『 サクラサク・至 』
目の前に座す、にこやかな笑顔に、カガリは半ば圧倒され掛けていた。
座った椅子が、今にもひっくり返りそうなくらい腰が引いている。
数日前、アスランは、「母が君に会いたがっている」と気まずそうに言葉を口にした。
なにも考えず、その言葉を許諾し、そして今。
そう、正に今!
聞いてびっくりどころか、泡を噴いてぶっ倒れそうな心境に苛まれるなんて・・・。
考えるわけがない。
取調べ室の面通しのように、招かれ、椅子に腰を降ろした、ザラ家のダイニングでの模様。
カガリは顔を引き攣らせ、隣の椅子に座るアスランの左肘を自分の肘で小突く。
言無の催促。
この状況をどうにかしろッ!
と、怒鳴りたい心境を抑え、アスランを促した。
だが、当の招待の誘いをかってでたご本人様は、明後日の方に顔を向け、知らぬ存ぜぬを押し通す気らしい。
へたをしたら、口笛でも吹いて、しらんぷりしそうなくらい、白々しく顔を背けている。
まったく、自分の母親だろうッ!
当てにならないにも程がある。
勉強に関しては、パーフェクトな頭を持っているくせに、肝心な処は役立たずじゃ、洒落にならないだろうがッ!
キッと、きつく視線を彼に向けても、やっぱりアスランは視線すら向けてくれないままで。
そして、再度問われた、アスランの母、レノアの問い。
「カガリさんは、いつ、お嫁さんに来てくれるの?」
優しい声音のなかに、どことなく脅迫めいた迫力を感じ、カガリは俯いた。
絞りだすように声を発したのは、レノアの気迫に負けたに過ぎない。
「・・・お、お嫁さんと云われましてもぉ・・・ 私は、まだ学生の身分ですしぃ・・・」
歯切れ悪く、今度は右足でアスランの脛をカガリは蹴る。
ただ、会うだけだから。
そう云われただけなのに・・・。
唯の、お茶会にでもお呼ばれしただけ、と高を括っていた。
正直、アスランとの密会現場も目撃されているから、カガリにとっては具合が悪い、なんてもんじゃないけど。
大好きな彼氏に、頭を下げられれば、無碍にもできなくて。
応じて、これッ!?
聞いてないよッ!と、どこぞの漫才師の台詞のように、カガリは心のなかで絶叫していた。
「別に、良いのよ。今は、婚約だけでも。」
にこにこと嬉しそうな、レノアの顔を見て、カガリの顔に一気に汗が噴出した。
所謂、冷や汗というやつである。
アスランとは、まだ付き合い始めて一年も経っていない。
恋人という観点でいけば、今の処、問題なく・・・ と思っていた。
が、問題がないと思い込んでいただけで、どでかい岩石が目の前に落ちてきた、という比喩を使っても
云いすぎじゃない気がする。
カガリは、なんとかレノアを傷つけず、言葉を紡ごうと懸命に頭を捻った。
「あ、あの・・・上手くは云えませんけど、アスランとは、付き合いは継続していきたい、とは思っています。
でも、まだ結婚というのは視野にはなくて・・・ ごめんなさい、お母さん。」
カガリは素直にぺこりと頭を下げた。
そんな、彼女の仕草にレノアは、くすりと小さく笑う。
「急いてるってわかっているんだけどね? 私は、私なりに息子が心配なのよ。」
レノアは、不意に言葉口調を変えた。
カガリは顔を起こし、瞳を開く。
凝視し、見やった彼女の金の瞳には、苦笑を浮かべるレノアの顔が映り込む。
「この子、見た目は優等生だし、性格だって悪くないと自負しているわ。でも、色々と不器用だから、
折角、アスランを好きになってくれた女の子を逃がしたくないと考えたら、ついね。」
苦笑したまま、レノアは愛息子を見やった。
ようやっと、母親の言を耳にして、アスランは背けていた顔を戻してきた。
彼の顔を伺えば、これでもか、というくらい真っ赤に茹であがっている。
「とにかく、こういう話は、さっきも言ったけれど、急いても仕方ないことだって分かっているの。
この先もカガリさんがアスランを好いていてくれるなら、長い目でこの子をちゃんと品定めしてくれれば、
私はそれで良いわ。将来、答えが見出せたとき、またお話しましょう。カガリさん」
「は、はいッ!!」
思わず、カガリは背筋を伸ばし、声高に返事を返してしまう。
「それと、色々と気持ちのうえのこともあるだろうけど、我が家にも遠慮なく来て頂戴ね。 私は仕事柄
家を留守にすることが多いし、できれば手が空いているときでいいから、アスランの面倒を見てもらえれば
助かるわ。 ほっときぱなしというのは、よく分かっているわ。だから、私の手が届かない部分のフォロー、
してもらえると嬉しいわ。」
「・・・はい。」
レノアの言葉に、薄っすらと頬を染め、カガリは小さく頷いた。
「アスラン!」
母親の、一喝するような鋭い呼び声に、アスランは背筋を思いっきり伸ばす。
「・・・な、何?」
上目使いで、彼は母の顔を見遣る。
「カガリさんに、あんまり迷惑かけて、見捨てられるような馬鹿なことはくれぐれもしないで頂戴ね。」
アスランの母、レノアの台詞を聞いた途端、カガリは勢いよくかぶりを振った。
「や、あの!どっちかと云うと、迷惑かけているのは私の方なんでッ!」
アスランを庇って、カガリは声を張り上げる。
「別に庇わなくたって良いのよ?この子、我が強いから、扱い難いでしょう?」
レノアの辛辣な意見に、再びカガリは首を強く振った。
「でも、アスランは私の話はちゃんと聞いてくれるし、色々と相談は乗ってくれるし・・・ 他にも
こっちの方がたくさん助けてもらってますから!」
はあ〜と、レノアは大きく息を吐く。
「カガリさんみたいに、アスランを評価してくれる子は貴重だわ。本当に良い子、見つけたわね?アスラン」
ちらり、とカガリに視線を投げて、アスランは赤面したまま無言で頷いた。
尋問紛いの、レノアの問答を終わらせたのは、陽が傾く時間だった。
カガリを家に送る道すがら、ふたりはよく待ち合わせに使っている、市営の公園へと立ち寄る。
アスランの家では、話せなかった事柄の締め括りをするために。
「はあ〜 まったく、こういう展開になるなら、ちゃんと始めに云っておいてほしかったな。」
疲れを感じさせる声音を零し、カガリは乱暴な仕草で木製のベンチに腰を降ろした。
「・・・ホント、ごめん。母が君に合いたい、ていうから俺も深くは考えてなかったけど、まさか
あんな話題になるなんて思ってもみなかったから。」
アスランはひたすら申し訳ない、という風体で、カガリの左隣に腰を降ろした。
「・・・でも。」
「でも?」
アスランの問う声に、カガリは応じる声音で返事をする。
「母さんが言ったことは、俺の気持ちを代弁したようなものだから。旅行に一緒に言ったときにも云ったけど、
俺、待っているから、カガリが俺の伴侶になってくれるの。」
カガリは、アスランの姿を見遣って、困ったように苦笑するだけ。
視線を闇空の星々に移して、彼女は言葉を紡ぐ。
「10年経って、お前の気持ちが変わらなければ考えるって云ったけど、5年に変更するよ。」
「カガリ!?」
「だから、それまでに一人前の社会人になるって、約束しろ!」
綻び、笑んだアスランの顔は、極上の笑顔を零した。
「俺、頑張る。」
「よろしい。」
ほんの少し、カガリは偉そうな声をだし、すぐに破顔した。
場を和ます、ふたりの楽しげな笑い声は、静まりかえった夜の公園内でよく響いた。
「あ、それと、ちょっと相談が・・・」
区切りをつけた刹那、カガリは別の話題を持ち出す。
「実は、カリダ叔母さんと、ハルマ叔父さんから、私を正式に養子に迎えたいて今言われているだけど。」
「養子?」
アスランは瞳を開き、カガリの顔を見遣る。
「ん。」
「・・・その、カガリは、嫌なの?」
アスランの率直な物言いに、カガリは首を激しく振る。
「嫌なんかじゃないよ。ただ、私がヤマトの姓になったら、アスハの名前は捨ててしまうような・・・
そんな気持ちがあって。こういう風に考えるのは、アスランはどう思うかな?って意見聞きたくて」
慎重に言葉を選び、アスランは自分の考えを素直に口端に乗せる。
「捨てるというのは、ちょっと違う気がするな、俺は。 確かに、姓が変われば、複雑な君の気持ちも
わかるけど、先のこと・・・ そうだな?就職とか、進路とかのことを考えたら、やはりその申し出は
受けることの方がカガリが動き易くなるんじゃないかな?」
「・・・うん。」
わかっているのだと、匂わせる返事を返し、カガリは俯いた。
「姓がどんなに変わったって、カガリは、カガリじゃないか。何も変わることなど無いと俺は思うんだけど。
なんか、上手く云えなくてごめん。」
小さく、彼女は首を振った。
「いや、アスランが云いたいことは理解できるよ。アスハの名は、父の思い出と一緒に私の胸のなかの
引き出しにしまっておけばいいことだ。拘って、周りを混乱させる方がいけないことだよな。」
苦笑のなかに、寂しげな笑みを滲ませ、カガリはアスランを見る。
「あんまり複雑に捕らえないで、もっとポジティブに受けたらどうかな?」
「学校のみんなから、アスランほどネガティブな人間いないって云われてるのに、その張本人にポジにと
云われるなんて驚いたぞ。」
可笑しげに、カガリはくすくすと笑う。
「誰が言ってるって?俺がネガだって?」
発信源は、大体予想がつくが、敢えてそれは追求せず、アスランは目を眇める。
身体を伸ばし、カガリは空を仰ぐ。
「ありがとう、アスラン。やっぱり話して良かったよ。気持ちが楽になった。」
「そっか。」
微笑み、アスランも相槌を打つ。
何気に自分が嵌めていた腕時計を見遣って、アスランは焦ってベンチから腰をあげた。
「拙い!カガリの門限、10分前だ!」
「えっ!?」
彼の台詞に驚愕し、カガリも自分の腕時計を見る。
別に、多少時間をオーバーしようが、きつく怒られることない、と分かっている。
でも、約束は約束だ。
生真面目に、ふたりは思い、手を繋ぎ合うと走り出した。
息を弾ませ、カガリの自宅前に到着したのは、3分前。
「ギリギリセーフ!?」
アスランは、安堵の様で、息を整えながら隣に佇んだ彼女を見た。
きつく握ったままの、互いの手。
なかなか離す切っ掛けが作れず、ふたりは視線を交わし合う。
「・・・お休みのキス、・・・してもイイ?」
縮まった身体の距離のなかで、アスランは愛おしげにカガリを見詰める。
いつの間にか、握っていたはずのカガリの手を、自分の掌で包み込み、アスランの視線が降下してくる。
上気した、カガリの頬。
薄っすらと唇を開き、カガリはアスランの唇を受け入れる体勢に入った。
刹那。
「あら!? カガリちゃんと、アスラン君?」
掛けられた声に、ふたりは飛び上がるほど驚き、くっつき過ぎていた身体の距離を離した。
「カリダ叔母さん?」
真っ赤な顔で、カガリは自分の背後を振り返る。
「ど、どうしたんですか?こんな、時間にッ!」
動揺著しいカガリの言動は、明らかに挙動不審。
「ん、町内会の集まりがあって、今帰ってきたの。こんな処で立ち話なんかしてないで、入ったら?」
「い、いえッ!俺は、カガリを送ってきただけなんで、帰りますッ!!」
アスランの言動も、カガリ以上に不審だ。
おまけに声がひっくり返って、不審どころか、変である。
「ちょっとくらいなら、大丈夫でしょう? 今、紅茶のマフィン貰ってきたから食べていきなさいな。」
「いえ、あの!でもッ!!」
「レノアには、私から連絡入れておくから大丈夫よ?」
にっこり笑んで、カリダはアスランの右二の腕を掴み、家に強引に連れ込んでいった。
持て成しにと、ヤマト家のダイニングテーブルに用意されたのは、先ほどカリダが云った、マフィンとコーヒー。
夜遅くの、ささやかな茶会に、アスランもカガリも気まずい雰囲気のまま、ふたり同時にコーヒーを啜った。
「美味しい?」
テーブルの真向かいに座り、カリダは微笑む。
無言のまま、アスランもカガリも顔を縦に振る。
「あ!そう云えば・・・」
思い出した風情で、カリダは自分の右人差し指を顎に乗せ、空を仰いだ。
ぎくり。
嫌な予感を、互いに感じ、アスランとカガリは視線を交える。
「この間、レノアに合ったんだけど、カガリちゃんを予約って・・・云われたんだけど、なんのことだか分かる?
ふたりとも?」
ふたりして、首を勢いよく振り、場を誤魔化す引き攣った笑みを浮かべ、乾いた笑いを漏らす。
「そう。分からないなら、もっと詳しくレノアに聞かないとね?」
ぽやんと呆け、カリダが言葉を紡いだのを、カガリは椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、赤面した顔で
荒げた声をあげた。
「お、叔母さんッ!!するなら、5年後にしてくださいッ!!」
「5年後?」
益々分からないという風に、カリダは首を傾げると、自分の正面に座る若いふたりを見詰めるだけだった。
◆◆ 了 ◆◆
※後記
さて、今回のお話は、オフ誌「サクラサク」の、冊子→冊子内オマケ話→サイトおまけ、の
またおまけで、続きの内容となっております。;; 一応、その後のアスラン母とのやり取り
をぜひ読みたいというご要望に応え、今回こちらに掲載の運びとなりました。
色々と楽しんでいただければ幸いです。
そして! お待たせの、まろ様描き下ろしのイラストが入りました!
いつもながらのイメージを裏切らない構図に大満足。(笑) そんな、
まろ様の素敵サイトは下記↓よりどうぞ。