「ぶッッ!!」
突然のフェリスの言葉に、シュラは手にしていたカップのコーヒーを
吹き出した。
「ど、泥棒に入るだぁ〜!!??」
「うん。」
明るく、ニッコリと微笑みながら、フェリスは頷く言葉の語尾に
ハートマークを散らせながら、彼にタオルを手渡した。
その出来事は、ふたりが一緒に磨羯宮で暮らし初めてから、
一ヶ月目の出来事であった。
自分の膝にまでコーヒーを撒いてしまったので、シュラはシミに
なってしまったジーンズをせっせと拭きながら、フェリスを上目使いに
見上げる。
今日も何気ない朝の一風景になるはずだった。
なのに、思いもよらない朝食の席で、彼女の言葉にシュラはどんな
表情を作っていいか解らず、彼女を見つめる。
よくよく話を聞けば、殆ど何の準備もなく、自分の運命に身を任せるまま、
着の身着のままの状態でシュラに連れられ、聖域に来てしまったフェリス
だったが、どうしても家に取りに帰りたい物があるとのことで。
暫く考え、シュラは眼を伏せたが、彼女を見つめ直すと、
ため息をつき、言葉を漏らす。
「・・・で?・・・俺に犯罪者の片棒担げ、っていうのか?」
「犯罪者、なんてそんな〜。忘れ物、取りにいくだけよ〜」
と、フェリスは呑気に笑う。
「ただね。見つかったら連れ戻されちゃうから、セキュリティーにひっかからない
ように、こっそり忍び込みたいの。で、ぜひ協力を、ってね。」
彼女はテーブルを挟んで、向かいに座るシュラに軽くウィンクしてみせる。
「セキュリティー、ってどのくらいのモノなんだ?」
「ん〜・・・私が知ってる限りでは、一般家庭用の規模に毛が生えた
くらいだと思うけど〜・・・」
その彼女の言葉に、シュラは眉根を寄せ、一抹の不安を抱えながらも、
彼女の希望する事を無下にも出来ないので、しばらく考え、自分も
彼女に同行することにした。
正直言えば、彼女ひとりで行かせたところで、捕まるのは比を見るより
明らかだし、そんな不安を抱えたまま、自分ひとりだけが自宮に残るなど
シュラにはとてもできなかったからだが。
決行日が早いに越した事はない、ということで、今夜早速、その話題に
なったことを実行する運びとなった。
半ば、喜んでるフェリスを尻目に、シュラは重くため息を漏らす。
何着て行こうかな〜、などと、はしゃぐ彼女に、シュラは一言、
「ピクニックに行くわけじゃないんだから、目立たない色の服!」
と、ぴしゃりと言う。
「はい、はい〜」
と、ふざけ半分の彼女にシュラはまた、ため息を漏らした。
深夜12時を廻り、アテネの街を疾走する一台のバイク。
HONDA CBR1100XX SUPER BLACKBIRD 勿論、ハンドルを握って
いるのはシュラである。その後ろのタンデムシートにはフェリスが座り、彼の腰に
廻した腕に力を入れ、しがみ付いている。
「今度、コレでどっかツーリングに連れて行ってよ。」
と、彼女が言うのに、シュラは頷く。
彼女に催促されなくても、気晴らしに、連れ出すことは彼も考えていたことなので、
素直に頷くことが出来た。
市内に入り、そこから、今は実家となってしまったフェリスの自宅を目指し、
シュラはバイクを駆った。
路地を抜け、壁沿いの道に出たところで、シュラはバイクを停める。
壁に沿わせながらバイクを降りると、フェリスをタンデムシートから
抱き降ろした。
「変わってないな〜。相変わらず、君ん家ってでかいな・・・。」
と、シュラは言葉を漏らす。
この界隈では、資産家のひとつに数えられる、フェリスの家、バートランド家。
屋敷と呼ぶに相当する家の作りに、シュラは自分の横に佇む彼女を見る。
「なぁ〜・・・マジで入るのか?」
「ここまで来たのに、目的も果たさずに帰れないわ。いいのよ、嫌なら
私、ひとりでいくから。」
そう言って、彼女は壁を攀じ登り始める。
あまりにも、凄い格好で壁を登り始めた彼女に、シュラはため息を漏らしながら、
軽く地面を蹴った。
ふわっ、と彼の身体が空に飛ぶと、あっという間に、彼女より先にその身体が
壁の縁に音もなく舞い降りた。
そこから、手を伸ばし、彼女の身体を引き上げてやるのに、フェリスは躊躇わず、
その腕を掴む。
目立たない服装、というのを散々シュラに言われたので、彼は闇に溶け込んで
しまいそうな色の黒の皮のツナギと腰にはウエストポーチ、フェリスは紺系色の
ジーンズに黒の半袖シャツという出で立ちで、壁に立った。
シュラはウエストポーチからサングラスを取り出すと、それを掛ける。
「・・・何所が、一般家庭に毛が生えただけのセキュリティーだって?・・・」
「え?」
「見て見ろよ、そこら中、赤外線探知機の山じゃね〜か。」
呆れながら、シュラは掛けていたサングラスを隣のフェリスに渡すと、それを
彼女に掛けるように指示した。
渡されたサングラスを首を傾げながら、フェリスは掛けると、サングラスから覗く
その中庭の植え込み一面の景色が、赤ライトの線で埋め尽くされているのに
感嘆の息を漏らす。
そして、シュラに視線を移すと、冷や汗をかきながら、ニッコリ微笑んだ。
「だ、・・・大丈夫・・・だよね?」
「さ〜ぁね・・・言っとくけど、このツケはちゃんと払ってもらうからな。」
「ツケ?」
「愚問だな。ベッドでちゃんと払ってもらうさ、君にね。」
そう言うと、シュラは彼女を両腕で抱き上げ、その唇を自分の唇で軽く塞いだ。
赤面する彼女を抱き抱えたまま、シュラは壁の上で、再び軽く足を踏み込む。
闇夜に舞う黒鳥の如く、シュラは軽々と彼女を抱いたまま、植え込みに装備されて
いた赤外線感知装置をかわし、音もなく中庭の芝生に着地する。
そこで彼女を降ろし、フェリスの顔を覗き込む。
「ツケ、一回な。」
と、言って彼は微笑した。
赤面しながら、フェリスは明後日の方向に顔を向けてしまうのに、シュラは
その腰を引き寄せる。
「あの〜・・・のんびりしてる時間ないんですけど〜」
「え?」
折角のシチュエーションに彼女に水を差された気分に、シュラは眉根を寄せた。
「後、10分で警備員が犬と一緒に巡回するんだけど・・・」
「犬?」
「うん、ドーベルマン。」
「そう言うことは、早く言えよな!」
慌てて、彼女を自分の腕から解放しながら、シュラはフェリスの手を引き、
中庭を走り出した。
「こんなんじゃ、ツケ3発でも少ないくらいだ!」
ぶつぶつ走りながら、シュラが言うに、フェリスは乾いた笑いを漏らした。
茂みから、辺りの様子を伺い、シュラはどこが目的の部屋なのか、フェリスに
尋ねる。
彼女が指を差した先は、二階のバルコニーにまで届きそうな、樫の大樹が沿うように
伸びていた。それこそが彼女が使っていた部屋だった。
迷わず、その樫の根元にふたりで駆け寄り、先にフェリスを登らせる、辺りを
警戒しながら、シュラもそれに続くと、まだ木の中間あたりで、もたもたしている
フェリスの臀部が彼の頭に当たる。
「何やってんだ!早く登れ!!」
「そんなこと言ったって、葉っぱが邪魔で!」
痺れを切らしたシュラが、さっさと彼女を追い越し、二階のバルコニーに降り立つと、
彼女を樹から引き上げる。
「つったく、その運動オンチで、よく泥棒やろうなんて思ったな。」
「だから、手伝って、言ったでしょう?」
「手伝う?・・・どっちが主導権握ってるか、解って言ってるの?」
眉根を寄せたシュラに詰め寄られ、フェリスは苦笑し、身を僅かに引いた。
「まぁ、イイや、今は時間が貴重だ、君と遊んでる暇はない。」
あっさりと、彼女にそう言うと、彼はポーチから何かを取り出し、等身大の出入り口に
なってる窓に向かった。その前に跪き、窓の鍵に一番近い場所に吸盤をくっ付ける。
円を描くように、吸盤を中心にガラス切りを回す彼に、フェリスは驚く声を
小声で出した。
「何でも出来るのね〜。聖闘士辞めても、別の方法で食べていけそうだわ」
「俺は犯罪者になってまで、生活していくつもりはないぞ。」
「その割には、何か役に立ちそうな道具、一杯持ってるわね〜」
「必需品!」
そう言って、開いた穴に腕を差込み、窓扉の鍵を内側から外した。
音を立てないように、硝子扉を開け、静かに部屋の中にふたりで忍び込む。
迷わず、フェリスは自分の使っていた木製の机に駆け寄ると、何かを探し始めた。
「おかしいな〜・・・確か、ココにあったはずなんだけど・・・」
「何、探してるんだ?」
「ここの、引き出しの鍵。」
「どいて。」
彼女を机の前からどかせると、シュラはポーチから細い針金状の物を二本
取り出し、机の鍵穴に差し込んだ。ペンライトをフェリスに持たせ、その針金を
差し込んだ部分を照らすように指示する。
数秒もしない内に、カチリ、と音がし、引き出しはすんなりと、その口を開る。
「な。鍵探すより、こっちの方が楽だろう?」
そう、彼は言って、フェリスにウインクした。
「ほえ〜・・・」
感嘆のため息が、フェリスの口から漏れるのに、シュラは微笑む。
「早く目的の物探して。」
シュラに促され、フェリスは引き出しの中を覗きこむ。
「あった・・・これだわ。」
引き出しの一番奥にしまわれた小さなオルゴールを手にすると、
その蓋を開ける。
不意に、蓋を開けた事に、オルゴールの音が部屋に響くのにシュラは
慌てた。だが、余りにも運悪く、その音が部屋の前を通り掛かった中年の
女性の足を止める。