『 海岸沿いで 』〜 プロローグ 〜
その出来事は、アスランとカガリが挙式を無事に終え、一ヶ月ほど
たってからの出来事。
アスランは、早足でモルゲンレーテの中を移動していた。
きょろきょろと、辺りを見回す姿は、誰が見ても『人探し』にしかみえず、
その様子を見つけたジュリが人懐こそうな笑みを浮べ、彼に近づいていく。
「こんにちわ。どなたか、お探しなんですか?」
「え?・・・あ、こんにちわ。・・・あの・・・シモンズ主任はどこにいるか解りますか?」
彼は返事を返しながら、緩い笑みを湛え、探し人の行方を尋ね聞く。
「主任・・・ですかぁ〜〜?」
自分に用ではない、ということが解った途端、ジュリはさも詰まらなそうな風体で
受け答えをしだすのにアスランは苦笑を漏らす。
「主任なら、多分、自分のオフィスに居ると思いますよぉ〜」
「ありがとう。」
簡潔に礼を述べ、アスランは踵を返す。
教えられた場所で、彼は呼び出しのインターフォンを押した。
幾らも待たない内に扉が開き、室内にいた女性は柔和な笑みでアスランを迎え入れる。
「珍しいですわね。 こちらに貴方が来るなんて。」
エリカ・シモンズは、ややからかった口調でアスランを嗜めた。
「すみません、お忙しい処を。・・・あの・・・時間を少しいただきたいのですが・・・」
「・・・なんですの? また、改まって。」
エリカは、アスランにソファに座るよう薦めながら、持成しに煎れ立てのコーヒーを差し出す。
それを受け取り、彼は手の中で受け取ったカップを包み込み、俯いていた視線をあげ、
エリカを見詰めた。
「・・・カガリのことで相談したいことがあるんです。」
「カガリ様の?」
如何にも、何事かと言わんばかりにエリカはソファのアスランを凝視した。
「・・・夜、・・・その寝てると・・・うなされるんです。・・・カガリ。」
「うなされる?」
「はい。・・・『お父様』て言って、すごく辛そうな声で。 俺、見ていられなくて
いつも彼女を起こしてしまうんですが、聞いても『なんでもない』しか言ってくれなくて。」
アスランは鎮痛な面持ちで、事の経緯をエリカに伝えた。
「PTSD?・・・を疑っているのかしら?」
「解りません。・・・でも、多分。 だから、早めにカウンセリングとか、そいうものを受けさせた
方が良いんじゃないかと思うんですが・・・ 俺、そういうツテを全然知らなくて。」
「私の処に相談、てこと?」
「すみません。」
彼は素直に頭を下げた。
PTSD。
《心的外傷後ストレス障害》の略である、ソレ。
災害や被災、予期しない状況に陥った時、ひとはふとした瞬間に、体験した忌まわしい
出来事を思い出す。
それがPTSDと呼ばれるものだ。
カガリ自身、多忙な政務に日々忙殺され、心の内に閉じ込めているのだろう。
普段はなにも変ることのない、明るく、気丈な彼女なのだが・・・。
本来なら、新婚間もなく、楽しいはずの毎日が、『眠り』という無防備な
状態になった時、芽吹くなにかを抱えているのだということを彼は知ってしまった。
このまま放ってなどおけない。
カガリの、・・・彼女の苦痛を少しでも取り除いてやれるのは、夫となった自分にしか出来ない。
アスランは使命にも似た思いを抱き、それをなんとかしてやりたいという一心で、エリカの元を
尋ねたのだった。
「畑違いの相談かと思います。でも、どなたかお心当たりがあれば・・・」
彼は真剣な眼差しをエリカに向ける。
「カガリ様は幸せね。貴方にこんなに想われて。」
エリカは嬉しそうに柔らかく微笑した。
物心ついた時から、カガリはエリカのことを母のように、時には姉のように慕い、
様々なことを相談してきた関係。
それは、アスランにとっても頼もしい存在のなにものでもない。
「私の大学の同期なんだけど、心理学を専攻していたコが居るわ。
今は、市の郊外で退行催眠を専門とするカウンセラーをやっているのだけど・・・」
「ぜひ、紹介してくださいッ!」
アスランは身を乗り出すようにエリカに言葉する。
頷き、彼女は自分のパソコンが置いてあるデスクに向った。
素早くメールを作成し、彼女はそれを送信した。
「内容は今送ったから。返事は貴方のメールアドレスに送るように書いておいたわ。」
「ありがとうございます。」
礼をし、アスランは飲みかけのコーヒーをテーブルに置き、休む間もなく
エリカの部屋をあとにした。
「カウンセリング!?」
その日の夕飯時、アスランはカガリを説得するように言葉を漏らした事に
彼女は訝しげな瞳で、テーブルの真向かいに座る彼をねめつけた。
「・・・その・・・あまり深く考えないで、軽い相談をするような気持ちでさ。」
苦笑を浮べ、彼は彼女を宥めるように言葉を続けた。
「・・・心配なんだ。 カガリが・・・」
「・・・アスラン。」
「こういうもの、頼るのもどうかとは思ったけど、少しでも君の気持ちが軽く
なれば良いな、と思って・・・」
彼の思いやりに、彼女は苦笑を浮かべた。
「解った。」
素直な彼女の返事を聞き、彼は心から安堵の笑みを零した。
彼女の了解を取り付け、ふたりは週末にクリニックを尋ねることを決める。
約束の日。
アスランは、愛車を駆り、カガリを同乗させ教え聞いた目的地を目指す。
オーブ郊外の緩い丘を昇りきった場所。
そこにひっそりと建つ建物。
一本道だったので迷うことなく辿り着くことができた。
クリニックと聞き及んではいたのだが、普通の一軒家のような作りにふたりは
視線を交わした。
家の表門には、確かに看板はあった。
車を降り、僅かに覚える不安な気持ちを隠し、アスランはカガリの左手を握る。
歩を進め、彼は扉の呼び鈴を鳴らした。
待つ間もなく、扉は開き、中からは温和な顔だちの女性がふたりを出迎えた。
「お待ちしていました。アスランさんとカガリさんですね?」
腰まで伸びたブロンドをふたつのおさげにし、レンズの大きい眼鏡姿。
鼻の頭にはそばかす、という風貌の女性。
エリカと同期、とは聞いていたが、なんだか見た感じ、大学院生のような容姿に
ふたりは驚いた顔を作った。
「あ、遠慮なさらないで。中にどうぞ。今、お茶いれますね。」
その対応が、まるで昔からの友人でも出迎えたような様子に、ふたりは目を瞬かせる。
どうぞ、どうぞ、と薦められるまま、案内され、隣接した居間に通され、着席。
唯、驚くことしかできない、アスランとカガリはことあるごとに、互いの視線を交わす。
「ローズティは飲めますか?」
素直に頷き、ふたりは出された芳醇な香りを湛える紅茶を啜った。
「ローズティは、リラックスさせる効果があるので、これからの問診には必要なんです。」
「・・・そ、そうなんですか。」
漠然とした返事しか返せず、アスランはローテーブルを挟んだ女性を見る。
「自己紹介がまだでしたね。 私、ジェシカ。 ジェシカ・カスティと言います。」
ぺこり、と頭を下げられ、ふたりも慌てて頭を下げ返す。
「それでは、いくつか質問があるのですが、よろしいですか?」
一瞬だけ緊張が過ぎった。
「これからのカウンセリングに必要なことなので。」
にっこり。
ジェシカは優しげな笑みを浮かべる。
「そんなに緊張しないでください。」
安心させるように勤めながら、彼女の質問が始まった。
ふたりの出会い、4年前に経験した戦争の出来事とその経過。
結婚に至るまでの大まかな話を聞き、ジェシカは言葉を紡いだ。
「おふたりは、『ヒプノ』という言葉は知っているかしら?」
話を聞き終わり、ジェシカは目の前のふたりに聞き尋ねる。
アスランとカガリは揃って首を横に振る。
「『ヒプノ』とは退行催眠療法のことで。私はレイキヒーリングで、アチューンメントしながら、
深層心理にある、原因を取り除くことをするんです。」
「レイキヒーリング? アチューンメント?」
意味がわからない、という表情でカガリは眉根を寄せる。
「あ、ごめんなさい。専門用語じゃ解りませんよね?早い話がハンドヒーリングの
ことなんです。アチューンメントは伝授の意味です。・・・で、ヒーリングを施すことによって
体内の『気』の調節を促すんです。」
「・・・はぁ。」
ふたりで顔を見合わせ、カガリもアスランも、初めて聞く単語に首を傾げるばかり。
「それと、この治療を行うにあたって、ご主人、・・・え〜っとアスランさん?
貴方にも一緒に受けていただいた方が宜しいのですが。」
「俺もですか!?」
仰天し、アスランは自分を指差した。
「ええ。 おふたりはご成婚され、夫婦という関係になってます。つまり、今回、
奥様・・・カガリさんに伺った症状がでる、ということは《食》《住》、常に共にしている
貴方自身の心情が感応していると思うんです。夫婦であるなら、当然、身体の接触も
あるわけですから。」
「感応?・・・ですか。」
「はい。 貴方も戦争体験者です。加害者であり、被害者でもある。・・・意識はしていなくても
それは貴方自身がお抱えのものではありませんか?」
切り込まれたジェシカの言葉は、アスランの胸にずしっ、と重い感情を抱かせた。
「この治療はどちらかひとりをしても、多分成立しないですわ。」
彼女の言葉を聞き、アスランは素直に頷く。
「解りました。 俺もカガリと一緒に受けます。」
「ありがとうございます。」
了承を得た喜びに、ジェシカは素直に嬉しそうな笑みを湛えた。
「では、こちらの部屋へ。」
案内され、ふたりは奥間の扉を潜った。
モダンな作りの部屋。
厚手のモスグリーンのカーテンを引き、ジェシカはふたりに室内中央に置かれた
ベッドソファに横になるよう指示した。
ひとつのシングルサイズをくっつけ、急ごしらえであったことを詫びられたが、
ふたりは首を緩く振った。
横たわり、不安気なカガリの瞳に彼は緩く笑んだ。
「・・・先生。」
「はい?」
「・・・あの・・・手を。アスランと手を繋いでも構いませんか?」
カガリの遠慮がちな声に、ジェシカは優しい笑顔で応える。
「ええ、構いません。逆にしてもらった方が良いかもしれないわ。効果が二乗するから。」
薄く頬を染め、カガリは隣のアスランの指先におずおずと自分の指を絡めた。
瞬間、その絡められた指先を、彼は強く手のひらで握り返す。
「アスラン!?」
「この方が安心できるだろ?」
優しい微笑。
カガリは、嬉しそうに緩い笑みを浮かべた。
「では、始めます。リラックスして、心を解放する気持ちで身を任せてください。」
ふたりはゆっくりと瞼を落とし、ジェシカの声に身を委ねた。
身体が沈んでいくような感覚。
だが、包まれた闇は、ひどく優しい感触だった。