午後三時。
授業を終えた生徒達が次々と校舎から吐き出されるように、
各々目的の場所へと散っていく。
アスランは胴着を括った帯を右肩に引っ掛け、教室を後にした。
そこで、ばったりと鉢合わせするように隣のクラスの生徒である、
イザーク、そしてディアッカと顔を合わせる。
「これから部活か?アスラン。」
尋ねてきたのはディアッカ。
「ああ。」
短く、単調に緩い笑顔を浮べ、アスランは質問に答えた。
「ふたりは帰宅部?」
冗談のように、アスランが漏らした言葉にイザークは語彙を荒げた。
「馬鹿にしてるのか?貴様!」
透かさず、そのふたりの間に割って入ったのはディアッカだ。
特別仲が良いという訳ではなかったが、取りあえずは話くらいはする
程度の関係ではあった、面子。
イザークは成績の事で、いつも抜きつ、抜かれつな状況のアスランには
あくまでも、アスラン自身を無視した個人的な感情であったが、妙な敵対心を
抱いていた。
そんな感情は、素直に顔にでるイザーク。
表情が表にでれば、カガリとキラ以外の事には関心のないアスランとて
解らない訳がない。
勉学に関しては、取りあえず、出来れば良い、と考えるアスランに対し、
イザークは打倒アスラン、が自分のポリシーの様な状況。
顔を合わせる度に、妙な火花が飛び散るのに、その間で冷却材、というよりは
お互いが取っ組み合いの喧嘩でもしないようにと、仲裁に入るのがディアッカの
役割として無言の内に割り当てられているような関係。
「しかし、こんなに切れ易いお前が、生徒会長なんかなんで当選したのか・・・」
俺は入れなかったけど、とアスランは小さくぼやく。
「・・・それこそ学園七不思議だよな。」
ごちるようなアスランの呟き。
透かさず、イザークのこめかみにピキッ、と筋が入った。
そんなぎくしゃくとした空気を裂くように、髪下がくるり、とカールした茶色の髪の
少女がアスランに笑顔で声を掛けてくる。
「アスランさん、カガリからこれ、頼まれました。」
その少女からノートを破った走り書きのメモを受け取り、アスランは視線を落とした。
そんな彼を無視して、その場に居るディアッカは薄く頬を染めながらアスランの前の
少女の名を呼んだ。
「ミリアリア! あのさ〜 この間の手紙の返事、丁度良いから聞かせてくれない?」
「あ〜・・・と、アンタ、名前・・・ごめん、忘れてたわ。」
如何にも興味なさそうな風体で、茶色い髪の少女、ミリアリア・ハウはディアッカを見上げた。
「おいおい、名前も覚えてくれてないの? ディアッカ・エルスマン。 何度云ったら覚えて・・・」
がっかりしたように、ディアッカは派手な溜息をつく。
「興味ないひとの名前は覚えない主義なの。 頼まれごとは済んだから、
じゃあ、私はこれで。」
軽くアスランに対し、会釈をするとミリアリアは踵を返した。
「ミリアリアッ!!」
素っ気無く、三人に背を向ける少女にディアッカは慌てて追い掛け始める。
「おいッ!ディアッカッ!!お前、副会長のくせしてこれからの会議サボる気かッ!」
「悪い、イザーク!ちょっとだけ時間くれ!直ぐに生徒会室には顔だすから!」
呆然とするイザークを尻目に、アスランは走り書きのメモを読み終えるとそれを
制服のポケットに突っ込んだ。
何事もなかったようにアスランは顔を起こし、無言でスタスタと歩を進め出す。
その表情は、色々な意味、あまりにもくだらな過ぎて付き合ってられない、という顔。
突っ込みどころもハズされ、イザークは取り残されるように数分、その場に立ち尽くしていた。
はたっ、と我に返り、今更ながら癇癪を起し始める。
「なんなんだッ!!あいつらッ!!」
一声怒鳴り、イザークは八つ当たりの様相で壁をひと蹴りする。
打ち所が悪かったのか、激痛が走った足を擦ると彼はその場に蹲った。
胴着に着替え、アスランは校庭と校舎の間に沿った、茶道部も兼用で使っている学校の
室内設備である、8畳程の和室の前を通り掛かった。
空手部が使っている道場施設まで続く石畳の敷石。
そこに接するように、生垣と和風の小さな木扉で仕切った箱庭の空間。
その庭に相対するように造られた畳間から、涼やかな調べが響く。
縁側の障子を開け放し、部屋の中で琴を爪弾くカガリの姿が視界に飛び込んでくると、
自然、アスランの顔は綻んだ。
庭の生垣の出入りできる木扉の外に佇むアスランに気がつき、カガリは琴を弾く為に
していた琴爪を外し、立ち上がった。
縁側の置石の上に置いてあるサンダルを履き、庭に降りてくると、笑顔のアスランの元に
駆け寄った。
「これから部活?」
明るく、優しい微笑でカガリはアスランに伺った。
「ああ。 さっき、ミリアリアから伝言貰ったから、行く前に顔だした。」
「じゃあ、あのメモ読んでくれたんだったら、帰り、一緒に帰ってくれるだろ?」
「遅くなるぞ。」
「何時?」
「6時くらいかな?終わるの。」
「それでも良い。今日はママたち居ないし、兄様は部活終わったらラクスさんと出かける、
とかさっき云ってたから、私ひとりなんだ。」
「解った。じゃあ、6時になったら道場の方、寄ってくれる?」
嬉しそうな笑みを浮かべ、カガリはこくん、とひとつ頷いた。
軽く手を挙げ、別れの挨拶をするアスランを見送るカガリ。
その笑顔に見送られ、アスランは緩く背を彼女に向け、道場への道を辿る。
緩い微笑を湛えたまま、彼女は部屋に戻ろうとした時、カガリは自分の視界に入った
光景にぎょっとする。
部屋に居た部員仲間の女子たちが五、六人、その風景を観察するように群がって
いたからだ。
その姿にカガリは冷汗を覚えた。
「・・・な、なに?」
息詰まりを感じながら、カガリは部員の女子達を見た。
「あれが、噂の彼氏?」
そのひとりの女の子の質問に、カガリは口篭る。
「か、彼氏?アスランが!? 彼は唯の隣近所の幼馴染、・・・だよ。」
「それにしちゃ〜ね、いやに親密そうじゃない?カガリ〜」
口調は完全に冷やかし口調。
カガリはフォローの為に思いつく限りの言葉をあげ連ねたが、それらは全て裏目、
裏目へとでてしまう事に、遂に口を噤んでしまった。
その風景を、同じ部屋に居、部屋の隅に居た少女が冷たい目線でカガリを
見ていたのを彼女は気が付かなかった。
特別、仲が良いという訳ではなかったし、カガリとは同じ部であるというだけの
関係ではあった、この少女が、後にカガリに対して大いなる悪意を齎すとは
カガリはこの時は気がつく筈もなく・・・
場の雰囲気を切り替える為に、再び自分の愛用している琴の前に座り、
爪弾き始めるカガリに、空気が再度、もとの状態に修復されていった。
夢中で琴を爪弾いてる内に、時刻は夕方の時間を指し示す。
太陽が沈み、気がつけば、空には一番星が瞬き初めていた。
カガリは時間を確認するように、自分のしている腕時計に視線を落とした。
アスランとの約束の時間には五分程早かったが、彼女は座っていた畳から
腰を上げた。
偶には、アスランが練習に勤しんでる姿を見たい、というのもあったので。
琴を片付け、部屋の隅に置いてあった学生鞄を手に取ると、彼女は部屋の
戸締りをし、明かりを落としてその場を後にした。
夢中になって琴を弾いてる内に部の友人たちは早々に引き上げてしまうので、
後の始末は毎度の事だった。
昇降口まで戻り、靴に履き替え、カガリは空手部の道場を目指した。
道場の入り口に辿り着き、何気に中を覗き込むカガリ。
大勢居る部員の中でも、アスランの姿は直ぐに見つける事が出来る。
白い胴着に黒色の帯、そして闘志を燃やしたその瞳は、カガリの視線を釘付けにした。
何度か、その光景は見ていたが、なんだか今日は雰囲気がちょっと違う気がする。
自分より大柄でパワーのある相手に、練習試合の様子。
カガリは仄かに感じる嫌な予感を覚えた。
アスランが相手にしていた男子生徒が振上げた右片足に彼は自分の身体を
ガードする為に両腕を構え上げたが僅かに遅く、その振り下ろされた足のかかとが
キレイにアスランの右肩にヒットしてしまった。
見事なまでにかかと落としが決まってしまい、アスランは膝を折って蹲る。
「・・・ツッ・・・」
小さくうめくアスランの元に、カガリは居ても起ても堪らず、人目も憚らずに彼の
元に駆け寄ってしまう。
驚いたのはアスランの方だ。
緑の双眸を見開き、今にも泣き出しそうな表情のカガリの頭をそっと彼は撫でた。
「こんな事、日常茶飯事なんだから、大丈夫だって。」
苦笑を浮かべるアスラン。
が、場が落ち着きを取り戻すと、今度は部に居残って練習に励んでいた仲間たちが
囃し始めるのに、アスランは素早く立ち上がった。
「今日はこれであがります!」
赤面した顔を隠しつつ、ケジメをつける一声を挙げると、彼は側に居たカガリの腕を
ぐっ、と掴んで道場を後にしたのだった。
制服に着替え、自分の愛車が格納してある駐輪場まで来ると、アスランは苦笑を
浮かべた顔をカガリに向けた。
「悪い、カガリ。 自転車、今日は引っ張っていってくれないか?肩が上がらない。」
「痛むのか?」
「少しね。 まぁ、でもあんなのは当たり前の事だから。」
「あんな目にあっても、やっぱり空手は好きなのか?アスラン。」
「まあね。 いずれは師範の免許取って、空手教室でも持てれば、楽しいかな?
なんて、思っているだけなんだけどね。」
彼の自転車を引っ張りながら、カガリは心配気な瞳をアスランに向けた。
「大丈夫だよ、死ぬわけじゃないし。」
安心させる為にと思い、紡いだ言葉だったが、カガリの反応が芳しくない事にアスランは
溜息を漏らした。
「・・・心配、・・・掛けさせてごめんな。」
初めて聞く、アスランの謝罪の言葉。
それを聞いて、カガリは立ち止まり、瞳を開く。
「カガリ?」
立ち止まった彼女を振り仰ぎ、アスランも歩みを止めた。
「・・・初めて聞いた。アスランが私に謝るの。」
「そう?」
「なんか、変な気分。いつもは私の方が迷惑ばっか掛けて謝っているのに。」
「迷惑? カガリがいつ、俺に迷惑掛けた?」
「・・・色々、ほぼ、毎日・・・」
「あれは自主的。カガリがそんな風に考えることはないよ。」
僅かに照れくさかったのか、アスランは歩を再度進め始めた。
促すように彼女を呼ぶと、カガリは彼のその後姿を追ったのだった。
何気ない会話をしながら、自宅まで辿り着く。
カガリは母親に預けられた鍵を手にし、玄関扉を開ける。
アスランを家の中に招き入れ、居間の明かりを灯した。
部屋の奥に入り、カガリは父親が使っている洗濯したてのパジャマを立っていた
アスランに渡した。
「な、なに?」
驚き、彼はカガリを見詰める。
「見て解れ!着替えだ。」
「き、着替え?」
声が裏返り、アスランは驚いた表情でカガリの顔を見た。
「汗臭い。シャワー浴びてさっぱりしてきて。その間に制服洗うから。乾燥機に掛ければ
帰りまでは乾く筈だし・・・。アスランがシャワー済ませたら夕飯にしよう。」
「作るの?」
「まさか、出前に決まっているだろ?何が良い?」
「悪いからイイよ。」
「お金は預かっているから大丈夫。 そうだな〜やっぱ寿司?」
「寿司・・・あんまり好きじゃないから・・・」
「じゃあ、丼?」
「あ・・・うん。」
流されるまま、アスランは生返事を返した。
追い立てられ、アスランはカガリに浴室へと押し込まれた。
服を脱衣所で脱ぎながら、アスランは思い悩む。
カガリを自宅までは送ってくるつもりではあったが、夕飯までご馳走になって
イイのだろうか?という、思い。
しかも、彼女の両親が不在、という環境なのに・・・
僅かに感じる疚しい感情を振り払い、アスランはシャワーの栓を捻った。