもないだろう。
若者は、下馬し、意識のない小さな身体を、愛馬の鞍に担ぎ上げた。
「隊長!? 止めは差さないのですか?」
駆け寄ってきた、ひとりの兵士に、彼は苦笑を浮かべた顔を向け、愛馬に跨る。
「捕虜だ。」
一言、言葉し、彼は落ち着き始めた戦況の状態を冷静に見極め、退却の
号令を下す。
戦いに負け、拿捕されれば、身柄の自由など、なんの保障もされない。
運良く、祖国に戻れたとしても、正気を保っている者は少ない。
多くは拷問を受け、二度と戦場に戻ってこれない体にされ、身形が整っていれば、
将兵たちの慰みものになるのが通例である。
こんな光景は、極日常のひとコマに過ぎない。
戦場を後にし、遠ざかっていく、黒馬。
勝利を手にした、イングランド軍は、定めた陣営へと移動を開始した。
金髪の少年を連れ帰った若者は、自分のテントへと歩を進める。
かなりの高級将校なのか。
個人に振り分けられたテントに、彼は姿を消す。
肩に担いだ少年を、テントに備え付けられている簡易ベッドに横たえ、若者は
翡翠の双瞳で、見下ろした。
汗に濡れ、額に張り付いた金髪を梳く指先。
自分の身に付けていた甲冑を脱ぎ、若者は再びベッドの前で片膝を落とす。
・・・こんな、年端もいかぬ、少年すら、戦地に送らねばならぬ程、敵のフランス軍は
人員不足なのかと、ぼやきが漏れた。
まだ、意識の回復しない少年の甲冑を脱がせ、若者は手当てを施し始める。
鎧の下に、身に付けた身体を守るための、鎖帷子を取り除き、なかに着込んだ、
白のブラウスに手を掛ける。
こんな小さな身体に纏う甲冑は、さぞ重荷の筈。
装備の総重量を簡単に頭で弾いても、有にある重さは40kg近い。
ひとつ、ふたつ、とボタンを外すうち、覗いた胸元の、ぐるぐる捲きにされたサラシに
彼は首を捻った。
自分以外の人間に、怪我でも負わされたのか、と疑問が過ぎる。
が、外したボタンが、それは違うのだと、教えた。
「・・・お、女の子!?」
慌て、彼は開いた胸元のブラウスを閉じた。
・・・これは、非常に拙い。
万が一、この少年と見間違った、少女の性別が露見すれば、女日照りの戦場では、
忽ち餌食になってしまう。
情けなど掛けずに、あのまま捨て置いていた方が、彼女のためには良かったのか。
若者は唸り、額に手を当て考え込む。
とにかく、連れ帰った以上、この状態で放置することも躊躇われた。
若者は少女の胸を縛りつけていたサラシを解く。
呼吸が楽になったのか、少女の顔に血の気が戻り、頬に赤みがさし始める。
よくよく見れば、なんて可愛い顔立ちだろう。
若者は、不謹慎にもそんな思いに囚われ、自己を律するかの如く、咳払いをひとつした。
落ち着きを取り戻し、次に巡ってくる思考。
何故、彼女は・・・ 女の身で、戦場に立ったのか、ということ。
まあ、そのことは、いずれ、少女が眼を覚ました時にでも、問えば済むか。
彼は、桶に用意した水で、布を絞り、少女の身体の汗を拭った。
肌を清潔にした後、彼は少女の身体の負傷箇所を的確に見抜いていく。
医術の心得でもあるのか・・・。
「肋骨、一本折ったか。」
先程の戦闘で、当身を喰らわせた時の傷。
他にも眼を配れば、白い肌には、紫色の痣が処何処に散らばっていた。
嘆息し、彼は、その細い身体に包帯を廻し捲きつけていく。
打ち身の部分には、湿布薬を塗りつけたガーゼを貼る。
処置が済んでから、彼はテント内に置き備えた、簡素な机に向った。
それと対に置かれた木製の椅子をベッドがある方向に反す。
彼は腰を落としてから、片足を組んだ。
程なくして、ベッドから洩れ、聞こえる、苦しげなうめき。
少女の瞼が緩々と持ちあがる。
「気がついたか?」
「お、お前ッ!! ッあっ!!」
自分を討ち倒した、憎い敵。
痛みに顔をしかめ、少女は起こそうとした半身で、わき腹を抑える。
「まだ、寝ていた方がいい。 肋骨が一本、折れているからな。」
苦笑を称えた若者を睨みつける、金の瞳。
力強さを失わない耀きに、若者は諭すように言葉を紡ぐ。
「ここは、イングランドの本陣だ。あまり騒ぐな。」
「・・・私は、お前に拿捕されたんだな。」
若者に、睨んだ視線を外さず、少女は苦しげに言葉を吐き捨てる。
「そういうことになるかな? ・・・このテントは、俺個人の所有だから、お前のことは
秘密に出来る。」
「庇うのか? 敵である、私を。」
少女は瞳を開き、椅子に座す若者を見やった。
「庇う、という言葉は適切なのかな? 唯、君が『女』であることがわかれば、・・・
どんなことになるかは、云わなくてもわかるだろう?」
彼が漏らした言葉が、容易に想像でき、少女はぞわりと駆け抜けた背筋の寒気に
身震いする。
「・・・お前だって、同じこと、するんだろ? だったら、敵の女なんか、放りだせば
いいじゃないか。」
小さく、呆れた息をつき、若者は少女を見詰めた。
「そう、されたいのか?」
態と意地悪気な問い掛けをしてみる。
一瞬で、身体が強張った少女の姿態に、彼は苦笑で応えた。
「安心しろ。 俺は、君を粗雑に扱ったりはしない。 条約に定められた捕虜交換の
日取りが決まるまで、君を保護するつもりだ。」
「えっ!?」
驚愕の色を灯した、金の瞳を見、彼は緩く笑った。
「俺は、国じゃ、ちょっとした名のある家の人間だ。 御婦人に対する礼儀は心得ている
つもりだから。 騎士道に恥じる行いはしないよ。」
彼の言葉を訊き、少女は机横に掲げ置かれている、旗章の紋を改めて見やる。
「・・・紅い翼の、グリフォン。 お前、『飛翔将軍』なのか!?」
「その名を持つのは、父だ。 俺じゃない。 俺は、その将軍の出来の悪い、息子さ。」
「出来悪い、って・・・ だって、さっきはあんなに・・・」
先程の光景。
優美なまでに、剣を振り捌き、自分を討ち負かした若者の口にした言葉に、少女は
瞳を開いたまま。
「大隊を任せられてはいても、その功績だけでは、父を満足させることは出来ない。
本当なら、こんな処で戦に明け暮れるなんて、したくない事だけどな。」
力だけが物を云う時代。
きっと、目前に座す若者も、名家のどこぞの御曹司なのだろうが、人となりの苦労らしい
ものは抱えているのだろう。
「・・・それは、国が違ったって、誰しも思うことじゃないか?」
会話を重ねていくうちに、ふたりの胸に宿った、奇妙な親近感。
「君こそ、女の身空で、何故、戦場に?」
「・・・」
若者の、当然の問い。
少女は視線を外し、口を閉ざす。
若者は、幾度目かの苦笑を零した。
「ま、良いよ。 無理やり聞き出してもしょうがない。 君が話してくれる気になった時で。
・・・とにかく、今は身体を休めて、傷を治せ。」
若者に促され、少女は素直に頷いた。






                                      


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