「くしゅん・・・う〜・・・」
シュラの隣で妙な唸り声をあげながら、鼻を啜り、フェリスはテッシュの箱
を抱えつつ、彼に視線を向けた。
「具合、悪いんだから無理しないで寝てろよ・・・」
彼の進言に、フェリスは素直に頷くと、テッシュボックスを抱え寝室に足を
向けるようにソファを立ち上がる。
それを見送る、シュラの視線を背中に感じ、フェリスは振り返った。
「シュラぁ〜・・・テッシュもうないから買い物、頼んでイイ?」
何気ない、彼女の一言にシュラは苦笑を浮べる。
「そんでもって、夕飯も作ってくれ・・・だろ?」
的を得たシュラの言葉にフェリスも苦笑を漏らす。
「できれば・・・」
「解ったよ。そんじゃ、夕飯の買い物もしてくるか?・・・なんか、リクエストある?」
「なんでもイイ・・・作ってもらうモンに文句はないわ・・・それに・・・」
「それに?」
「シュラの作ってくれるご飯、美味しいし」
鼻を啜りながらの情けない表情で、フェリスは笑みを作った。
「じゃあ、消化のイイもんにしないとな。病人食か〜今夜は」
彼が呟きながら、席を立つと、フェリスにベッドで寝てるように、今一度
釘を刺して、彼は私室の扉を出ていった。
扉を出た処で、鉢合わせするようなタイミングでサガと出くわす。
「サガ?・・・何、血相変えてんだ?」
「アイオロスを見なかったか?」
「アイオロス?・・・ああ、そう言えば二時間くらい前だったかな?
そう言えば、コロッセオに行く、て言ってたの・・・通り掛かった時に・・・」
「行くのは私が息抜きになるなら、って許可した。だが!約束は一時間だ!
仕事、放っぽってもう二時間だぞ!二時間ッ!!」
怒り怒髪天のサガにシュラは引きつった笑みを漏らす。
「だったら、俺、街に買い物行くの頼まれてるから、ついでにコロッセオの方に
廻って帰るようにロスに言うから・・・じゃ、ダメか?」
「んぅ〜・・・そうして貰おうかな?・・・いや、書類が滞っているんでな、本音を言えば、
あの筋肉バカを探しに行く時間すら惜しいくらいなんでね」
皮肉も皮肉、痛烈な雑言をまくし立て、サガはシュラにアイオロスを探す、という役目を
託すと、教皇の間の事務処理を行う離れの別宮へと踵を返したのだった。
シュラはサガの伝言を携え、身軽な歩調で急な石階段を下っていった。
慣れ、親しんだ道のりだ。
幾らもしない内にコロッセオに辿り着くと、その場内の中に視線を走らせる。
その中に、笑い声と指導の声が織り交ざった一群を見つけ、シュラは苦笑した。
「アイオロス!」
名を呼んだ主に近づきながら、シュラは声を掛けると、その声にアイオロスは振り返った。
「シュラ?」
「サガが探していたぞ。早く戻らないと、雷・・・いや、異次元に飛ばされるぞ・・・」
そのシュラのセリフに、アイオロスはハッ、となると、自分のしてる腕時計に視線を
慌てて落とした。
「うわぁぁ〜〜!!もうこんな時間だッ!!やべー」
慌て、ふためくアイオロスはその場から走りだした。
「おいッ!!アイオロス!!このチビども、どうすんだ!!」
残された、今まで戯れていた五人ほどの子供達を指差し、シュラは走っていってしまう
アイオロスに尋ねる。
「適当に構って、訓練終わらせておいてくれ!じゃあな!!!」
なんちゅ〜無責任な指導の仕方だ・・・と、シュラはぼやくと、シュラのジーンズを引っ張る
ひとりの少年に彼は視線を落とした。
「まぁ・・・イイっか・・・」
カリカリと諦めたように、シュラは頭を掻くと、再び苦笑を漏らした。
「よ〜っし、お前達!面倒だから全員一遍に掛かって来い!ひとりでも俺にヒット与えたら、
訓練終了だ!」
楽しげに笑みを浮かべ、シュラが言い放つと同時に、顔を見合わせた、アイオロスに託された
少年達は意を決したかのような表情をすると、一斉にシュラ目掛け、飛びついていった。
難なく、その群れの攻撃をかわすと、シュラは緩いスピードで走り出す。
「なんだ、そんな拳しか出せないようじゃ、聖闘士になるのはまだ無理だな〜」
明らかにシュラは楽しんでいた。
シュラのからかいを含んだ言動に、少年達は益々ムキになってシュラに追いすがろうと
するが、所詮は見習い、まだ候補の域にすら達していない少年達には、シュラに追いすがる
以前、拳を当てるなど、果てしない夢のようにすら思える行為であった。
次々に息を切らして、ヘタリ込んでしまう少年達に、しぶとくシュラに追いすがっていた少年の
内の最後のひとりも遂に膝を折ってしまうのに、シュラは優しい笑みで足を止めた。
荒く息をつく少年の元まで引き返すと、シュラは両膝を折り、尻を着けない形で座った。
少年の頭髪をくしゃと、指に絡め取ると、シュラは薄く笑った。
「情けね〜な・・・こんなんじゃ、先が思いやられるな〜」
キッと、少年はシュラを睨みつける。
動かぬ体の中で闘争心だけは失わぬ瞳をシュラは受け止めながら、苦笑を漏らした。
「良い瞳だ。その気持ちを忘れるな・・・そうすれば、お前は必ず聖闘士になれる」
彼の不意をつき、鳩尾に打ち付けられる小さな衝撃に、シュラは緩く笑った。
そして、その少年の瞳の中に見た、過去の自分にシュラは懐かしそうに眼を細めたのだった。
思い出すように脳裏に浮かぶ、過去の自分と、そしてくったりとし、息をつくのも苦しげな、
その少年の姿がどこか、昔の自分と重なったのだろう。
オーバーラップした過去への記憶が、ゆっくりと蘇り始め、シュラは静かに瞼を閉じた。
そう言えば、自分も訓練を始めた頃は、何でも始めてが故に、体が悲鳴をあげ、
指導員となった師匠に当たる、自分の師リュオンに今の、自分と同じ顔を何度
させたことだろう。
今なら、ほんの少しだけ、師の気持ちと、そして自分の足元に蹲る少年の両方の
気持ちが理解出来るような感じがしたのだ。
瞼をゆっくりと持ち上げると、シュラは苦笑を漏らした優しい笑みで少年に告げる。
「ヒットいちに数えてやる・・・今日の訓練は終わりだ」
そう、シュラは言うと、その場を静かに後にした。
街への道を辿りながら、昔の懐かしい記憶が次々に思い出され、シュラは緩く微笑む。
過去の自分。
まだ力もなく、幼い自分。
その力を得る為に、自分は体も体力もぼろぼろになる程、訓練に身を置いた、
懐かしい日々。
何処か、放任的でいながら、何時も優しい瞳で自分を包んでくれていた、師の瞳が
シュラを妙にくすぐったい気分にさせた。
「・・・先生・・・元気にしてるかな・・・?」
ふと、口をついて出た言葉。
そんな自分の発した言葉に、シュラは改めて優しい笑みを漏らしたのだった。