『 ぬくもり 』
夕食後の、団欒の時。
食事が終わったあと、コーヒーを片手に、話しをする。
そんな些細な出来事。
しかし、それこそが、もっとも重要なコミュニケーションを持つ、大切な時間の
ひとつであることを、ふたりは知っている。
他愛のない話。
笑いが洩れ、楽しい思い出になるだろう事柄や、ちょっとした心配ことなど、
色々なことを・・・
ダイニングのテーブルで、カガリとアスランは、談笑に興じていた。
カガリは、あと一ヶ後に迫った、出産目前。
臨月の、大きく迫り出たおなかを抱え、少々辛そうに息をついた。
ふたりめの、待望の妊娠。
アスランは、嬉しそうに眼を細め、そんな彼女のおなかをそっと撫でる。
「もう、でてきてもイイんだぞ? 俺は、早くママといちゃいちゃしたいからな!」
「また馬鹿なこと、言ってる。」
カガリは呆れながら、小さく笑う。
臨月に入れば、おのず、夜の夫婦生活には歯止めが掛かる。出産を終えても、
その後、一ヶ月の検診で医師の許可がでなければ、当然無理なのは、アスラン自身、
ひとりめのミューズのことで経験済みだったのでよく熟知していた。
そんな会話の最中、ダイニングの入り口の影から覗く、黄色い頭に、ふたりは視線を向けた。
でたり、引っ込んだり。
不思議な、どこか遠慮を感じさせる動きにふたりは首を傾げた。
入り口に佇んでいたのは、長女のミューズ。
アスランは椅子から立ち上がると、顔を覗かせた。
「こら。もう、とっくに寝る時間だろ?起きてちゃダメじゃないか。」
怒ってる口調でも、その言葉使いに刺は感じられない。
「・・・パパ。・・・ちょっとだけ、お話してもいい?」
ミューズは、自分より遥かに背の高い父親を見上げた。
苦笑を零し、アスランは幼子を抱き上げる。
「ちょっとだけだぞ?」
どこまでも甘い、アスランの態度。
カガリは思わず、その光景に小さな笑みを浮かべる。
席に戻り、アスランは自分の膝にミューズを座らせ、問うた。
「お話、っていうのは?」
「あ、・・・あのね、・・・これ」
ミューズは、ごそごそと自分の着ていたズボンのポケットを弄り、折畳まれた紙面を
ふたりに見せた。
「今日ね、幼稚園で貰ったの。お父さんとお母さんに、ぜひ来てください、って先生が
云ってくださいって・・・」
ミューズは通い始めたばかりの、園の行事告知のお知らせをふたりに渡した。
開き、カガリとアスランは眼を通し始める。
《 ご父兄様各位。 前略、桜も今と咲き綻び、喜びに入園をいたしました、可愛らしい園児たちも
健やかに日々、園での毎日を過ごし、二ヶ月が経ちました。 この度、そんな園児たちの日常をぜひ
ご父兄様方にも見ていただきたく、園にて保育参観を催したいと思います。 合わせて、園内に
おいて、園児たちの作品展も行いますのでふるってご参加くださいますようお願い申し上げます。
つきましては、参観終了後、園庭にて、フォークダンスもいたしますので、動き易い格好でお越し
いただければと思いますので、よろしくお願いいたします。 》
『保育参観?』
カガリとアスランは、同時に声をあげた。
「うん! お友達は、みんな、パパもママも来るって言うの。」
ミューズは無邪気な笑顔をむけ、ふたりを交互に見た。
その顔は、『来て欲しい』という、純粋な希望を持つ、幼子の瞳。
きらきらとした、父親譲りの翠の瞳が耀いている。
しかし、ふたりの口からは、即答の返事はなかった。
「ちょっと、考えさせてくれないか? ごめんな、ミュー」
カガリは、申し訳なさそうに愛娘の顔を見詰めた。
直ぐにでも、快い返事をもらえる、と期待していたのだろうか。
ミューズの顔は、はっきりとした落胆の色に彩られてしまう。
自分の両親が多忙である、ということは、どんな仕事をしているのかとか
詳しいことはわからなくても、自覚はあった。
・・・やはり、これは無理なお願いことだったのだろうか。
ミューズは俯き、今にも泣き出しそうな顔になった。
だが、ふたりの返事を躊躇う理由は別にあるのだ、ということを理解させるには、
まだまだ幼いミューズには無理なことなのを、カガリもアスランもわかっていた。
「・・・ごめんな。 ・・・できるだけ、行けるように考えるから。 今夜はもう遅いから
・・・寝なさい。」
アスランは優しい声音で、膝に抱いていた愛娘の身体を床に下ろす。
とぼとぼと、頼りない足取りで、幼子はダイニングルームをあとにしていく。
「可哀想なこと、しちゃったな。」
アスランは小さく言葉を漏らす。
彼の視線は、ミューズがでていった、ダイニングの入り口に注がれたままだ。
「・・・仕方ないよ。 こういうのは、私たちの一存では決められないことだから。」
カガリも、小さく息をつき、彼の視線の先を見やった。
普通の立場なら。
普通の親なら。
我が子からの、こんな嬉しい誘いに、否を唱えることなどないのに。
ふたりの立場がそれを許さない。
カガリは、国の代表として。
アスランは、その彼女の補佐、そして閣僚として大きな重責を担う立場。
普通のことが、簡単には出来ない身の上。
可愛いひとり娘の願いすら、ふたりは容易に返すことが出来ない事に、自分たちの
今の地位が、疎ましくも感じた。
「明日、キサカに相談してみよう。 できるなら、私も行ってやりたいからな。」
カガリは、苦慮した顔色を浮かべ、アスランをみた。
頷き、アスランも言葉を紡ぐ。
「俺も、行きたい。」
これが、ふたりの本音。
もどかしいまでに、自由にならない、己の身。
公人であれば、それは極当たり前でも、感情的にはどこか割り切れない気持ちが過ぎる。
少なくても、カガリもアスランも、ミューズの悲しむ顔は見たくない。
親、という立場になれば、公人も私人も関係ない、と思いたい。
だが、ふたりはそれが許されないことを誰よりも理解していた。
重い溜息がふたりの口から零れ、漏れた。
官僚府。
カガリの執務室の応接セットのソファに越し掛け、小難しい顔で、
キサカは俯いたまま。
胸の前で腕を組み、沈黙を保っている。
「・・・やっぱり、・・・ダメか?」
カガリは、恐る恐る、遠慮を含んだ声で訊き尋ねる。
「警備の方は、どのように考えておいでですか?カガリ様。」
カガリの現在の立場からいけば、民間の施設への出入りは、テロの恰好の
標的とされる恐れが多分にある。
「警備、なんてそんな大袈裟なもんじゃなくて! あ〜 もうッ!」
思わず、『この石頭!』と叫んでしまいたくなった。
「つけるのは構わないけど、できるだけ目立たない配備で頼めないか!?」
我が子のたっての願い。
なんとか成就させてやりたい。
カガリは身を乗り出し、キサカを説き伏せようと、必死に言葉を紡いだ。
「キサカさん、お願いします!」
アスランも、懸命にカガリを後押しする言葉を漏らす。
黙すこと、数十分。
キサカは、重く閉ざしていた口を開いた。
「いいでしょう。警備のことについては、私の方で手配しますが、それでよろしいなら。」
「キサカッ!」
喜びに沸く、カガリの声音に、キサカは苦笑を零した。
「私も、貴女のミニュチュアプリンセスの泣く顔は極力見たくはありませんから。」
幼い頃から、カガリの護衛、お守り、あらゆることをこなしてきた、キサカ。
カガリが首長に就任したあとも、彼のカガリをサポートする態勢は崩れず、今に至る。
アスランとの結婚を経て、カガリに子供ができ、その『愛情』と呼べる情は、ミューズにも
変ることなく注がれていた。
厳格でありながら、まだまだ未熟なカガリを導く、道程ともいえる立場の彼。
そんな彼だからこそ、信頼と呼べる感情も、また人一倍強い。
絆ともいえる繋がりは、三世代にも及ぶ。
カガリの父、ウズミに始まり、カガリ本人、そして、今はその娘へと・・・
顔にはださずとも、彼等を守ることは、彼の命ある限り、続くことなのだ。
キサカは、漏れる苦笑のなかで思う。
つくずく、自分は目の前に座す、『姫君』に甘いな、・・・と。
キサカの了承の返事を聞き、カガリは喜び勇んで席を立ち上がった。
「ありがとう!キサカッ!」
いい返事が貰えれば、俄然仕事にだって励みがでてくるものだ。
カガリはいそいそとデスクに向かい、山積みの書類に手を伸ばし始めた。
「いつもそのくらい勤勉なら、私も助かるんですがね? カガリ様。」
皮肉を思いっきりキサカに言われたが、今日ばかりは堪えない。
「お前の嫌味なんか、全然効かないぞ!」
鼻息荒く、カガリは黙々とペンを走らせる。
ゆるり、とキサカはソファを立ち上がり、自分の前に居た、アスランに視線を配った。
それに気付き、アスランは小さく頷く。
ふたりで執務室をあとにし、通路にでてから、キサカはアスランに向き直る。
軍服のポケットを弄り、取り出したのは、一丁の小型拳銃。
『デリンジャー』と呼ばれる、手のひらのなかに収まってしまうほど、小さなサイズの銃だ。
「カガリは、大袈裟な警備はするな、とはいったが、無防備、というわけにもいかないからな。
・・・アスラン、これを君に預けておく。」
「・・・はい。」
受け取り、アスランはきゅ、と口元を引き結んだ。
「本来なら、SPの配備は、要人警護をするうえでは、その範囲1m内に配備するのが
通常だが、今回はそういうわけにはいかないみたいだからな。 全て、シークレットで、
建物外から離れた位置で行う。 カガリのことは・・・」
「わかってます。 なにもないのが一番ですが、万が一の時は、俺が盾になっても、
ふたりを守ります。 カガリもミューズも、俺にとってかけがいのないもの。
そして、国のためにも失うわけにはいきませんから。」
「頼んだぞ。」
キサカの念押しに、アスランは強く頷く。
カガリを、・・・ふたりの間に生まれた、宝であるミューズを守ること。
カガリの夫という立場になり、ミューズの父である、彼。
だが、立場よりもなにより、アスラン自身の意思として、彼は誓いをたてる。
なにがあろうとも、・・・ふたりを守り抜く、ということを。