「月神奇譚」1

凛とした眼差しで、飛鳥は磨羯宮に続く道を辿っていた。
辿り着き、飛鳥は磨羯宮の私室の前に佇むと、ひとつだけ
大きく深呼吸をし、扉を軽くノックした。
程なくして、扉が開き、宮の主が姿を見せる。
「・・・飛鳥・・・」
一瞬だけ、驚きの表情を浮かべたものの、目の前の恋人の姿に
シュラは直ぐに柔和な笑顔を浮かべた。
「入れよ。」
何気ない、何時もの言葉を口にし、シュラは飛鳥を部屋に招く
言葉を紡いだ。
しかし、飛鳥はゆっくりと首を横に振ると、シュラを真剣な視線で
見つめた。
「今日は神官長として、貴方にお願いがあって来ました。」
まるで、他人行儀に言葉を口にする飛鳥に、シュラは眼を見開いた。
よく見れば、今日の飛鳥はきっちりと、制服とも言えるべき、神官の
装束を着込み、清清しいまでの気を放つような雰囲気が備わっている。
シュラは僅かに首を傾げながら、飛鳥に用向きを尋ねた。
「随分、改まってるけど、なんなんだ?」
「本日の午前0時に、神降ろしの儀を執り行います。ですが、その儀を
行う前の禊を神事の2時間前にしなくてはなりません。・・・そこでカプリコーン、
貴方にその禊を行うにあたり、速やかな儀式の進行を行う為、護衛を
お願いしに来ました。・・・言っておきますが、これは命令です。」
飛鳥の口をついてでた、「命令」という言葉に、シュラは不機嫌な表情で
眉根を寄せ、飛鳥をきつく睨む。
「・・・別に俺じゃなくても、神事に絡むことなら、アイオロスにでも
頼めば良いだろ」
完全に臍を曲げ、シュラは飛鳥を睨みながら、言葉を漏らした。
「アイオロス兄さんは、神事の速やかな進行の為の監視の仕事があるから・・・」
そこまで言ってから、飛鳥はシュラから視線を外し、俯いてしまうと、
肩を僅かに震わせた。
「・・・意地悪しないでよ・・・シュラ・・・お願い、貴方に頼みたいから・・・わざわざ
こうして足運んだのに・・・でも事が事だから、ふざけたようなお願いの仕方なんて
出来ないじゃない・・・だから・・・」
飛鳥のすすり泣きが漏れ、シュラは彼女のその姿に、自分の発言が彼女を
傷つけてしまったことに罪悪感に駆られた。
そっと飛鳥の両肩に手を掛けると、彼女に涙を齎させてしまった事を謝罪した。
ゆっくりと、小さなその身体を抱き締め、シュラは彼女を慰めるように、
その漆黒の黒髪に口付ける。
彼女が落ち着くのを待ってから、シュラは時間には神官宮まで迎えにいく、
と約束し、飛鳥を宮に帰した。
彼女の姿が見えなくなるまで、眼で見送り、その姿が消えると、シュラは
静かにため息をつく。
どうも、自分の事も含め、飛鳥が絡んでくる事に関しては、つい感情的になりやすい。
反省の念を持ちながら、つい些細な事で意地悪もしてみたくなってしまうのは
彼の感情のバランスが極端だと、いうのを本人は自覚していなかった。


夕刻の時間に差し掛かり、シュラは壁掛けの時計に眼を向ける。
飛鳥を迎えに行く時間までは、まだ間がある。
早々と、食事を済ませ、その後はシャワーを浴び、身体を清めると、
刻々と差し迫ってくる時間に、シュラもやや落ち着きない気持ちを僅かに抱えた。
神官の禊の護衛、となれば、幾ら恋人同士の関係とはいえ、普段着で行くわけ
にもいかないので、シュラは自分の聖衣を纏った。
遅刻だけは、どんな状況であっても非常に拙い。
飛鳥と約束した時間よりも、やや、早めに自宮を出、シュラはその歩みを
神官宮へと向ける。
入り口を潜ると、待ってました、と言わんばかりに、喜んだ笑みを浮かべ、
飛鳥はシュラの元に小走りで駆け寄って来た。
「随分、早いのね。」
「まぁ、遅刻だけは拙いしな。」
そう、言葉を紡ぎ、シュラは優しく、飛鳥に語り掛けた。
ふと、恐ろしい程の殺気を背中に感じ、シュラは振り返る。
その殺気を辿った先には、飛鳥を自分の妹同然に可愛がってやまない、
アイオロスの姿があった。
ツカツカとアイオロスはシュラの元に、早足で来ると、一言。
「飛鳥に変なマネしたら、唯じゃ済まんからな・・・シュラ。」
ドスを効かせ、アイオロスは吊りあがった眼で、シュラを睨みつけた。
シュラはまともに話しも取り合ってくれそうもない、アイオロスの気迫に、逆に
反発心を持って対抗する。
「変な事、って、何、勘ぐってやがる。そっちこそ下世話な想像すんじゃねー。」
シュラとアイオロスの間で、見えない火花が飛び散る中で、真ん中に挟まれた
飛鳥は乾いた笑いを漏らすと、シュラを催促するように、その彼の腕に自分の
腕を絡め、一触即発の雰囲気のふたりを納めるように、彼らを引き離した。
神官宮から続く、禊の儀をする為の泉に向かう、林の木々の中をふたりで
歩きながら、飛鳥は言葉を漏らす。
「・・・ねぇ、シュラ・・・もう少し、ロス兄さんと仲良くできない?」
「仲良くもなにも、向こうが喧嘩、吹っ掛けてくるんじゃないか。
俺は売られた喧嘩は買う主義だからな。幾ら、向こうが年上だから、って
道理の通らない、理不尽な態度を受け流す程、俺は寛容じゃないぞ。」
そのシュラの言葉に、飛鳥は苦笑を浮かべる。
本来の彼女の気持ちを言えば、当然、どっちも自分にとっては大切な存在だ。
それ故に、仲良くしてもらいたい、という気持ちで一杯なのだが、いかんせん、
互いに顔を見れば、猿と犬の喧嘩のように、些細なことから争いが起きてしまうのは、
日常茶飯事となっていた。
飛鳥は、はぁ〜とひとつため息をつき、項垂れてしまう。