何時もと変わらぬ日々。
決められた時間に決められた物事をすすめていく。
当たり前の光景だった。
今日のアスランのスケジュールは週始めの大学への特別講師をする、
という仕事。
僅かな倦怠感は、余りにも決まったこととはいえ、また新しい週が始り、
終わるまでの1週間が鬱陶しいという感情の流れではあるが・・・
まぁ、これは彼のみでなく、誰にでも持ちえる感情ではある。
出掛けに、カガリの顔色があまり良くないのが若干、気にはなって
いたのだが、彼女の「大丈夫だから」という言葉を信じ、アスランは
通勤先である大学を目指す為、自分の愛車に乗り込んだ。
車の開け放った窓から顔をだし、見送りにでてきたカガリに今一度の
確認の言葉を紡ぐ。
「まったく、お前は心配性だな。大丈夫だ、って言ってるだろ?」
苦笑を浮かべながら、カガリは云い、アスランの唇に自分の唇を触れさせる。
出掛ける前のキスは、極々当たり前の風景。
不安な表情を隠しもせず、アスランは差し迫る時間に追われ、仕方なく
車を走らせ始めた。
バックミラーに映る、カガリの姿を視界に納めながら、アスランは僅かに
引っかかる心残りを封じる以外なかった。
彼を見送ってから、カガリも自分の身支度を済ませ、官僚府へと足を運ぶ
準備を始める。
今日は少々、難問である会議が控えていた。
まだまだ、解消しない地球のエネルギー資源の問題である。
技術の進歩に於いても、オーブの抜きんでている技術力は貴重なものだ。
その貴重な技術を、より効率的に活用する為、今は友好国となった
プラント側からも、議員となったラクスの特別な計らいで技術者が派遣されてきている。
その技術と、オーブの技術を合わせれば、格段の進歩が得られるはずだ。
今日はその詰めの打ち合わせを兼ねた今後の話し合い。
僅かに感じる体調の不調への自覚はあったが、休む訳にはいかなかった。
何よりも、出掛け間際まで彼女の身体を心配していたアスランに迷惑を掛けたく
なかったのもあり・・・
重く溜息を漏らすと、自室の外からマーナの迎えの車が来た、との声を
掛けられ、カガリは仕事着の軍服の襟元を引き締めた。
朝には強い筈の自分が、何でこんな日に限って・・・
と、考えながらも、早足で部屋を後にする。
この何週間か、微熱もあったが、取り立てて薬を飲む程でもない、と考えてはいたが・・・
だるかった・・・身体が。
だが、疲労とは違う感覚に、無理をすれば乗り切れる程度、とたかを括っていたのもある。
迎えの車に乗り込むと、カガリは向かいの自分の前に座る秘書官を勤める男性から
渡された会合の時に必要な書類に眼を通し始めた。
が、突然襲ってきた強烈な吐き気にカガリは口元を抑えると、苦しげに小さくうめいた。
「く、車を止めてくれ!カガリ様がッ!」
悲痛な叫びと、緊迫した声が重なり、車は急ブレーキを掛けた。
「カガリ様ッ!」
若い男性秘書官は必死に彼女に声を掛ける。
「病院へ行ってくれ!気を失われている!」
云われる後部座席からの指示に従い、運転手は彼女が掛かり付けている病院を目指した。
丁度その頃、アスランは自分が受け持つ講義の準備に余念がなかった。
割りに几帳面な性格の表れか、授業に必要とされるテキストの確認作業をしている最中、
不意に、何かに気を取られたかの様にアスランは振り返った。
チリッ、と感じた胸に何時も掛けている、彼が一番大切にしている護り石が一瞬だけ
熱くなったような感じがしたからだ。
「・・・なんだ?」
眉根を寄せ、アスランは自分の胸元に手を当てる。
その時、同じ部屋にいた男性職員が取った一本の電話の内容を聞き驚き、
彼に告げた言葉にアスランは瞳を開く。
「カガリが倒れた?本当ですか?それは!?」
ガタッ、と座っていた椅子が引っ繰り返りそうな勢いで立ち上がると、アスランは職員用の
部屋を飛び出していた。
「すみません!今日の授業は休講にしておいてくださいッ!!」
取る物も取りあえず、彼はそれだけを告げると走りだしていく。
駐車場に停めてあった愛車に飛び乗り、エンジンを掛けると、乱暴なまでにタイヤが
空回りする音をあげ、車を走らせる。
教えられた病院を目指し、彼は独り言を呟いた。
「なにが大丈夫だ。全然、大丈夫なんかじゃないじゃないかッ!馬鹿ッ!」
彼女を心配しているからこその雑言。
アスランは踏み込むだけ眼一杯アクセルを踏み込む。
普段の制限時速を守った速度でなら20分は掛かる道のりを、彼はその半分で
辿り着いてしまう。
車を降り、受付で身を乗り出すようにカガリのことを受付係りの女性に尋ねると、
アスランは告げられた病室を目指して走った。
「廊下は走らないでくださいッ!!」
すれ違った看護婦に叱責されたが、アスランは振り返りながら謝罪の言葉を紡ぐが
その歩調はスピードを緩めはしなかった。
エレベーターを待っている時間が勿体無い、とイライラしながら言葉を吐き捨てると、
彼はエレベーター隣にあった階段を駆け上がり始める。
4階まで一気に駆け上り、カガリが収容されている、と教えられた病室の扉を乱暴に
開き中に飛び込んだ。
「カガリッ!!」
「あれ?アスラン?・・・どうしたんだ?」
「ど、どうした、って、それは俺の台詞だろうッ!!」
ぜいぜいと、激しく息をつき、アスランはクッションを背に上半身を起してベッドに佇む
彼女の姿を見て、襲ってきた安心感と極度の疲労にヘタヘタと床に座り込んでしまう。
「大学の方に、カガリが倒れた、って連絡が来たから・・・」
じろっ、とカガリは傍らに付添っていたマーナを睨み付けた。
「アスランには知らせるな、って云っただろ!マーナ!!」
「そんなことおっしゃられても、アスラン様はお嬢様のご主人じゃございませんか?
知らせなくて後からお叱りを受けるのは、わたくしはご免でございますから。」
まったく・・・と、呟き、カガリは額を片手で抑えると、顔を伏せる。
「まぁ、連絡しちゃったモンは仕方ない。・・・マーナ、済まないがアスランとふたりで
話がしたいんだ。席、外してくれないか?」
「解りました。」
にっこりと、カガリに付添っていた乳母が微笑むと、彼女は部屋を後にしていった。
「アスラン、こっち来てくれ。」
カガリは自分の居るベッドの縁をポンポンと叩くと、彼をそこに呼び寄せるように
手招きをした。
ゆるり、と立ち上がると、アスランはカガリが呼んだその場所に腰を降ろす。
「心配、掛けさせてごめんな、アスラン。」
苦笑を浮べる彼女に、アスランは静かに彼女の身体を抱き締めた。
「心臓が止まるかと思った・・・カガリが倒れた、って聞いた時。」
「大袈裟過ぎ!アスランは!」
くすくすと、彼の腕の中で笑う彼女にアスランは身体を僅かに離し、きつく叱責の
言葉をカガリにぶつける。
「俺がどれだけ心配したと思ってるんだ!お前はッ!」
「ごめん。でも・・・来てくれて嬉しい。すごく・・・」
苦笑を浮べる彼女に、アスランは戸惑う瞳を向けた。
「良い知らせがあるぞ。」
「えっ?」
不意に発せられる彼女の言葉にアスランは瞳を開く。
「来年、家族がひとり増える。」
「・・・家族?・・・って・・・カガリ。」
その言葉の意味をちゃんと理解するまで、彼には数分のタイムラグが生じる。
「・・・まさか・・・子供?」
「ああ、今二ヶ月だってさ。今日、倒れたのはそのせいでのちょっとした貧血だそうだ。」
「・・・本当に?」
「嘘ついてどうする。」
口を尖らせ、カガリはアスランを見詰めた。
「・・・ずっと、こうなるの望んでいた筈なのに・・・こういう時、ってどうしたら良いか・・・
解らない・・・ごめん・・・」
「また謝る。なんで、そうやって謝ってばっかなんだ?お前。癖か!?」
そう言って、彼女はアスランの額を指先で弾く。
「・・・ツッ。」
弾かれた額を片手で抑え、アスランは片目を瞑った。
「賑やかになるぞ、来年は。」
そう言う彼女がアスランには眩しいくらいに輝いて見える。
苦笑を浮べると、彼は彼女の頬に唇を触れさせながら言葉を紡いだ。
「・・・ありがとう。・・・カガリ」
「なんか、お礼云われるのも変な気分だな。あ!そうだ!もうひとつ言っておくこと
あったんだ。」
「もうひとつ?」
「・・・その・・・だな・・・え〜〜っと・・・暫く夜、不自由させるかも知れないんだけど・・・」
「夜が不自由?」
彼女がなにを言いたいのか理解が出来ず、アスランは首を傾げた。
「だ、だからッ!Hッ!!先生が安定期に入るまで控えてください、って・・・
言ってたからッ!」
「あ?・・・あ、・・・うん・・・そうだな・・・」
乾いた笑いを漏らし、アスランは頬を染めると顔を明後日の方に向けてしまった。
彼以上に赤面をしているカガリもまた、彼から視線を外し、気まずい雰囲気に
会話も途切れてしまう。
その沈黙を破るように病室の扉をノックし、入ってきた看護婦に微笑まれ、ふたりは
僅かに距離をとった。
検温の為に渡された体温計を口に咥えると、カガリはアスランを見た。
「帰ってイイぞ。」
「えぇぇッ!??」
驚く彼にカガリは冷たくも聞こえる声を掛ける。
「病気じゃないんだから、大丈夫だって。第一、こんなトコで油売ってる暇ないだろ?
お前?・・・大学だって放ってきたんだろ?」
言われてみればその通りである。
しゅん、としながらアスランはカガリに背を向けると、部屋をでて行こうとした。
「夕方、また来てくれないか?アスラン。その時に林檎、買ってきて欲しいんだけど、
頼んでイイか?」
何気に掛けられた言葉に、アスランは飛び上がりそうな程のリアクションで彼女を見た。
「林檎だな!?解ったッ!」
単純だなぁ〜〜と、カガリは思いながら部屋をでていく彼を微笑みで見送ったのだった。