『 月に濡れたふたり・・・ 』






それは、ふたりだけの、小さな小さな、・・・秘密。
本当に些細な出来事が切っ掛けだった。
オーブの代表首長に就任して、程ない頃、やるべきことの責務の
多さに、めまぐるしく日々は過ぎ去り、忙しいことは極当たり前で、
自分のことなど構っていられない、と思える日常。
幾らか、それに慣れ、ほっと息をつく時、彼女の顔色が悪くなってきている、
という事に、カガリの傍らで仕事を共にする、アスランは気がつく。
色濃い、疲労を感じさせる、疲れた顔。
元気だけが取り得、といつも言っていた、彼女。
なのに、その顔は日を追うごとに精気を失い、溜息の数も、増えてきていた。
思う様に進まない外交問題。
本来なら、団結をせねばならないという関係がわかっていながら、争いことも
度々起こる、閣議での一幕。
どんなに正論を説いても、受け入れられることがない、現状の硬直。
カガリは、味方もなく孤立していた。
政治の世界においては、若輩ゆえの、扱い。
カリスマ性だけでは、統治は立ち行かない、という現実。
名を呼び、一度での返事もないこともしばしば。
疲れているのだな、・・・とアスランは、感じざる得ない。
どこかで、息を抜いてやらないと、きっと彼女自身が押し潰されてしまう。
漠然とした、不安に駆られ、アスランは彼女に手を差し伸べる。
仕事が切りあがり、官僚府の人間が引き払った、夕刻。
彼は思い切って、彼女を誘った。
「・・・夜、でられる?」
「・・・え?」
突然の誘いに、彼女は驚き、瞳を開く。
「今夜、12時。迎えに行くから、使用人たちが使ってる、裏門の前に来て。」
驚いた瞳はそのままで、彼女は、アスランの言葉をちゃんと理解しない顔で
こくりとひとつ頷いた。
彼とした、約束。
深夜の刻。
空には、金の光を放つ、満月の耀き。
月の女神が微笑んでいるような、晩だ。
カガリは、彼が提示した時間、夜着のうえに、ロングコートだけを着、ミュールを履いて
自室の外に身を滑らした。
カツン・・・。
歩く度、素足に履いた、ミュールの音が響く。
見付かることを恐れ、彼女はそれを脱ぐと、両腕に抱え込んだ。
ひやり、とした大理石の廊下は、直足の体温をすぐに奪っていく。
だが、その分、音は消え、彼女の存在を誰にも気取られない。
音を殺し、カガリは辺りを警戒しながら、そっと屋敷の外へと身を躍らせた。
使用人専用の裏玄関門を開け、辺りの様子を伺う。
そこから、僅かに離れた場所には、アスランの愛車が停まっていた。
車のドアに凭れ、彼は闇空を見上げている。
ミュールを履きなおし、カガリは彼のもとに駆け寄る。
「アスランっ!」
弾んだ、喜びの声。
彼女の呼ぶ声に誘われ、アスランは視線を向けた。
「こんばんわ、不良娘。」
彼は、にっこりと笑み、彼女を見詰めた。
「不良、だけ余計だ。主犯格のくせに。」
膨れっ面で、頬を膨らませ、カガリは彼を緩く睨み返す。
「そうだったな。悪い、悪い。」
ははは、と一笑し、彼は助手席のドアを開け、カガリを座らせた。
程なくして、走り出す、彼の車。
海岸沿いの道路を走り抜け、彼は黙ったまま、ハンドルを握る。
カガリは、なにも訊かなかった。
どこへ行くのか、とも、いつ帰るのか、とも。
きっと、そうやって訊かないことは、彼女の心の現われの一端なのかもしれない。
このまま、どこへでもいいから、逃げ出してしまいたい、という・・・
淡い、欲求。
叶わないとわかっていても、どこかで願っている、思い。
アスランと一緒なら、地の果てに連れ去られても、構わないと思ってしまう、・・・心。
だが、そうさせるには、今の彼女の負った責任は大きすぎる。
放棄できるくらいなら、きっととっくにやってるはずだから。
海岸沿いの道を外れ、浜辺に近い場所まで辿り着くと、彼は車を停めた。
「夜も遅いから、あんまり長居は出来ないけど・・・」
カガリの顔を見詰め、彼は小さく言葉を紡いだ。
浜辺に降り立ち、彼女は潮の香りを胸いっぱいに吸い込む。
海の匂いは好きだ。
島国に育った、彼女ならではの、感情。
昼間に見る光景と、夜の風景では、同じ浜辺でも、全然違う景観を堪能できる。
ひとひとり居ない砂浜。
響く音は、ふたりの時折漏れる話し声と、打ち寄せる波の音だけ。
カガリは纏っていたコートを砂地に脱ぎ捨てた。
「なっ!?」
カガリの姿を見て、アスランは絶句する。
顔を真っ赤に染め、彼は怒鳴った。
「な、なんて格好で来たんだッ!カガリッ!!」
カガリの姿は、絹製のキャミソール一枚だけを纏った格好。
てっきり、コートの中は、服だとばかり思っていた彼は、泡を喰った。
慌て、彼は自分が着ていたシャツに手を掛ける。
しかし、ボタンをみっつ程外した段階で、はたっと自分自身を見詰め直す。
肌着を着る習慣、というものは、彼にはない。
これを脱いだら、自分だって、上半身裸になってしまう。
だが、夜風に肌を晒したカガリをこのままにも出来ない。
思い、彼は躊躇っていた感情を振り切った。
「着てろッ!」
憮然とした態度で、彼は脱いだ自分のシャツをカガリに突きつけた。
「・・・でも、これ借りちゃったら、お前が困るだろ?」
ぼんやりとした視線で、カガリはアスランを見た。
「カガリに風邪をひかれる方が、困るッ!・・・大体、眼のやりばだって・・・」
がなりたてた後、火照った顔を背け、彼は小さく文句を漏らした。
浜辺に打ち寄せる、波。
「いいよ、別に。今夜はそれほど寒くないし・・・」
無邪気な笑顔を返し、彼女は膝下まで、海のなかへと入っていく。
彼の気持ちも解せず、彼女ははしゃぎ続ける。
「カガリッ!!」
彼女を追いかけ、再び、彼が声を荒げた瞬間。
予想を越えた波が、ふたりの頭から落ちてきた。
『うわっ!!』
同時に声をあげ、互いの顔を見合わせ、ふたりは呆然とその場に佇んだ。
服はびしょ濡れ。
髪からは、ぽたぽたと塩辛い、水の雫が滴り落ちてくる。
水を被ったと同時に、カガリはむず痒い鼻の感触を感じ、両手のひらで口元を被った。
「くしゅん!」
「・・・つったく」
アスランはぼやき、彼女の片腕を掴んだ。
また逃げられたら洒落にならない、と思ったのか。
「これは、想定外だったけど、もう帰った方が・・・」
言いかけ、彼は自分を見た、彼女の顔に僅かな動揺を覚えた。
真っ直ぐ見詰めてくる、金の瞳。
そして、水に濡れたキャミソール。
水分を吸ったせいで、カガリの白い肌にぴったりとくっつき、透けてしまっている。
また、下着をつけていない。
くっきりと浮かび上がった、形の良い、ふたつの双丘に、つい目線が走ってしまった。
視線を逸らそうと努力を試みるが、やはりどうしても眼がそっちに向いてしまう。
「・・・眼を逸らさずに、こっちを見ろ、・・・アスラン。」
なんてことを言うんだ?
誘っているのか!?
確かに、ふたりの関係は既に一線は超えていた。
だが、それだからといって、羞恥心までなくなったわけではない。
気恥ずかしげな目元を戻して、アスランは彼女に向き直る。
彼女は、変らず、アスランを見上げている。
それは、驚くほど静かで、穏やかな視線。
どきん。
どこか、艶かしい熱さを感じ、彼は耐え切れず、彼女の小さな身体を抱き締めた。
「・・・理性、飛んだって、・・・知らないぞ。」
彼女は、小さく微笑み、彼の胸に顔を埋めた。
「・・・それなら、それでも、・・・全然、構わない。」
アスランの背に回した、細い彼女の腕が、彼を呼ぶ。
僅かに身体を離して、ふたりの視線が絡まった。
近づいていく、互いの唇。
カガリは、静かに両の瞼を落とす。
柔らかく、触れた感触。
離れ、また、小さく唇が落とされる。
ついばんで、幾度もそれを繰り返す。
回数を重ねるたびに、それは段々と深くなり、甘い吐息を含む口付けに変っていく。
天空に耀く、満月だけが、そんなふたりを見下ろしていた。




どのくらいの間、そうしていたのか。
満足を得た、とでもいうような、彼女の微かな吐息が漏れた。
それを合図に、彼は抱き締めていたカガリの身体を解き放す。
「・・・あがろう。いつまでもここに居たら、身体が冷え切ってしまう。」
片手を握り、彼は彼女をひっぱり、浜辺に戻った。
「・・・っくしゅん!!」
「・・・」
拙いかも。
彼女の二度目のくしゃみを聞き、彼は思案する。
波のこない場所まで彼女を引っ張ってきてから、彼はその場で彼女を座らせた。
「?」
不思議そうな、金の瞳が彼を見上げる。
「ちょっと、暖をとった方が良い。」
アスランは、車に戻り、車内の収納ケースを開け、なにやら探し始める。
「あった!」
彼が見つけたのは、小さな使い捨てマッチ。
随分前、キラから、美味しい料理が揃っている店だから、と教えられ、時間がとれたら、
カガリを誘って欲しいと言われていた。
アドレスと電話番号を記載した、簡易マッチを渡され、それをいつか役にたたせようと、
考えながら、結局は『タンスの肥やし』ならぬ状態で、車内の収納ケースにしまいっぱなしに
していたものだった。
それを思い出し、彼は苦笑する。
まさか、こんな形でこれが役にたつなんて、考えもしなかった。
浜辺で待つ彼女に視線を向け、戻る道すがら、枯れ枝と流木を拾い集める。
彼女が座り込む砂地の前にそれらを積み上げ、彼は火を灯した。
赤々と燃える、炎の温かさ。
カガリはやんわりと、自分の隣に腰をおろしたアスランの肩に凭れ、瞼を落とした。
「なんだか、思い出しちゃうな。」
ぽつりと、カガリは言葉を漏らす。
彼女が口にした、言葉の意味。
答えずとも、アスランにはわかっていた。
ふたりが始めてあった、無人島での出来事。
互いが敵と認識し合い、彼女は銃を、彼は刃をもって、相手を殺そうとした。
だが、手にした銃も、刃も、結果的には止めをさすまでには至らなかった。
なぜだかは、・・・わからない。
湧き上がった、不思議な親近感。
そんな不可思議な思いを抱いて、過ごした、一夜。
・・・懐かしい思い出。
あの時は、互いの関係は、近くて遠かった。
心を完全に許したわけではない、ぴんと張り詰めた、空気のなか、時を過ごすうちに
それは和らぎ、朝を迎えた。
名を交わし、別れた。
もう、二度と合うことはないだろう、と思っていたのに、一度繋がった、《運命》という見えない糸は、
知らず、ふたりを引き寄せ合わせる。
初めて出合った時は、敵だったのに・・・
気がつけば、その関係は、知り合いから、友達へと・・・。
そして、今は、公にはできなくても、相思相愛の仲になっていた。
必然だったのか、偶然だったのか・・・
互いに、互いを求め、支えよう、支えてあげたい、そんな気持ちは限りなく、膨らんでいった。
ただ純粋に、必要としあった。
ナチュラルも、コーディネイターも関係無く、・・・欲した。
言葉を重ね、気持ちを交わすうちに、心は繋がり、普通の男と女として、求めあうようになるのに
時間は掛からなかった。
あんな奇妙な出会いも、今になってしまえば、笑い話になってしまうだろう。
「・・・アスラン。・・・今日は、本当にありがとな。」
彼女は、消え入りそうな声音で、俯いたまま、彼に囁やいた。
「・・・少しは、・・・気分転換になった?」
「・・・うん。」
嬉しさを含んだ、彼女の弄え。
「ごめんな。こんなことしかしてやれなくて。」
彼の寂しさを含んだ、小さな声を訊き、彼女は緩く首を振る。
「嬉しかった。・・・とても。 いつだって、自分は無力で、毎日毎日、そればかりが重くて・・・
落ち込んでいたから。 ・・・でも、お前はわかってくれていたんだ、って、その気持ちがすごく嬉しい。」
「・・・カガリ。」
「お父様のようにならなくちゃ、強く、立派な指導者に。・・・それが、頭のなかで渦巻くんだ。
でも、現実は、なにひとつ自分の思う通りには動かない。それが苦しくて、苦しくて・・・
どうしていいかわからなくて・・・」
カガリは、苦しげにうめき、言葉を漏らす。
こんな弱音を吐いてしまえるのも、隣に居てくれるのが、彼だから、アスランだから、吐いてしまえる、
彼女の本音だった。
小さな啜り泣きと、震える身体。
彼は、堪らずに、カガリのその震える身体を抱き締めた。
「君は、君だ。 お父さんのようになる必要はない。 カガリには、カガリの良い処がたくさん
あるんだから、焦らず、時間をかけて、自分を理解してくれるひとを探すんだ。」
「・・・アスラン。」
「諦めちゃ、駄目だ。 そんなの、カガリらしくないよ。」
「アスラン・・・。」
縋り、彼女は嗚咽の漏れる顔を彼の胸に押し付けた。
咽び泣き、彼女は幼子のように、彼の腕のなかで泣きじゃくった。
声をあげ、泣くのは、本当に久し振りのこと。
泣く事は、弱さをみせることに繋がるから、という、自分のなかの戒めがそうさせていたから。
だが、こうやって、甘えられるのも、弱い自分を見せることができるのも、傍にいるのが
彼だから、出来ることなのだと、彼女は想う。
優しさに抱かれ、凍りついた、心のなかの氷が溶けていくような、・・・そんな気持ちだった。
アスランは、そっと身体を離して、彼女の頬に、最愛の情を込めた口付けを贈った。
「俺は、ずっと、カガリの傍にいるから。 ひとりなんかじゃない。それだけは、忘れないで。」
こくこくと、彼女は涙に濡れた顔で頷く。
そんな出来事を境に、ふたりは周囲に気ずかれない、小さな秘密を共有するようになる。
カガリの私設秘書を務めるアスランは、彼女に渡す書類にある細工を施す。
彼女に最終確認の承認を得るための書類を渡す・・・
ファイルされている、クリアケースの最後に、『緑』のクリップをひとつ、挟み込んだものを。
彼女から、それが返ってくる時、そのクリップの色が『赤』に変っていれば、それは、カガリの
アスランへの『返事』の印。
それがあれば、彼は小さく、微笑む。
・・・深夜12時。
アスハ邸の屋敷裏に滑り停まる、一台の車。
・・・それは、小さな、小さな、ふたりだけの・・・ 秘め事。






                                              ■ Fin ■







※さて、今回も、かずりんさんの挿絵つきでの、文章で
楽しんでいただきました。 過日、「まだ、塗り絵中なの〜」
と前置き文つきで、かずりんさんから送信されてきた、
写メ画像!むほほほ〜〜(*ノノ) キャー と、当然の如く、
がぶり、と喰いつく、オレ! まあ、イラスト自体は、すごく
ロマンチックな仕上がりですが、自分的には、「なんで
こういうシチュになったのかな?」という処から、今回の
お話を立ち上げてみました。 支えられる側と、それを
支える側。どっちもどっちで、考えられたのだけど、
なんとなく、弱い部分を見せるのは、アスランだけ、
というパターンが多いなか、逆にカガリだったら、
どんなカンジになるのかな?と思ったのがきっかけです。
可憐な、乙女である姫も大好物なもんで、自分。(笑)
獅子の娘、その後継者である、彼女の立場の大きさ。
でも、そこにある、女としての弱さも隠しもっているような、
でも普段は絶対に見せない、カガリの姿のようなものが
上手く表現できていれば、良いな、と思います。
そして、今回も最大の功労者である、かずりん様に、
最高の感謝と愛を込めて。(^-^ )  ↓




                               



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