はぁ〜〜
漏れる溜息。
机につっぷし、組んだ腕の中から、カガリは自分の目の前にある品を見、
息を零した。
眼を瞑り、また溜息。
・・・彼女の目の前にある物。
8cmは高さが確実にあるピンヒール。
夜会やらなにやらの集まりでドレスを着る時は、それなりの姿を決めるので、
ハイヒールも勿論履くが・・・最高に高いものでも4cm止まり。
こんな高いヒールなんて履いたことがない。
なぜ、そんなものが彼女の手元にあるのか?
アスランに合う約束がある、というのをどこぞで聞きつけてきたジュリが定例会のあと、
退室してきたカガリにそれを手渡してきたのだ。
覇気の抜けた瞳で壁に視線を向ければ・・・
壁のフックにはハンガーに掛けられたコバルトブルーのチャイナドレス。
どうやらこれもヒールとセットらしい。
ジュリ曰く、折角恋人に合うのにお洒落をしなくてどうする、との事なのだが・・・
明日は久し振りの休日。
地球との平和親善を目的とし、ラクスのコンサートがオーブで開催されることになっている。
招待客のひとりとしてカガリも呼ばれ、アスランも一緒に・・・との言葉を掛けられ、
間を於かずして、二枚のチケットが送付されてきた。
ラクスの歌は好きだ。
アスランと一緒に行けるのなら、なお嬉しいはず・・・
なのに、・・・目の前のヒールとチャイナドレスがカガリの気持ちを落ち込ませていた。
慣れない高さのヒールなんぞを履いて、もし彼の前でコケたりしたら・・・
要らない不安は増すばかりで解決の糸口など見えなかった。
考えても仕方ないか。
ジュリの気遣いを無駄にしたくない。
それに、偶には違う格好も趣向が変わって逆に良いかもしれない。
がばっ、と机から身体を起こし、カガリは自分の悩みを吹っ切り
シャワールームへ足を向けた。
約束の日。
アスランはカガリとの待ち合わせ場所に車を乗り付けた。
アスハの屋敷からは、そう遠くはない公園前。
招待とはいえ、ラフな普段着というわけにもいかないだろう。
きっちりとスーツにネクタイ姿の彼。
ちらっ、と気にしたようにアスランは腕時計に視線を落とした。
彼女との待ち合わせまでは少し時間が早過ぎたようだ。
車から降り、彼は車外で彼女を待つことにする。
車を降りた途端、彼方から自分の名を呼ぶ声に彼は顔をあげた。
走ってくる、見慣れた姿・・・?
金髪なのは遠目にも確認できたが・・・ なんだかいつもと違う走者の姿。
「えっ!??」
思わず眼を疑い、彼は瞳を瞬かせる。
ごしごしと眼を擦り、再度確認するように眼を凝らす。
「ごめん!遅くなって・・・て、・・・どわッッ!!」
走り駆けるカガリは、ものの見事に昨夜の不安要素的中の状態でアスランの
胸に飛び込んできた。
彼女のその身体を抱き止め、アスランは驚いた視線でカガリを見つめる。
後ろで結い上げ髪留めした金髪、なによりも彼の眼を釘付けにしたのは、鮮やかな
色彩を散りばめた金の牡丹を飾った刺繍飾りのチャイナドレスだった。
ふと、抱き止めた彼女の目線が自分と同じ高さなのに彼は首を傾げる。
彼女を抱き起こし、ちゃんと立たせてから彼は不可思議な行動をとった。
ぺん! ・・・軽くカガリの頭に右手のひらを乗せると、そのまま自分に向かって
手を滑らした。
「・・・カガリ・・・ 身長伸びた?」
間抜けな質問だ。
「アホかッ! この間合ったのはたった3日前だぞ! そんな短期間で身長伸びるなら
ギネスブックに載ってやるさッ!」
頬を紅葉させ、カガリはアスランを詰ると、指で自分の足元を指し示す。
「・・・ピンヒール? ・・・そんなモン持ってたんだ。」
薄く笑い、アスランはまじまじと視線を落とし呟く。
「借りた・・・ つーか、半分押し付けられたみたいなもんだけど・・・。」
初めて見るカガリの艶やかな姿。
夜会用のドレス姿は何度か見てはいるが、今の彼女の姿はまたそれとは違った
雰囲気を醸し出していた。
だが、当の本人は今一承服していない様子。
望んで今、・・・の姿ではなさそうな雰囲気?
「悪くはないけど、俺はちょっと不満だな。」
「え!? やっぱり似合わない・・・か?」
困惑し、戸惑った不安気な瞳がアスランを見た。
「違うッ!・・・その、・・・開きすぎだッ!」
咳払いし、彼は真っ赤な顔で視線をずらす。
「開きすぎ?」
「だぁぁっ! もうッ!! それッ!!」
指した指先。
両サイド、太腿まで露になった大きくカットされたチャイナドレスのスリット。
本音を言えば、こんなカガリの格好・・・自分だけに見せるならともかく、これから出掛けよう
としている公の場で人の眼になんか晒せたくない。
それほど艶かしく、艶のあるカガリの姿態。
チャイナドレスの曲線がより一層、彼女の身体の線を際だたせ、くびれた細い腰は
今にも理性が跳びそうになるくらい色っぽい。
黙って立っていれば、一体何人の男が寄ってくるか・・・ 気がきじゃない。
それ程魅力的な空気を纏った彼女。
このままさらって、自分のアパートに連れ帰りたい気分になる。
「・・・やっぱり開き過ぎか・・・。 足がすかすかして風通し良すぎるしな〜・・・」
何とんちんかんな事言ってんだ!?
なんで解らない!?
俺は見せたくないんだよッ! 他の男どもなんかにお前のこんな姿をッ!ていうのがッ!
ヤキモキしながら、アスランは心の中で怒鳴った。
「でも、着替えしてる時間ないしな・・・ 開演時間に間に合わなくなる。」
「もうイイッ! とにかく車に乗れッ!」
イライラしながら、彼はカガリを促した。
不承不承な顔つきで、カガリはアスランの愛車に乗り込んだ。
なんで彼がこんなに不機嫌なのか。
カガリには理解出来なかった。
やっはり似合わないのだろうか・・・?
俯き、カガリはしんみりしてしまう。
慣れないことはするべきではないな。
ひとり心の中でごち、彼女は小さく息をついた。
コンサート会場に向かう前、アスランは車の進路を変えた。
「アスラン!道が違う。」
「先にブティックに寄っていく。」
「はぁ!? 何しに?」
「コート買ってやる。」
「コートぉ?」
すっとんきょんな声をあげ、カガリは眼を白黒させた。
「そんな格好で歩かれちゃ迷惑だ。」
「誰が困るんだ?」
「俺が困るんだッ!!」
・・・色々な意味で。
最後は口篭ってアスランは顔を紅に染めた。
選んだ店にカガリの手を引き入り、彼が見繕ったのは首元、袖口、裾に
ワンポイントの白ミンクの毛が縁取られた薄手のロングコート。
なんだか益々ゴージャスな格好になっていく。
戸惑いながらカガリは彼に言われるままそれを羽織った。
アスランに従ったのは、少しでも彼の機嫌が直れば良い・・・
そんな小さな気持ちではあったのだが。
用向きのひとつを終え、コンサート会場に到着したのは開演5分前。
遅刻だけは避けられた事に、ふたりは息をつく。
「あっ、そうだ!」
思い出したようにカガリは手にしていたセカンドバックを開いた。
中から取り出したのは、眠気覚まし用の仁丹のケース。
通常の三倍もの量を手のひらに落とし、彼女は彼に口を開けるよう催促した。
「ラクスが言っていたからな。 お前、いつだってコンサートの時寝てたんだってな。
つったく、恥かしいヤツだ、ホント。」
云うなり、彼女はアスランの口に仁丹を放り込んだ。
「あ、あれは・・・ か、辛ッッ!!」
言い訳も訊いてくれないカガリ。
アスランが居眠りをしてしまう理由。
コンサートに来て欲しい、とラクスから声が掛かる時はいつだってタイミングが悪すぎる。
アカデミーに居た頃も、前の日に教官からみっちり扱かれ、休みの日は今日こそ
意地でもずっと寝ていたい、などという時に限ってお誘いがあったりした。
無碍にもできない、仮にも婚約者であるひとの誘いだ。
疲れた身体を引き摺って、会場に赴けば、良い具合に持ち歌はバラードが主のラクス。
子守唄なみに気持ちよく爆睡できた。
そんな過去の経緯。
間をあけず、カガリは目薬を取り出すと今度はアスランの眼に点眼。
「痛ッ!! なんだよ!これッ!!」
「眠気すっきり、ストロングハイパー目薬だ。」
一体、どこのメーカーだッッ!!
不良品じゃないのか!?
こんなに眼に痛みが走るなんてッ!
あまりのふたりの陳腐な行動に『なにをやってるんだ、このカップルは?』というような
訝しげな他の観客たちの視線が集まる。
そうこうする内に、開演のベルが鳴り、コンサートは滞りなく進み終了を迎えた。
コンサートが無事に済むと、ふたりはラクスの楽屋を尋ねる。
笑顔で迎えられ、カガリとアスランは笑みを零した。
カガリは予め用意していた白薔薇の花束を手渡し、ご満悦気味に微笑む。
「今夜の歌も最高に良かったぞ。」
素直にカガリは感想をラクスに述べた。
「ありがとうございます、カガリさん。 それよりも、わたくし今夜はすごく感動
いたしましたわ!」
ラクスの突然の言葉に、アスランとカガリは小首を傾げ、不思議そうな表情で顔を見合わせた。
「いつもアスランはコンサートにお呼びしても、気持ちよく寝てるお顔しか見たことがなかった
のですけれど、今日は涙まで浮かべてくださっていて!・・・わたくし感動いたしましたわ!」
かっくん、とカガリの肩から力が抜けた。
「・・・お前、本当にいつも寝てたんだな・・・。とことん恥かしいヤツだ。」
言い訳したくても気力がない。
カガリに差された目薬の後遺症で眼が痛くて・・・
アスランは視線を外し、口を開かなかった。
「それよりもラクス、この後なにか予定がなければ、食事でも一緒に。」
「えっ!? えぇぇッ!??」
突然、カガリの口から飛び出たラクスへの誘い文句に、そんなことは聞いてない!
というようなアスランの声が同時に重なる。
コンサートが終わったら、夜景が素晴らしいと評判のレストランへカガリとふたりきり
で行くつもりでいた。
リザーブするのに一ヶ月も掛かった特別な店なのに。
カガリは解っちゃいない。・・・がっかりした。
なんで、よりにもよって元彼女と一緒に相席しなければならないのだろう・・・
自分の男心などカガリは理解してくれないのか?
好きな女と一緒に居たい、という、この想いを。
純粋なのだろうが・・・それだけ友達思いであるカガリの発言なのだが、
今は単純に喜べない。
・・・アスランは悲しかった。
「ええ、それはぜひに。」
はぁ〜・・・
ラクスの声に重なるアスランの溜息。
「・・・と云いたいところですけど、・・・ごめんなさい。この後はキラと約束があって・・・」
ラクスは緩い微笑を浮べ、申し訳なさそうな顔をカガリに向けた。
そういえば、アスランの隣の招待席は開演中空席だったのをふたりははたっ、と
思い出した。
ラクスが用意したのであろう、キラのための席。
「仕事の都合らしく、終わったら行く、ということで後で連絡があったもので。」
ラクスの言葉に当然、アスランはほっ、と胸を撫で下ろし、カガリは残念そうな顔。
できるならば、カガリとだけ、・・・と思うのは恋人なら極当たり前に思う事だ。
「そっか。 じゃあ、また機会があったら。」
カガリは寂しげに笑んだ。
唐突に楽屋の扉が激しく開くと同時にキラが荒い息をつき飛び込んできた。
「ご、ご免ッ! ラクス!」
ぜいぜいと息も荒く、キラは両膝に手を着き、謝罪の言葉を紡ぎ、顔を上げた。
「あれ? カガリ? それにアスランも?」
すっとんきょんな裏返った驚きの声。
キラは今きがついた、というような声をあげた。
刹那、アスランはキラの右の二の腕を掴むと楽屋外の廊下に彼を引っ張りだした。
「な、なに? アスラン!?」
「話がある。」
「は、話??」
バタン。
空間を遮る扉の閉まる音。
「・・・話って、なに?」
がしっ、とアスランは両手でキラの両肩を掴み、じっと視線を凝らし、キラににじり寄った。
異様なアスランの雰囲気に、キラは冷汗を浮かべる。
「・・・ラクスをちゃんと掴まえておいてくれよな、キラ。」
「はい!?」
アスランは気迫の篭った声で低くキラに諭すように言葉した。
なにをアスランが云いたいのか、現状が把握できず、キラは微妙な顔つきだ。
「お前がちゃんとしてくれないと俺が困るんだ。」
「話が全然見えないんだけど・・・アスラン。」
「何度も同じこと云わせるな。」
翠の双眸がぎろり、とキラを射る。
彼がなにを云いたいのか、なんとなく理解できてくると、キラは息をつく。
要はカガリと色々『なにか』をするために、ラクスと自分は邪魔だ、と遠回しに言っているのだ。
「解ったから、そんな怖い顔しないでよ、アスラン・・・」
溜息。
キラは呆れ、顔を明後日に向けた。
「あんまりカガリとラクスをふたりきりにしておくと・・・また話が変な方向に向いても
僕、責任持てないよ。」
はっ、とし、アスランは慌てて楽屋に戻る。
中では女同士、他愛もない話で盛り上がってる最中にアスランはほっ、と息をつく。
なんだか今日はめまぐるしくて落ち着く暇もない。
「カガリ、そろそろお暇しよう。」
さり気なくアスランは様子具合を見計らってカガリに声を掛けた。
「えぇぇ〜〜!? もっとラクスと話したい!」
「あ、・・・でも、ラクスも忙しいから・・・さ。」
催促するように、彼はキラの足を彼女らにきずかれない格好で後ろから蹴飛ばした。
促され、キラは苦し気な笑みを浮べ、ラクスを外に誘う言葉を漏らした。
「俺たちも、このあと予定立てているだろ?カガリ。」
ぐいっ。
透かさず、カガリの右手を捕り、アスランは引き攣るように彼女を楽屋から連れ出す。
「お、おいっ! ちょっとッッ!アスランッ!! ごめん!ラクス、またゆっくりッ!」
バタン。
慌しさを残し、扉が閉まった。
アスランとカガリが部屋から出て行った途端、ラクスはくすくすと可笑しそうに笑った。
「アスランもカガリさんとお付き合いするようになってから、随分と喜怒哀楽が
はっきりした顔をするようになりましたわ。」
「喜怒哀楽? アスランが?」
幼い頃から付き合ってきたキラにとっては、アスランが喜怒哀楽が薄い、などと
いうラクスの言葉の方がピン、とこない。
彼はいつだって自分にとっては、口煩い良い友達の顔しか知らないから。
「アスランは必要以上の事はあまりしゃべらない方でしたから。」
キラの知らない、ラクスと過ごしたアスランの時間。
唯単に、女の子の相手の仕方が解らなかっただけなのだろうけど、・・・
ラクスには無口で不器用な男にとられていた様子が伺えた。
「でも、今のアスランはとても良い顔をなさるようになりましたわ。」
それは・・・きっと金髪の女神が齎した、感情の起伏。
キラは、ラクスのその言葉を訊いて、緩く笑みを浮かべたのだった。