参観日、当日。
桜の花が咲き誇る時期が過ぎ、木々の枝には若葉が茂り始める。
ミューズが通う幼稚園を中心に、外路脇の用水路沿いには、等間隔で
樹齢、60年以上は越える桜の木が整然と並んでいる。
子供達が入園を迎える頃は、見事なまでの桜並木が堪能できるので、
整備された用水路は、お花見のポイントとしては最高の賑わいを
みせる場所であった。
カガリは、若葉茂る桜の木々を見上げ、木漏れ日が漏れる、その光景に
眼を細めた。
初めて、『行事』という名目で、愛娘が通う、幼稚園へ踏み込む。
入園式以来のことに、彼女は僅かに紅葉した頬を、隣で並び歩く夫に向ける。
「ちょっと、ドキドキしてる。」
「ドキドキ?」
アスランは、くすりと小さく笑った。
大袈裟な警備はしない、という前提。
園から態と距離をとり、車を降りて、徒歩での移動。
若草香る、森林浴を楽しみながら、ふたりで歩を進める。
本当に、色々な意味、久し振りで、新鮮な感覚を味わえる。
カガリは、ライトグリーンを基調とした、ワンピース仕様のマタニティドレスに身を包み、
アスランは、白のワイシャツを着込み、アイボリーのジャケットに合わせた、スラックス姿。
首には、ワンポイントだ!と云われ、カガリの見繕ったスカーフを捲き、靴は革地の
《リーガル》を履いている。
こんな心地よい天気に恵まれているのだ。
本来なら、手でも繋いで歩きたい処だが、やはり人目を気にして流石にそこまでは
勇気がなかった。
自分たちの他にも、園に集う保護者たちが続々詰めかけ、門前に設けられた受付は、
やや混雑気味。
ふたりも、誘導の案内係りの女性保育士の指示に従い、列に並ぶ。
事前に、園の方には、自分たちも含め、特別扱いをしない、ということを通告してある。
他の、保護者と同列の扱いを。
これは、ミューズが、普通に日々を過ごすためにも必要な処置だとふたりは考えていた。
どんなことでも、格差はつけない。
どの子供たちとも、同じく平等に。
幼稚園、という独立した、小さな社会において、ミューズが自分の生まれを鼻に掛けるようでは
いけない、という考えからだ。
サラリーマンの子でも、商家の子でも、同じ。
喩え、自国の首長の娘という肩書きがあっても、周りの扱いが特別視なら、それは違和感として
幼子の胸に焼きついてしまうことを、カガリもアスランも怖れたのだ。
それでは、普通の幼稚園にいれた意味をなにも成さない。
同じ轍を踏ませないために。
それが、なによりも重要だった。
受け入れの要請をする時も、ふたりは強くそれを懇願したのだ。
受付を済ませ、ふたりは園内に踏み入る。
「パパッ!ママッ!!」
目敏く、ふたりを見つけたミューズが、保育室から上履きのまま飛び出してきた。
「おい、良いのか?勝手にでてきて。」
アスランは、腰を屈め、両膝に手をついて、愛娘を見下ろした。
「今、お休み時間だもん。」
「そっか。なら、良いけど。 ちゃんと先生の言うこと聞いて・・・」
「聞いてるもん!ミュー、良い子にしてるもん!」
ぷー、と頬を膨らませ、ミューズは父親の顔を睨み見据える。
思わず、アスランは苦笑を零す。
制服のうえに水色のスモッグを着た愛娘は、普段とは全然違う恰好。
その姿を見ただけでも、アスランは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「パパ。次の時間、みんなで工作するの!手伝って!」
ミューズに片手を引っぱられ、アスランは驚く。
「手伝う?俺がか!?」
わたわた慌て、彼はカガリの方を振り返った。
「リクエストには応じないとな。」
にんまりと、カガリは笑うだけ。
照れくさそうに、アスランは小さく頭を掻き、ミューズに手を引かれ園舎に入っていく。
「ミューのお部屋は、『ばら組』さんなんだよ。」
嬉しそうに説明をする我が子の後姿。
その姿は、実に微笑ましい。
アスランも、嬉しげに眼を細め、その姿を目線で追った。
保育室には、すでに何組かの保護者が、子供達の道具箱収容棚の方に立ち並び、
園児たちの様子を観察している。
アスランとカガリが部屋に入った瞬間、一瞬だけ、室内がざわめいたが、それも直ぐに収まった。
担任の保育士の掛け声が場を沈める。
「さあ、みなさん。今日はたくさん、お父さんとお母さんがお見えになっています!まずは元気に
ご挨拶しましょう!」
『は〜〜い!!』
「こんにちわ!」
『こんにちわッ!!』
活きのいい、子供たちの大合唱の声。
いつもと違う環境に、園児たちも興奮気味だ。
どの親も、その子供達の姿態に、顔を綻ばせる。
勿論、アスランもカガリもそれに倣う。
「それでは、机を準備してください。お隣のお友達とお席をくっつけて、終わったひとは、
先生の所に、工作の道具を取りにきてください。」
『は〜〜い!!』
がたがたと移動する、机の群れ。
少しでも、良い処を、自分たちの両親に見せようと、子供たちは必死である。
糊とはさみ、色画用紙を貰いうけ、子供達はそれぞれの席につく。
全ての準備が整ってから、担任の声が掛かった。
「白い画用紙に、好きな色画用紙を貼ってください。動物でもお花でも、好きなものを
作ってくださいね。」
『は〜〜いっ!!』
「今日は、お忙しいなか、参観にお越しくださいまして、ありがとうございます。」
園児たちへの指示を終えてから、担任の女性保育士は、父兄に型通りの挨拶をする。
「今日は、子供たちも張り切っていますので、ぜひ工作のお手伝いをしてあげてください。」
にっこりと笑み、保育士の女性担任は、見学する親たちを促した。
「パパッ!来てッ!!」
いのいちに声をあげたのは、ミューズ。
「ほら、呼んでるぞ。」
カガリは、アスランの腕を肘で小突き、言葉で押し出す。
照れ、躊躇った顔色の彼を見、カガリはにまにま笑った。
おずおず歩を進め、アスランはミューズの隣の席に腰を降ろした。
5歳児用の学習机と椅子は、とても窮屈至極。
余った長い足を納められず、アスランは困った表情を浮かべるばかり。
「ちょっきん、ちょっきん!カニさん、カニさん!」
ミューズは楽しそうに、唄を口ずさみ、はさみを動かす。
上機嫌このうえない、愛娘の顔を見て、アスランは微笑んだ。
「パパ、これ貼って。」
糊を渡され、アスランはミューズに言われるまま、指示された場所に娘が切り抜いた
色画用紙を貼っていく。
不思議な、幾何学模様のような、図柄。
「・・・これは、・・・なに?」
「お花だよ。」
「花ぁ〜!?」
すっとんきょんな、アスランの声があがる。
どう見たって、花というより星型にしかみえない。
アスランは眉根を寄せ、じっと視線を注いだ。
「はい、次、コレ!」
「今度はなんだ?」
奇妙な、珍問の応酬。
「葉っぱだよ。」
「葉っぱぁ〜!?? ・・・これがか?」
やっぱり、どう見ても、星型だ。
良くいったところで、クリスマスリースの飾りにしかみえない。
「ぷっ!・・・くくく!!」
さっきから、カガリの可笑しそうな笑い声が響く。
アスランは視線をあげ、赤面しながら彼女を見た。
複雑な心境に苛まれ、アスランは小さく溜息をつく。
完成した貼り絵に、アスランは目線を落とす。
「お花畑ッ!!」
ミューズは、自慢げに出来上がった品を掲げた。
「・・・」
アスランは再び小さく息を吐いた。
どうやら、娘の美術センスは、・・・あまり良い評価は下せないみたいだ。
似なくてもいい処が似てしまったのは、幸か不幸か。
判断に苦しみ、彼は溜息に暮れる。
一通りの制作を終え、担任の先生に出来上がったものを提出する。
切りよく、終了の合図が出されれば、自由時間に移り変わる。
待ってました、と言わんばかりに、ミューズはふたりを保育室の通路に引っ張りだした。
「パパとママの顔、描いたの!」
廊下に貼り出された、園児たちの絵。
そのなかの一枚を指差し、ミューズは微笑んだ。
「おっ!なかなかちゃんと描けてるじゃないか!」
カガリは素直に愛娘の絵を評価した。
だが、その隣のアスランは、ほんの少し、不満気な表情。
「・・・髪の量が少ない。」
ぼそっ、と漏れた、アスランの呟きに、カガリは噴出す。
「あんまり笑わせるなッ!アスランッ!! 力入りすぎて、おなかの赤ん坊が産まれたら、どうすんだ!」
ここが自宅だったら、床を転げ回りそうな勢いで、カガリは笑った。
マスカットのような、緑の粒の瞳。
クレヨンで、ぐりぐり紺色に塗られた、髪の色。
これは父親の、アスランの姿。
その横には、母であるカガリの顔が描かれている。
黄色の髪と黄色の粒の瞳。
にっこり笑ってる顔は、普段のふたりの表情なのか。
「でも、特徴はちゃんと掴んでいるじゃないか!」
バシバシと、アスランの肩を叩き、カガリは可笑しそうに笑い続ける。
・・・やはり、先にも思った通り、娘の美術感覚は、低空飛行・・・ かもしれない。
こんなとこばかり似なくてもイイのにッ!
アスランは小さく唸り、目元を伏せる。
一息つく間を縫って、園舎に告知放送が流れた。
《ご父兄の皆様、本日はお忙しいなか、足をお運びくださってありがとうございます。
これより園庭にて、フォークダンスを行いますので、みなさまふるってご参加ください。》
「パパッ!」
ミューズは、喜んだ声をあげる。
「ほら、ご指名だぞ、アスラン。」
「・・・はぁ〜」
「なんで、そんなにさっきから溜息ばっかついてるんだ?」
嬉しくないのか?と、言いたげな、カガリの視線に、彼はどう答えて良いかわからない。
心境が複雑過ぎて。
嬉しいは、嬉しい。 とても。
だが、ミューズのファザコンぶりを、こんな日に大発揮されるとは思ってもみなかった。
自宅でも、暇さえあれば、愛娘の『構ってくれ』攻撃は、嬉しくて仕方ないのだが・・・
なんだか、今日はすごく迷惑に感じるとは、錯覚と思いたい。
「園児のみなさんは、マルになってくださいね〜」
園庭では、保育士たちの、子供らを並ばせようとする声が響き渡っていた。
「パパッ!早くッ!」
ミューズは急かす仕草で、アスランの片手を強く引っ張った。
「うえっ!? お、俺がやるのかッ!?」
「そうだよ?『マイムマイム』やる、ってミズキ先生が言ってたよ?」
再び、泡を喰った姿態で、アスランは救いを求めるような視線をカガリに向ける。
「代わってやりたいのは、山々だがな〜 なんせ、この腹だから、しんどくて。」
にこにこ笑い、カガリはワザとらしく、見送る仕草で手を小さく胸元で振り、ふたりを送りだす。
意気消沈。
すっかり、諦めモードになり、アスランはミューズに連れられ、園庭へと引き摺られていく。
頼みの綱、と期待していた妻は、助けてもくれない。
嬉しさ半分。気恥ずかしさ半分。
噛みあわない感情だけが、アスランの胸のなかで交差する。
身長110cmの、ミューズに高さを合わせるのは、一苦労だ。
腰を屈め、アスランはできるだけ、ミューズの動きにテンポを合わせようと、必死になる。
嘗て、『英雄』と呼ばれた、エースパイロットの彼が、娘の前では、たじたじ。
ひとりの、父親としての姿は、微笑ましい光景のなにものでもない。
続けて、二曲。フォークダンスを踊らされ、アスランはすでにへとへとになっている。
無理な姿勢と、やり慣れない運動をやらされ、調子が狂いっぱなしだ。
反して、ミューズは、ずっと、元気な笑顔のまま。
はしゃいだ声をあげ、隙あらば、アスランに飛びついてくる、といった始末。
参観、などと銘打ったものなら、唯見てれば良いとばかり思って、高を括っていた。
しかし、なかなかどうして。
体力、気力、精神的にも結構ハードなものである。
ダンスの催し参加が終了し、『お帰りの仕度』に、園児たちは園舎に雪崩、駆け込んでいく。
今日は特別。
通常、園の所有する、通園バスで、帰宅をする子供も、両親と一緒に帰れる、とあってか
皆、帰りの準備は、先を争う勢いだ。
準備が整った子供から、順番に一列に担任のもとに並び、両親のどちらかと手を繋いで、
帰りの挨拶をする。
ミューズのご指名は、当然、アスランだ。
最後の、最後までべったりとくっつかれ、嬉しいやら、なんやらと、アスランは終始、複雑な
表情を浮かべている。
「ミューズ・アスハ・ザラちゃん。」
「はいッ!」
担任の保育士に呼ばれ、元気な、幼子の声があがった。
「じゃあ、また明日、元気に幼稚園に来てくださいね。」
笑顔の担任の顔を見、ミューズも満面の笑み。
「バイバイ!ミズキ先生ッ!」
ミューズは、元気一杯、大好きな、担任の女先生に手を振った。
自然、アスランは挨拶に、頭を垂れる。
「さあ、帰ろうか?」
「うん!」
アスランは、ミューズの手をとり、カガリの待つ、園門へ向う。
「お待たせ。」
声をかけ、アスランは佇むカガリに声をかけた。
「ご苦労さま。」
微笑み、カガリは、今日の夫の大活躍に、顔を綻ばせた。
「・・・結構、参観、って疲れるモンなんだな。なんか、軽く10年分くらい、精神力使い
果たした気分だ。」
また、溜息。
カガリは、くすくす笑い、そんな風体の夫を、可笑しそうに見るだけ。
「ま、良い経験だっただろ?」
「まあな。」
有意義かどうかは別として、娘の喜んだ笑顔は、なによりもふたりにとっては栄養剤。
帰り道、ミューズは、ふたりに甘え、右手にはアスラン、左手をカガリに持ってもらい、
持ち上げてもらう遊びを強請る。
「ブランコっ!」
楽しげな、幼子の声に、ふたりは優しく笑んだ。
あと、数十メートル。
歩いて、数分の距離に、迎えの車を待機させてある。
何事もなく、終わるはずだった。
笑い声が絶えない、普通の家族の風景。
ひとの波はまばら。
遠巻きに、家族を見守っていた、警護の者たちも、あと一息で終わりそうな予感に
安堵の息を漏らした。
刹那、通り縋った、すれ違いのひとりの男が牙を向ける。
眼深に被ったキャップ、色の派手なスタジャンの懐から取り出したものは、
鋭利な切っ先を持つ、一本のサバイバルナイフ。
「死ねッ!カガリ・ユラ・アスハッ!!」
雄叫びをあげ、男はカガリに襲い掛かった。
「!!」
咄嗟の反応。
アスランは、自分の背にふたりを庇い、左腕を盾に、その狂気の刃を受け止める。
深々と、アスランの腕に突き刺さった、ナイフ。
「くっ!」
沁み込んだ、軍人としての反応反射で、反撃にでた。
下から利き足を振上げ、男の顎目掛け、蹴り上げる。
もんどりうって、男は後ろに仰け反り倒れた。
その間を逃さず、警備配置についていた、警備官たちが男を押さえ込んだ。
「アスラン様ッ!!」
駆け寄った、警備のひとりが、膝を着いたアスランを庇うように、自らの身でガードをする。
「俺のことはイイッ!!早く、ふたりを車に乗せろッ!!」
アスランは、油汗の滲む顔で、警備の男に怒鳴り、指示を与える。
急ブレーキの音を響かせ、待機させていた車が、カガリとミューズの前に滑り停まった。
「お早く!カガリ様ッ!ミューズ様ッ!」
黒服のSPに、車に押し込まれ、カガリはもがく。
「私より、アスランをッ!」
「パパッ!!」
ふたりの、悲鳴が路地に響き渡った。
「早く行けッ!車をだすんだッ!」
苦痛に歪んだ、アスランの顔。
まだ、他にも刺客が潜んでいる可能性があれば、出来るだけ早く、この場を離れることは、
定石である。
アスランを残し、カガリとミューズを乗せた車は、猛スピードで走り出す。
車のなかで、カガリは暴れ、車を戻すよう、叫んだ。
「なりません!今は、この場を離れるのが優先ですッ!」
強い叱責が、運転席からあがる。
恐怖に顔を強張らせ、カガリは後部座席の窓に身を縋らせた。
遠ざかっていく、外路からは、蹲ったままの、アスランの姿が小さく見える。
血が滲むほど、カガリは唇を噛み締めた。
自分だけが助かるなど。
いくら、アスランが身を呈して、彼女や、ミューズの身を按じたといえ、それは彼女に
とっては、絶望にも匹敵する事柄。
ミューズも泣き叫び、錯乱した様で、カガリに縋っている。
ぎゅ、と彼女は、愛娘の小さな身体を抱き込んだ。
「・・・大丈夫。・・・大丈夫、・・・だから。 泣くな、ミューズ。 ・・・パパは、誰よりも強い。
こんなことくらいで、死んだりなんかしないから・・・。」
娘に囁く言葉は、まるで自分に言い聞かせているような、そんな錯覚を呼び起こした。
その頃、現場を離れる車を目線で確認し、アスランはゆるり、と立ち上がった。
強靭な精神力で、掠れる意識を保ち、首に捲いていたスカーフを解く。
それを腕に捲きつけ、止血を施した。
「アスラン様!」
「騒ぐなッ!すまないが、このまま病院へ。」
「は、はいッ!」
この場で刃を抜けば、傷口からの大量出血を余儀無くされる。
その方が返って危険を伴なうことを、彼は知っている。
設備の整った、医療機関までは、激痛を伴なっても、この状態を維持した方が賢明だろう。
未だ、彼の左腕に突き刺さった状態の、ナイフ。
刃先は、10cm程、喰い込んでいる。
「・・・動脈は、・・・傷ついていないのは、幸いだな。」
出血量から判断して、彼は冷静に呟いた。
屋敷に戻り、カガリは、落ち着きなく、アスランのその後の状態報告を待ち続けた。
イライラしながら、彼女は爪先を噛み、電話の前を動かない。
「お嬢様。お身体に障ります。どうか、少しお休みになって・・・」
乳母のマーナは、カガリを心配し、声を掛けた。
「五月蝿いッ!こんな時に、自分だけ休んでいられるかッ!!」
苛立ちに、カガリの口調は、激しさを増す。
びくり、と慄き、マーナは身をひいた。
「あっ、・・・ご免、マーナ。 怒鳴ったりして。」
「わかります。・・・旦那さまは、・・・アスラン様は、お強いお方です。 きっと大丈夫ですわ。」
「・・・うん。」
マーナは、カガリの身体を抱き締め、その背を撫で擦った。
「あまり興奮なされるのは、おなかの赤ちゃんにも、良い影響を与えません。 お願いです、
お嬢様。 少しで良いですから、横になってくださいませ。」
「・・・ありがとう、・・・マーナ。」
幼い頃から、彼女だけを慈しんできた、乳母の気遣いに、カガリは小さく微笑んだ。
気持ちを落ち着かせようと、カガリは深く深呼吸をひとつする。
その刹那、屋敷に響く電話のベル音に、彼女の身体が震えた。
飛びつき、受話器を握る。
《アスランはッ!?》
いちもにもなく、彼女は電話口で声を荒げる。
《彼は、大丈夫です。命に別状はありません。》
《キサカッ!?》
電話の主の声を訊き、カガリはどっと身体の力が抜けるのを感じた。
安堵感が押し寄せ、自然に涙が溢れる。
《・・・良かった。》
漏れる、彼女の言葉。
心底から、安心した声音を零し、彼女は床にヘタリ込んでしまった。
《暫くは、入院処置とのことですが・・・》
《もったいぶってないで、病院教えろッ!》
《来るんですか?》
《行っちゃいけないのかッ!》
ふーふー、と威嚇した猫が毛を逆立てる勢いで、カガリは電話口で怒鳴りまくる。
《あんまり興奮するのは、身体に良くありませんよ?》
《興奮させているのは、お前だろうッ!!》
怒った口調で、カガリは電話口に噛み付いた。
さっ、とその受話器をマーナに横から奪われ、カガリは呆然とする。
テキパキとメモをとり、受話器を置く。マーナは書き込んだ、備え付けの紙切れを
カガリに押し付け、車の手配をさっさと済ませる。
「お帰りは、できるだけお早めにお願いいたしますね。 ミューズちゃんは、わたくしが
代わって御世話させていただきますので、安心してお出掛けください。」
「マーナ・・・」
「ほらほら、お嬢様。お早く。」
背を押され、カガリは乳母に玄関先へと押し出された。
既に、迎えの車が待機し、運転手が頭を下げ、カガリを待っている。
車に乗り込み、カガリは行き先を運転手に指示した。
アスランは、市の中央病院に搬送された、との報。
カガリは焦る気持ちを抑え込む仕草で、胸元で両手を組む。
早く、・・・早く!
思いは募るばかり。
病院に辿り着き、カガリは早足で、アスランが入院した病室に駆け込んだ。
「アスランッ!」
「カガリ?」
息も忙しく、カガリはベッドに臥せた、彼をみる。
緩くベッドの角度をあげ、身を預けたアスランは、飛び込んできた彼女を驚いて仰ぎ見た。
「・・・ケガ。」
それだけを云うのが、精一杯で、カガリは彼に飛びつき、声をあげて泣きじゃくった。
「い、痛いッ!カガリッ!腕が痛いよっ!」
彼の首筋に絡まる、彼女の両腕。
三角巾で、左腕を吊ったアスランは、痛みに声をあげながらも、嬉しそうに微笑む。
「・・・この、馬鹿ッ!」
「俺は、大丈夫だよ。」
「なにが、大丈夫なんだ!? いつも、いっつも、ケガばっかしてッ!!」
「でも、カガリとミューを守れたから、俺は満足だよ?」
「・・・うぅ・・・ 馬鹿、馬鹿ッ!!」
「あんまり、馬鹿馬鹿、云うなよ。」
アスランは、苦笑を浮べ、カガリの頭を撫で擦った。
涙で濡れた、彼女の顔を起させ、アスランは優しく微笑む。
「鼻水、でてるぞ?」
可笑しげに小さく笑い、彼は荷物収納棚のうえに置いてあるティッシュの箱をとり、
彼女に差し出す。
派手な音を響かせ、カガリは思いっきり鼻をかんだ。
「あ〜あ。鼻が真っ赤だな。 美人、台無し。」
くすくす。
彼の笑い声に、彼女は赤面する。
「でも、利き手じゃなくて良かった。政務には支障きたせないから、明日から、仕事・・・」
そこまで彼が言いかけたのを、カガリは怒鳴りつけ、制した。
「馬鹿云うなッ!三ヶ月の入院だ、って医者が言っているんだぞッ!」
予め、キサカから、アスランの病状報告を受けていたカガリは、吼える。
「・・・だって、カガリだって今は臨月だし、俺以外動けないじゃないか。」
「政務のことは心配するなッ! お前はしばらく、休みだッ!」
「えッ!? でもっ!」
「代行に、ホムラの叔父上をたてる。文句は言わせない。」
不安げな、アスランの顔が彼女を見詰めた。
「そんな顔、するな。 仕事が心配なら、早く傷を治せ。」
「・・・わかった。」
苦笑を浮べ、アスランは了承の返事を返す。
「カガリ。」
「ん?」
「・・・キス、してくれないか?」
「えっ!? なんだよッ!突然ッ!」
「ダメ?」
「・・・いや、別に・・・ 駄目ではないけど・・・。」
真っ赤な顔で、カガリはアスランの顔を凝視した。
今更、照れを感じる間柄でもないのに、それでもどこか気恥ずかしさが漂う。
そっ、と彼女の唇が、アスランの唇に触れた。
「もう、一回。」
ちゅっ。
今度は、ほんの少し、長めの触れ合い。
「もう、一度。」
「・・・アスラン。」
「・・・カガリに、触れたいんだ。 ・・・ぬくもりを感じたい。」
素直な、彼の要求を受け入れ、彼女は彼の唇に自分の唇を重ねる。
角度を幾度も変え、ふたりは深い口付けを交わしあう。
「・・・んっ、・・・アス、・・・ランっ・・・」
きつい抱擁と、重なる唇は、愛情を分かち合った、ふたりの最高の感情表現。
そんなふたりの、甘い時間を遮るように、病室の扉がノックされる音が響く。
「どうぞ。」
身体を離し、アスランはその応対に声をかけた。
入ってきたのは、今日の警備を任された、SPのひとりだった。
アスランを、ここまで搬送してくれた男だ。
主任格であった彼は、深々と頭をさげた。
「申し訳ありませんでした!」
「えっ!?」
驚き、アスランもカガリも瞳を開き、顔を見合わせる。
謝られることの、心当たりのないふたりは、首を傾げるばかり。
「今回の、警備の不備は、全て私にあります。ご処分は如何様にも甘んじてお受けいたします。」
ふたりは、顔を見合わせたまま、考えている様子。
「顔をあげてください、主任。 今回のことは、あくまでも事故です。警備の不備ではありません。」
「アスラン様!?」
「警備を厳重にしない、ということは、俺たちが頼んだことですから。」
「しかしッ!」
「処分はありません。今後も、カガリたちの事、よろしくお願いします。」
寛大なアスランの言葉の示唆に、黒服の男は涙を滲ませる。
本来なら、自分たちが守らねばならない人物を、その主のひとりに怪我を負わせ、いらぬ
心的苦痛を与えた責任は、重大な過失。
左遷どころか、辺境の地に追いやられても、文句など言えない。
男は再び、頭を垂れると、礼の言葉を残し、病室をあとにした。
深く、ベッドの背凭れに身を落とし、アスランは息を吐く。
「なんだか、色々なことがあり過ぎて、頭のなかの整理がつかないよ。」
「・・・そうだな。」
カガリも微笑みを浮べ、相槌をうつ。
「ミューは?」
「マーナがみててくれている。早く帰って、安心させてやらないと。」
「すまない。」
「ああ、もうッ!その謝り癖、どうにかしろッ!」
「・・・癖?・・・う〜ん、癖なのか〜 コレ。」
アスランは、惚けて空を仰いだ。
手を伸ばし、彼はカガリのおなかに手のひらを当てた。
「おどかしちゃって、ゴメンな。」
ぽこんっ!
瞬間、アスランの手に小さな衝撃が走った。
「蹴った。」
カガリは、小さく笑う。
「ああ、蹴った。」
アスランも攣られ、笑った。
「これは、抗議?・・・かな?」
「さて、どっちだろう?」
ふたりは、病室に吹き込む、温かい風を感じながら、緩く微笑んだ。
■ Fin ■
※ひさびの更新でごわす!(ごっつあんです!!)
お題も、ほんに、久し振りっス!
今回は、カガリの臨月に絡まるお話で、
内容を進めてみました。 ま、ミューズ絡みの
お話じゃ、唯のコメディかも。(爆)
ま〜た、アスラン、大怪我だ。;; やれやれです。
ヽ (´ー`)┌ フフフ