『 プレシャス 』 2

妊娠が発覚してからのカガリは、といえば・・・
首長としての仕事に・・・と、頑張ろうと思っていた矢先だったのだが、
思いの他、悪阻が酷く、見た目にも仕事ができる状態とはお世辞にも
云えない状況であった。
その間、カガリの代理としてアスランが政務の代行を行うことは、
当然至極な現状で。
特に反対もされなかったせいもあってか、アスランは大学の方には
長期休暇を申請し、カガリの代わりを務める運びとなった。
大学に勤める傍ら、カガリの政務の補佐を勤めていた彼にとっては
特に苦痛を感じる事もなく、アスランは有能なまでにその能力を
惜しみなく提供、代行を滞ることなくこなしていく日々が過ぎていく。
悪阻の時期が過ぎ、カガリが安定期である五ヶ月を迎える頃、
今まで激しい悪阻のせいで取れなかった栄養を一気に解消するかの如く、
彼女の食欲が増してきた事に、アスランは嬉しい反面、そんなに食べて・・・
と、妙な言葉も漏らすようになった。
妊娠すると、食事の好みが一変することにも彼は驚く。
流石に、サラダボール一杯に盛られたトマトの山には、目の前で食事を
共にしているアスランにうんざりした表情を齎す。
「そんなに毎日トマトばっかり食べて飽きないのか?」
「それが飽きないんだよな、不思議と。むしろ、もっと欲しいくらいで。
面白いなぁ〜。妊娠する、って。」
明るく、ケタケタと笑う彼女にアスランは溜息を漏らした。
「悪阻もおさまったし、仕事、そろそろ復帰しなくちゃなぁ〜」
何気に漏らした言葉に、アスランは勢いよく席を立つと、激しく彼女に叱責する。
「ダメだッ!」
「なんでだ?もう、平気だぞ、私は。大体、妊娠してたって働いてる女性は
たくさん居るだろ? エリカ・シモンズだって結構、出産間際までやってたぞ、仕事。」
「そんなモンは人それぞれだろッ!もし、なにかあったらどうするんだ!?」
「大丈夫だろ?」
「お前の大丈夫は信用できない!」
強い口調のアスランに、カガリは苦笑を浮べる。
「でも、体調が良くなったら暇でさ。」
「俺は許可しないからな。仕事だって今は俺が代行してるけど、カガリが心配することは
なにもないように勤めてるつもりだ。」
「その辺は信用しているから何も心配なんかしてないさ。唯、暇なんだってば。」
「そんな理由で仕事復帰なんか、認められる訳ないだろ?」
「相変わらず、心配性だな、お前。」
「カガリが鈍感過ぎるのは逆に腹立つぞ。」
「それて、こっちの方が腹立つ台詞だな。・・・ま、いっか。」
苦笑を浮かべカガリはアスランを見詰めた。
「解ったよ。それじゃ、お前の気持ちを汲んで出産が終わって落ち着くまで休暇、
取らせていただきます。」
降参したように眼を瞑って、軽く両手を上げる彼女に、アスランは漸く、受け入れられた
自分の意見に満足した様子で椅子に腰を降ろしたのだった。



不思議な感覚だった。
新しい生命が宿った自分の身体は。
「あと、五ヶ月か〜・・・やっぱ、暇だよなぁ〜」
カガリはふっくらとふくよかになりつつある自分の腹部を擦りながら、食後の片付けを
キッチンでしているアスランの背に視線を送った。
「同じ問答で、また俺を怒らせるつもりか?」
カガリが妊娠してから、家事も含め、家の用事ごとをやらせることをアスランは一切させず、
その扱いはまるで腫れ物にでも触るような具合に彼女は溜息を漏らす。
「なぁ〜 アスラン。家の掃除くらいならしても良いだろ?」
「ダメッ!」
「じゃあ、食事の後片付けくらい・・・」
「俺がやるからイイ!」
「そんなこと云ったって、仕事やって家の事までやってたら倒れるぞ、お前。」
「身体は頑丈に出来てる。カガリが心配することじゃない。」
はぁ、さいですか。・・・と、彼女は改めて溜息を漏らした。
本気で彼は、全ての事が済むまではカガリには何もさせない気でいるようだ。
羨まし過ぎるこの環境。
しかし、当の本人はいたって不服そうな表情に、アスランはチラッと伺いみた
彼女の顔に苦笑を浮べる。
「・・・今まで、ずっと頑張ってきたんだから、偶にはサボったってバチは当たらないさ」
何気に、彼はカガリに背を向けた状態で彼女に云った。
「サボったって、その分のツケがお前に廻るんじゃ、しょうがないじゃないか」
ぶすっ、とした表情でカガリはアスランを見た。
「ツケじゃないさ。 こういうのは自主的、と言ってもらいたいね。」
終わりの見えない問答に、カガリの方が先に根を上げる。
「風呂、入ってくる。」
ダイニングテーブルの椅子から立ち上がると、カガリは憮然とした表情で
アスランに告げた。
「のぼせるから、長湯するなよ。」
「はいはい。」
呆れたように彼女は相槌を打つと、バスルームへと歩みを向けた。
片付けを済ませる頃、カガリがバスルームからでてくるのに、アスランは用意していた
コーヒーが入ったカップを彼女に渡した。
「コーヒー・・・飲んだら良くない、って本に書いてあったぞ。」
「大丈夫。ノンカフェインだから。好きなモノ、我慢するのは辛いだろ?」
自分なんかよりも、彼の方が妊娠中の過ごし方に関する本を読み込んでいるらしく、
アスランは余裕の表情で告げる。
受け取ったカップを美味そうに啜る彼女を見、アスランは満足そうに微笑んだ。
「俺も風呂、入ってくるから先に寝てても良いぞ。」
「それじゃ、お言葉に甘えて、そうさせてもらうか。」
カガリは自分がどんなに足掻いたところで、所詮なにもさせてもらえない、という事に
諦めたらしく、すごすごと寝室へと向かった。
アスランが入浴を済ませて寝室に入ってくると、部屋に微かに流れ込んでくる
夜風に彼は眉根を寄せた。
部屋からバルコニーへと続く等身大の窓が解放されている。
ベッドには彼女の姿がない事に、アスランは傍らに置かれぱなしでいたショールを
手に取った。
そこには、ネグリジェ姿で夜空を見上げているカガリが居た。
「こんな薄着でなにやってるんだ? 夜風は身体に良くないだろう?」
コツン、と軽く拳の指先で彼女の頭を叩くアスランに、カガリは振り向く。
そっと、その肩に持ってきたショールを羽織らせると、アスランは優しく彼女の
身体を抱き締めた。
「・・・ごめん。・・・月があんまり綺麗だったから・・・つい。」
「部屋に戻ろう。風がまだ冷たい・・・」
「・・・うん。」
促されるまま、アスランに肩を抱かれながら、カガリは部屋に戻る。
彼女はベッドに身体を押し上げるように身を委ねる。
彼は静かに窓を閉め、それが済むと彼女の後を追うようにベッドに潜り込んだ。
ベッドに入ったからと云っても、直ぐに眠りが訪れる訳ではない。
今日あった出来事などを寝物語に会話をすることは、ふたりの何時もの事であった。
「今日、五ヶ月の検診だったんだ。 順調だって、云われた。エコーとかもやるんだけど、
凄く元気に動いていたぞ。」
自分の背にクッションを立てかけ、カガリは上半身を起した状態で、自分の隣で横に
なりながら頬杖をついて聞き耳をたてているアスランに報告した。
「もう性別とかも解る、ってさ。 どうする?聞いてみるか?」
彼にそう言いながら、カガリは微笑んだ。
「いや、でてくるまでの楽しみにとっておくよ。」
アスランは優しく笑みを零し、彼女を見上げる。
「じゃあ、聞くのは止めておく。・・・でもアスランは、男の子と女の子、どっちが良い?」
「どっちでも良いさ。元気に産まれてくれれば。」
「私は女の子が良いかな?」
「なんで?」
「いや、始めは女の子の方が後が楽だって、なんか周りが皆、言うからさ〜」
「そうなの?」
「よく解らん。唯、そう言われただけだ。」
「そう。」
くすっ、と彼は笑った。
「後、っていうのが意味が解らないんだよな〜」
う〜ん、と唸り、彼女が腕組みをするのにアスランは可笑しそうにくすくす笑う。
「明日もまた早いから、俺、そろそろ寝るよ。」
「寝ちゃうのか?」
「えっ?・・・なんで?」
「・・・あのさ。今日、五ヶ月の検診だった、ってさっき言っただろ?」
「ああ。」
赤面しながら言葉を漏らす彼女に、なにを彼女が言いたいのか検討もつかず、
きょとん、とした緑の双眸が彼女を見上げた。
「・・・安定期・・・入ったから、良いですよ、って先生が・・・」
「だから、なに?」
あまりにも間の抜けたアスランの声に、カガリは顔から火を噴きそうなくらい赤面
しながら怒鳴った。
「だ、だからッ!ずっと我慢させてたろ!?セックス!」
「カガリ?」
彼女の顔を伺っていたアスランの頬が瞬時に紅潮する。
「許可、でたからさ、一応言っておかないとな、と思って。」
「・・・カガリを抱いても良いの?」
ゆっくりと身を起こして、アスランはカガリの顔を覗き込んだ。
「これ以上、お前に我慢させて浮気でもされたら困るし・・・」
「浮気? 俺が?」
くすっ、とアスランは苦笑を漏らした。
「・・・カガリ以外の女なんて、俺には必要ないさ・・・」
そう彼は云いながら、そっと彼女の唇を塞いだのだった。