2月14日。
本来であるなら、一年に一度、迎えることができる、女の子にとっては、
一大イベント、と云っても過言でない日。
いく年過ぎようとも、ザラ家では、この日を、特別な感情でもって、喜ぶことは決してない。
カガリは、とりたてて騒ぐこともなく、静かにその日を迎える。
そんな、母親の姿を垣間見、ミューズは首を傾げた。
「ママ?」
「なんだ?」
居間で寛ぐ母親に、何気ない仕草で、長女、ミューズが問うてきた。
「ママは、パパにはチョコはあげないの?」
苦笑を零し、カガリは答える。
「あげないよ。」
「なぜ?」
父親譲りの翠の瞳を瞬かせ、ミューズは小首を傾げる。
バレンタインに、チョコをあげるのは、好きなひとに想いを捧ぐための行い、と
無意識に思っているから。
純粋な質問に重ねられる、無垢な問い。
が、その問いは、カガリにとっては、鋭い刃のなにものでもない。
暫しの沈黙のあと、母親は小さく言葉を紡ぐ。
「バレンタインは、喪に服す日だから。」
ミューズは、母親の言葉の意味を汲み取れず、首を傾げるばかり。
だが、そんな、気にも止めていなかった問いの、本当の意味を知るのは、
ミューズが学んでいく、学業のなかで知ることになる。
歴史のなかに刻まれた、傷。
『血のバレンタイン』 ・・・随分後になって、彼女は、何故、母親があの時、
淋しい顔で、たどたどしく質問に答えたのかがわかった。
「2月14日は、特別な日だから・・・」
そう答え、俯く、母親の顔は、とても淋しげで、・・・
その顔は、印象深く、ミューズの胸に刻まれた。
幼い頃の出来事の、ほんの些細な一場面。
そんな忘れていた、幼い日の出来事が、ふとした瞬間に思い出されて、ミューズは苦笑した。




『 バレンタイン 』






家中にたち込める、甘い匂い。
帰宅して直ぐに、アスランは、眉根を寄せた。
匂いのもとを辿って、キッチンを覗けば、台所では、愛娘、ふたりがボールの中身を
懸命に掻き回している姿が飛び込んできた。
「何、やってんだ? ふたりとも。」
「駄目ッ! 今日は、立ち入り禁止ッ!!」
問いをミューズに拒否で打ち返され、アスランはたじろぐ。
年頃。
思春期の入り口に差し掛かり、ミューズもディアナも、美しい娘に成長した。
訳が解らず、彼は首を捻って唸っていた処へ、カガリがその背後から肩を叩く。
「カガリ?」
「聞いただろ? 今日は、『立ち入り禁止』だって。」
「あ、 ・・・うん。」
納得できずのまま、アスランは、カガリに引き摺られ、居間に足を向けた。
仕事着の軍服を脱ぐと、それを受け取り、カガリは微笑む。
「明日は、バレンタインデェイだろ? ふたりとも、手作りチョコ作るって云ってさ、
台所は、占拠中だ。」
「・・・ああ。」
バレンタイン、という行事自体、アスランにとっては、めでたい日、とはお世辞にも云えない。
カガリ自身、自分に気を遣わせまいと思っていたのか、その日になにかをやろう、と言い出す
こともなかったので、正直、そんな浮かれたこととは掛け離れた日だった。
何事もなければ、女の子にとっては、とても大切な日・・・ なのだから。
自宅の寝室に、ふたりで歩みを進め、アスランはぽつりと言葉を漏らす。
「なあ、カガリ?」
「ん?」
彼女は、室内に備え付けてある、クローゼットにアスランの軍服を仕舞いながら、首だけを
彼に向ける。
「バレンタインに、チョコを作るって、・・・その、ふたりとも、渡す男、とかいるってことだよな?」
「作っているんだから、そうだろうな?」
「・・・だ、誰に?」
「知るかよ、そんなこと。」
呆れ、カガリは閉口した。
落ち着きなく、アスランが、部屋のなかをうろつく様を見、カガリは息を吐いた。
「なにを、そんなに心配することがあるんだ?」
「心配って! 君は、心配じゃないのか!?」
「ふたりとも、そういうことを考える年になった、と思えば、普通だろ?」
普通!?
・・・普通。
だが、父親としての立場で言わせてもらえば、とてもじゃないが、落ち着くことなど出来はしない。
ミューズは、中学3年。
ディアナは、小6。
女の子としての、性に目覚め、その手のことを考えだしてもおかしくはない年頃。
好きな男でも居る、ということなのか?
勢いのついた姿態で、アスランはベッドの縁に腰を降ろした。
「そんなにイライラして、どうする?」
「してない!」
「嘘つけ。 なんか、変な色の怒りオーラを感じるぞ?」
カガリは、アスランの渦巻く、妙な怒りの元に、そんな見もしない、娘たちの『男』のことをどうこう
考えても仕方ないだろ、と呆れ口調で肩をさげる。
いつもなら、家族でダイニングでの食事を共にする処だが、生憎と、今日は塞がっていて、食事の
支度すらままならない。
仕方なく、デリバリーのピザ配達で、夕飯を済ませ、チーズと、甘いカカオの混ざった匂いに、
アスランは、耐え切れず、早々に自室に閉じこもってしまった。
「パパは?」
ミューズは、居間に居ない父親の姿を探すように、首を巡らす。
ダイニングが使えない今、配達で頼んだピザを居間のローテーブルに広げ、フローリングに
直座りで、ミューズはピザを頬張っている。
その隣には、妹のディアナが座り、やはり姉と同じくピザに齧りついていた。
「寝た。」
「え? まだ、8時なのに!?」
カガリの答えに、ミューズは眉根を寄せる。
「それより、いい加減、台所、いつ空くんだ?」
軽い苦情を娘に告げれば、ミューズははにかんだ笑みを零した。
「あと、1時間くらいかな〜」
「パパが心配していたぞ? 誰にやるんだ、って。」
カガリは、苦笑を浮べ、上目遣いで愛娘を見遣る。
「内緒。 ね? ディアナ。」
賛同を妹に求め、ミューズは笑む。
「ん、内緒。 ね〜 お姉ちゃん。」
なんなんだ? この、愛娘たちの、妙なコンビネーションは。
カガリは、複雑な顔で、ふたりの顔を見詰めるだけ。
「まあ、なにをやろうが、私は構わないけどな、・・・明日は、あまりはしゃぐんじゃないぞ?」
さり気なく、娘ふたりに釘を刺し、カガリはピザを一口齧った。
「・・・わかってるよ。」
ミューズは、しんみりと言葉を漏らした。
元来、バレンタインという日は、恋を実らせ、告白する日、というのが世間の一般常識。
しかし、そんな色恋の話に浮かれ捲くる、というのは、無縁に等しい。
ザラ家、否、この家だけでなく、コーディネイターであるなら、誰もが忘れてはならない、悲劇の日である。
ミューズ、ディアナにとっては、祖母にあたるひと。
父、アスランの母、レノアが亡くなった日だからだ。
地球側の一方的な惨殺行為として、後の世では批判を受けた、あの日の出来事。
バレンタイン、2月14日が来る度に、嫌でも思い出す、悲劇。
農業プラントとして、自衛手段を持たない民間人しかいなかった場所に打ち込まれた、一発の核。
幾万という、尊い人命が失われ、そのなかに含まれていた、アスランの母親。
「ねえ、ママ?」
「ん?」
ミューズは、遠慮気味に声を洩らす。
「パパのお母さんって、どんなひとだったの?」
ミューズは、自分の生まれる前に亡くなった、父親の『母』というひとを知らない。
当然のことではあるが、アスラン自身、あまり戦時中の話は、娘たちには聞かせようととも
してなかったので、この問いは、極普通な質問なのだろう。
知らないことなら、知りたい、という、子供の純粋な疑問。
しかし、カガリには、それを教える知識は薄かった。
「私も合ったことはないから、詳しくはわからない。 パパが話してくれるなら、直接
聞いてみたらどうだ?」
「怒られちゃうよ。」
しょげかえり、ミューズは、応える。
「怒りはしないよ。 ただ、パパにも心の準備が必要な話題だと思うから、そういうのが
備わった時期にきたら、聞いてみればいいさ。」
「・・・うん。」
苦笑を浮べ、ミューズは頷く。
ケイタリングでの食事を済ませ、ミューズとディアナは、またキッチンへと篭り、作業の続きに
精をだし始めるのを見送り、カガリは席をたった。
アスランは、甘いものは、あまり得意ではない。
夕飯も食べずに、青い顔をして二階にあがって行ってしまった。
ピザの切れ端を皿に移し、彼女はそれと、コーヒーを持って寝室に足を向ける。
本来、食事の類いは、寝室へは持ち込まない主義だが、今日は致し方ない。
ベッドで横になりながら、本を読んでいた夫の名を呼び、カガリは皿を差し出した。
「今日は、このままお篭りか?」
皮肉を洩らし、カガリは溜息をつく。
「今日だけだよ。」
とてもじゃないが、あの甘い匂いの立ち込める一階には居られない、とアスランはぼやいた。
翌日。
夫婦仲良く、仕事から帰宅し、玄関を潜れば、愛娘ふたりの笑顔で、家に迎え入れられ、
アスランの機嫌は、瞬く間に向上する。
右手には、ミューズが。
左手には、ディアナが腕を絡ませ、アスランを引っ張り、急かした。
一体、何事かと問えば、ダイニングのテーブルには、昨日のふたりが悪戦苦闘の末の、
秀作が鎮座していた。
ハートの形を催した、縦横15cmも幅のあるチョコレート。
チョコのなかには、『大好きなパパへ』と文字まで飾られている。
「パパが、甘いもの、苦手なの知ってるけど、頑張ってディアナと作ったんだから、
ちゃんと食べてね!」
腰に両手をあて、ミューズは少し偉そうに身体を反らした。
「パパ用に、味はビターにしたから!」
ディアナが、追従をする。
驚き、アスランは口を開けたまま、ぽかんとしている。
「おい、なに、ぼけっとしてる? 『ありがとう』くらい、云ったらどうだ?」
カガリに、背中を突付かれ、アスランは慌てて、ふたりの娘たちに礼を云った。
初めて作った、愛娘ふたりの手作りチョコレートは、アスランの杞憂を物の見事に消し飛ばしてくれた。
こんな嬉しいプレゼント、幾ら礼の言葉を口にしても足りないくらいだ。
あまりに嬉し過ぎて、顔が綻び、もとに戻らない。
ふと、思い、アスランは背後に控えていたカガリを首越しに見遣る。
「カガリは?」
「は?」
眉根を寄せ、カガリは首を傾げる。
「カガリは、なにもくれないの?」
「・・・ずーずーしいヤツだな。」
はあ〜 と、ひとつ溜息を零し、カガリは目を伏せた。
刹那、彼女は不意打ちのキスをひとつ、アスランの唇にする。
「!?」
子供達の目の前では、恥かしがってこんなことをするのは殆どない。
カガリがこんな奇襲をするのは、想定外。
アスランは瞠目し、次いで、頬を薄く紅葉させた。
「チョコは用意していない。 代わりだ。」
照れて、彼女は顔を伏せる。
今日は、特別な日。
取り立てて、賑やかになることはなかったけれど・・・
温かい、穏やかな気持ちが、アスランの身体を包み込んだのだった。



                                                  ■ End ■








※ 少しばっかり遅れましたが、お題にタイムリーなものがあったので、
急拵えで書き下ろしました!(’-’*) フフ
手作りチョコを、初めてあげたのが、父親。;; さて、ミューやディアナが
本命チョコ、というものをいつ、誰にあげるのかは、私もなんと云って
いいやらですが、作っても、チョコの大半は、本人たちとカガリの
おなかに納まりそうな気がします。;;