『 たいせつなひと 』
休日。
昼下がりの午後。
カガリは、庭の日当たりのよい場所に置かれた、籐製の長椅子に
横になって、本を読んでるアスランに声を掛ける。
頭の真上に翳った、彼女の影。
「出かけたいんだ。車、だしてくれないか?」
その申し出に、彼は緩く笑んで、身を起こす。
カガリの道案内に従うまま、彼は車を走らせた。
辿り着いた先は・・・
なんと、競馬場。
こんな場所、一体、彼女になんの用があるというのだろう。
疑問顔で、腕を引き摺られ、彼女が向った先は、観覧席のVIPルーム。
そこで、カガリは手にしていた競馬新聞を広げ、赤鉛筆で、目当てらしい
馬のチェックを始める。
ただ、驚き、彼はその隣で呆然とする。
賭け事なんて、カガリには一番、縁遠いものだとばかり思っていたから。
「よーし!次のレースだッ!」
意気込み、彼女は、自分が手にしていた双眼鏡を彼に手渡した。
「2枠、3番の馬。」
そう言うと、彼女も予備の双眼鏡を持ち、覗き込む。
あまりの場慣れした、彼女の態度に、彼は促されるだけで慌てて双眼鏡を構えた。
ファンファーレ。
ラッパの響きに、場内には集まった観客たちの興奮した、声と拍手が沸きあがる。
カガリは、準備してきていた携帯ラジオのスイッチをつけ、チャンネルを競馬中継に切り替えた。
《各馬、すんなりとゲートイン。どの馬も、落ち着いていますねぇ》
《今回のレース展開のキーは、やはり、一番人気、2枠に入った、『スターライトオーシャン』でしょうか?》
ラジオのアナウンスからは、形通りの放送が流れている。
《さあ!スタートの旗が振られます!ゲート、開いたッ!各馬、一斉にスタート!
キレイなスタートだッ!!》
ラジオを聞きながら、カガリは嬉しそうに、鼻歌まで奏でだす。
《一番人気、『スターライトオーシャン』はいつもの、定番の位置です。さて、レース後半、
どう攻める!『スターライトオーシャン』タケトヨ騎手のムチはいつ、入るのかッッ!?》
興奮にいきり立つ、アナウンサーの解説。
その刹那、双眼鏡を覗いていた、アスランの唇から小さな驚きの声があがった。
その声を耳にし、カガリは小さく口端を持ち上げ、小悪魔な笑みを零した。
《メインスタンド前!きたーーーッ!凄い足だッ!!抜く抜くッ!ゴボウ抜きだぁーーーッ!
2馬身、3馬身ッ!!縮じまらないッ!!余裕でゴォーーールッ!!1着は、『スターライトオーシャン』!》
レースが終わり、アスランは呆然としたまま、双眼鏡から顔を離した。
「凄いな、あの馬。」
「まあな。」
カガリは、にっこり笑んだ。
レース後半、カガリが一押ししていた、葦毛馬の猛ダッシュ。
前半で疲れた利き足を切り替え、逆の足を軸に走りを変えた、サラブレッド。
「幼馬の時、あのコ、足が悪かったから、庇うために自然に身に付けたみたいなんだけど、
そのおかげで、今は最高の走りをしてくれる。」
「随分詳しいんだな。 でも、なんだって、競馬なんか・・・」
彼女は、満面の笑みを浮べ、アスランを見た。
「だって、私、馬主だからな。自分の馬が走るレースくらい、生で見たいだろう?」
「・・・はあ?」
「なんだよ、その『はあ?』って。」
アスランのあげた、あまりにも間抜けな声に、彼女は眉根を寄せた。
だが、直ぐに気を取り直し、彼は納得したように、空を仰ぐ。
一国の首長である、カガリ。
国の最高責任者である、彼女。
権力だって、勿論、お金だって、それなりのものは持っている。
そんな彼女が、馬の一頭や二頭、所有していても、全然不思議ではない。
しかし、結婚して、半年が経ってる、現段階。
アスランの無頓着さもあったが、彼女の財産とか、その他諸々の不動産など、
一体いくらあるのか、なんて全然知らない。
日々、穏やかに睦ましく、過ごせていければ、それで充分だったから。
「さてと、見届けたから、次は厩舎の様子でも見にいくか。」
彼女が椅子から立ち上がり、出入り口の扉に向うのを、アスランは慌てて追いかける。
「アンジェラ!」
競馬場から、然程離れていない、馬たちの厩舎の前で、カガリは車から降りながら、
手を振り、ひとりの女性の名を呼ぶ。
小屋の前で、干草の積み上げ作業の手を休め、カガリ同様、見事な金髪の女性が
振り返った。腰まで伸びた、長い髪の毛を無造作に一本の三つ編みにし、ブルーの
瞳が喜びの色に変る。
「カガリッ!!」
アンジェラ、とカガリに呼ばれた女性は、手にしていた三叉鍬を放り投げ、車の傍に
佇んでいた、彼女に走り寄ってくる。
がしっ、とその首に飛びつき、過剰な友情表現。
ぴょんぴょん、ふたりで飛びながら、まるで女学生のような、はしゃぎよう。
カガリのスキンシップの激しさを知ってるアスランは、その光景に苦笑を漏らすだけ。
「今日のレース、見てきたぞ。やっぱり、アンジェラに預けて正解だった。すごい仕上がり
じゃないか!あのコ!」
「えへへ。そう言ってもらえれば、嬉しいわ。」
『あのコ』とは、勿論、カガリの所有馬である、『スターライトオーシャン』のことだろう。
一通りの挨拶の儀式が済んだあと、カガリはアスランを手招いた。
「旦那。」
指を差し、カガリは、無造作な仕草でアスランを女友達に紹介する。
「始めまして。アスラン・ザラです。」
微笑み、手を差し伸べられれば、アンジェラは僅かに頬を染め、その手を握り返した。
「ア、アンジェラ・リトです。こちらこそ、よろしくお願いします。」
ぺこり、と一礼。
アスランは、そんなアンジェラの僅かな戸惑いに、苦笑を浮かべた。
毎度、どこでも思うこと。
カガリは、じっとアスランの顔を見た。
別に、会った女性、全てを悩殺してるつもりはなくても、アスランが微笑めば、
大抵の女性は、アンジェラと同じ反応を示す。
若い女性は例外なく、年をとってようが、なんだろうが、そんなもんはお構いなしだ。
「ああ、でも、良い処に来たわ!そろそろ休憩しようかと思っていたトコなの。
お茶にしましょう。」
誘われ、ふたりは案内されるまま、厩舎の前を通り過ぎ、ログハウス風の建物に通された。
「あ、テラスで待ってて。今、お茶の用意してくるから。」
アンジェラは、ふたりに告げ、室内の給湯室に入っていった。
アスランとカガリは、素直にアンジェラの言葉に従い、テラスへと移動する。
「ハーブティの美味しいのが手に入ったの。 特別にご馳走してあげる。」
銀の盆に、茶器とお湯のポット。そして、葉っぱの入った、グラス瓶を持った、アンジェラが
テラスに姿を見せたのは、直ぐにだった。
手際よく、茶器に葉っぱをいれ、湯を注ぐ。
色がでてから、ティカップに、お茶を注げば、ミニお茶会のスタートだ。
お茶請けには、手作りのクッキーが並べられ、完璧なセッティング。
「なんだか、久し振り過ぎて、なにから話したら良いか、わからないわ。」
アンジェラは、やや興奮した声音で、言葉を紡ぐ。
アンジェラの言葉に、カガリは苦笑を浮かべた。
「近くまで来たから、ついでだよ、つ・い・で!」
「もう、まったく、カガリは相変わらずね。」
くすくすと、可笑しそうな笑い声を響かせ、他愛のない話が始まりだす。
「まあ、馬を見に来たのもあるけど、アンジェラ、アスランに会うのは初めてだろ?
だから、紹介も兼ねて・・・だな。」
ごほん。
ひとつ、咳払いをし、彼女は僅かに顔を赤らめる。
「ごめんね。結婚式、行けなくて。」
アンジェラは、既に済んでしまった、カガリの挙式に駆けつけられなかったことを
小さく詫びた。
「そんな派手なのもしたくなかったし、気にしなくて良いさ。」
「でも、カガリの結婚記者会見は、テレビで見ていたけど・・・ あのさ、ひとつ訊いてもイイ?」
「なんだ?」
何気な質問、と思いきや。
「アンタ、面食いだった!?」
ぶっ!
カガリは、アンジェラの突飛な質問に、飲んでいたお茶を思いっきり噴いた。
「ア、アンジェラッ!」
真っ赤な顔で、カガリは憤怒の表情。
「べ、別に、私は、アスランを『顔』で選んだわけじゃない!」
必死の弁明。
アンジェラは、可笑しそうに、ケラケラとカガリをからかって喜んでいる。
「まあ、冗談は別として、ふたりにはお礼、言わなくちゃ。」
「お礼?」
カガリは、身に覚えのない、『礼』という言葉に首を傾げ、隣のアスランにも
確認をとるような視線を向ける。
彼も、わからない、といったような表情。
「・・・私、今度結婚することが決まったの。 相手は、コーディネイターよ。」
「・・・そうか。めでたいことじゃないか! で?その結婚が私たちとなんの関係があるんだ?」
カガリは、首を傾げ、真向かいの女友達を見た。
「貴女も知ってるかと思うけど、4年前の戦争以前にも、コーディネイターに対する偏見は、
ナチュラルである、地球の人々には根強く残っているわ。 ・・・両親にずっと、反対されていたの。
・・・彼との結婚。」
「・・・アンジェラ・・・」
「でも、国の代表である貴女が、コーディネイターである、アスランさんと結婚してくれた御蔭で、
道が開けたっていうか。両親を説得する口実を作ってくれた、っていうか、そんな感じで。」
「そうだったのか。・・・そんで?相手の男、って、どんなヤツなんだ?」
「24時間、365日、草ばっかり見てても飽きない、変り者よ。」
ふふふ、とアンジェラは、薄く頬を染め、履いていたジーンズの後ろポケットからだした財布を開き、
中から一枚の小さな写真を取り出した。
「おっ!結構、男前。でも、アスランには劣るけどな!」
「な~に?今更、旦那さま自慢?」
アンジェラは、からかった視線をカガリに向けた。
「研究者なの。私は、あんまり彼の研究課題のことはわからないけど。ユニウスセブンに居た、って
言ってたし。」
ユニウスセブン、という言葉を訊き、アスランの顔色が僅かに変わった。
「戦争の切っ掛けになってしまった核攻撃。その時、偶々、所長であったひと・・・ 確か、キャベツの
研究していたって言ってたかな?その方の中間報告を本国に届ける、ってことで難を逃れたんだけど。
そういえば、随分前、写真見せてもらったことがあるわ! すっごい美人な、女の方で・・・え~と・・・」
「レノア・ザラ?・・・という名前では、ありませんか?」
アスランが、突然言葉を発したことに、カガリは痛ましげな視線を零した。
「そのひと、アスランのお母さんだ。」
カガリは、小さく言葉を付け足す。
「えっ!? ・・・あ、・・・す、すみません!知らなかったこととはいえ、私ったら不用意に・・・」
慌て、アンジェラはうっかり滑らせてしまった言葉に、俯いてしまう。
「いいえ、気にしないでください。」
アスランは、寂しげな、悲しい微笑を称えた。
気を取り直し、アンジェラは言葉を続ける。
「彼ね、自分の研究は、きっとプラントの人々にも、地球の人々にも、必ず役に立つときが来る、
っていうのが口癖よ。 亡くなられた、その方の遺志を継ぐんだ、って、いつも言ってる。」
「・・・そう、・・・ですか・・・」
思わぬ処で、思わぬ事を聞いた。
亡き母の意志は、まだ息づいているのだと、アスランは新しく知りえた事実に、緩い笑みを浮かべる。
「まだまだ、研究することはたくさんあるけれど、やり遂げるって言ってるから。 あのね、カガリ。
今回の『スターライト』にも、実験的な要素が含まれていたの、貴女、気付いた?」
「あ?そういえば、随分馬体が絞られていたような感じがしたな。」
「余計な脂肪を付けさせずに、筋肉量を増やしたの。 彼の研究している、草をね、飼葉に混ぜて、
今食べさせているのよ。」
「そうだったのか。」
カガリは感嘆の声をあげた。
「だから、筋肉ついた分、脚力がついて、オマケにあのコの独特の走り方が相乗した、今回のレース。
結果をみれば、一目瞭然でしょう?」
「ああ。」
「今後も続けていくつもりよ。構わないかしら?」
「あのコのことは、アンジェラに任せているんだ。私は口をださないよ。」
カガリはにっこり笑み、アンジェラを見詰める。
「あ!遅くなったが、ちゃんとお祝いしないとな!」
「イイって!そんなの。カガリだって忙しいんだから!」
「なに、言ってるんだよ!遠慮するな!」
する、しない、の繰り返しの問答。
アスランは、女ふたりの語る話に苦笑を浮かべるだけ。
「祝いは別として、まずはちゃんと言葉で伝えないとな。」
一通りの話の決着を見、カガリは苦笑した。
「おめでとう、アンジェラ」
「ありがとう、カガリ。」
ふたりの、幸せに満ちた、満面の笑顔。
「もうひとつ訊いてイイ?」
「なんだ?」
カガリは、首を傾げ、瞳を開いた。
「カガリ、今、幸せ?」
その問いに、カガリの即答はない。
考えるような仕草を見せ、彼女は言葉を選んで、紡ぎだす。
「ああ。」
自信に満ちた、彼女の答え。
「アスランは、私にとって、掛け替えのない存在だ。とても、たいせつなひとだ。
・・・きっと、彼を失う日が来るとしたら、私は悲しみで自分を殺してしまうかも・・・
そう想えるくらい、たいせつだよ。・・・だから、今とても幸せさ。」
「あ~~もう、さっきから惚気ばっか!訊くんじゃなかった!!」
「なんだよ!その言い草は!!」
カガリは僅かな癇癪を起し、アンジェラを緩く睨む。
「私も、カガリに負けないくらい、幸せにならなくちゃ!」
にっこり笑み、アンジェラは、カガリを見詰める。
ただ、傍観していたアスランは、カガリの口にした言葉に、じんわりと胸の中に
感じる幸福感に酔いしれる。
結婚して、半月。
いくら、女友達との、何気ない会話の一部でも、始めて『音』で訊く、彼女の本音は、
彼を有頂天にさせる。
外面的には、ポーカーフェイスを装っていても、アスランの気持ちのなかでは、
嬉しいまでの動揺が走っていた。
気を抜いた瞬間、アスランが顔を真っ赤に染めたことに、カガリは不思議そうな
瞳を向ける。
「・・・なに、茹ってるんだ?お前。」
鈍感なまでの、カガリの台詞。
「・・・い、いや・・・ あまり気にしないでくれ。・・・今日は少し暑いな、と思っただけだから。」
ぷっ!
ふたりのやり取りを見て、アンジェラは噴出す。
あまりにも、鈍い親友と、その夫の態度は、アンジェラには堪らなく可笑しい光景。
のどかな、午後の一風景。
そよぐ涼やかな風が、三人の頬を撫でていった。
◆ Fin ◆
※久し振りのお題です。
去年までの更新が滞っていた分、自分でも驚くほど
筆のすすみがいいので、びっくらしております。
ちなみに、作中にでてきた、カガリの馬は、私が
大好きだった、『オグリキャップ』がモデルで
あります。めちゃくちゃ大好きで、オマケによく
稼がせていただきました。まあ、いつも1番人気だから、
配当はそんなにつかないけど、それでも好きでしたね。
文中、足を切り替える話は、オグリが実際、本当に
やっていたことです。競馬好きなひとは、知ってる
有名な話。(^-^ ) ニコッ