『 護り石 』
「アヒルさん、アヒルさん!がーがーがー!!」
ミューズは、浸かった湯船のなかで、楽しそうに玩具のアヒルを湯の波間に乗せ、
歌を口ずさんでいる。
手のひらで、えい!と湯に押し込むと、プラスチックのアヒルの玩具からは、
細かな気泡が浮き上がってくる。
小さい子供にとって、それは楽しくて仕方のない、遊びのひとつだ。
父親と、一緒にお風呂タイムを過ごすのは、日課になっていた。
「ミュー、温ったまったら、頭と身体、洗うぞ。」
「は〜い!」
幼子は、父の言葉に素直に従う。
「ほら、ここ坐って。」
アスランは、洗浄スペースで、座椅子に座り、その前に愛娘を坐らせる。
お行儀よく、正座をし、ミューズはピンクのシャンプーハットを被った。
頭を洗うのは、どうも苦手な様子。
ぎゅっ、と硬く眼を瞑り、両手を膝に置く。
握った拳が、ちょっぴり震えているのに、アスランは苦笑を浮かべた。
「シャワー、かけるぞ!」
アスランは声を愛娘にかけ、心の準備を促す。
やや温めで、水量は弱め。
できるだけ、ショックを与えないように、という配慮で、娘の頭を濡らしていく。
「ぷえっ! パパッ!水が目に入った!」
途端、ミューズの口から抗議の声があがった。
「すぐ済ませるから、ちょっと我慢して。」
「ヤダ! ヤダッ!!シャンプー、嫌いっ!!」
「こらッ!暴れるんじゃないッ!余計に目に入っちゃうぞ!?」
アスランは、四苦八苦しながら、暴れる愛娘の頭を抑え込む。
「パパの鬼っーーーッ!」
「誰が、鬼だッ!」
すったもんだの言い争い。
ぎゃああ!と悲鳴をあげる、娘の声に、それを訊き付けたカガリが浴室の扉を叩いた。
「ミュー!?? なに、すごい声だしてるんだ? アスラン?大丈夫か!?」
「大丈夫、大丈夫。いつものことだ。」
アスランは、首だけを浴室の扉の方に向け、カガリの問いに応える。
「こら!そんな声だして、ママを心配させるな!」
「だって、お眼々に水、入ってるのに、パパがやめてくれないから!」
奇怪な、ミューズの悲鳴は続く。
泡と大量のお湯を口に含んでしまったせいで、ミューズは完全に臍を曲げていた。
悪戦苦闘を乗り越え、漸く洗髪地獄から脱し、反転した突っ立った状態。
ミューズは膨れっ面で父親を睨みつける。
「もう、5歳になったんだぞ?ミュー。 お姉ちゃんのくせに、このくらい、我慢できなくちゃ
駄目だろ?」
「好きで、お姉ちゃんになったわけじゃないもん。」
「ミューは、ディアナが嫌いなのか?」
幼子は、小さく否定の仕草で、首を横に振った。
「だって、ママは、ディアナの世話ばかりで、ミューのこと、構ってくれないから」
「それは仕方ないだろ? ディアナはまだちっちゃいんだから。誰かが面倒みてあげないと
困ってしまうだろ?」
「・・・わかっているけど。 ・・・寂しい。」
「甘えん坊だな? ミューは。」
苦笑いをアスランに漏らされ、ミューズは俯く。
わしゃわしゃと、大きな手で頭を撫でられると、ミューズの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
こんなに小さな子供でも、二番目の子が誕生したことをきっかけに、なにかが変ってしまった
ことを感じとっているのだろうか。
「ミュー、ほんのちょっとだけ、我慢してくれないか。 その代わり、ママが出来ない分、
パパがミューと遊んであげるから。」
「ホント?」
「でも、お仕事がお休みの時だけだぞ?」
「うん!」
素直な返事が返ってくる。
にこっ、と微笑む、愛娘の笑顔。
親馬鹿と言われたって、全然構わない。
この笑顔を守らなければ・・・
彼は、そんな思いに苛まれ、愛娘を見やった。
今更、ミューズに対して、アスランは細かいケアが足らなかったことを悔いた。
やってるつもり、では、駄目なのだ、ということも自覚させられる。
母親の手が届かない場所を、もっと補ってやらなければいけなかったのだ。
「パパ?」
「ん?」
「今度の、日曜日は、お仕事、お休み?」
「一応ね。」
応え、アスランは、微笑む。
「・・・動物園、行きたい。」
「わかった。 じゃあ、今度の日曜日な?」
「うん!」
笑んだ、ミューズの顔は、期待に満ち溢れ、耀きを増す。
「さて、お話が長くて、身体が冷えちゃったから、早く洗って、もう一度お湯に浸かって。」
「は〜い!」
女の子に人気のある、マスコットキャラクターのスポンジに、ミューズはボディソープの
液体を落とし、自分の身体を擦り始めた。
一通り済んでから、今度は父親の背後に廻り、その広い背中を泡立てたスポンジで擦る。
小さな手が、一生懸命に擦りあげる、その動きが、またアスランの苦笑を誘った。
「ねぇ、パパ?」
「ん?」
「パパの身体、なんで、こんなに傷がいっぱいあるの?」
「・・・そうだね。 どう説明したら、ミューにわかってもらえるのかな?」
「まだ、痛い?」
「もう、痛くはないけど、心が時々、痛くなることがあるよ?」
「心?」
「・・・うん。 多分、今のミューには、ちゃんとわかってもらえるには難しいかもな?」
「・・・なら、ミューがおっきくなったら、お話して!」
「ああ、そうしよう。」
アスランは、緩く笑う。
シャワーの栓を捻り、ミューズの身体に纏わりついた泡を落としてやる。
「はい、湯船に入って、『100』、数える!」
てけてけと、歩を進め、ミューズは言われた通り、身体を湯船に沈めた。
小さな唇が、カウントを刻む。
その間に、アスランは残った部分の身体を清め、髪を洗う。
ミューズの、数を数える声が、唸り声に変わったことに、アスランは泡だった頭のまま、
湯船の方に視線を向けた。
「・・・え〜っと、・・・29、・・・数えたから、次は30、だよね? ・・・あれ?どこまで数えたっけ?」
数が増える度、指で勘定を確認している幼子に、彼は可笑しそうに笑い、噴出す。
「もう!パパが笑ったら、数が余計にわからなくなっちゃう!」
とんだ言い掛かりだ。
アスランは、くすくす笑い続け、その動向を見守った。
全てのことを済ませ、彼も湯に身を沈める。
「どこまで数えた?」
「ん〜 ・・・59? だった、かな?」
「かな?」
アスランは、確認する様で、態とミューズを可笑しそうな視線で見据えた。
「わかんないッ!」
癇癪を起し、ミューズは叫んだ。
「もう、始めから数える!」
「そんなにしたら、茹でタコになっちゃうぞ。 60から、数えてごらん?」
従順に頷き、ミューズはカウントを再開させた。
ようやっと、終わりを迎える頃、ミューズは湯船のなか、相対する父親の胸元に注目の
視線を向けた。
「?」
その視線を、疑問顔で受け止め、アスランは首を捻った。
「パパ?」
「なんだ?」
「パパは、どうして、女の子じゃないのに、いつもそのネックレスしてるの?」
「ネックレス?」
目線を向ければ、首には、ハウメアの護り石が耀いている。
「これは、パパの大事なものだから、なくさないように・・・ ね。」
「でも、ネックレスは、女の子がするものだよ? 変だよ!」
「そう?」
こくこくと頷き、ミューズは更に言葉を紡ぐ。
「だから、私に頂戴ッ!」
「駄目。」
「なんで?」
「云っただろ?これは、大事なものだって。だから、幾らミューに強請られても、
これはあげられない。 ごめんね。」
ぷーと、頬を膨らませ、幼子は父親を再び睨む。
「これは、駄目なんだ。 ママからもらった、大事な護り石だから・・・」
「ママ?」
「うん。」
優しい、翠の双眸を揺らし、アスランは応える。
「ミューが、さっき、パパに聞いてただろ? 身体にたくさん傷があるのはどうしてだ?
って。 昔は、色々なことがあって、傷ばかりつくってたから、ママが『護ってもらえ』
て、これをくれたんだ。」
黙し、幼子はじっと、父親の胸元に視線を向けたまま。
傍目、キラキラと耀く、綺麗な紅玉は、幼い女の子にとっては、宝物にできるものの、ひとつ。
なんとか父親を言い包め、それを手に入れようと目論んだことは、あっさり拒否されてしまう。
すっかり、ミューズはむくれ、納得してない表情。
それでも、アスランには、譲れないものである。
入浴を済ませ、就寝時。
アスランは、ベッドの縁に腰を降ろし、首から外した首飾りを右手の親指と人差し指の間で、
その、小さな紅玉の珠を弄んでいた。
「どうした?」
末娘を部屋に寝かせつけ、カガリも彼の横に腰を降ろす。
「ミューズに、これをくれって言われて困ってる。」
「女の子だもんな。そういうもの、もっていれば、欲しがる年頃だろ?」
くすくす、とカガリは小さく、可笑しそうに笑った。
「これは、・・・幾ら、ミューに強請られても、・・・あげられない。」
「そっか。」
苦笑し、カガリはベッドから立ち上がる。
アスランが、今もまだ、『護り石』に執着する、その気持ちに、彼女は嬉しさに胸が熱くなる。
ベッド横に設置されたドレッサーの引き出しを開け、カガリは小さな宝石箱を取り出した。
「見せると、また『くれ』って云われるだろ? だったら、隠しておいたら?」
彼女は苦笑を浮べ、箱の蓋を開けた。
「あ?」
箱のなかには、既に先客がいる。
美しく、煌めく、ルビーの指輪。
「まだ、持ってたんだ、・・・これ。」
「当たり前だろ?」
カガリは、緩く笑んだ。
存在したのは、アスランが初めて、カガリに贈った、約束の証。
18の時、戦争をなんとか食い止めたいと、思い、奔走するカガリの手助けをしたい・・・。
そう願い、プラントに旅立つ決心をした。
別れ際、自分のありのままの気持ちを彼女に伝えたくて・・・
そんな、想いを込めて、贈ったものだった。
「ここに入れておけば、当座は取られる心配はない、と思うぞ?」
「ああ。 じゃあ、入れさせてもらおうかな?」
アスランは、緩く微笑む。
云い、彼は、首飾りを宝石箱のなかに落とした。
ぱたん。
箱の蓋を閉め、カガリはまた、もとの場所にそれを戻し、引き出しに鍵を掛ける。
いつまでも、色褪せぬ、思い出は、大切に保管されるに至った。
また、彼女はベッドのアスランの傍に腰を降ろし、彼のパジャマを纏った胸元に
指先を這わせた。
「ここから、あの『護り石』がなくなっちゃうのは、少し寂しいけど、しょうがないな。」
「なんか、ずっとしてたから、物足りない気がする。」
はにかみ、アスランは言葉する。
「慣れるしかないだろ?これも。 愛らしい、私たちの怪盗に横取りされて後悔しても遅いからな。」
「まったくだ。」
彼の微笑みを見、カガリも緩く笑った。
重なる、ふたりの唇。
「・・・今日は、邪魔は入らない?」
「ああ、多分な。 ふたりとも、ぐっすりだから。」
「そう。」
ベッドにふたりの身体が縺れ合うように倒れ込む。
カガリは、自然な仕草で、アスランのパジャマの胸元を肌蹴させ、唇を押し付け吸った。
薄く、赤い、キスマークの痕が、仄かな色を浮べ、アスランの肌に浮ぶ。
「『護り石』がなくて、物足りないなら、これが代わり。」
扇情的な微笑みを漏らし、カガリは顔をあげる。
頬を染め、アスランは彼女を抱き締めた。
なんて、可愛いことをしてくれるのだろう・・・
この、愛しいひとは。
「そんなことされたら、俺、手加減できなくなりそう。」
「ふん。いつも、手加減なんて、しないくせに!」
小さな、膨れた抗議の声。
アスランは、可笑しそうに、くすくす笑う。
いつまでも止まぬ、彼の笑い声に、彼女は催促の口付けを彼に強請った。
深く、堪能する口付けを交わし、溺れていく、互いの身体。
深夜の刻まで、その営みは続く。
甘く、痺れる陶酔感に身を浸し、全身に感じる悦びは、なににも掛け替えのないもの。
離さない、離したくない・・・
うわ言のように紡がれる言葉は、永久の誓い。
幾夜、この夜を経験しても、不思議とまた欲しくなってしまうのは・・・
何故なのだろう?
甘味な時のなかで、ふたりは想い、馳せる。
この時が過ぎれば、また明日は、可愛い幼子の親に戻ろう。
でも、今だけ・・・
この時だけは、艶事に、身を任せる、恋人同士に・・・ 還る。
・・・愛しい、時間でいさせて。
◆ Fin ◆
※ ひさびです! 裏の新婚お題に続き、今度は表、お題に
トライです。(^-^ ) ニコッ チビちょん、ミューズ、再び!・・・です。
まあ、下の子ができれば、おのず、親の関心は、先の子より
下に向くのは当然の日常の様子を書いてみましたが、
アスランがどこまでフォローできるか、これはこれで見物かも。
女の子だから、目にいれても痛くない我が子でも、譲れなかった
「ハウメア」に万歳!・・・な、お話になってしまいました。
ははは!ヽ (´ー`)┌ フフフ でも、最後はやっぱり、いちゃいちゃ
だった・・・。;; げふん、げふん。;;