一体、何時間が経ったのか。
辺りはすっかり闇夜になっていた。
リュオンは木々を拾い集めると、焚き火をし、暖を取るのと同時に、
その火が目印にでもなるように、とでも言うように火に木をくべる。
不意に、彼の肩にパラパラと細かい砂粒と小石が降ってくるのに、
リュオンは視線を上部に向けた。
見上げた視線の先、10メートル程上に、シュラが崖を伝い降りてくる
姿が飛び込んできた。
リュオンは立ち上がると、その姿を食い入るように見つめた。
シュラが次の足場に足を掛けた瞬間、その足元が崩れ、彼はバランスを崩す。
姿勢が後ろに傾き、立て直しの利かない体勢にシュラは硬く眼を瞑った。
その刹那、自分の体重がふわり、と浮くような浮遊感がシュラを捉えた。
一気にジャンプしたリュオンが、落ちかけたシュラを抱きとめたのだった。
酷く長い時間に感じられた、その感覚。
ストン、と地面に降り立つとシュラは視線をリュオンに向ける。
「・・・先生・・・」
「よく頑張った。今日の訓練は終了だ。」
そう言って、リュオンは柔和な笑顔を浮かべ、シュラを地面へと降ろしたのだった。
灯していた、火の始末をするとリュオンはシュラに背を向け、家路への道を辿り
始める。自然、シュラも苦笑を浮べるとリュオンの後を追ったのだった。
家に着くと、リュオンは乱暴にシュラの服を削ぎ取り、そのまま風呂へと彼を
投げ込んだ。
「ちゃんとキレイにして上がってくるんだぞ!」
そう言い放ち、リュオンは浴室の扉を乱暴に閉めたのだった。
ぷくぷくと湯に顔を沈めながら、シュラは今日一日をつぎ込んでしまった、ロッククライミング
に、思い出したように体の痛みを感じて、ふときずく。
自分がちゃんと生きてる、という事に・・・そして、やり遂げられたという感慨が
彼を支配した。
最後はリュオンが助けてはくれたが。
今の乱暴な師の態度は、きっと何処かこそばゆかったかもしれない・・・というからの
行動なのだ、ということをシュラは感じていた。
体を清め、居間に戻ると、怪我の治療道具を並べているリュオンと視線があってしまう。
「こっちこい。傷見てやるから」
そう言われ、手招きされたことにシュラはおずおずと師のもとに歩んでいった。
「怪我はスリ傷だけだな。・・・ああ、そう言えば、お前が取ってきた薬草・・・今使うか」
言いながら、シュラの傷に潰した葉の汁を擦り込む。
ビクッと、シュラの体が反応して僅かに震えた。
「沁みるか?でも今日一日、我慢すれば明日には良くなってるぞ」
「・・・先生・・・僕・・・」
「何も言うな、もう良いから・・・」
そう言って、リュオンはシュラの黒髪をくしゃくしゃ、と掻き回した。
治療が完了すると、リュオンはシュラを寝室に押し込み、自分も入浴を済ませる準備に
取り掛かる。
ベッドに身を沈めたシュラは幾らもしない内に、究極の疲労を満足させる為の眠りへと
誘われていったのだった。
リュオンは自分が眠りにつく前に、もう一度だけ、惰眠を貪るシュラの様子を見に、彼の
寝室へと足を運ぶ。
シュラの静かに漏れる吐息を確認すると、彼は苦笑を浮かべ扉をそっと閉めたのだった。
翌朝のこと、シュラが眼を覚ますと、リュオンは既に起床し、朝食を作ってる最中に
出くわし、シュラは慌てる。
「すみません!寝坊しちゃって!!」
慌てて、キッチンに立つリュオンと交代しようとシュラは駆け寄った。
食事の支度はシュラの役目の内のひとつだったからだ。
「今日は良い。俺がやるから座ってろ」
余りにも珍しい、その光景にシュラは瞳を開いた。
「俺の作るオムレツは美味いんだぞ!」
自慢気なリュオンの声だったが、生活を共にしてこの方、リュオンの料理など口にした
経験は数える程しかない。
お世辞にも美味いものがでてきた試しはないが・・・。
シュラは不安気な表情を師に向けたのに、リュオンは眉根を寄せた。
「信用してないな!その眼は!」
「・・・先生・・・焦げてませんか?何か変な匂いが・・・」
「ンな!?? どわぁぁ〜〜ッッ!!」
派手な雄叫びを上げ、フライパンの中で焦げたオムレツが空を舞った。
素早く、シュラは皿を取ると、その飛行しているオムレツを上手く皿の中に受け止める。
べちゃ、という音と共に皿の中に納まったグロテスクな物体にシュラは眉を寄せた。
「・・・そ、それは失敗作だから、俺が食うよ!」
赤面した顔をシュラに向け、リュオンが紡ぐ言葉に、シュラは可笑しそうに声を上げて
笑った。日々の雑踏の中でも、ふたりの関係は師弟を越えた繋がりを持っていくことと
なる出来事のひとつがここにあったのだ。
朝の食事を済ませると、また何時もの日常がふたりを待っていた。
自然を相手に体を鍛えていくこと。
そして、何れは・・・訪れるであろう、小宇宙への開眼。
何時もの日課を済ませ、シュラは午前中の仕事の最後の仕上げである、木を切り倒す、
という作業の為に森に入っていく。
今日は何時もよりも、もう少し太い木に挑戦してみたくなって、何時もの場所よりも、もっと
奥を目指して歩を進めたのだった。
初めて踏み込む、やや開けた場所を見つけると、シュラは作業に取り掛かる為の木を
選びに掛かった。
だが、茂みを掻き分けて何かが自分に近寄ってくる、違和感に後ろを振り返り、一気に
硬直してしまう。
灰色熊。別名グリズリー、がシュラの背後で立ち上がる。
優に3メートルはありそうな体格に、シュラは立ちすくんだ。
灰色熊は気性が荒く、人を襲うのも決して珍しいことではない。
何の抵抗もしないまま、自分はここで命を落とすかも知れない・・・と、感じた刹那、
真空の刃がシュラに襲いかかろうとしていた熊を捕らえた。
熊の動きが止った事に、シュラは現状が把握できなかった。
ズルッ、とスライドするように熊の首と胴が誤差を起すようにずれ、ゴトリと、音をたて、
シュラの目の前に熊の頭が落ちてきた。
一体、何が起こったというのだ。
解らなかった。
理解ができなかった。
ずぅん、と地響きを立て、熊の巨体が後ろに倒れた、その更に後ろにリュオンの姿を
認め、シュラは呆然としたまま、その場に立ち尽くしていた。
リュオンはシュラに近づくと、一言。
「今のをちゃんと眼に焼き付けたか?」
「・・・先生?」
「今のがエクスカリバーだ。代々の山羊座の聖闘士が会得する奥義のひとつだ」
「・・・エクスカリバー・・・」
「大地をも斬り裂く、聖なる剣。・・・シュラ、お前は何れ山羊座の聖闘士となるだろう」
「僕が?」
「何故、疑問符なんだ?・・・その為にお前はここに来たのだろう?」
考えたことなどなかった。
自分が聖闘士になるなど。
唯、日々に追われ、気がつけば2年が経っていた・・・というのが今の彼だったから。
だが、輝く閃光の中に見た聖なる剣は、シュラの脳裏に焼きついて離れること
はなかったのだ。
その気持ちは何時しか、自分もあの技を習得し、そして使いこなしたい、という強い
想いに変わっていった。
その日を境に、シュラは益々自分を追い込むように、厳しい鍛錬の日々を送る
こととなる。
その成長のスピードはリュオンの想像を遥かに超え、ひとりの聖闘士を誕生させる
切っ掛けとなったのだった。