『 いつもの場所 』









「んぎゃああぁぁーーーッッ!!」
地を揺るがす悲鳴が、山の頂から炸裂する。
傾斜角45°超難関上級者コースのゲレンデで、カガリは定番になりつつある、
アスランとのスキー旅行に、お気に入りとなった、ここカナダの、ウィスラー・マウンテン
スキー場を訪れていた。
他の滑走者の邪魔にならないよう、アスランは、コースの端に寄り、スティックを
支えに、そのうえに両手を重ね、山の上部を見ている。
そんな彼の目の前を、凄まじいスピードで過ぎ行く、人影。
まるで、モータースポーツを観戦している、メインスタンドの観客よろしく、アスランの
視線は、右から左に流れる。
あ! と思う間もなく、カガリは派手に一回転すると、雪の斜面に顔から激突して
動かなくなった。
「・・・はあ〜」
朝の9時から、このゲレンデに来て、そろそろ昼に近い時刻。
アスランは、まだ一度もまともに滑っていない。
暴走機関車のような、滑りしかできないカガリが心配で、スキーを楽しむどころではなく、
朝から、ずっとこの調子で、彼女の監視役に徹する以外ない、という状況なのだ。
こんな乱暴な滑りしか出来ない彼女を野放しにするなど・・・
考えただけで、空恐ろしい。
なにかあってからでは遅い、という、アスランの気遣い。
だが、そんな優しい夫の心使いにも、愛妻は呆れるくらい無頓着なのが悲しい。
持っていたスティックを雪面に刺し、アスランは斜面を滑り降りる。
アスランはひっくり返って、雪まみれになっている、彼女に声を掛けた。
「大丈夫か?」
「・・・これの、何処が大丈夫に見える。」
どこかで聞いた、同じ台詞を吐き、カガリは不機嫌そのものの態度。
むっくりと、雪の絨毯から顔を起こし、彼女は膨れっ面の顔で、見下ろしている
アスランの顔を睨みやった。
「もう、昼になるし、食事を摂ってから、また来ないか?」
優しい笑みの、彼の進言に、カガリは膨れたままそっぽを向く。
完全にヘソを曲げてしまったようだ。
雪の季節、幾度も、同じ、この場所を訪れている、というのに、カガリのスキーの
腕前は、一向に向上しない。
運動神経は、悪くない筈なのに、なんで、こうも上達しないのか・・・
俺の教え方が間違っていたのか?
と、アスランは心のなかで自問自答を繰り返す。
カガリが覚えた、滑りは二種類だけ。
時速2km。
歩いている人間にさえ、追い越されてしまう、超ローペースな滑りの、ボーゲン。
勿論、平坦な、起伏のない雪面のみ、有効の滑りと、あとは凶暴なまでに
ブレーキ故障を起こしたかのような、凶悪な直滑降。
スピード違反の条約があれば、即、お縄な、滑りしかマスター出来ていない。
どちらも、あまりにも極端過ぎて、中間がないのが、アスランの悩みの種。
なんとか、体重移動での滑りが出来るようにと、指導しているのに、なかなか
その方針が、彼女に伝わらない。
少しでも、アスランがうえを目指せば、生来の負けん気の強さのせいで、無理をして
着いてきて、この有様なのだ。
・・・洒落にならない。
かと云って、このままカガリを放置しておくなんて、アスランの気性からして絶対
出来ないのは、云うまでもない。
彼は、いつものように、自分の板を外し、斜面に対して、スキー板が滑らないよう、
横向きに板を置き直す。
カガリの履いていた板を外してやり、スティク四本と、彼女の板を彼女自身に
抱き抱えさせた。
その状態で、カガリを横抱きにすると、彼は自分の板を足に留め施す。
カガリを抱え、山中から麓まで、アスランが滑り降りてくるのは、お馴染みの光景に
なってしまっていた。
麓まで滑り降りてくれば、いつの間にやら、何故かそれが名物化になっていて、
「羨ましい!」という、若い女性客の黄色い悲鳴と、その他の層のスキーヤーたちの
感嘆の溜息と拍手で、全然ふたりに関係ない観客たちに迎えられるものだから、居心地が
悪いなんてもんじゃなかった。
すっかり、見世物状態になっている。
とにかく、毎度のこと、逃げるようにその場を後にし、ふたりは自分たちがキープを
している部屋に逃げ帰る、という始末。
午後1時を廻り、食事を済ませ、部屋に戻ってきた途端、カガリは中央寄りのベッドに
潜り込み、頭から毛布を被ってしまう。
「カガリ? 滑りに行かないのか?」
極、当然の、アスランの質問に、丸まった毛布の塊からは、無愛想な返事しか返ってこない。
「行きたければ、お前ひとりで行ってこい。」
「・・・」
彼女の態度を見、アスランは小さく溜息をつく。
この状態の彼女を無理に連れ出した処で、カガリのヘソを益々曲げさせるだけだな・・・
思い、アスランは自分の手荷物のなかを漁った。
持参した、自分の本を手にとると、彼は部屋の窓の傍に置かれた、簡易応接の対に
なっている、片方のシングルソファに腰を降ろした。
閉じた二枚貝が、隙間の暗闇から眼を凝らすような様で、カガリは作った毛布の
影奥から、そんなアスランの様子を垣間見る。
「・・・別に、私に付き合って、居残ることないんだぞ。折角、スキーしに来ているんだから。」
「その台詞、そのままそっくり返すぞ。」
アスランは、手にした本に視線を落としたまま、ベッドの彼女に言い返した。
「俺ひとりだけが行ったって、意味ないだろ? ふたりで来ているのに。」
「だってッ!」
がばっ、と被っていた毛布を跳ね上げ、カガリはベッドのうえ、膝を崩した格好で坐り、
アスランを見遣る。
「だって?」
ようやっと、彼の視線が、彼女に向いた。
妙な息詰まりを感じ、カガリは口篭る。
「・・・行ったって、お前に迷惑掛けるばかりで、・・・嫌なんだ。」
「迷惑? ・・・別に、そんな風なこと、微塵も思ってないさ。 楽しむなら、俺はカガリと
楽しみたいだけだ。 カガリが部屋に居るなら、俺も部屋に居るよ。」
「だからッ! 私に付き合わなくたって、イイって云ってるだろ!?」
「夫婦で遊びに来てるんだぞ? なんで、俺だけ別行動なんだ? そんなこと、出来る
訳がないだろ?」
彼の、止めの言葉は、カガリに強い罪悪感を抱かせた。
「もう、イイッ!!」
これ以上、アスランと言葉を交わしていても、虚しい口論にしかならない。
再び、カガリは頭から毛布を被り、人型の塊に戻ってしまった。
もどかしくて、思うように楽しむことが出来ない己に憤りしか抱けない。
自分自身が歯痒い。
カガリは手足を丸め、我が侭な自分に合わせようとしてくれるアスランに、返って、
その優しさが針の如く、胸を刺す。
自分が悪いのに・・・ 素直になれない。
放っておいてくれる方が、何倍も楽なのに・・・
八つ当たりだと、わかっている。
わかっているのに、それを表現する言葉は、今の彼女には浮ばない。
ご免なさい、と思う、心。
情けなくて、涙が出そうだ。
不意に、彼が部屋をでていく気配を感じ、カガリは毛布から顔をだした。
「・・・アスラン?」
放っておいて欲しい、と思った矢先、いざひとりにされてしまえば、今度は途轍もない
ほどの、寂しさを覚える。
とことん、我が侭過ぎる、と自嘲的な笑みが、カガリの顔を彩る。
ほろり。
頬を伝わる、一粒の涙。
「・・・あれ?」
なんで、涙なんか。
自分の意識下の、取り残された、寂しさが齎した、雫。
一度、零れてしまったら、止まることを忘れたかのように、後から後から、水の雫が頬を
伝わってくる。
ひとりにしないで・・・
声にならない叫びが、カガリの全身を覆う。
「・・・アスラぁ〜・・・ン。 うっく、・・・ひっく ・・・アス・・・ラ・・・ン。」
置いてけぼりを喰らった幼子のように、カガリは声をあげ、泣き出した。
声にだしてしまったら、止める手立ては何もない。
わんわん、声をあげ、カガリは咽び泣く。
刹那、部屋の扉が開き、眼を見開いて、驚いた顔の彼が、姿を現した。
「カガリ? どうした? 何、泣いて・・・」
僅かに慌て、彼は、彼女の居るベッドに腰を降ろすと、カガリの細身の身体を抱き締めた。
逞しい、アスランの胸に抱き締められ、カガリは自分の顔を押し付ける。
「どうした?」
彼女を落ち着かせる様で、アスランは優しく、とびきりの甘い声音で、カガリに問い、
金の髪を撫で梳いた。
彼の胸のなかで、カガリは首を振る。
なんでもないのだ、という彼女の仕草に、彼は緩く微笑む。
「・・・ひとりになんて、しないよ?」
アスランが洩らした、たった一言の言葉。
カガリは、はっとして、涙で濡れた顔を起こす。
「・・・なんで、わかるんだよ?」
「わかるさ。俺の奥さんは、意地っ張りで、淋しがり屋で・・・。 何年、一緒に居ると思ってるんだ?」
苦笑を浮かべる彼に、カガリの頬は、ぱっと紅に染まる。
アスランに、嘘はつけない。
もともと、嘘をつくのは苦手分野。
見透かされてしまった、心の内が、恥かしさを醸し出す。
俯き、カガリはしゅんとしてしまう。
自分の方が年上なのに、いつだって立場は逆で・・・。
もっとしっかりしないといけないのに・・・ 彼の優しさがあまりにも心地良くて、情けないくらい
甘えぱなしだった。
「外、でる気はある?」
アスランは、彼女を導くような言葉を漏らし、優美な笑顔で彼女を見下ろした。
「え?」
その言葉に驚き、彼女は顔をあげる。
「折角、遊びに来てるんだから、遊ばなきゃ損だろ?」
子供のような、無邪気な笑顔を作り、アスランは微笑む。
促されるまま、カガリは彼に手を引かれ、ロッジの外にでた。
導かれた先で、アスランは、山の中腹を指差す。
「あそこのコース、見える?」
云われ、彼女は、林のなかに設けられた半ドームのような、屈曲した雪道を見た。
待つ間もなく、滑走してきたのは、『ソリ』。
人工的に作られた、半雪洞のコース。
ソリにふたり乗りをした、楽しそうな子供の声が響いて流れていく。
「年齢制限はない、って、ロッジのフロントで教えてもらった。興味あるなら、あれ、
どうかと思ってさ。」
「・・・年齢制限なくても、私は子供じゃないぞ。」
僅かに膨れたカガリの横を、親子と思われるふたり乗りのソリが滑っていった。
「親子OK、勿論、子供も同じ。恋人同士に、夫婦が滑ったって、文句言われないぞ?」
くすくす可笑しそうに笑い、アスランはカガリの顔を下から覗き込んだ。
「・・・い、一回だけだからな。」
漸く、不承不承ながらも、彼女の許諾を得て、アスランはコースのスタート地点を目指した。
当然、手は繋いだまま。
緩やかな斜面を登る間も、ふたりの脇を、楽しげな笑い声が通過していった。
スタート地点に辿り着き、遊具の監視を受け持つ女性の係官から、ソリを一台借り受ける。
「カガリは、前。」
「えっ!?」
手を引かれ、強引に座らされ、スタートダッシュを掛ける。
勢いが衰えないうちに、アスランはカガリの後ろに飛び乗り、彼女の前にある、操舵ロープ
を掴んだ。
お飾り程度の役目しかないものでも、振り落とされないようにするのは、それを掴むしかない。
「うっひゃあッ!!」
カガリは、びっくりしたかのように、奇怪な悲鳴をあげた。
見る間に、景色が高速移動する。
眼前に迫る、ソリを楽しむためのコースは、圧巻。
たかがソリ、と侮るなかれ。
結構なスピードがでるもので、移りゆく風景は、爽快そのもの。
彼女が落ちないよう、アスランは後ろから片手でカガリの腹部に腕を廻し、支える。
約1kmのコースは、ものの数分で滑り降りきってしまった。
ゴールに着いてから、ソリから降りようとしない彼女に、立ち上がったアスランは横から
カガリの顔を伺う。
・・・やはり、楽しくはなかったのだろうか?
不安が掠めた瞬間、カガリはすくっ、と立ち上がり、アスランの右手をがし、っと握る。
「もう一回、行こうッ!!」
「は?」
虚をつかれ、アスランは呆けてしまう。
今度は逆に引き攣られ、またコースの頂上を目指した。
どうやら、お気に召していただけた様子に、彼は苦笑を洩らした。
行ったり来たりを繰り返し、流石に5度を超えると、疲労が濃くなってくる。
「・・・まだ、・・・やるの?」
疲れた声音を零すアスランに、俄然、張り切るカガリの声が重なった。
「なに、年寄りみたいなこと、言ってるんだッ!!」
現金なものだ。
ほんの、何時間か前まで、あんなにへこんでいたのが、嘘のようだ。
白い息を弾ませ、山の斜面を登っては、また滑り降りてくる。
カガリが満足を得て、終了を告げたのは、夕焼けが山に沈む頃。
すっかり、元通りの彼女になり、アスランは苦笑する。
ロッジに帰る道すがら、彼は彼女の耳元に唇を寄せ、囁いた。
「さっきは、俺が君を楽しませてやったんだから、『夜』は俺を楽しませてくれよ。」
「えっ!?」
直ぐに、アスランが言う処の、『夜』の意味を理解し、カガリは一気に茹で上がる。
「なんで、『えっ?』なんだよ?」
透かさず、突っ込みをいれ、アスランは意地悪気に微笑んだ。
「大体、今回の旅行だって、政務が忙しくても長老連中が許可だしたの、なんでだか、
君はわかっているだろ?」
「・・・まあ。」
歩きながら俯き、カガリは口篭る。
「俺も、頑張らないとさ!」
にやり、彼はほくそ笑んだ。
「べ、別に、そんなに張り切る必要はッ!」
「いや、頑張るッ!!」
拳を振上げ、宣言するようにアスランは言い切る。
ふたりの旅の目的。
勿論、『遊び』も一種あるが、その他のことも加味しての思惟がある。
『後継者』の問題だ。
暗黙のなかで、早く『子供』を・・・ との、隠語がそこには存在した。
雰囲気が変われば、・・・ご老人の方々が考えそうな、下世話な話だ。
だが、今のふたりは、敢えてそのことは口にはしない。
唯、純粋に愛し合いたいだけ・・・
「爺様方の言うことに、振り回されることなんて、ないからな、・・・アスラン。」
カガリは、歩を止め、彼の顔を切なげに見遣る。
「わかってるよ。 正直、周りの圧力も感じてはいる。でも、こういうのは、授かりもの、
って言うし、考えずに自然体でいきたい。 カガリもそれで、良いよね?」
「・・・うん。」
微笑み、カガリは幸せそうに頷く。
彼女の肩を抱き寄せ、アスランは優しくカガリの唇を奪う。
幸せに満たされ、彼女は虚ろな瞳で彼を見た。
「・・・眼、瞑れよ。 キス、し難い。」
小さく、彼女は笑い、身体を離した。
「続きは、後でなッ!」
小走りで走り出した彼女を追い、アスランも走り出す。
夕闇が、差し迫る。
雄大な景色が、ふたりを緩やかにその腕に抱き込もうとしていた。
響く、ふたりの楽しげな笑い声は、途切れることなく、雪原に木霊した。










                                               ◆ End ◆









※さて、今回のお話は、随分前に書いた、同じお題での、
『冬景色』の続き風味になっています。
やっぱり、今の時期、異常な暖かさとはいえ、やはり
スキーをふたりにさせたいな〜 が、お話を書きたくなった
動機でしょうか? しかし、カガリはやはり、スキーは
向いてないのか、アスランの苦労はどこまで続くのやら。
キャハハ o(>▽<o)(o>▽<)o キャハハ
ちょっとでも笑っていただけたら、幸い。