「煌めきの時」4

今日は遊園地に行こう、と約束をした日だった。
空は清々しく晴れ渡り、外出するには何とも快適このうえない
一日になるような予感がする。
愛娘、アテナはピンクのシャツにオーバーオールという姿。
シュラとフェリスは外出に際する、何時もと変わりない普段着に
身を包んでいる。
デスマスクの貸してくれた家にセットで置かれていた車は、使っても
良いと言われたものの、傷付けた際の自腹修理を考えると、空恐ろしくて
乗るのも憚られた。
もっとも、高級車で遊園地に出かける、というのもどうかとは思うが。
そんな訳で、シュラは別宅に置いてある、自分の愛車、パジェロを
取りに行き、ふたりを迎えにくる形を選んだのだった。
目的地に到着するまでには小一時間程を要する。
行き道、車中では学校で習い覚えた、という唄をアテナはずっと
口ずさみ、随分と賑やかな状態のまま時間が流れていく。
アテネ市内を抜け、郊外に位置する遊園地に到着すると、アテナは
終始はしゃぎっぱなしだった。
聖闘士の最高峰を占める黄金聖闘士のひとりを父に持ち、母親は
ニケの宿命をその身に背負った女性ではあるが、その血筋を省けば、
アテナはその辺を走り回っている子供達となんら変わることはない。
無邪気なまでのはしゃぎっぷりに、シュラの手を引き、次から次にと
自分の乗りたい乗り物を制覇していった。
時間が経つのは早いもので、あっと言う間に、空は夕刻の時間を
示すように紫雲に包まれ始める。
そして最後にアテナが選んだものは、小高い丘にある、その遊園地の
名物のひとつである、大観覧車である。
だが、散々引っ張り廻された疲労感に、フェリスはギブアップの声を
漏らし、シュラにアテナを託し、自分は丘の下にあるベンチで待っているから
と告げ、座り込んでしまった。
アテナはそんな母に不満の表情を浮かべたものの、無理を言うのも・・・
と、子供なりの気遣いを見せ、シュラに肩車をされながら最後の乗り物を
目指し、丘を上がっていく。
その姿を見送り、ホッとため息をつき、フェリスは手にしていたペットボトルの
水を口にすると、疲れた肩を落とした。
すると、その前に立ち塞がるように立つ影に、フェリスは顔を上げる。
目の前には、まだ20歳前後と思わしき男性がにこやかな笑顔を振り撒き、
立っていた。
白い歯の笑顔に、余程自信があるのか、フェリスに対して、笑顔を絶やさず
声を掛けてくる。
「お嬢さん、良かったら、僕と一緒に夕飯でも食べにいきませんか?」
「はぁ〜!??」
フェリスは眉根を寄せ、怪訝な表情で目の前の青年を見る。
彼女の不機嫌な顔を見ても、青年はへこたれた様子も見せず、猛アタックを
開始してきた。
「私、結婚しているのよ。今は夫と娘の帰りを待っている処なの!」
と、つんけんどんな態度で左手の指輪を見せた。
「居るんだよね〜最近、声掛けられるのを避ける為にそういう嘘つく
女の人ってさ〜」
との言葉に、フェリスは頭の隅がビキッと切れそうな感覚を感じる。
見るからに自分の容姿に自信満々のその仕草に、ナルシズム丸出しの
態度が、フェリスには悪寒すら感じさせた。
フェリスにとっての唯一の男、という存在は他ならぬ、彼女の夫以外ない
からだが。
ドサクサに紛れて、青年はフェリスの手を取ると、ニコニコ笑みを漏らした。
子供を産んでも、外見もその容姿もフェリスの美しさに変貌はなく、今は
29歳という年齢に達してはいたが、変化のないプロポーションを保って
いる、その姿にすっかり誤解を抱かせてしまったようだった。
調度その時、観覧車に乗り込む事の出来たシュラとアテナは一周15分の
距離である観覧車の2/4ばかりを消化した地点に差し掛かっていた。
ふと、フェリスが待っていると思われる地点に視線を送れば、在り得ない
光景がシュラの視界に飛び込んで来た。
両眼とも3.0という驚異的な視力と、加えて聖闘士としての並外れた動体視力は
薄暗くなってきた遊園地の敷地と距離があっても、明るい程にその眼には
映っている。
眼を見張り、シュラは観覧車の出入り口のドアに張り付くと、大声で叫ぶ。
「フェ、フェリスッッ!!何、やってんだッッ!!」
顔面蒼白の形相で、シュラは今にも、出入り口のドアを蹴破らんばかりの
剣幕で愛妻の名を呼びながら怒鳴り続けた。
その余りのもの凄さに、愛娘のアテナは彼の腰にしがみ付き、必死に制しよう、
とあらん限りの声で父であるシュラを止めた。
もっとも、仮に観覧車の天辺から飛び降りようが、聖闘士であるシュラにとっては
地上に伝い降りるなど、造作もない事であるが、そんな事をやられた日には
緊急停止を掛けられ、他の客が迷惑を被る。
それが痛い程解っているので、アテナは必死に彼に縋り付く以外、術も
見出せなかったが、それしか方法が浮かばないのも事実で。
やっとの思いで地上まで観覧車が戻ってくると、ダンダンとドアを叩き、
早く開けろ!とゴンドラの中で叫んでるシュラの剣幕に恐れ慄き、係り員の
男性は安全ラインにゴンドラが達する前に、外施錠のロックを外してしまった。
ドアが解放されると同時に、シュラはアテナを自分の右脇に抱え込み、
混雑時に際し、ひとを整理する為に設けられている、五列ばかり並んでる
鉄パイプのレーンをオリンピックのハードル選手よろしく、一気に飛び越えると
観覧車を待っていた、数人の客の唖然とした顔を振り返りもせず、一気に
丘を走って下っていくその姿を無言で見送られる事となる。
調度その時、フェリスの手を握りながら、ナンパに精を出していた青年は
自分の背後に感じる、恐ろしい程の殺気に振り返る。
「・・・俺の女房に・・・何か用か・・・」
地獄から響いてくるような声音を響かせ、シュラはギロッ、っと青年を睨みつけた。
「・・・にょ、女房?!・・・君、ホントに結婚してたの・・・?」
「嘘ついてどうするのよ」
と、フェリスはニベもなく、冷たく言い放った。
「し、失礼しましたぁぁ〜〜!!」
へっぴり腰で、青年はその場を逃げ出すが、そんな光景をシュラが黙って
見過ごす筈もなく、抱えていたアテナを落とす様に離すと、利き手の右腕を
手刀の形で振上げた。
その姿に、ギョッ、っとしたのはアテナとフェリスだ。
フェリスは必死にシュラを羽交い絞めにし、アテナは今にも振り下ろそうと
している父親の腕に絡まりついて制した。
「ダメッ〜〜!!シュラッ!!アナタ!早く逃げなさい!殺されちゃうわよ!!」
今まで声を掛けて、口説くのに夢中だった筈の美人に叫ばれても、へっぴり腰の
青年は状況が飲み込めず、必死にその場を離れるので精一杯だった。
「離せッッ!!あの不埒者に正義の鉄槌を下してやる!!」
怒りの形相のまま、シュラは何処かの国の時代劇でも見ての影響か、
古風なセリフで自分の行動を遮るふたりを振りほどこうとした。
「こんな所でエクスカリバーなんか使ったら、遊園地が倒壊しちゃうでしょう!!」
と、フェリス。
「パパッ!落ち着いてッ!」
と、娘アテナの叫びが重なる。
フェリスは咄嗟に、手にしていたペットボトルを逆さにすると、シュラの頭目掛け、
ドボドボとその中身を浴びせ掛けた。
ビタビタと、漆黒の黒髪から大量の水の雫が滴ってくると、シュラは首を思いっきり
振って、その雫を払い落とし、その怒りの矛先をフェリスに向けた。
「何するんだッ!!」
「何じゃ、ないでしょう!もう少し状況考えて行動起してよ!」
「人の事、言えるか!自分だってあんな優男に声掛けられてヘラヘラしてたくせにッ!」
「誰がヘラヘラよッッ!!」
喧嘩の趣旨が脱線したのにも気がつかず、派手に互いを罵り合う、シュラとフェリスの
間に挟まって静観していたアテナだったが、ついには彼女の堪忍袋の緒が音を立てて
弾け飛んだ。
「いい加減にしてよ!ふたりとも!!」
その声にハッ、と我に返り、シュラとフェリスは気恥ずかしさに、頬を染める。
「なんでこんな訳の解らないことで、ふたりが喧嘩しなくちゃ
ならないわけ?」
ごもっともな愛娘の言葉に、シュラもフェリスも視線を交わし、直ぐに互いに眼を
逸らしたのだった。
漸く、現状に落ち着きを取り戻すと、三人は家路の帰途につく事にする。
昼間の駈けずり回った疲れからか、アテナはシュラの腕に抱かれると、
すやすやと寝息を立て始めるのに、ふたりは苦笑を漏らす。
車まで戻ってくると、こんな事もあろうかと、用意してきたタオルケットを
後部座席に寝かしたアテナにそっと掛けてやった。
車の外で暫く立ち話に時間を割くと、シュラはフェリスに先ほどの行き過ぎた
言動を素直に詫びた。
「・・・もう、良いわよ・・・だってその分、私だって言い返していたから、お相子。」
そう言って、彼女は微笑む。
外気の寒さが深々と素肌に染みてきたのか、フェリスは小さくくしゃみをひとつした。
その様子に、シュラは自分の着ていた皮ジャンを脱ぐと、そっと彼女に
羽織らした。
優しい彼の気遣いに、フェリスの表情は柔和な笑顔を湛える。
そっと、彼女の肩に手を廻し、シュラは自分の方に引き寄せると、優しくその唇を
自分の唇で塞ぐ。
触れ合う口付け、そして優しい営みのように、お互いの感情を満喫するように
互いの額を軽く合わせ、微笑を漏らした。
何とも慌しい一日ではあったが、こうして陽が暮れると共に家路への道を
三人は辿ったのだった。
そうして、また訪れるであろう、何時もと変わらない日常が、また明日から
始まるのだ。
騒がしい中にも、日々の日常さが極々当たり前の風景に、笑顔を絶やさずに。



                                  〜 Fin 〜