『獅子の牙』A
話を聞けと言っても、この人はおとなしく話を聞いてくれないだろう。
そう感じた俺は、口元に浮かべていた笑みを消し、まだ満面の笑みを浮かべているユウナ・ロマの
口を掌で塞いだ。
ユウナ・ロマの瞳が、驚きで大きく見開かれる。
手を振り解かれないよう、空いているもう一方の手でうなじを掴んだ。
まるで魚泥棒をした猫を力任せに捕らえたような格好だ。こうすると互いの距離がとても近くなる。
それは、かなりその、勘弁して欲しい光景ではあったけど、そうも言ってられないだろ?
わかって欲しいよ、ぜひともね。
俺は静かに深呼吸をした。
言いたいことは山ほどある。でも感情任せの暴言は慎まなくてはいけない。
これ以上、カガリの傍を離されるのはごめんだ。
「……貴方は色々、誤解されているようだ。婚約者といえど、まだ婚前前ではありませんか。
純潔な花嫁というものを、国や伝統は好むのではありませんか? ましてや、男性なら特に」
声音は低く、口調は噛み締めるようにゆっくりと。
なんだか、情けなくて涙が出る。こんなことして、どうなるわけでもないのに。
「ですが、今のは私の本心ではありません」
ユウナ・ロマは、どうやらおとなしく聞いていてくれてるようだった。
いつの間にか、驚きの色は瞳から消えている。
怒りの色よりは弱い。でも、脅されている者の目でもない。
(俺の言葉を、待ってるのか……?)
言いたいことがあるのなら、言ってみろと?
「……私は代表の傍にいることしか出来ない。貴方の言葉は正しいですよ、俺は身の程知らずで
ボディガードにしては私情を挟みすぎている。正直に言えば、貴方がとても羨ましい。婚約者という名を持ち、
彼女に触れることが許されている貴方が」
俺はそこで一度言葉を切る。
ユウナ・ロマが、何かを言いたそうにじれったそうに動いた。
うなじを掴んでいる手に、反射的に力を込めて動きを押さえ込む。
そうしてそのまま、俺は吐き捨てるように言葉を繋いだ。
「だが、よく覚えておくんだな。ここはアスハ邸、そして代表は獅子の娘。獅子自身が貴方に
牙を振るわぬ時は、代わりに俺が彼女の牙となる。彼女は牙を沢山持っている、自身の牙が一番鋭くとも
俺たちの牙だって負けてはいない。せっかくだ、伝えておこう。俺は貴方を好ましく思っていない。
どうかお気をつけて。今度は尻だけでは済まないかも」
「離してやれ、アレックス。もうじゅうぶんだ、らしくないことするな」
「……は?」
俺は思わず、間抜けな声を出して声の聞こえた後ろへ、振り返った。
そこには、カガリがいた。
獅子の娘、アスハ代表がいた。
渋い赤色のスーツを着て、胸の前で両腕を組み、目は……笑っていない。
俺はちらり、ユウナ・ロマを一瞥した。
そうか、あの時こいつがもじもじ動いた時だ。カガリがちょうど、ここへ来たのは。
俺から解放されたユウナは、何度も手の甲で唇を拭い、カガリを見ようとはしなかった。
カガリはフンと鼻で息を吐くと、つんと顎を上げて笑う。
「驚いたな。キスでもする仲なのかと見守っていたら、なんの話をしている?」
「カガリ、アレックスは僕に……」
「黙っていてくれないか、私はアレックスに聞いている。おや、とてもひどい顔をしているぞユウナ。
顔を洗っていらしたら?」
カガリは口元に手を当て、くすり笑い声を零してみせた。
つんと上げた顎先で廊下の奥を差し、この場を去るように促す。
それを見て、ユウナ・ロマでなく、俺が肩をしょんぼり竦ませてしまった。
強くなった、な。カガリ。
君の方が言葉を選ぶのも、ユウナ・ロマの対処の仕方もずっと上手だ……。
ユウナ・ロマは軽く咳払いをし、俺を挟んで改めてカガリに向き直る。
表情が強張っている。
「……おやおや。先ほどとはだいぶ、態度が違うねカガリ。君の牙だという、アレックスがいるからかい?」
「ああ、そうだな。そうかもしれない。私は獅子の娘で、当然獅子には牙がある。どうして忘れていたんだろうな」
そう言って、カガリはちらりと俺を見た。
呼んでる……、ような気がした。
俺はカガリを背に庇い、ユウナ・ロマから彼女を隠す。ボディーガードとして、ごく自然に、だ。
瞬間、ユウナ・ロマはカガリにも聞こえるように舌打ちすると、さっと俺たちに背を向け歩き出した。
……嫌な奴、そうやって行儀悪いところをなぜ、あえてここで見せるんだ?
大嫌いだよ。今度ははっきり、そう言ってやる。
ふいに、背中に庇っているカガリがどんな思いでいるのか気になり、慌てて後ろへ振り返った。
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