午前8時5分前。
閑静な住宅街、一軒の家から玄関門を開け、自転車を引っ張り出す
学ラン姿のひとりの少年。
青髪に、碧眼の瞳。
特徴ある、その優しげな横顔は一見、頼りな気にも見えそうだが、
彼が空手の有段者であるなど、云われなければ解らない程、大人しそうな
表情を湛えている。
彼は、自転車を引っ張りながら、隣の家を仰ぎ見た。
丁度8時きっかり。
バタンッ!と、勢いよく開いた玄関扉から、金の髪の少女が飛び出してきた。
「おはよう!アスラン!」
その声に少年も笑顔で返事を返す。
「おはよう、カガリ。」
学生靴を突っかけながら、彼女は自分の背後を気にするように振り仰いだ。
だが、なんの変化もない家の中の様子に、諦めたような表情になると扉を閉め、
玄関門を潜った。
家の前で待っているアスランの自転車の後部荷物置き部分に、カガリは足を揃え、
当たり前のようにストン、と腰を降ろした。
「キラは?」
カガリの持っていた学生鞄を受け取り、アスランはそれを自転車の前籠に突っ込み、
自転車の後部に座ったカガリにアスランは首を傾げながら聞き、尋ねる。
「兄様?・・・まだ、朝食食べてる。」
厭きれた口調でカガリはアスランの質問に答えた。
「・・・朝食?・・・この時間でまだ食べてる、って事は・・・遅刻するんじゃないか?」
彼も厭きれながら、溜息を漏らす。
「昨夜、遅くまで部屋に明かりがついてたけど・・・」
「ゲームの攻略が詰め、だっていってたから。」
カガリはくすっ、と困ったような緩い笑みを浮かべた。
「カガリも遅くまで起きてたんじゃないのか?」
「えっ!?なんで知って・・・」
「眼が充血してる。」
「う、嘘ッ!」
慌ててごしごし、と彼女は指で目元を擦る。
隣接している隣家同士の様子。
アスランの部屋の真向かいはキラの部屋、そしてその隣はカガリの部屋。
ふたつの部屋から何時まででも零れ漏れる明かりに、アスランが気がつかない
訳がなかった。
「また本でも読んでいたんだろ?」
解ったように、彼は苦笑を浮かべながら彼女の顔を伺った。
「・・・うん。・・・正解。今、読んでる『枕草子』て本が結構面白くて・・・
でも、図書館の返却期日が明日だから・・・」
「夜はちゃんと寝ろよ。身体に良くない。」
「は〜い。」
カガリは、間延びした返事をアスランに返した。
細かい事で彼女が彼から注意を受けるのは日常茶飯事。
時間を気にし、アスランは自分の腕時計に視線を落とす。
「先に行こう。キラ待ってたら、こっちが遅刻する。」
言うなり、アスランは自転車に跨ると彼女を乗せ、ペダルを踏み込む。
ぐっ、とカガリの腕を取り、自分の腰に廻すよう促す彼に、カガリは薄く頬を染める。
これは毎朝、同じ事の繰り返し。
慣れている筈なのに・・・
カガリはこういう時に感じる、ちょっとしたドキドキ感はアスランに気づかれてはダメだ、
と無意識の内にその気持ちを封じるようになっていた。
ふたりの関係。
隣家同士の幼馴染。
もっとも、ペダルをこぐ少年と一番縁が深いのは、自分の兄の方ではあったが・・・。
自分は、はっきり云って、オマケに近い。
なんとなく、兄、キラの延長線上でアスランが自然に面倒を見てくれる、という図式が
何時の間にか成立していた。
だがそれは、自分の抱える、重い持病のせいもあったのだが。
心臓病、と診断されたのは、まだ幼い頃だった。
そのせいで、小学校は殆ど通うことは叶わず、13の年まで、療養という名目で
自然が美しく、空気の良い環境を整えた、メディカルセンターに居た、カガリ。
隣家に住んでる、彼、アスラン・ザラに初めて会ったのは、彼女がその療養を終わらせ、
自宅に戻って来た時であった。
偶々、自宅に居た兄であるキラを尋ねて来た時が始めての出会いであったが、
カガリは優しい面差しを持った、ペダルを軽やかにこぐ少年に、憧れと親しみを抱くのに
時間は掛からず、隣家ということもあってか、頻繁と家に尋ねてくるアスランに
勉強やらなにやら、と世話になって今に至る。
お蔭で、遅れていた勉学も取り戻せるほど実力も養われ、そして現在は彼も通う、
高校へ晴れて進学をできることが叶った。
この界隈では、進学、スポーツ、共に一番と云われる高等学校。
『私立セント・マーシャル付属大学高等学校』
彼らが通う、この高校は音楽にも秀でており、大学の設備施設はちょっとしたコンサートも
催せる程優れている。
声楽などは勿論、将来有望とされる、オペラ歌手を輩出させたり、スポーツに於いては、
オリンピックにも参加できる程の実力者を育てる事で有名なのだ。
勿論、それだけのメリットを有する学校であれば、壁もそれなりに高いわけだが、
カガリはアスランが粗、マンツーマンで家庭教師を慈善で行った結果、無事に合格を得、
桜が綻ぶ季節には、アスラン、そして兄であるキラと通学することになった。
アスランにしてみれば、幼馴染の妹、という関係ではあっても、カガリは可愛くて仕方ない、
本当の実妹にも思える存在。
その可愛がりようは、一人っ子の彼だからこそ、の思いやりではあったが。
文武両立。
彼が通う学校のスローガンとも云える、その校風の御陰で、アスランは学校では
常に上位に喰い込む程、優秀な生徒だ。
その教えを請うカガリが、勉学が出来ない訳がなかった。
彼女も常に上位ランク20番には入れる程、優秀な生徒である。
唯、ひとつだけネックになってることは、自分の虚弱な身体。
激しい運動が出来ない分、今は興味を持って取り組んでる事は、筝曲。
生田流派を学び、いずれは師範の免許を取ることが、もっかの目標だった。
学校までの道程は20分弱。
アスランは身体の弱いカガリを気遣って、毎日に近い状態で彼女の通学を手助けしている。
が、彼にとっては、その事は別段苦痛ではなかった。
キラと隣同士の家に住まい、幼稚園の頃から行く場所が一緒だったアスラン。
それにカガリが加わっただけの事なのだから。
しかし、今の処は、キラより先に行く事の方が圧倒的に多かったが・・・
寝坊常習者のキラを待っていたら、こっちまで巻添えを喰ってしまう、とは今や
アスランの日常の口癖と化していたので。
学校までの道程を、何気ない会話が続いていた。
学校に設備されている駐輪場までくると、カガリはアスランの自転車を降り、
彼が自分の駐輪スペースに自転車を格納し終えるのを待った。
談笑しながら、教室へ向かおうとした瞬間、かなり距離の離れた場所から
ふたりの名を呼ぶ声に、カガリとアスランは振り返る。
視界に飛び込んできたのは、マウンテンバイクを懸命にこぎながらパンを一枚
口に咥えたキラだった。
「酷いよ、ふたりとも、置いていくなんて!」
「お前待って、一緒に遅刻はご免だからな。」
冷たい態度のアスランにキラは頬を膨らませた。
「なんだよ、アスラン!最近、僕じゃなくてカガリばっかり構ってさ。」
「そんなに構って貰いたいのか?お前。」
「う〜・・・いや、そいう事じゃ・・・」
妙なキラとアスランのやり取りに、カガリは可笑しそうにくすくす笑う。
その空気を裂くように、8時半の予鈴がなった。
「話してる場合じゃない、カガリ、走れる?」
「あんまり早くは・・・」
「そうだよな・・・」
云うや否や、アスランはカガリの身体を軽々と自分の右肩に持ち上げた。
「いやぁぁ〜〜ッッ!! アスランッ!恥かしすぎるッ!こんなのッ!!」
彼女の悲鳴を物ともせず、アスランは言葉を紡いだ。
「遅刻するより、マシ!」
走り出す彼に、アスランの肩のカガリの声が尾を引くように遠ざかっていく。
まるでその風景は人攫いにでも合ったかの様相。
呆然と見送るように、キラは遠ざかって行くふたりを見送る。
はたっ、と我に返り、自分も慌てて、教室への道を振り仰ぐ。
アスランやカガリよりも、もっかの処、キラが一番、遅刻時間にはギリギリのラインに
留まっているのだから。
「呆けてる場合じゃないじゃん、自分!!」
己を叱責するように、彼もまた駐輪場に愛車を突っ込むと、慌てて走り出した。
昇降口手前で、抱えていたカガリを降ろすアスランにカガリは赤面した顔を向けた。
「突然、何するんだ!」
「文句は後。早くしないとHR始る。それと、お昼はどこでするの?」
矢継ぎ早のアスランの質問に、反論する口は塞がれ、カガリは小さく返事を返した。
「う・・・ん。屋上にしようかな?」
「じゃあ、迎えに行く。一緒に食べよう。」
明るいアスランの誘いに、カガリは攣られるように笑顔で許諾の即答をした。
「カガリ!」
四時限目の授業が終了し、アスランは慣れた仕草でカガリが居る教室の中を
出入り口から身を乗り出すようにし、声を掛けた。
彼女の席は、黒板から見て、廊下側の後ろから二番目の席。
覗き込めば、声は直ぐにでも届く距離である。
アスランの教室は2−3、カガリは1−2、2階が二年生の教室、一年生は順番に習い、
一階の教室が振り当てられている。
廊下に設けられた階段を降りれば、直ぐにでも一年生の教室へは顔を出すのは
簡単にできた。
カガリの後ろの席に居た、赤い髪の少女、フレイ・アルスターがからかったような
笑みを浮べ、自分の前の席のカガリを伺った。
「何時も、同じ時間にダーリンのお迎えなんて、羨ましい〜〜」
「ダ、ダーリン!? アスランが!?」
赤面しながら、カガリは同じクラスの親友の顔を見返した。
「なんで、フレイはそうやってなんでも飛躍するんだ!?言葉の使い方、変だぞ!」
言い訳のように、カガリがしどろもどろで返事するのにも、フレイの顔は意地悪気な
笑みを浮かべたまま。
「だって、お昼なんて私たちと食べたことなんてないじゃない。親友のくせに。」
「・・・あ〜うぅ〜〜・・・それは・・・」
真っ赤な顔で俯くカガリに、その場に居たアスランは苦笑を浮べ、遮るようにフレイに
言葉を紡いだ。
「お昼休みの友を横取りして悪いね、フレイ。 でも、君が思っているような関係じゃ
ないから、訂正しておいてくれるとありがたい。 正確には俺がカガリと昼を食べたい、
というだけなんだから。」
フレイの顔が苦笑の色に変わる。
解っているのに、この生真面目な青年をからかうのは結構面白かったりするが故に、
つい言動が先のようになってしまうのは常だったからだ。
「早くしないとお昼休み、終わっちゃうわよ、カガリ。」
「あ、・・・うん。」
フレイに促がされ、カガリは学生鞄と一緒に掛けてあったナイロン製のバッグタイプの
ナップザックから弁当の包みを二個取り出す。
それを手に取ってカガリは席を立ち上がった。
教室をでながら彼女は、自分の弁当箱より一回り大きい包みの方をアスランに渡した。
「弁当?・・・俺の分?これ、って。」
「どうせまた購買部のパンなんだろ?偶にはちゃんとした物食べないと、てさ。
それじゃなくてもアスランは運動部なんだし、身体に良くない、ってママが。」
先に買っておいた調理パンが入った袋を見ながら、アスランは苦笑を浮かべた。
「感謝。帰りに寄っておばさんにお礼云わないとな。」
「ああ、今日は居ない。今日と明日と明後日の二泊3日、夫婦で旅行。まったく、仲が良くて
こっちが赤面するくらいだから。ふたりとも年考えて欲しいよ。」
階段を昇りながら、カガリは厭きれた口調で自分の両親の話をする。
「イイことじゃないか。ウチみたいに年がら年中、海外で別行動の両親よりずっと素敵な
関係だ。 理想だな、そいう風に円満な家庭は。」
そう漏らしたアスランの言葉に、カガリは寂しそうな微笑を浮かべる。
アスランの家庭は、夫婦で小さいながらも、貿易会社を運営している。
そんな中で育った彼は、幼い頃から留守がちな両親の間での家庭環境を
強いられてきていた。
別段、その環境を恨んだことはなかったが、小学校までは、そんな境遇の彼を不憫に
思ってか、カガリとキラの母親であるカリダが、同じ年頃の子供の面倒をみるのに
ひとり増えた処で問題はない、とアスランの両親に云ったところ、それに甘受する
ように彼はヤマト家に預けられる事が頻繁になり、そんな環境が出来れば、自然、
キラとは幼馴染という構図が成り立っていく、という事になっていったのだ。
中学に入ってからは、お泊り、ということは流石になくなったが、頻繁に食事を
持て成されることは今でも変わらなく続いている、という具合。
カリダの献身的な面倒見の良さは、我が子と変わらない扱い。
アスランは、そんなキラとカガリの母親には、感謝してもし尽くせない程の気持ちを
抱いている。
だから、必然的に自分がカガリの面倒を見る、ということは苦ではないことに変換
されていたのだ。
「あ、ところでアスラン、兄様は?」
「アイツは早弁して道場。弓でも引いて精神統一しないと午後の授業、爆睡する、
って云ってた。」
アスランの厭きれた口調にカガリは噴出す。
カガリの兄、キラは弓道部に所属している。
その腕前は、全国大会でも準優勝を果たせる程の腕なのに、本人は至って呑気。
そんな実力などは持っていても、ひけらかす事はした事がない凡庸な少年だった。
好きなモノはゲーム、というのも今時の子供らしい。
他愛無い話をしながら、ふたりは屋上まで上がってきた。
重い鉄扉を開けば、眩しい太陽の陽射しがふたりを容赦なく照りつける。
それでも、爽やかな空気に身を曝せば、それは爽快な気分だ。
談笑を続けながら、適当な場所に腰を降ろし、ふたりは母親の持たせてくれた、真心の
籠もった手作り弁当に舌鼓を打った。
「おばさんの作る卵焼き、好きだな。」
ほんのりと甘い口当たり。
幸せそうな笑みを零し、アスランは言葉を紡いだ。
「私も。 あ〜あ〜・・・ママはこんなに料理上手なのに、なんで自分はちゃんと
出来ないのかな〜」
「料理なんて慣れさ。そのウチ出来るようになるよ。」
「そうかな?・・・なんか、こうも出来ないと将来誰もお嫁さん、貰ってくれないかもな〜」
そのカガリの何気に漏れた言葉に、アスランははにかんだ笑みを浮かべた。
「誰も貰ってくれなかったら、俺が貰ってやるさ。」
「うえっ!?」
奇妙な声をあげ、カガリは口にしていたペットボトルのお茶を思わず噴きそうになった。
「うえっ!?って何? うえっ、て。 俺じゃ嫌なの?」
「・・・い、嫌?・・・そんな事はないけど・・・」
にっこりと、アスランが微笑んだ事にカガリは赤面して視線を外す。
からかわれているのだろうか? ・・・何時もの彼流の話し方のオマケのようなカンジで・・・
複雑な想いに、仄かに頬を染め、カガリは僅かに眉根を寄せた。