『 ビジター Y 』
頭が重い。
この処、立て続けに重なる、超過業務。
自分が、唯の兵隊として「使われ」ている時には、そんな感覚に見舞われるなど
考えたこともなかった。
隊長、という任に命ぜられ、「命」を預かる立場。
昔は、心密かに憧れていたものだが、実際にその業務に携れば、これほど
肉体的にも精神的にも負荷が掛かるものなのだと、実体験で身に感じる。
ふらつく足元に、思わずイザークは、通路の壁に片手をついた。
「熱でもあるのか?」
自問自答。
目眩を感じる目元を片手で押さえ、彼は小さくうめく。
そういえば、最近まともに眠っていない。
自分の体力、コーディネイターということ。
過信し過ぎていたのかもしれない。
重い身体を背に、気だるそうに壁に押し付け、イザークはずるずるとその場に
座り込んでしまった。
「・・・まだやること山積みなのに。」
小さな叱責。
己を奮い立たせる言葉を紡いでも、それは虚しい足掻きでしかない。
途切れる意識。
壁に凭れ掛かった、彼の上半身は、力なく通路に傾いた。
そんな処へ通りかかった、ひとつの影。
「隊長ッ!?ジュール隊長ッ!!」
駆け寄り、悲鳴に近い声を掛け、シホ・ハーネンフースは、倒れ込んでいる
イザークの名を呼んだ。
「誰かッ!来てッ!!」
ありったけの声で、シホは助けを求める。
ひとりの若い男性隊員がその声に気がつき、手助けをかってでてくれた。
血色を失った顔のイザークの両手をそれぞれ肩に担ぎ、医務室を目指す。
倒れたイザークを診察した医師は、簡潔にイザークの病状を付添ったシホに説明する。
「軽度の栄養失調。このひとご飯食べてないでしょう?殆ど。」
「・・・へっ? ・・・あ。」
シホは戸惑い気味に、最近のイザークの様子を脳裏に思い浮かべる。
「で、栄養とっていないから、ひいた風邪にやられた、てトコだな。」
医者は、診察の結果を告げながら、カルテを片手にシホの顔を伺った。
苦しげな吐息を漏らす、ベッドで横たわるイザークをシホは心配げな視線を向ける。
そういえば、思いつく限り、いつも走り廻り、食事する暇さえ厭う、上官の姿は、
シホの瞼に焼き付いていた。
偶には休みをとって欲しい、とさえ思ってしまう程。
イザークは普通の隊長とは種類が違う働きぶりだ。
どっかり椅子に座って動かない、というような他の隊の隊長とは明らかに違う。
勿論、隊長という地位に居るのだから、必要な命令だけを部下に与えていれば
良い立場なのに、彼はそれをしようとはしない。
常に第一線に立ち、陣頭指揮をとり、部下を鼓舞する。
自分だけが安全な場所に陣取り、命令だけを下すことを嫌っていた。
だからこそ、彼の隊の隊員たちは、イザークを慕い、結束の固さは他の数ある
隊とは比べ物にならない。
一個小隊。
規模としては、イザークを先陣に、副官を勤めるディアッカ。
構成として、その下に集うのは、ザフトでもアカデミートップを称する『赤服』を
着る者が5名。
その中には、シホ・ハーネンフースも含まれる。
そして、残りは、『緑服』を纏う、15名の下士官達で成り立っている。
要である、イザークを欠けば、隊自体の動きが停滞してしまう。
だが、今の現状どうにかしろ、と云った処で、なにも出来はしないだろう。
当座は、副官の任にあるディアッカに代行を行ってもらい、繕うしかあるまい。
「熱が下がるまでは、要安静。」
ニベもなく、医師はシホに告げる。
「・・・はい。」
シホは力の篭らない声で応える。
その声に呼応したのか。
病床のイザークの唇が小さく言葉を紡いだ。
「・・・ネ・・・コ・・・イ・・・エ・・・エ・・・サ・・・」
「?」
シホは聞き取り難い、イザークの声音に、眉根を緩く寄せた。
・・・なにかの暗号?
難解不明な言葉の羅列。
すっきりしない気持ちを抱えたまま、シホは現状報告を副官である、ディアッカにするため
部屋を後にする。
「倒れたぁ〜?」
シホからの報告を聞き、ディアッカは大仰な驚きぶりで、瞳を瞬かせる。
「ま、この処、根詰めていたのは確かだけど・・・。 仕方ないな。わかった、後のことは
なんとかするから、心配しなくてイイよ、シホちゃん。」
相変わらずの軽口。
シホは嫌悪の表情を隠さず、ディアッカを睨む。
「副官殿。その呼び方は規律を乱すもとなので、止めていただきたい、と何度も
具申した筈ですが。」
「まあまあ、硬いこと云わない。」
ひょうきんな、柔和な顔で言われても、シホには簡単に受け入れることなど出来ない。
型破りな副官と、堅物生真面目な、隊長コンビ。
未だに、この取り合わせが、なんで上手くいっているのか、謎でしかない。
シホはうなり、右手の人差し指を額に当てる。
ふと、思い出し、シホは顔をあげた。
「副官殿。あの・・・ひとつお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なに?」
「実は・・・」
シホは、ベッドで臥す、イザークの口から零れた言葉の意味を解きたくて、その
経緯の話をディアッカにした。
暫く考え込み、ディアッカは思いついた、とでもいうような仕草で、ぽんと手のひらを
拳でひとつ打った。
「猫だ!」
「猫?」
「そう、猫。アイツ、自宅で猫飼っているんだ。独り身だし、飼い猫の面倒をみて
くれる人間がいないから、多分そのことじゃないのかな?」
「・・・そう・・・ですか。」
シホは神妙な顔つきで、考える仕草をした。
「副官殿。その猫の面倒、私が見に行くというのは許可はいただけませんか?」
「イイんじゃない?むしろ、頼みたいくらいだし〜」
にやにやと笑み、ディアッカは簡単なくらいあっさりとイザークから万が一に備え、
預かっていた自宅の鍵をシホに渡す。
アドレスを聞き、シホがイザークの自宅に足を踏み入れたのは、その日の夜の事。
「失礼し・・・ます。」
おずおずと、シホは遠慮気味な声を漏らし、玄関を潜る。
しーん。
静まりかえった、家の中は不気味なくらいだ。
猫が居る、と聞いて、来たのに・・・ 気配が感じられない。
静かに靴を玄関先で脱ぎ、シホはそっと家の中に足を踏み入れた。
居間にいき、ぐるりと見渡す。
思わず眉根を寄せ、その居間の散らかった様に眉根を寄せる。
びりびりに破かれ、散らかった紙切れと化した新聞。あちらこちらに爪の研ぎ跡の残った
壁や柱。クッションの中から飛び出た羽毛が舞い、カーテンはレールから外れ、だらしなく
ぶらさがったような状態。
幾ら、イザークが独身で、掃除の類などが疎かに成りがちな男のひとり暮らしとはいえ、
この現状を、プライドと潔癖症が売りの、彼が放置してる、とは信じ固い。
イザークのことだ。
きっとこうなる以前、猫たちを追いかけ廻し、癇癪を起してる様がありありと眼に浮んだ。
小さく苦笑を漏らし、シホは口元を緩くあげた。
まずは掃除をせねばなるまい。
ああ、その前に、イザークとその同居人、・・・いや、同居ペットの行方を探さねば・・・
考え、シホは、顔をあげた。
刹那、リビングに設置されていた、クラシックな食器棚の真上の死角から、シホの背中目掛け、
何かが飛びついてきた。
「きゃあああぁーーーッッ!!」
あがる、悲鳴。
当然でた、驚きの声は、直ぐに安堵の色を浮かべた。
「・・・ああ、見つけた。」
ディアッカの話によれば、二匹の成猫、これはカップルで、と子猫が三匹というのを聞いている。
先住は、翠の瞳の『猫1』
「君が『猫1』君ね。」
「にゃうぅ〜〜〜ん」
シホの背にぶらさがったまま、猫は返事を返すように甘えた声で鳴く。
が、次の瞬間、どこから現れたのか。
シホの背中にいた、猫に飛び掛り、爪をたて、その首に齧りつく、もう一匹の猫に、シホは冷汗を零す。
どすん、とシホの背中から落ち、翠の瞳の猫は、首をちじこませる。
ふーふーと、怒りの声を漏らし、もう一匹、金の瞳の猫は、翠の瞳の猫を叱りつけているような
感じにさえみえる。
ぷっ。
思わず吹き出し、シホはおかしそうに腹を抱えて笑い転げた。
一段落ついてから、まずは乱雑に散らかった部屋の掃除。
それが済んでから、猫たちの食事の世話と猫専用トイレをキレイにして、シホは猫たちに
見送られ、イザークの自宅を後にした。
軍司令部に戻ってから、真っ先に向った先は当然、イザークが臥している、医務室。
そっと顔を覗かせ、シホは昏々と深く眠りについたままのイザークの顔を伺う。
なんとなく、その顔をみて、彼女は柔らかい笑みを浮かべた。
余程、疲労が積み重なっていたのか。
イザークが眼を覚ます気配は感じられない。
だが、どこかに安堵感を覚え、シホは部屋を後にした。
イザークが病床に伏せてる間、シホはイザークの自宅に通い、猫たちの面倒を見、
司令部に帰ってくるということが日課になっていく。
イザークが完全に覚醒したのは、三日目のことだった。
普通に会話もでき、食事も通常食をとれるようになり、回復の兆しが見え始めると
シホはイザークが混沌とし、意識がなかった間の出来事を簡潔に説明した。
「・・・そうか。済まなかったな。」
驚くほど、素直に礼を言われ、シホは面食らった。
余計なことを!とでも云われるものだとばかり思っていた彼女は、意外なイザークの
言葉に驚きを隠せない。
その表情を見て、イザークは緩く眉根を寄せ、問う。
「なんで、そんな顔をする?ハーネンフース。」
「い、いえ。・・・私はてっきり怒られるものだとばかり思っていましたので・・・」
「感謝こそしても、何故俺が怒らなくちゃならない? むしろ、世話になったのは
俺の方じゃないか。」
シホは何気に漏れたイザークの言葉に、嬉しげな微笑を浮かべた。
暫しの沈黙。
ややして、イザークは口を開く。
「今度、良ければ食事でもどうだ?」
「へっ?・・・えっ? あ?」
シホは驚愕し、瞳を開く。
「なんで、そんなに驚く?」
ほんの少し乱暴な口ぶりは相変わらずの、イザーク。
「はあ・・・。あの〜こういう時って、どうお返事したら良いか解らなくて。」
シホは俯き加減で、赤面した顔をする。
「礼くらい出来なくては、男が廃る!」
「・・・はあ。」
「この前の見合いの一件でも、お前には迷惑かけたしな。」
「そ、そんなこと!全然迷惑なんて思ってません!」
彼女の必死な声音に、イザークは苦笑を漏らした。
「勤務あけ、後で教えてくれ。俺も時間を調整するから。」
考えもしなかった、嬉しい一言。
変わることがない、と思っていた、上司と部下、という関係。
イザークの隊に配属され、隊長としての彼の武勇、容姿の端麗さ、そして外見も
中身も熱いイザークに憧れてはいた。
これが僅かでも、なにかに発展できれば・・・
と、淡い乙女心は、内心で弾む。
嬉しげな笑みを浮べ、シホはベッドのイザークを見る。
視線がばちっ、と合うと、何故か彼は真っ赤になって目線を外す。
シホは更に嬉しげに微笑んだ・・・。
◆ END ◆
※拍手6弾目です! 読んでいただいてありがとうございます!
やはり、こっちの拍手用のお話は、猫とイザークとシホはセット
感覚になっています。(照) ま、何事も程々に・・・というお話で。(笑)
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※この壁紙イラストは「M/Y/D/S動物のイラスト集」よりお借りしています。
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