『プレゼント』1



午後九時。
今日も一日、仕事に忙殺された多忙さに息つき、疲れを癒すための
入浴を済ませ、アスランは喉の渇きを潤すのにキッチンへと足を向けた。
廊下を歩き、濡れた髪をタオルで拭いながら歩を進めると明かりの灯った
ダイニングに気がつき、彼は顔を覗かせた。
眼に止まったのは、テーブルでなにやら熱心に書き物最中のカガリ。
室内に入り、声を掛け、アスランは彼女の後ろからその手元を覗き込んだ。
「何やってんだ?」
「応募懸賞の葉書書いてるんだ。」
素直な答えが直ぐに返ってくる。
「応募懸賞ぉ〜!?」
裏返った彼の声。
カガリは苦笑を漏らす。
「そう。 ほら、各週で週末の広告チラシに入ってくるヤツ。」
彼女の手元にあった、カラー広告を手に取り、彼はカガリの隣の椅子に
腰を下ろしながらチラシに眼を落とした。
「そうそう。事後報告で済まなかったけど、お前の名前も借りてるから。」
にこっ、と笑んだ彼女が彼を見た。
「別にそんなのは構わないけど、俺クジ運ないぞ。」
苦笑を浮かべる彼。
その言葉を否定するような仕草でカガリは首を振った。
「そうでもないぞ。去年、商店街でやった年末の福引、覚えているか?」
「福引?」
記憶を引っ繰り返し、アスランは空を仰いだ。
なんとなく、去年そんなことをした覚えが微かにあった。
買い物商品がある一定の金額に達すると、一回ガラガラ抽選ができるという催し。
確かそれで10回ばかり、クジを引く事が出来たが、カガリが引くのははずれの
赤球ばかり。『赤は嫌いな色じゃないけど、この転がりでてくる赤は嫌いだッ!』
と叫び癇癪を起していたっけ・・・。
いい加減、はずれ景品のポケットティッシュが9個になると、最後の一回、お前がやれ!
と云われ何故か引っ張り出された。
なにも考えず、ガラガラを回せば、転がりでたのは金色の球。
やかましいくらいに特別賞当確の鐘を鳴らされ、自分が驚いた、ということがあった。
当たった景品は大型液晶テレビ。
その時は歩きだったので、後日嬉々としたカガリを伴って品を店に取りにいった、
ということがあった。
「・・・そう云えば、そんなこともあったな・・・」
ぼけ〜とした視線で答えるアスラン。
「アレにあやかって、て訳じゃないけど、お前の名前で応募すると結構品物、
当たったりするんだよな〜」
嬉しそうに笑う彼女に彼は視線を向けた。
「そんなの初めて訊いた。」
「そりゃ、そうだろう。 私も今、始めて言ったんだから。」
「はぁ・・・」
「この間は新米5kgとフルーツの詰め合わせが当たったし。」
「カガリの名前では当たらないの?」
「裏庭にマウンテンバイクが置いてあったろ?」
云われて思いだす。
考え巡らし、見慣れない自転車が一台、庭に放置されていたな・・・と思う。
「随分前のアレ一回。他は掠りもしないよ。」
ぷー、と頬を膨らませ、彼女は椅子に体重を掛け、伸びをする。
ふと、アスランは思う。
一国の元首で姫のくせにカガリは貧乏性なのかと。
懸賞なんてもの、目くじらたてなくても、手に入れようと思えば簡単に入手できる
品物ばかりなのに・・・
彼は当たることの醍醐味を理解していない。
彼女が書いてる葉書に視線を移せば、『ハワイ5日間の旅 ペアご招待』の文字が書かれている。
行こうと思えば、簡単に金銭の苦労なく行ける場所。
が、懐にゆとりがあっても、今のふたりの現状、『時間』がそれを許さない。
「でもさ、なんで態々葉書? ネットの方が楽じゃない?」
「ネットは楽だけど、こういうの応募条件がダイレクトメールのメルマガ取れ、ていうのが
大抵だからかえって面倒なんだ。それなら、葉書の方が楽かな?って、それだけのこと」
「・・・知らなかった。」
呟き、興味のないことには手一本動かさない彼は小さく息を零した。
「アスラン。」
「ん?」
「コーヒー飲みたい。いれてくれ。」
「はいはい。わがまま奥様。」
呆れた声と苦笑を浮かべ、彼は静かに椅子を立ち上がった。
キッチンに向かい、カップを二個用意する。手馴れた仕草で準備をしていく彼。
アスランはブラック。カガリは牛乳をたっぷりいれたカフェオレ。
「砂糖いれる?」
「三杯。」
「甘すぎないか?」
「三杯ッ!!」
力の篭った彼女の要求の声に、彼は苦笑を漏らした。
彼女の注文とおりカップの中身を用意し、手元に持ってくれば嬉しそうな
カガリの笑みが零れた。
美味そうに啜る姿は、彼の苦笑を誘った。
「私の好み、いい加減覚えてくれよな。毎度同じこと聞いてくるぞ、お前」
「偶に好みくらいは変わるかな? て、思うだけだよ。」
結婚して二年。
他愛もない会話。
だが、それがなによりも心地良い。
そんな出来事があり、葉書を出したことすら忘れたある日のこと。
いつも通り、仕事を終え、官僚府から自宅に帰って来、何気に覗いた郵便受け。
カガリはその前で固まって動かない。
彼は首を傾げた。
「カガリ?」
なんとなく心配気な声音で彼女の名を後ろから呼んだ途端、振り返ったカガリに
突然勢いよく抱きつかれた。
何事だ!?
泡を喰う彼を無視し、彼女の歓喜の悲鳴が木霊する。
「信じられないッ!」
「なにがッ!?」
ぴょんぴょんと飛び上がりながら、彼女はアスランの手を握って勝利の舞。
「当たったんだ!この間出した応募葉書!ほらっ!!」
ぴらっ。
彼に見せた葉書には、『ペアご招待。コンドミニアム付き、プライベートビーチ。
ハワイ5日間の旅』と銘打った文字が眼に飛び込んできた。
嬉々とするカガリに比べ、アスランは妙に冷静だ。
彼女は訝しげ眉根を寄せた。
「なんだよ、嬉しくないのか?」
「いや・・・嬉しいは嬉しいけど・・・今のこの忙しい時期に休み5日もくれるのかな・・・
って、少し考えちゃって・・・」
どーん、とふたりの頭に浮んだのは、浅黒い肌に大柄な体躯の男の姿。
おおまかな、ふたりのスケジュールはキサカとカガリ付きの秘書官を勤める、
リード・カレイラという男性とで決められ、進められることが常だった。
カレイラは良いとして、まずはキサカを説得出来なければ、折角の当たりクジも
全部ぱーになってしまう。
だらだらと、ふたりの顔から冷や汗が噴出してきた。
《責任ある仕事。》
これはキサカの口癖。
勿論、それはふたりとも了承している重要な事柄だ。
はっきりいってカガリとアスランの行動管理はこの男のもとで行われているのに
ふたりは口答えが出来ない。
偉い地位に属してはいても、意外にも行動の制限、その他細かい行事ごとの一切合切、
キサカに仕切られている、といっても過言ではない。
「・・・せ、説得する!」
拳を握って、カガリは言葉を吐いた。
「・・・無理だと思うけど・・・」
「なんでお前は、そうなんでも始めから諦めるんだッ!!」
それは語弊だ、カガリ。
彼は声を大にして叫びたかったが、首元を締め付けられているので声が出せない。
始めから諦める時は場合による、と。
アスランの服の襟元を更に強く締め上げ、カガリは怒鳴った。
く、苦しいぃ〜〜っっ!!
心の叫びがあがる。
彼の額に薄い汗が浮んだ。
「お前は行きたくないのか!? 私と!」
「誰もそんなこと言ってないだろッ!?」
玄関先で繰広げられる、果ての見えない口論。
じとっ、とした湿り気を帯びた手のひらを握り締め直すとカガリは低く、決心を篭めた
声音を漏らした。
「・・・と、とにかく・・・勝負は明日だ・・・」
その彼女の言葉を聞き、アスランは引き攣った笑みを零す。
・・・無謀なことを・・・ 
思った言葉はこの一語。
はぁ〜と、彼の唇からは重い溜息が漏れた。
こうなっては、恐らく誰もカガリを止められない。
勿論、それは彼自身も例外ではなかった。



翌日。
昼休みを利用して、ふたりは執務室の応接をする長ソファでキサカと対峙していた。
むすっ、とした表情で硬く眼を閉じ、両腕を組み、キサカは言葉を発せず、ふたりの前に
腰を据えている。
だらだら。
カガリとアスランの顔からは、冷や汗が拭う間もなく滴っていた。
重い空気。
・・・怖い。・・・怖すぎる。
なんだか、蛇に睨まれた蛙二匹状態だ。
「で?・・・休みが欲しい、ということですか?カガリ様。」
「・・・ア、アスランも一緒に・・・で。」
小さな聞き取り難い声でカガリは言う。
「このクソ忙しい時期にふたりで有休休暇、なんて許可できるわけがないでしょう!!」
雷落としのキサカの怒声。
びくっ、と身をちじこませ、カガリは僅かに身体を引いた。
つんつん。
隣のアスランがカガリの太腿を小さく指先で突っつく。
気がつき、彼に視線を向ければ、彼の目線は『諦めろ。』と云っていた。
が、ここで引いたら、なんのために怒鳴られているか解らない。
半分意地になってカガリは身を乗り出す。
「私だって、アスランだって、もう半年以上も働き詰でまともに休んでないんだぞッ!」
「そんなモンは私だって同じですッ!!」
うっ。
返す言葉がない。
押して駄目なら、今度は引いてみる。
猫なで声の甘えた声。
どっからそんな声だしてるんだ!?
アスランはカガリの声音の変化に自分の耳を疑った。
問答を繰り返すこと二十分余り。
小さな溜息がキサカの口から零れた。
「解りました。その代わり、おふたりとも、戻られたら三倍は働いてもらうことになりますが
それでも構わないんですね?」
ぎろり、と睨まれ、ごり押し確認する声が重く響く。
しかし、それを訊いた瞬間、カガリの顔が輝く。
「構わないッ! がんばるから!ありがとう、キサカッ!」
幼い頃から、彼女の身辺警護、子守り、あらゆることに従事してきた、この大柄な男は
結局はカガリに甘い。
どんなに厳しく諭してみても、ごねられれば、最後は許してしまう。
毎度のパターンだった。
嬉しさのあまり、カガリはアスランの首筋に腕を廻し、抱きつく。
ゴホン。
態とらしいキサカの咳払いに、ふたりは慌てて身体を離した。
「スケジュール調整はカレイラ秘書官と打ち合わせしてください。私には出発日程と
帰国予定日だけを知らせるように。 良いですね、カガリ様。」
こくこくと、カガリは機械仕掛けの人形のように頷く。
キサカの説得に成功し、その後の日程調整を行い、ふたりが出発する日取りが
決めれると、嬉しそうな笑みがカガリとアスランの顔から零れた。
その日の夜は、今日あった出来事の話題ばかり。
ふたりの会話が深夜まで途切れることはなかった。






                               


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