入り口の扉が開いた事に、咄嗟にシュラはフェリスと一緒に
分厚いカーテンの陰に隠れた。
突然の事に、フェリスはオルゴールの中身を手にするのがやっとで
蓋を開けたオルゴールは机に置きっぱなしにしてしまったことに、
シュラに目線で叱咤を受ける。
「誰かいるの?」
部屋に明かりが灯り、女性は部屋の中を見回す。
「・・・やだ・・・お嬢様の机が・・・」
明らかに荒らされたと思われる、その机の状態に、女性は身を
翻す。瞬時に騒がれるのは拙い、と判断したシュラはカーテンの
陰から飛び出し、女性の身体に後ろから片腕を廻し、残った片手で
女性の口元を被った。
「騒がないで。」
その姿に、フェリスも慌てて飛び出す。
「ダメ! シュラ! 乱暴しないで!」
そう言って、彼の腕に縋りついた。
「その声・・・お嬢様?・・・フェリス様?」
フェリスと、拘束していた女性が顔見知りだと解ると、シュラはその諌めを
解放し、女性を解き放った。
中年の女性は振り返ると、自分の視界に飛び込んできたフェリスの姿に
涙し、彼女を抱き締める。
「おお、・・・お嬢様・・・お嬢様・・・」
「マーサ・・・泣かないで・・・私は元気だから・・・」
「どうして、突然・・・皆、心配しています。お屋敷にお戻り下さいまし。」
「・・・私はもう、ここには戻らない。今日は忘れ物を取りに来ただけなの」
「忘れ物?」
「これ・・・」
そう言って、フェリスは手のひらにした金のロケットをマーサと呼ばれる
女性に見せた。
「・・・それは・・・奥様の・・・」
「マーサ・・・パパはどうしてる?」
「旦那様は・・・お嬢様がいなくなられてから、ご酒を召される量がお増えに
なられました・・・お嬢様、後生です。お屋敷に、旦那様のところにお帰り下さい。」
女性はフェリスに縋るように、彼女の足元に膝まづいた。
その行動に、フェリスは静かに首を横に振った。
「私・・・もう、二度とここには来ない。・・・マーサ、私ね・・・結婚したの。」
「・・・結婚?」
「そう、彼が私の夫・・・名前はシュラ・・・」
フェリスに紹介され、シュラはマーサに対し、軽く会釈をした。
「親不孝な娘よね、私。・・・でもね、マーサ・・・私はパパの言いなりに、
パパの選んだ相手なんかとは添いたくないの。・・・お願い、今夜のことは
貴女の胸に納めて、あったことは全部忘れて・・・」
そう言って、シュラの腕を引っ張る。
「行きましょう、シュラ・・・。」
そう言って、彼を促すと、ふたりでバルコニーに走った。
「さようなら・・・私のふたりめのお母さん・・・」
去り際に、フェリスが小さく漏らした言葉は、シュラの耳にしか届かなかった。
シュラはフェリスの身体を抱き抱えると、バルコニーから飛び降りる。
マーサはふたりの後を追ったが、その姿は闇に紛れ、既に解らなかった。
程なくしてから、バイクの排気音だけが遠く、外壁の外から聞こえ漏れてきた。
「・・・フェリスお嬢様・・・」
マーサは小さく、フェリスの名を口にする。
幼くして、実母に死に別れ、その後、フェリスの世話をずっと続けてきた乳母マーサ。
静かに彼女のその頬に、涙が伝わった。
もう、二度と自分が大切に育んできた、その少女を・・・否、娘同然のかの女性を
抱き締めることは二度とない、という思いが涙を流させたのだろう。
飛び立っていってしまった大切な小鳥は、新しい自分の未来と伴侶を手に入れ、
巣立ってしまったことを、マーサは感じていた。
バルコニーの手摺の下に蹲ると、マーサは静かに嗚咽を漏らしたのだった。
闇の中を、海岸線に沿って、シュラはバイクを駆った。
タンデムシートの彼女が、より一層、彼の腰に廻した腕に力が入るのに、
シュラは自分の片手を、その廻された手に重ねた。
その彼の行為に、フェリスは彼が心配をしてくれている、というのが
感じられ、その背に顔を押し付ける。
数十分走ったところで、不意にバイクが停まるのに、フェリスは顔を起す。
海が見える草原の丘に来たことに、フェリスは肩越しに振り返る彼に
どうしたのかと、尋ねた。
「・・・少し、ここで休んでいかないか?」
シュラの言葉に、フェリスは眼を見開いたが、直ぐに頷くと彼とバイクを降りた。
海が一番よく見える一画まで、シュラはバイクを押していく。
スタンドを立て、海に向かう方向に彼は腰を降ろし、フェリスを手招く。
自分の足の間に彼女を座らせると、自然に彼女はシュラのその広い胸に
身体を凭れ掛けさせた。
折りよく、雲に隠れていた月が顔を出すと、その月光のもとにふたりを
照らし出す。
ジーンズのポケットから、フェリスはあの金のロケットを取り出すと、
蓋を開けた。
シュラはその中身を、フェリスの右肩口から覗き込む。
「・・・綺麗なひとだな〜・・・」
「・・・私のママよ・・・」
そう、フェリスに言われ、シュラはふ〜んと鼻を鳴らした。
フェリスによく似た、まだ30歳半ばと思わしき、その女性は、自分の腕の中の
愛しい者と同じ髪色、同じ瞳を湛えていた。
「・・・身体が弱くてね・・・私が五歳の時に死んじゃったの。
私の記憶の中のママは何時もベッドにいたわ・・・でも、私が行くと
何時も髪を撫でてくれるの・・・そして言うの・・・良い子にしてるのよ・・・フェリスって」
彼女は記憶を辿るように、瞳を閉じると歌を口ずさむ。
それは、何時か聞いた、彼女が母に歌って貰ったとういう歌なのに、シュラは
気づき、緩く微笑む。
フェリスの母親は表向きは望まれての結婚、という事になってはいたが、
実は規模が大きくなり始めていた今の仕事に、バートランド氏が富の証として、
落ちぶれた貴族の娘を金で買った、というのがもっぱらの噂であった。
そんな下世話な話など、フェリスは成長するまでは知ることはなく、知った時には
絶望だけが全てを支配した。
仕事にかっこつけて家に滅多に帰って来ない父は、母に愛情など持ってない、
ということに。
フェリスが適齢期を迎えると、今度は父親は事業の為に、娘を利用することを
思いつき、選んだ相手はソロ家の令息ジュリアンだった。
だが、その婚姻はもっと深く根がはこびリ、フェリスの命を危険に曝した。
それも今では、昔の事。そして、何よりシュラという男に巡り合うための儀式にさえ、
今のフェリスには感じていたはずである。
フェリスは歌を口ずさむのを止め、ロケットの蓋を閉じると、シュラに視線を
移し、見つめる。
彼女は瞼を閉じると、シュラに口付けをねだった。
自然に、唇を重ね易い角度を選んで、シュラは彼女の唇を自分の唇で塞ぐ。
深く、互いを確認しあうキスと、浅く、愛情を確かめ合うキスを繰り返す。
唇が離れ、フェリスは彼に囁いた。
「・・・振り回しちゃって、ごめんね・・・」
その彼女の言葉に、シュラは微笑むと、首を静かに振った。
そして、彼は彼女の気分を変える為に、話題を変える。
「・・・ツーリング・・・何時、行こうか?」
フェリスは彼のその言葉に、微笑し、その首筋に腕を廻し、彼の身体を
草地に押し倒した。
「・・・何時でも・・・イイよ。貴方の気が向いた時で。」
「ああ、そうだ!大事なこと忘れてた!!」
「大事なこと?」
フェリスはシュラの身体から、僅かに身を起すと、彼を覗き込む。
「今夜のツケ、・・・フェリスには貸しが山ほど。」
と、言うと、シュラは片腕を伸ばし、彼女の双丘を軽く撫でた。
フェリスは赤面すると、彼の鼻を強く指で摘んだ。
「発情するなら、帰ってからにして頂戴。」
彼女は身体を彼から離しながら、赤らんだ顔を逸らすのに、シュラは
微笑を漏らした。
「帰ったら、か・・・そいつは楽しみだな〜」
彼と顔を合わせないようにして、フェリスは立ち上がると、早く帰ろうと、
シュラを促した。
月の光の元、海岸線を再びバイクが走り出す。
フェリスはシュラの腰に廻した腕に、力を込めた。
その彼女の顔には、至福の笑みが宿っているのに、シュラは気がつかない。
月がまるでふたりを温かく祝福でもしているかのように、その輝きは澄んだ
色へと移り変わっていった。
〜 FIN 〜