机にうず高く積まれた資料の山。
まるで、その山に埋もれたように囲まれた壁と化した空間からは
止まることのない、端末のキーボードを叩く音が響いていた。
余りの資料の量に、ほんのちょこっとでも突っついたら、崩れそうな状況。
アスランは疲れた様にため息をつくと、眉宇の付け根と両眼の間を強く
指圧するように押さえ、椅子に凭れ、身体を緩く伸ばした。
「ただいま・・・って、・・・おい、なんかまた増えてないか?量。」
元気な声とともに書斎に入ってきたのは、彼の妻となったカガリであった。
カガリの二十歳の誕生日を待って、ふたりが結婚してから五年の月日が
流れていた。
ふたりの間にはまだ子供はなかったが、それでも今は平凡に普通の
暮らし。日々お互いが忙しい毎日を過ごしていた。
19歳でふたりが正式に婚約を結び、今の状況になるまでは、かなりの
困難があったが、時には強引に、時には甘受しながらふたりは結ばれた。
初めて、互いの意識をカガリの叔父であるホムラに打ち明け、そして
次に降ってきた問題が、氏族の長老たちを説得する事であった。
当然、アスランのコーディネイターという立場、パトリック・ザラの息子で
あるという、その現実は真っ向からの反対をもろに喰らう。
が、そんなことは始めから予想されていたことなので、カガリは怯むことなく、
そして辛抱強く彼らを説得し続けた。
そんな困難を覚悟してもアスランと共に生きたい、という彼女の強い意志が
存在したからに過ぎなかったが。
なんとか、説得に漕ぎ着けた、と思えば、今度は新しい問題がでてくるのは
極々当たり前で・・・
アスランの立場をどう位置付けるか、ということに話が移行していくと、
カガリは彼女の意気込みをストレートに長老陣にぶつける。
「私はアスランを入り婿にしたいわけじゃないッ!!私は嫁にいきたいんだッ!!」
そう怒鳴り、老齢の老人達の口を封じてしまった。
あまりの剣幕に、同席していたアスランも呆然とするばかりではあったが・・・
落ち着いてから、ふたりきりになった時にアスランは彼女の気持ちを確認するように
そのことを問いただした。
「・・・だって、お前が私の入り婿になったら、ザラの姓は途絶えてしまうだろう?
そんなことしたら亡くなったご両親だって、きっと悲しむぞ。」
カガリと結婚できるなら、自分の名乗るべき姓など、どちらかといえばどっちでも
良いんじゃないか、などと考えていたアスランはカガリのこの言葉に驚きを隠せなかった。
「家は男が支えるものだ。私はその手助けをする。それが普通の家庭の
あり方じゃないか?」
カガリは至極真面目にアスランにそう説いた。
苦笑を浮かべ、アスランは改めてカガリに言葉を紡いだ。
「じゃあ、ちゃんと俺も言わなきゃな。・・・カガリ・ユラ・アスハさん。俺のお嫁さんに
来てくれますか?」
嬉しそうな笑顔を浮かべ、カガリは即答した。
答えは勿論、イエスだったのは言うまでもない。
今は、女性自身も結婚をしても自分の意思で結婚前の姓を名乗ることも可能である。
二十歳の誕生日を迎え、カガリは式を挙げたその日から、『カガリ・アスハ・ザラ』という
名に変わった。
それは彼女にとって最高の名となったのは当然で・・・。
それをなによりも喜んだのは、彼女の伴侶となったアスランであったのは当然のことだった。
そして現在。
カガリは自国、オーブの長として日々政務に励み、過激なまでに分刻みのスケジュールを
こなしていた。
アスランは、と云えば・・・
氏族の人間として迎えられれば、その立場は公人という事になる。
まずは形だけではあったが、彼に与えられたものはオーブ軍としての軍籍であった。
地位は准将。
軍事パレードやら公式な式典に参加する際には軍服の着用が義務づけられては
いたが、それも形式なものであるので、軍に関する関与は殆どノータッチ。
それはカガリも同じである。
いざという時にだけ、振り分けられる役目は司令官としての地位。
アスランはカガリをサポートする立場として参謀の役割を果たす存在になる。
カガリが公式に列国を訪問する際は、勿論彼女の夫としての立場で付添った。
外交はふたりが正式な夫婦になってからも重要な項目に位置している事柄だ。
そして一番の重要な外交国はプラントであるのは至極当然で、その際には
アスランの立場はより重要さを増すことになる。
ふたりが結婚をしてまず突きつけられた事。
それは新居の問題だった。
公人となった人間が普通の家に住まう訳にはいかない、とまず口を差し挟んで
きたのは、氏族の老人たちであった。
が、カガリは自分たちが住む家を貴重な税金で新築するなどご免だ、と
諍いが起こってしまう有様で・・・
この件も散々揉めた挙句、結果的にはカガリが今まで住んでいた屋敷の敷地に
別棟を新築することを甘受する方向に傾いていってしまい、今はそこにふたりで
居を構える図式になっているのだ。
夫婦ふたりだけで生活するには贅沢すぎる造りではあったが、公人の立場、
そして身分を確立した者には義務として付き纏う威厳のようなものが必要との
判断からか、二階建ての白を基調としたモダンな造りに落ち着くこととなる。
夫婦の寝室は勿論、書斎も完備され、迎賓にも対応できるようになっているのだ。
庭に続くテラスはすぐ側に海が一望でき、天気の良い時はそこで過ごすのも
悪くはなかった。
この家に住むようになってから五年。
住めば都とはよくいったものである。
ひとは慣れてしまうものなのだろう。
が、決して華美なものではなく、ふたりの生活は実に穏やかに平凡な日々でもあった。
互いが仕事を持っている為か、すれ違いもあったが、時間が取れれば一緒に過ごす
ことは暗黙の了解で、カガリもこの処、それなりに甘え上手になりつつもある。
ふと、壁掛けの時計に眼をやれば、時間は夜の8時を指し示していた。
「もう、こんな時間か・・・」
ごちるようにアスランは呟く。
彼の週のサイクルは週始めの月曜から火曜はオーブの中で有能な人材を育てること
で有名な大学の電子工学科の特別講師を務め、残りはカガリの政務のサポート。
週末は休日には振り当ててはいるが、それも時によりけりで、ある時とない時の
差が激しい。
だが、それはカガリも同じことで・・・
今はなにをしてるのかと思えば、3日前にアスランの携帯に掛かってきた一本の電話。
相手はキラであった。
いきなり掛かってきた電話は既に泣き声で、何事かと聞きただしてみれば、エリカ・シモンズ
から任されたプログラム解析を手伝って欲しいとのことで。
やってもやっても、追加の量が多すぎて手に追えない、とのことだった。
仕方なく、アスランは半分だけの量を持ち帰ってくる、という事になってしまったのだ。
「・・・こういうのは、俺よりキラの方が向いてる仕事だと思うけど・・・アイツのトコ、
行く度に増えてるんだよな。」
「相変わらずコキ使われているんだ、キラ」
噴出すようにカガリは笑いを零した。
唯の学生生活を満喫していたはずのキラが、過去、彼が残した業績のおかげで
その有能さを持ち腐れては資源の無駄、とエリカに声を掛けられ、軽いアルバイト
から始めたプログラム解析が、何時の間にか本業紛いになりつつあるキラの現状を
知ってるカガリは苦笑を浮べた。
「最近、こういう端末の画面見てると視界はぼやけるし、頭痛も酷いし・・・」
「老眼?」
「誰が老眼だ。俺はまだ25だぞ。」
ぶすっ、とした顔でアスランはカガリを見た。
「無理に視点を合わせようとすると頭痛する、って聞いたことがあるぞ」
「あ、そう。」
「いっそのこと、眼鏡でもしてみたらどうだ?」
「眼鏡ぇ〜?」
「そう。まぁ、その前に検眼が先だな。」
「ヤダよ、そんなの」
「薬ばっか飲んでたら胃を壊すぞ。眼鏡掛けて、頭痛が解消するなら、
その方が絶対良いって!」
納得してないアスランの表情にカガリはそっと彼の背後に廻り、その首筋に
腕を絡ませ廻した。
「食事、まだだろ?作るから待ってろ」
「カガリは?」
「私もまだだ。アスランが家に居るのが解っているのに、私ひとりだけ
済ます訳ないだろう?」
優しい彼女の気遣いに、アスランは微笑を浮かべる。
廻された腕に、彼は自分の手を重ねた。
「簡単なもので良いからな。」
「うん。」
彼が彼女の方に緩く首を向けた。
それは、口付けを催促する合図。
解りきったように、カガリはアスランの唇にそっと自分の唇を落とした。