『 その背に在りし、白き翼 〜Slow life U〜 』
あの、奇襲の日以来、味を占めた娘一家が、離島に移り住んだ両親のもとへ
訪れるのを許容するのに、時間は掛からなかった。
始めのうちこそ、多少の遠慮があったからなのか、一ヶ月に一回程度の頻度であった。
しかし、それが日が経つにつれ、二週間に縮じみ、そのうちに一週間になり、
気がつけば、週末には、必ず、一家が居る、という状態になっていた。
これでは、場所が変わっただけで、状況が全然変わらない。
当然、アスランとカガリ、ふたりして途方に暮れるようになる。
かと云って、流石に「帰れ!」とも云えず…
喜ぶ、子供たちの顔を見れば、尚のこと言えず仕舞いという有様。
そんな現状のなかで一番困り事の原因を作ってくれるのは、やんちゃ盛りの、双子であった。
退屈しのぎに、大判の、白の模造紙を広げ、落書きはここに描くように、と云っても、
いつの間にか紙を越境したクレヨンの線は、フローリングの床に線路を画き、そのうえを
楽しそうにはしゃぎながら、おもちゃの電車を走しらせているという始末。
「……」
ふたりでその様子を見遣って、…無言。
強く、注意をすることもできず、ふたりは呆然とそれを眺めているだけ。
子供たちが絵描き遊びに飽きれば、大人たちは盛大な溜息をついて、掃除に勤しむこととなる。
なかでも、ここ最近で最大の被害を受けていたのは、アスランがカガリへと贈った、
あのライトグリーンのハロだった。
玉よりも硬く、程よく弾力もあり、大きさも手頃。
そうなれば、それが双子の標的になるのは、必然。
家宅のメインスペースで、双子は互いに距離を置き、始めのうちは喜んで開いた
2m弱の空間を、ハロを転がし遊んでいた。
だが、機械音声での、ハロの発する『声』は、転がし遊ぶ双子を次第に興奮させていく。
《コロガル、…コロガル メガマワル〜〜》
心なしか、ハロの漏らす言葉が本気で眼を廻しているように聴こえる。
そこで止めれば、被害は最小で喰い止められただろうが、いかんせん、大人たちの思惑として
取り上げたときの、双子の反応の方を恐れ、結局放置。
段々とその転がしに、強弱とスピードが加われば、手加減が無くなってくる。
《グルグル… グルグル マワル、マワル〜》
ハロの声に、危機感が混じり始めてくるが、それでも周りに居る人間は、傍観したまま。
おもむろに立ち上がったツルギは、ハロを両手で頭上に持ち掴みあげるや、ハンドボールの
選手も真っ青になるほどの馬鹿力で、ハロを自分の対面にある窓に投げ付けた。
《アァ〜〜レェェェ〜〜》
哀れ、ハロは奇怪な声をあげ、空中を飛んで行った。
こんな小さい身体のどこに、そんな腕力?と云いたくなるような投擲術。
ガラス窓の壊れる、強烈な破壊音に、その場に居た全員が蒼白し、唖然となる。
「ハロちゃん、バイバイ!」
ツルギは、ニコニコしながら手を振っている。
南国のオーブで、寒風が入り込んでくることはなかったが、割れた窓からは、温い風が
音をたてて吹き込んでくる。
見遣っていたヒビキの方はといえば、これが大喜びして手を叩いているもんだからどうしようもない。
カガリに至っては、今まで指の数に収まるしかなったことのない貧血に襲われ、重力に引かれるまま
後ろに倒れた。
傍に寄り添っていたアスランが居たから、難を逃れたものの、支えがなければ、床にぶっ倒れていただろう。
1/4とはいえ、罷りなりにも、コーディネイターの血が混じっているのだから、幼児でも、発揮する腕力は、
やはり尋常ではない。
きゃあ、きゃあと、喜んだ声で騒ぎ、はしゃぐ幼子以外の面子の顔は引き攣りっぱなし。
「…新築したばかりの家が、おばけ屋敷になっていくぅ〜」
カガリは、支えられたアスランの腕のなかで、小さく言葉を零し、顔面蒼白。
こんな状態を鑑みれば、恐らく元家になる、本島の自宅は、もっとすごいことになっているはず。
…考えただけで、空恐ろしい。
だから、できるだけその考えを排除し、娘夫婦の顔を見遣る以外、術がない。
窓から投げやられたハロは、家に隣接して繁っていた、樹木の太枝の股に挟まっていた。
頭の天辺に当たる部分からは、白煙がもくもくとあがっていて、それを見たカガリは涙眼で
アスランお手製のハロを抱き締め、声無き声で泣いていた。
慰めに、
「ちゃんと直してあげるから」
と、愛夫に言われても、潤んだ涙眼は枯れることはなかった。
そんな珍事件を経て、尚収まる気配を見せない出来事は更に続く。
空いている部屋があるのなら、泊まりたい、と言い出す長女、サクラの言葉に、アスランたちは
再び、盛大な溜息を零した。
流石に、寝袋で床に、とも言えず、仕方なく、改装へと止む無き状況に転進。
暫しの準備期間をもらって、空き部屋にとスペースをとっていた二部屋にベッドが運び込まれた。
臨時であれ、なんであれ、宿泊にも対応出来るよう、模様替えを施す。
半ば、強制的な部分はどうしても否めないが、それも可愛い孫たちのためなのか。
アスランたちが使っている部屋の真向かいの部屋には、シングルベッドをみっつ運び入れた。
それを隙間なく並べ、子供たちの部屋へと。
隣の一部屋は、娘夫婦用に、ダブルベッドをひとつ入れた。
こんなんだから、益々、来訪の頻度は増すばかり。
…悪循環、と思いながら、可愛い孫、三人の顔を見れば、アスランも、カガリも否とは云えず、
ずるずると… になってしまっていく。
もう、ここまで来てしまえば、呆れるよりも、諦めの方が先立ってしまって、なにも云えず
請われるがままになってしまっていた。
そして、再来。
長女サクラの、再びの挑戦状。
そう、お泊りを完遂させる、という崇高な目的に、アスランとカガリは苦笑しながら、それを甘受する。
まずは、再チャレンジとばかりに、サクラがひとりで泊ることを進言。
言葉だけでなく、実行へとサクラの行動はシフトアップしていく。
諦めが上回ると、むしろ開き直れるのか、カガリはカラカラ笑いながら、「やってみろ!」と
言い放つ。
「今度は、絶対、“帰る”って言わないもんッ!」
強気な、孫娘の発言に、カガリは、アスランと顔を見合わせ、小さくふたりで噴く。
翌朝。
『川の字』で寝た、アスランたちのベッドには、見事なまでの世界地図が画かれていた。
心配で寝付けなかったのか、朝一番で電話をかけてきたミューズは、母親の笑いを携えた言葉に
仰天し、すっとんできた。
家の玄関前の、庭にあたるスペースに干された布団を見、ミューズは呆然とする。
気持ちが正気を取り戻すと、今度はがっくりと肩を落とし、嘆息。
毎度の、実母の台詞、
「気にするな。」
の声にも、救いを見出せず、唯、ひたすらに謝罪を繰り返すだけだった。
そんな風に過ごし、早くも三ヶ月が過ぎた頃。
外交折衝のため、どうしても二日だけのスケジュールで、ミューズとイズミは家を空けなくては
ならなくなった。
当然、政に関するものであれば、子供たちを同伴させるわけにもいかず、仕方なく、子供三人は、
アスランとカガリに預けられることになる。
家のメインスペースである、二十畳のフローリングには、双子。
そして、僅かに離れた場所では、サクラが色ぬりの本を広げ、色鉛筆で懸命に色つけをしている。
一番の気になり処は、やはり双子のツルギとヒビキ。
眼の届く範囲にいれば、取り敢えずは安心していられる。
アスランとカガリは、そんな子供たちの様子を窓辺近くに置いたソファに座って眺めやっていた。
大型の馬のぬいぐるみに跨り、遊びに興じる双子は、実に仲が良い。
ふと、ツルギがカガリの方に向かって歩いてくるのに、彼女は首を傾げる。
「あえ、とって!」
言葉はしゃべれても、まだまだ舌ったらずな言葉で、必死に幼子は、キッチンカウンターを指差す。
カウンターのうえには、フルーツバスケットに盛られた、果物がある。
「腹減ったのか?ツルギ」
頷く幼児に、カガリは立ち上がり、籠のなかに置かれたバナナを取ってやった。
「もう、ひとちゅ!」
「二本も食べるのか?」
カガリの問いに、幼子は首を振る。
理解できぬまま、カガリがバナナを二本手渡すと、ツルギは「あいやと!」と云い、頭を下げた。
その仕草の、なんと愛らしいことか。
思わず、カガリは苦笑し、幼子の後姿を見送った。
「あい、ヒビちゃん。」
云うなり、ぬいぐるみの馬に跨る弟に、自分が手にしていた果物の一本を差し出す。
始めは、きょとんとしていたヒビキも、笑みを浮かべると兄の差し出したバナナを受け取った。
ふたりで、ぬいぐるみを背に、バナナの皮を剥き始める。
そのまま食べるのかと思った瞬間、ヒビキはバナナを半分に折り、兄に実を差し出した。
「あい、兄たん。」
「あいやと。ヒビちゃんも半分ね。」
云って、今度は、ツルギが実を半分に折ってヒビキに差し出す。
交換が済んでから、ふたりは美味そうにバナナを頬張る。
ソファに戻って、カガリは自分の両膝を抱え、その様子を見ながら嬉しげに目を細めた。
「双子って、本当に面白いな。」
ぽつり、カガリは言葉を紡ぐ。
「ああ、見ていて飽きないよ。」
相槌を打って、アスランも頷く。
「私とキラも、同じ環境で育っていたら、あんな風だったのかな?」
微笑み、カガリは隣のアスランに視線を配る。
「どうかな?俺には、そういうこと聞かれてもわからないな。」
正直に言葉を返して、アスランはカガリの顔を微笑み見詰める。
ひとりっこで育ってきたアスランにとって、双子の言動は、時々理解出来ないことが多々ある。
勿論、ツルギ、ヒビキだけでなく、カガリとキラの事でも。
双子というものは、ひとりで個々に育つよりも遥かに強い絆が存在するのだと、随分前書籍で眼に
したことがある。
特に、ひとが有する、”喜怒哀楽”はダイレクトに反応するらしい。
人間として、一番強い感情を身体に感じたとき、それは以心伝心するのだそうだ。
もっとも、そう肯定論を伏されても、俄かには信じられない。
やはり、体験出来ないことは、なかなか理解の範疇からは遠いものでしかない。
カガリが時々、突然、「あ!」と、声をあげるときがあるが、余程のことがないかぎりは、
あまりアスランは追求しない。
聞いても、疑問の方が先立ってしまうからなのだけど…。
もっとも、そんな時は大抵、時間をおかずに、キラから電話がかかってきたりするから、やはり双子は
不思議で、面白い。
内容なんて、大したことはなくても、そういう遣り取りが楽しいのだそうだ。
カガリや、キラに起きてる現象を、そのうち、ザラ家の双子もやりだすのだろうか。
感慨深く、思い巡らし、アスランはまた苦笑を零した。